62.典薬助の悲劇
《注意》
今回は訳部分の後半に、残酷な描写があります。目に浮かべると厳しい内容です。
暴力的な描写。特に集団暴行が嫌いな方は、ここは読み飛ばすことをお勧めします。訳されていない本文でも十分、気分の良いものではありませんから。
さらに、最終話最後の一行の「ネタばれ」も書いてあります。
これはこのお話の終わり方があまりに後味悪いので、最後は気持ちを整理して迎えたかったから。
順番通りに知りたい方は、「ネタばれ」と書かれた先は読まないでくださいね。
こうしているうちに世間では「今年の賀茂祭は大層面白いらしい」と評判になっていました。そこで衛門督は、
「落ち着かない時だから、召し使っている人達に物見でもさせに行くか」
と言って、かねてより御車も新調し、侍女たちにも新しい装束をお与えになって、
「見苦しくない姿でいるように」とおっしゃって急ぎ用意をさせます。
当日になると一条大路に車を停める場所を取って置くための杭を打たせておき、従者が、「そろそろお時間です」と言ってきても、この自分が杭まで打たせて確保した場所を誰が取るものかと思い、のんびりとお出かけになります。車は五輌ほどに大人二十人、さらに二輌の車に童が四人と、下仕えのものが四人乗っていました。衛門督がお連れになっているので、先払いの人も四位、五位と言う悪くない身分の人が大変多くいました。
衛門督の弟君は侍従から今は少将になっていて、幼い童だった方も兵衛佐となっていました。彼らも、
「せっかくですからご一緒に見物したい」とおっしゃいます。
そこで全員で見物することになったので、二十輌以上の車が連なる、大行列になってしまいました。
衛門督が大路についた時は、まだ皆が思い思いに車を停めようとしているところで、自分の杭を打たせた所に行ってみると、その向かいに古めかしい、殯榔毛の車が一輌、網代車が一輌停まっていました。
「車を停めるのに男達が乗った車を疎遠な人と並べてはつまらない。親しい人たちを向かい合わせにして、お互いが見渡せるよう、一条大路の北と南に停めさせろ」
と衛門督はおっしゃいました。そこで従者が、
「この向かいにある車を少しどけるように言って来い。そこにこちらの車を停めたい」
と言って使いをやりましたが、その車はいくら言っても執念深くその場所から動こうとしません。衛門督が「誰の車だ」と聞くと、
「源中納言の車です」と言います。そこで衛門督が、
「中納言であれ、大納言であれ、車を停めるところはこんなに多くあるのに、なぜ、こちらの杭の打ってあるのを見て停めるのだ。少しどけさせろ」
とおっしゃるので、雑色たちは向こうの車に近寄って、車に手をかけました。すると向こうの車の従者が出てきて、
「どうしてこの雑色たちは、また、清水詣での時のようにこの車に手をかけるのか。随分気の逸った雑色たちだ。権勢があると思っているそっちの主人だって、なあに、同じ中納言じゃないか。この一条大路さえも自分達のものだと思っているのか」と言います。
けれど衛門督の従者達はかまわず、笑い飛ばして車を退けようとします。
「大路の西も東も、斎院さえ恐れて避けて通られると思っているんだろう」
と、あの口の悪い従者が清水詣での時と同じに言うので、衛門督の従者も、
「同じ中納言だからって、ウチの殿と一緒にするな!」
と言い返して、言い争いになってしまいました。おかげで車を退ける事が出来ず、衛門督の弟君の男君達は車をまだ停める事が出来ません。これではキリがないので、衛門督は左衛門の蔵人(帯刀)を呼んで、
「あの車、お前が行って少し遠くに離せ」とおっしゃいました。
するとご前駆の人々が向こうの車に近寄って、どんどん引き離してしまいます。老中納言の車の方は従者の男も少なく、引き止められません。御前駆も三、四人いましたが、
「無駄だ。出先でいさかいを起こしてしまう。今の太政大臣の尻を蹴る事が出来ても、衛門督の牛飼いに手を触れることはできない」
