65.引き抜き
衛門は早速つてを作り出し、老中納言邸にいた時に美人だと見ていた侍女達を呼び寄せさせます。その侍女たちとは、例えば侍従の君と言うとても美しげな邸の中でも第一の侍女と思われていた人や、三の君に仕えていた典侍の君、大輔のおもと、そしてまろやと言うとても美しそうな下仕えの人などで、どの人もかつて、侍女として良い資質を持っていると見ていた者たちでした。そういう人たちに衛門はいろんな方法で策を講じて、それぞれの人に使いを出しました。
「実は、衛門督様の二条の邸で侍女を求めているそうです。今最も権勢のあるお邸なうえ、お仕えした人を限りなく大事に扱って下さっています。いかがですか」
と、言葉巧みに言わせ、誘いをかけました。すると皆若い上に自分の主人の老中納言がすっかり耄碌している事に先行きの心細さを感じていたので、
「どこかよその邸に勤めを変えようか」
と思い、準備を始めていたところだったので、こういう良さそうな話を聞くと、
「衛門督殿は今、世間で一番の評判の方だし」
などと思って、承知していきます。さっそく準備のために実家に戻り、まさかそこに「落窪の君」と呼ばれた方がいるなんて夢にも知らず、それどころか皆に声がかかっていて、二条の邸に集まる事になるとは思いもよらずに、皆、各々が人に隠れながら二条からの使いの人とコソコソと相談したりしていました。
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出ました。衛門の得意技ですね。人から信頼を得て、自分の持っている人間関係を頼りに根回しして、思うように事を運ぶ。こうやってかつて彼女は女君と衛門督をささやかながらも無事に、結びつけたのでした。今回もその能力がいかんなく発揮されそうです。
しかも今度は都一の権勢を誇る右大臣家と、その一番の出世頭で長男の衛門督が後ろについています。以前のように女房としてさえ扱われずに、女童のまま、数少ない味方を頼りに細々と姫の御世話をするんじゃありません。今一番勢いのある邸の女房の長として、いろんな人と、方法を使って引き抜きにかかります。まさに鬼に金棒でしょう。
声を掛けられた侍女達は、みんなすっかりその気になったようです。それはそうです。自分の若さを誇れるのも、売り時もほんのわずかの間。その間に少しでも条件のいいお邸で安心して気持ちよく勤めたいに決まっています。老中納言は耄碌し、はなばなしい婿もいない邸では勤めていても先々が心配ですから。
権勢のあるお邸から声がかかり、しかもその邸が仕えた人を大切に扱ってくれると聞けば、以前から侍女が実家に戻るたびに美しい装束を与えられて出入りしていたり、お祭りのときにも皆、美しく着飾って楽しそうにしているのを見聞きしていたはずですから、自分もそんな風になりたいと当然思った事でしょうね。
でも、まさかみんな、老中納言邸に狙い定めて、美人で気が聞く侍女をごっそり引き抜きにかかっていたなんて、想像もしていません。自分だけに与えられた栄誉だと思って浮かれていた事でしょう。よその邸に「鞍替えする」なんて大ぴらにはしにくいようで、みんなコソコソと邸を移る準備を進めているようです。まさかそこに皆がまた集り、しかも「落窪の君」と「あこぎ」までいるなんて思わずに……。
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衛門は、従者達に命じて声をかけた侍女一人ひとりに片っ端から車で迎えに行かせると、皆二条の邸に参上しました。
呼ばれた人達が見てみると、その御邸は侍女がとても大勢いて、邸の様子も美しい事限りありません。迎えの車は一つ同じ所に侍女達を下ろしたので、それぞれがお互いを見つけては、「おかしいわね」と互いに思っています。
聞いていた通り、美しそうな若い侍女達が二十人ほど、白張りの単衣襲を着て、二藍の裳をつけ、濃い紅の袴をはいて、年配の女房達は五、六人、赤みを帯びた袴をはいて、綾織りの単衣襲を肩から懸けて、薄い紫色の穀の裳や綾織りの裳などを付け、同じように着飾った人々が次々と群れて出て来るので、新しく呼ばれた人達は心細い思いをしたことでしょう。
その時二条の北の方(女君)は、暑気あたりで御気分がすぐれないので新しい侍女にお会いにはなれませんので、衛門督が、
「私が代わりに会おう」と言って出てきます。
侍女達は皆、とてもつつましやかにうつ向きひれ伏したまま、衛門督を見ました。
