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61.三条の邸

 こうして中将は女君をたとえようもなく大切に思っていらっしゃったので、女君は、


「中将様はもう気持ちが落ち着かれて、仕返ししようなんて御心は無くなったようだわ」とお見受けしていたので、中将に、


「今はわたくしの無事を中納言殿にもお知らせしたいと思います。中納言殿ももう、老いてしまわれていますから、いつお亡くなりになってもおかしくありません。このままお目にかかることなく終わるかもしれないと思うと、心細いのです」とお願いしてみました。でも中将は、


「こう強くおっしゃりたい気持ちは分かりますが、やはり、もうしばらくは御辛抱いただいて、お知らせにはならないで欲しい。この事を知られてしまうと中納言殿が可哀想で、北の方を懲らしめられなくなります。もう少し懲らしめるつもりでいますから。それに私ももう少し人に認められる地位になってから、お目にかかりたいのです。中納言はそう簡単に亡くなったりしませんよ」とばかり言っているので、女君は勝手な事はしたくないと慎んでいらっしゃいました。


 そのうちにあっけなく年が明け、正月の十三日に御安産に男御子がお生まれになりました。中将は大喜びです。若い侍女ばかりでは女君にも不安があるだろうと思い、自分の乳母を二条に迎えて、


「私が生まれた時に母上がして下さったように、色々とお世話をして下さい」


 と言って、若君と女君をお預けになりました。中将の乳母は早速、産湯の御世話などをします。


 女君がすぐにうち解けて接して下さる御心をを見て、


「これでは中将様が他の女性に心惹かれないのも、仕方のない事だ」と思いました。


 お子様のご誕生を祝う産養うぶやしないのお祝いの品も、沢山の方が我も我もと競い合うように贈られますが、数も多い事なので詳しくは書かずにおきましょう。ご想像にお任せします。

 ただ、御調度の品々は皆、しきたりに従ってすべて白銀を使われました。そして管弦の遊びも盛大に行われました。こんな目出たいご様子を衛門あこぎは、


「ぜひ、あの中納言の北の方に見せつけてやりたいもんだわ」と思っていました。


 若君の乳母には、ちょうどその時子供を産んだばかりの少納言にさせる事にします。中将はこの若君を慈しんで、大切になさいます。


 ****


 唐突に時間が流れましたね。このお話は女君や中将に何か出来事が起らないと、どんどん時間を飛ばしてしまうようです。でも、出来事があると細かく説明されるんですが、同じ事の繰り返しや、当時の人なら見当がつくようなことは、「かれこれ」とか「かくかくしかじか」と言うような言葉で飛ばしてしまいます。これまでもそういう所は私が書き足していた部分も何度かありました。この作者は過去を説明し直すことをしない人のようですので。


 年が明けて女君は無事に男の子を出産しました。中将にとっては初めての自分の子供です。それは大喜びしたことでしょう。

 そして、縁談を断って「帯刀」のお母さんである、自分の乳母をがっかりさせたお詫びなのでしょう。邸が華やぐようにと若い侍女ばかりを集めた邸に、女君と若君の為に自分の乳母を呼び寄せました。自分を育ててくれた事への信頼の証しと、乳母のしたことを決して否定するつもりは無かったのだという事を理解してもらいたかったのでしょう。中将なりの乳母にたいする、感謝と気遣いですね。

 しかも若い人ばかりだけでなく、きちんと仕事のできる人を邸に置くことで、邸の中の仕事もずっと安定することでしょう。やはりこの人は良い主人です。


 ここに書かれている「産養」と言うのは、当時赤ん坊が生まれた時におこなわれた誕生祝いの儀式です。 現在でも「お七夜」として行事が残されています。誕生後、三日、五日、七日の奇数ごと、あるいは最後は九日の夜に、親族などが贈り物を贈ってお祝いします。その時に祝宴も開かれました。ここに書かれているのを見ると、贈り物の調度品はすべて白銀で作られ、祝いの宴には管弦による演奏もあったんですね。しかも派手好きな中将らしく、祝宴も華やかに行われたようです。