と言って車から離れ、よその家の門に入って身を隠して立ったまま、目だけを僅かに出し覗いて様子を見ています。こんな風ですから、衛門督は少し気の逸った恐ろしい方だと世間では思われていますが、実の御心はとても親しみのある、穏やかな方なのです。
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またもや老中納言と車争いです。今度は女君はいない時に自分の身内の弟たちとの祭り見物で、車を停めて見物する場所をめぐってのいさかいとなりました。
ここでは触れられていませんが、どうやらこの時女君は懐妊中で、衛門督も召し使われている人達も、気を使っておとなしくしている時だったようです。ですから衛門督は自分の気晴らしと仕えている人々の慰労を兼ねて、豪勢に祭り見物に繰り出したようです。
しかも、衛門督の弟君達と一緒に見物しようという事になったので、それでなくてもきらびやかな行列が、二十輌以上の車が連なる大行列になってしまいました。本来ならそれなりに身分のある四位、五位の人たちに先払い(行列の先頭で、道行く者たちに道を開けさせる人)をさせています。衛門督に気に入られようと、みんな躍起になってそういう仕事もしたのでしょう。
そんな威厳たっぷりの行列相手に、老中納言家の車が、無謀にも抵抗しました。他に停めるところはいくらでもあるのに、衛門督たちがそこに身内同士で向かい合わせに停めたがっているのを知って、意地でも退きたくないようです。仮に居座ったとしても、そんな御威光たっぷりの一族に周りを取り囲まれたら、老中納言家だって居心地が悪そうなのですが、こうなると理屈抜きに意地悪をしたくなっているようです。
どうも老中納言側の従者は、あの、清水詣での時の恨みを根に持っていたようです。「権勢があっても、同じ中納言」と悪態をついています。あの日してやられた悔しさからでしょうか?
同じ中納言と言う位の立場にすがりついて、傲慢呼ばわりしています。「斎院さえ恐れる」とは随分な言いようです。
斎院と言うのは帝が即位された時選ばれる未婚の内親王で、この賀茂祭がおこなわれる賀茂神社に帝の安寧な御世を祈って御奉仕する方です。帝が神様に捧げる方であり、世の平穏無事を人々に代わって祈りささげてくれる大切な人です。その方を恐れさせるほど傲慢で不遜な態度だって、口の悪い従者は言ったわけです。まるで衛門督が帝を貶めているかのような物の言いよう。
でもこれは衛門督側からしたら、そっちの方が無礼だという気分でしょう。片や、日が昇るように一族そろって出世していて、衛門督まで兼任している自分の主人と、高齢で目も弱り、耳も遠くなって、耄碌して出仕もしていないのに、地位にすがりついている老人に頼っている家と、同格に語られては不愉快極まりない思いがしたに違いありません。とうとう両者は言い争いになってしまいました。
そこで衛門督は「帯刀」を呼んで、向こうの車を退かせるように言いました。そこで「帯刀」は前駆の人たちに向こうの車をどかせてもらうようにお願いしたようです。
雑色や位の低い従者同士では言い争っては埒が明きません。しかも衛門督の方は二十両以上の車を率いる大行列。何十人もの、もしかしたら百人にも上る従者がいるはず。単純に人数にも差があります。ほとんど抵抗できずに老中納言の車は引き放されていきます。
しかも老中納言の前駆達は、「太政大臣の尻は蹴っても、衛門督の牛飼いには触れない」と言って、人の家の門の影にかくれて、目だけ覗かせるありさまです。主人に付き従うどころか、主人を見捨てて隠れ、様子をうかがっているのです。一部の従者や、雑色の無謀な行為にに巻き込まれたくないという本音があからさまになってしまいました。
そしてこの後、あの典薬助が再び登場しますが、悲惨な目に遭わされることになります。暴力的な場面が苦手な方は、この先は御遠慮いただいた方がいいかもしれません。
では、本文訳から。
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老中納言の方の人々が、