とても濃い紅の袴をはき、白の生絹の単衣に薄い絹織物の直衣を着てお座りになっていらっしゃる姿は、大変魅力的で美しいご様子です。まず、思った通りに御立派なお方だと侍女達は思って見ています。
衛門督の方でも侍女達を事細かにご覧になると、
「おかしなところは無い者たちだし、衛門が呼んで来たのだから『足りないところがある』などとは言うべきじゃないだろう」と、女君におっしゃいます。
「本当に衛門を信用なさっておいでですこと」
そう言って女君が笑われるので、衛門は、
「『足りないところがある』なんて、この人達の事を御存じないからですわ。私が北の方様(女君)の御傍にいたので、櫛梳いたり髪を撫でつけさせる事さえできずにご覧になられたんですもの。こういう事は相談させていただきたかったわ」
と言いながら出てきました。出てきた人があの、「あこぎ」だったのに気がついて侍女達は、
「これはどうしたことでしょう。あの「あこぎ」がこのお邸で、こうも立派に信頼されてお仕えしているなんて」と、驚いています。
衛門はたった今、彼女たちに気がついた様な顔をして、
「不思議ですね。皆さんにはお目にかかった事がある気がするわ」と言うので、
「わたくしたちも、同じ思いで見ておりましたわ。うれしいこと」と侍女達も言います。
「ここ数年、お会いすることもないまま時間が過ぎてゆきましたので、さびしく思っていましたし」と言って昔話に花を咲かせていますと、
「衛門の君、北の方の所に参上して下さい」
と言って出てきた人を見ると、あの少納言です。二歳くらいのとても色の白い、可愛らしい男君を肩に乗せています。
「不思議なものです。懐かしい御声がたくさん聞けて、昔に帰ったような気持になりますね」
と言って今度は少納言がその場に座りました。そこでのおしゃべりはいちいち書かずにおきましょう。うるさいだけですから。互いが「嬉しい、よいことだわ」と言っていたそうです。
昔から知っている衛門と少納言が気をまわしてくれるので、侍女達は、
「頼りがいがあって助かるわ」
と、皆思っていました。
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まあ、皆さん、変わり身が早いですね。自分だけが良いお邸から声をかけてもらっていたと思ったら、老中納言邸で働いていた同胞たちがこぞって同じ邸に仕えに来ていました。それはみんな、「おかしいわね」とも思った事でしょう。おそらく別れの一つも言いあって、前の邸を出たのでしょうから。
しかも出てきた人たちは皆美しく、それまでは老中納言邸では自分は「まあまあ、綺麗な方に入るんじゃないかしら」と思っていたら、同じくらいの美人やもっと綺麗な人が、わんさと二十人も出てきます。しかもみんな立派な美しい装いの人ばかり。それは心細くもなったでしょう。
そして新しい御主人もやっぱり立派な方です。そのうえ若くて魅力的です。みんな恐縮してひれ伏したまま、それでも好奇心には勝てずに衛門督の姿をチラチラ覗き見しています。
そんな思いで皆が伏しているというのに、その立派な御主人たち御夫婦の会話に割って入って来る、いかにも信頼されていそうな人がいます。しかもその声は聞き覚えがある。
見てみるとそこに前の御邸では女童扱いで、北の方に目をつけられていた「あこぎ」が、堂々と御主人たちと親しげに、会話を楽しんでいます。
あこぎの方でもちょっと白々しく、「お目にかかった事がある」なんて言っていますし、侍女達も「同じ思い」だったと言って懐かしがっています。老中納言の邸にいた時は北の方の目を恐れて、誰も「あこぎ」や「落窪の君」に近寄らないようにしていたんですけどね。
皆、心の中の現金さと、ばつの悪さを綺麗に隠して「おほほ」とでも笑っていたんでしょう。
それでも女同士、知った顔が寄り集まれば昔話に花は咲いたようです。けれどもその後から今度は少納言まで現れました。しかも女主人のお子様を抱いている。侍女の中でも立場の高い、乳母になっているのです。これにもまた、皆仰天したでしょう。
これまたおしゃべりが弾んだようですね。女三人寄ればかしましいとは言いますが、沢山の昔なじみが顔を寄せ合ったのです。話が尽きる事は無かったのでしょう。作者は『うるさし』の一言で切って捨ててしまいました。嬉しい懐かしいと、同じような事を飽きもせずに繰り返していたと言いたかったんでしょう。そして新しい侍女達は昔なじみが気を使ってくれて、働きやすそうだと喜んでいます。でも女君と新しい侍女達との対面の場面はとうとう書かれませんでした。
これでさらに女主人が「落窪の君」だと知った時は……みんなどれだけ驚いたことでしょうね。




