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60.華やかな祭り見物

 御用意された御桟敷は、一条の大路に桧皮葺の桟敷を大変ご立派に建てられ、その御前には一面美しく砂を敷き詰め、前栽等も植えさせてしばらくの間住む事さえできそうなほど、しつらえられています。そこに中将と女君は夜明け前にお渡りになりました。


 付き添った衛門あこぎと少納言には、まるで西方の極楽浄土に来たのかと思うほどのきらびやかさです。これまでは女君にお仕えしていると中納言邸の人々から、ほんの僅かでも女君に好意を見せただけで妬んだり、憎んだりされているお姿を見慣れてしまっていたので、中将がお暮しになっていた西の対の方々が女君を大切にお世話し、恭しく接して下さってるのを見て、


「なんてすばらしい事かしら」と思いました。


 中将の乳母もあんなふうに言ってはいましたが、やはり皆さんの前に出てきて女君の御世話をしようと、


「どの方が惟成のあるじでいらっしゃいますか」


 と聞いて回るので、若い侍女たちに笑われてしまいました。


 ****


 この一家の祭り見物はなんていう豪勢な事をするんでしょう? 祭り行列を見る桟敷とは名ばかり、ちょっとしたお邸の一部分を、路上に再現してしまったようです。

 お邸と同じ桧皮葺の立派な屋根の建物を建て、その前に邸の庭と同等に美しい砂を敷き詰め、前栽の植物まで植えてしまっています。これがお祭りの行列を待って、見終わるまでの時間だけの為に作られたなんて。凄いというか、もったいないというか。


 中納言家がお祭りに出かけた時も邸がほとんど空になったと書かれていました。もちろん二条邸も、左大将邸も同じように大勢の人で繰り出してきたはずです。

 勢いのある左大将家。しかも今回はお孫さまの帝と大君の皇女様である、姫宮もお連れになっています。当然それに似合う格式高い用意がされているはずです。左大将は家門の誉れである姫宮の為に、持っている力のすべてを注ぐかのように、豪華な桟敷を作ったのでしょう。


 高貴な方々一人ひとりが大勢の侍女や従者を連れ、みんな晴れの席に相応しい、きらびやかな衣装を身に付けていたことでしょう。素晴らしい建物に、美しく着飾った大勢の人々。見事に作られた庭。「あこぎ」達が「ここは極楽なの?」と思っても無理は無かったのでしょうね。


 そんな素晴らしい中で、自分達がお仕えしている、あの、「落窪の君」とさげすまれていた女君が、左大将家の長男の正妻として、この上ないもてなしを受けているのです。「あこぎ」も少納言も、感慨深いものがあったでしょう。今までお仕えして来た甲斐があったと思っているはずです。きっと我が事以上に喜んだに違いありません。


 中将の乳母も失礼な事をしてしまったばつの悪さからでしょうか? 早く汚名を挽回しようとどの人が女君かも分からないまま出てきて、若い女性たちに片っ端から聞いて回って笑われてしまいました。これも彼女なりのお詫びの気持ちなのでしょう。


 ****


 戸惑う女君に中将は、


「心配はいりませんよ。誰もあなたを疎んだりなんてしません。私達は家族になったのですから、これからは睦まじく仲良くなって下さい。そうすれば後々の事も心安くなるでしょう」


 そうおっしゃって母上の北の方や中の君がいらっしゃる所に、女君をお入れになります。


 中将の母上の北の方が女君をご覧になりますと、この女君はご自分の娘や孫の姫宮に劣る事のない美しい方でした。女君はくれない色の綾織りの打ちあわせをを一襲ひとかさね二藍ふたあい色の織物のうちき、薄い絹織物の濃い二藍色の小袿こうちきを着て、恥ずかしそうにしていらっしゃいます。その姿はまるで匂うようにとてもお美しくいらっしゃいました。


 姫宮はと言うと、さすが、尊い血をひかれる方だけあって、気高く思われる方です。十二歳ほどにおなりになるので、まだとてもお若く、子供らしくておかわいらしいご様子です。


 中の君は、


「私から見ても、素敵なお方だわ」


 とお思いになって、女君に細やかに話しかけていらっしゃいました。


 祭りの行列が終わったので、桟敷に車を寄せさせて邸に帰る事になりました。中将はそのまま二条に帰ろうとなさいますが、母上の北の方が、


「騒がしくて思っていた事がほとんどお話できなかったわ。わたくし達の邸に是非来て頂戴。一日か二日、ゆっくりと心行くまでお話したいわ。中将ったら、どうして早く帰ろうと騒がれるんですか」


 中将の母上は、中将が早く女君を二条に連れ帰ろうとするのを見て言います。


「息子の言う事など気になさらずに、私の言う通りになさいなさいな。あの子はあなたを早く独り占めしたいだけなんですから。やっとお会いできたのに、わたくしの新しく出来た、こんなに可愛らしい娘を連れて帰ろうとするなんて、中将は本当に憎らしいわ。あんな人、愛する事なんてないわよ。私と仲良くしてちょうだい」と言って笑って座っていらっしゃいました。