「ひどく体裁の悪いことをしてくれたものだ。今は何も言いようがない」
などと相談していましたが、あの典薬助と言う愚か者の翁もお供していたので、
「何と言われよううと、向こうの思うように退かされてたまるものか」と言って歩み出ると、
「今日の事はこんな情けのないやり方をするようなことではないはずじゃろう。打ち杭を打ってある所に車を置いて退けさせるのならともかく、こっちはその向かいにいたのじゃ。その車をこんな風に扱うとは何事じゃ。後のことを考えてみるがいい! 今度はこちらもやってやろうぞ」と言って来ました。
これを聞いた衛門尉(帯刀)は、この老人が典薬助と見てとって、
「この数年、こいつに会いたいと思っていたぞ」
と嬉しく思い、また衛門督もこれがあの憎き典薬助かと見てとると、
「惟成。あんなことを言わせておいていいのか」
とおっしゃるので惟成も心得て、逸る雑色たちに目くばせすると、雑色たちが典薬助に走り寄り、
「翁、お前は『後の事を考えろ』と言ったが、衛門督殿にどう申し上げるつもりだ」
と長扇を差しだして、典薬助の冠をバシッと打ち落としてしまいました。するとその頭は髻(髪を集めて束ねた部分・ここを人前でさらすのは大変な恥とされた)はほんの少ししか無く、額はすっかり禿げ上がり、つやつや光って見えるので物見をしている人達は大笑いします。
典薬助は袖で頭を隠し、よその家の門に逃げ込んで入りますが、雑色たちはサッと近寄って、皆で一足づつ蹴り続けながら、
「後でどうするというのだ。どうするというのだ」とはやし立てます。
そうしながら思う存分翁を、死にはしないが息の音もなくなるほど痛めつけます。衛門督は、
「やめろ、やめろ」と止める振りだけしています。
さらにひどく踏みつけ、這いつくばらせ、その身体を車に引っ掛けて晒しものにしながら車を退けさせるので、他の従者達は見せつけられ、懲りて、恐れおののいて、車に近寄る事も出来ません。仕方がないので他人のふりをしながら車の傍について行きます。衛門督の雑色たちは車を他の小路に引っ張って来て、道の真ん中に放り捨てて行きます。その時かろうじて隠れていた従者達が戻り、車の轅を持ちあげました。その様子は全くみっともありませんでした。
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ひどい場面です。言葉がありません。いくら悪役とはいえ老人に、ここまでやるだろうかと言う過酷な仕打ち。報復にしてもちょっと私には受け入れがたいものがあります。
けれど、この場面は当時の過酷さのほんの一片でしかないのでしょう。路地をちょっと入れば死体が転がっていた都です。華麗な文化の影で、尊い人の命は自分の命の何倍もあがめ奉り、一方で、こうやって軽く扱われる命もある。そんな一面も持った時代だったのでしょう。
命の格差が大きい中で、憎しみの感情と集団心理でここまで人は残酷になったのでしょうか?
それともこれは物語ゆえの、演出なのでしょうか? どっちにしても読んで気持ちの良い場面ではありませんでした。
さらにここで「ネタばれ」を承知で書くのですが、
最終話の一番最後、四の巻の終わりに、
「典薬助はこの時のことが原因で、病気にかかって死んだという」
とされています。そして最後の一行で、
「実は今では二百歳となって、まだ生き続けているという噂もあるとか」
と書かれてお話が終わるんです。
これはあまりに後味が悪い終わり方です。二巻の終わり近くのこの出来事を、四巻の最後に蒸し返して死んでいたなんて。
ひょっとしたら今も生きているかもと言われても、それは逆に彼の怨念でも感じそうで、かえって気分が悪い。作者はどうしてこんなシーンを書いて、こんな終わり方にしたんでしょう?
ちょっと私にはこれを最後に読んだ時の印象が辛かったので、ここで暴露してしまいました。
心を整理してエンディングを迎えたかったので。
このお話はまだ続きますが、当時の人々はこういう事も受け入れられる環境の中で生きていたんですねって事を、心にとどめておきたいと思います。