 

 ****


 春の召司つかさめしに年上の上席の方々を超えて、中将は中納言になりました。そして蔵人少将は中将になられます。左大将は右大臣になられながらも、左大将を引き続き兼任されることになりました。右大臣は、


「こうして子供が生まれた時に、祖父の自分も、父の中納言も昇進する事が出来るとは、幸運を呼ぶ素晴らしい子だ」と、中納言におっしゃいます。


 中納言はこれまでにも増して人々の評判がことさら良くなり、華やかな御様子で、衛門督えもんのかみまで兼任なさいます。中将も宰相(参議)になられて、上達部となられました。

 女君の父である老中納言の邸では、こうして蔵人少将が昇進なさるにつけても、三の姫や北の方が、


「なぜ、昔のよしみで時々にでも来て下さらないのだろう」


 と、ひどく悔しく思っていますが、今ではどうしようもありませんでした。


 衛門督は評判が勝り、わが身の時流がなるままに、老中納言に事あるごとに侮ったり、懲らしめたりなさる事も多いのですが、同じような事ばかりなのでいちいち書かずにおきましょう。


 そしてまた次の年の秋になると、衛門督の北の方(落窪姫)は、また可愛らしい男君を御産みになりました。衛門督の母、右大臣殿の北の方は、


「産屋(二条邸)に可愛らしいお子様を忙しくも続けて御産みになられましたね。今度生まれたお子様は私たちでお預かりしたいわ。乳母と一緒にお迎えくださいませ」とおっしゃいました。


「帯刀」も今は左衛門尉さえもんのじょうになり、蔵人も兼ねていました。

 こんな風に幸せに楽しく暮らしているので、女君は自分の父の老中納言に今の幸せな境遇をお知らせできずにいることを、物足りなく思っていました。


 その老中納言はすでに耄碌もうろくしてしまい、物思いにふける事が多く、めったに出仕もしなくなりました。ぼんやりと邸にこもってばかりいます。

 

「落窪の君」には、伝領なさった三条にある大変風情のある邸がありました。これを老中納言は「落窪の君」に与えられていたのですが、


「あの子は今はもう亡くなっているだろうから、私が伝領してもいいだろう」


 とおっしゃると北の方も、


「そうするべきでしょう。もし、この世に生きていたとしても、とてもあれほどの家を所有できる身の上ではないはず。よく出来た私の子供たちや、私達が住むのにとても広くて良い家だ」


 と言って、二年分もの荘園の所得を注ぎこんで、築地から造り始め、新しく建築し、それも古い材木は一本も交えないという大変なこりようで、これを何より大事なこととして造らせていました。


 ****


 春の司召とは春に行われる、除目じもくの事。これによって中将は父親とともに昇進を果たしました。

 中将は中納言になり、衛門督を兼任する事になりました。これによって女君の父親と同じ中納言と言う呼び名では不便と言う事なのでしょう。中納言の呼び名はここだけで、兼任した衛門督か、男君と書かれます。けれど「男君」と言うのは身分の良い男性をすべて表してしまいますから、混乱のないように、ここでは直訳文に沿って、新中納言は衛門督に統一し、女君の父親の方を「老中納言」と書き分けることにしましょう。


 衛門督のお父さんはとうとう右大臣にまで上り詰めました。しかしこの人もこれまで通り左大将の役目を兼任するようです。兼任は当時勢いのある貴族には、良くある事だったようです。

 衛門督は衛門府の長官で、正五位上に相当します。参議、中納言を務める人が兼任する事の多い官職でした。中納言と言う役目は従三位相当で、元が参議、大弁、近衛中将、検非違使別当のいずれかを勤めていた人がなる職ですので、新中納言は近衛中将からの順当な昇進です。でも、ここでは年上の上席の方々を飛び越えたとなっています。