 桟敷に車を寄せたので、車の前方に姫宮と中の君、後方に女君、中将の母上の北の方がお乗りになりました。他の方々も次々と車にお乗りになります。

 二条邸の侍女達も皆車に乗り、引き続いて左大将の御邸に参りました。寝殿の西の廂の間を取り急ぎしつらえて、女君を車から御下ろしになります。二条から来た侍女達は中将が住んでいた西の対の端に居所を用意してもらいました。二条の人たちはとても丁寧にもてなされました。


 左大将も愛息子の大切にしている妻なので、衛門や少納言と言った侍女たちにいたるまでご丁寧にもてなして下さいます。結局女君は、左大将邸に四、五日も滞在なさりましたが、


「懐妊中の身の為とても気分がすぐれませんので、時期が過ぎましたら、ゆっくり参りたいと思います」と言って、二条邸に御帰りになりました。


 以前からお文などで女君の事をよく思っていらした中将の母上は、まして、御対面の後には女君をより、可愛らしい方だと御思いになりました。


 ****


 女君の戸惑いは杞憂に終わりました。彼女は社交の場から遠ざけられて、高貴な方々の中に交った事などありませんでしたし、雅やかな生活で育ったわけでもありません。それでも幼いころに母上からしつけられたであろう作法や、おとなしやかな性格や、「あこぎ」に守られ続けた姫君としてのありようが彼女の気品を守ってくれたようです。その美しさとつつましやかな様子に、左大将家の人たちも好感を持ってくれました。


 それに何よりこの人は性格がいいですから。祭り見学が終わるころにはすっかり中将の母上のお気に入りになってしまいました。早く女君と二人きりになりたい中将を制して、自分の邸に来て泊るように薦めています。自分の息子より気に入ったから息子の言う事など聞くな。あんなのにあなたが愛をささげるなんてもったいない。自分と仲良くして欲しいと冗談を言っています。こういう冗談は中将もよく言っていますよね。中将の明るさはこのお母さん譲りのようです。


 それにしても車で帰る時も、この一族は大行列になったことでしょう。ここで車に乗った場所がそれぞれ書かれていますが、車の中は前の方ほど上座になるんです。ですから帝の皇女様である姫宮が、一番お若くても前の上座に乗るんです。そして中将のお母さんは女君に自分より上の席を譲って下さったようです。貴族社会でこういう席順は大きな意味を持ちます。お母さんは本当に女君に敬意を示してくれたんです。


 心に葛藤を抱えていた女君は人目につかずにいたかったでしょうが、あの中将の事ですからすべての侍女に晴れ着を用意して、はなばなしく行列を作って行ったことでしょう。帰りの左大将の車に乗る時など、さぞや人々の注目を浴びたに違いありません。

 でもその中でお母さんから上座を譲られ、敬意を示され、誰もが女君を中将の正妻として認めたことでしょう。勿論お母さんもそれは分かっています。

 女君は最上の心づかいを持って、左大将家に迎えられたのですね。


 このあたりの場面は、当時の母親のいない姫君への偏見への作者の抵抗を感じます。

 母系社会と言うのは夫が妻のもとに通って来る通い婚ですから、母親を亡くしたり、父親に母が愛されていなかったりすると、子は父に振り返ってもらえません。母親が亡くなってもその母親への愛情が強いと子も可愛いがってもらえましたが、その分、父親は甘やかしが強くなる傾向があったようです。母親の愛され方次第で、子供の立場は大きく変わりました。


 邸の中で人目に触れさせずに育てられる姫君は特に影響があったようです。身捨てられたり、甘やかされたり。源氏物語にもそんな描写が沢山あります。この時代、男君と違って姫君の教育は実際に教育する乳母や女房よりも、実の親のしつけが物を言うと考えられたようで、女君が簡単に軽んじられて虐待されてしまったのは実母がいない姫と言う、社会の偏見の影響もあったのでしょう。母のいない姫は見下されても仕方ない環境があったのです。


 けれどこの作者はそれを潔しとしない人なのでしょう。女君は過酷な環境の中でも、生まれ持った美しさと、それをゆがめない美しい心、自暴自棄になったり、簡単に人を恨んだりしない賢さを持って、自分の品位を守り抜き、立派な淑女に成長しました。彼女の美しい心は「あこぎ」の様な素晴らしい侍女を身近に残してくれました。生まれ持った気品は、そう簡単に潰れたりしないとここで描いています。


 この作品は全体を通して、母系社会のあり方に異を唱え続けています。そしてそこかる来る偏見を否定しています。実母がいなくても素晴らしい淑女である女君。婚家の後ろ盾などものともしない中将。主役のこの二人がすべてを象徴しています。


 この時代は本来封建時代。生まれた身分の時代です。民主主義の時代に育った私達は、「人を生まれで判断するのは偏見だ」と感じますが、この作者は封建社会のはずなのに、「高貴な生まれの方を親の有無で判断するのは偏見だ」「婚家の威光に頼るだけでいいのか」と思っているようです。同じ偏見への違和感でも、その時代の社会制度によって変わってしまうものなんですね。面白いです。


 さて、女君は中将のお母さんだけではなく、左大将の邸の人々にもとても認められたようです。一日二日の滞在の予定が、懐妊中の身でありながら四、五日も引きとめられてしまい、本当に気分が悪くなって、ようやく解放されたようです。いくら良くしてもらっていても、やっぱり身重の身ではよその邸で暮らすのは疲れたのでしょう。

 でも、姑さんにこんなに気に入ってもらえるなんて、やっぱり幸せなことですよね。



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