 この時点では物語の三年目ですから、衛門督はまだ二十代の初めのはず。役職的には順当な昇進でも、年齢や様々な立場から言ったら、ずっと年上で上席だった人達を超えて行ったという事なのでしょう。いくら勢いがあって誰も文句を言えないほどのこの一家でも、そういう順番だけは最低限守っていて、それでも彼の年齢と経験を考えると大出世をしていると思えばいいのかもしれません。さらに彼は衛門督まで兼任しているんですからね。


 老中納言の三の姫を捨て、衛門督の妹中の君の婿になった元の蔵人少将は、政略結婚の甲斐もあって中将に出世しました。中将では位は従四位下でしかないのですが、彼は同時に宰相となっています。宰相は参議の唐風の呼び名で位は三位ですので、これによって彼も上達部の仲間入りをした事になります。こちらも五位から三位への大出世ですね。


 どうやら衛門督は、名声があがったことを期に老中納言をちょこちょこ小馬鹿にしているようです。しかもかなり頻繁なのでしょう。作者は「いちいち書かない」と言ってます。

「帯刀」も出世しています。左衛門尉は左衛門府の第三等官。ここで言う蔵人は、蔵人大尉と言う事だそうです。大尉は従六位下ですので、「帯刀」は六位の蔵人になったんですね。

 

 そしてさらに時は流れ、女君は二人目の男の子を出産しました。お気に入りの二条の北の方が続けて男の子を生んだので、衛門督のお母さんはその男の子を預かって育てたいと言いだしました。一応、「間を開けずに育てるのが大変な男の子が生まれたのでお世話をお手伝いする」という名目のようですが、二条の方はお母さんのお気に入りですから愛息子とお気に入りの御嫁さんの子供が可愛くてしかたなく、理由をつけて育てたいというのが本音のようです。孫は目に入れても痛くないのはこの頃も同じだったんですね。


 そんな幸せな女君とは裏腹に、老中納言はすっかり耄碌してしまいました。いつもぼんやりしているので御所への出仕もままならないようです。社交が大事な貴族社会ですが、このままでは彼らは世間から忘れられていく一方のようです。

 そこで老中納言は、「落窪の君」に与えていた三条の邸の存在を思い出します。老中納言にとって「落窪の君」は早くもすでにこの世にいない事にされてしまっています。実の父でありながら薄情なものです。


 少しでも威厳を取り戻したい老中納言は、その邸を自分が使ってもかまわないと考えました。

 そこに北の方も賛同し、自分達がはなばなしく暮らしてまた、世間に知らしめられるようにと、邸を造り直す事にしました。自分達の家運がかかっているので、大変な熱の入れようです。

 荘園からの所得、二年分に及ぶ大金をつぎ込み、築地造りから一から初めて、目に見えないところまですべて新しい木材しか使わないというこりよう。どうもこの邸造りに、すべての命運をかけるつもりのようです。


 でもここは正式には女君の持ち物です。そして女君はちゃんとこの世に生きていて、飛ぶ鳥の勢いで大出世している一族の一員になっています。

 これをあの衛門督や、衛門あこぎが黙って見ているでしょうか?


 またもや復讐の匂いがしてきましたね。

 

この時点で女君が老中納言の邸から姿を消して、二年経っています。

僅か二年で行方不明になった「落窪姫」が死んでいると思い込む。

これは老中納言の薄情さもありますが、当時の事情もあります。


平安時代の厳しさは想像以上で、何か事情があって邸を出た使用人など次の勤め先が見つからなければすぐに路頭に迷い、そのまま行き倒れて亡くなる事が多かったのです。

守りの薄い邸の姫が人さらいにさらわれて、そのまま殺されたり、地方に売り飛ばされたりさえしました。

邸から一歩出て戻る事ができなくなれば、それは最悪死を意味したのです。


何の守護者もいない姫が突然姿を消し、しかも落窪姫のように世間に知られていない存在であったならば、噂にすら聞く事がなければ死んだものと思われても仕方ない状況ではあったんです。


それを知っていながら老中納言は落窪姫を探さなかったんですしね。

本当に生きているとは思っていなかったことでしょう。

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