59.心の傷
中将は女君が普段と違ってお悩みのようだったのは、右大臣の姫君との縁談話を聞いたせいだと知りました。ですから二条の邸にお帰りになると、
「あなたの御心を煩わせている私の罪が、何だったのかが明らかになりました。嬉しいことです」とさっそく女君に言います。でも女君は、
「何のことでしょう」と聞き返しました。
「右大臣の持ってきた話の事です」
「……なんのお話しか、分かりませんわ」と、女君はほほ笑みました。
「ふう。狂おしいですね。私は帝の御皇女様をいただけると言われたって、決して迎えるようなことはありません。最初の頃にもいいました。私はただ、あなたを苦しめたくない、悲しいと言わせたくないと思っています。女性と言うものは男が他の女性を作ることを嘆くものだと聞いていますから、私はそういう事は一切考えられなくなりました。人々が勝手な事を言ったとしても、そんなはずはないと考えて欲しいんです」
中将は無理にほほ笑む女君に、心をこめて言います。
「そうは思いたいのですが、愛する心は『下崩れ』するとも言いますから」
「それは歌の文句でしょう。あの歌のように『思ふ(愛する)と言へ』ば『下崩れ』して危ないでしょうが、私はただ、悲しませたくないとだけ、言っているんです。これこそが愛情だと分かって下さるでしょう」そう、中将は言いました。
「帯刀」の方は衛門に会って、
「右大臣の姫君との縁談話なんてなかったよ。もう疑わないでくれ。中将様の御愛情は本当に二条の北の方様だけのものなんだ。あの方はこの世に生きる以上は、悲しまれる事は絶対にない」
と、自信を持っていいます。
中将の乳母は「帯刀」から可哀想なくらいに言われてしまったので、それ以上縁談話を出す事は無くなりました。右大臣には
「中将様はこのように通う所があるので」と御断りをしたので、右大臣も諦められました。
こうしてお二人は想い合い、のどかな気持ちで愛し合ってお暮しになられたので、女君は懐妊なされました。中将は今まで以上に女君を大切になさいます。
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中将、言いますね。愛してると言いたいんじゃない。ただ、あなたを悲しませたくないだけだなんて。下手な愛の言葉よりも、よほど情熱的です。「口でだったら愛の言葉なんていくらでも言えるだろう? 私はあなたを悲しませない、行動で示してみせるよ」ってわけですね。
この時代にこの台詞が言えるなんて。本当に自分の愛情と責任に自信があるんですね。今の時代でもこれだけの台詞が言える男性って、そうそういないんじゃないでしょうか? 女君が羨ましいです。
中将は、女君が自分の立場の弱さから揺れる心をがっちりとつかんで、微動だにさせるつもりはないようです。精神的にとても逞しいんですね。良家のお坊ちゃんのわりには……いえ、お坊ちゃん育ちでのびのびと、怖いもの知らずに育っているからこその、逞しさなのかもしれません。彼にとっての一番の恐怖は、女君の愛を失う事なんでしょうね。
二人がやり取りしている歌は「あだ人は下崩れゆく岸なれや 思ふと言えど頼まれずして」と言う歌で、「思ふ」つまり「愛してる」と口では言うけど、その心は下から崩れて行く崖の岸辺のように、頼りにならない。と言う意味です。どうやら本当に誤解だったようだと女君にも分かって、ホッとしたがゆえに、口に登った恨み言なのでしょう。でも中将は「思ふ」なんて言ってない。「ただ、悲しませたくない」と言い続けているんだから信じて欲しいと、ちょっとへ理屈っぽいですけど、口だけの愛じゃないと言っているんです。
この先の女君の御返事は書かれていません。すぐに「帯刀」が語る場面に切り替わります。返事なんか書く必要がないって事なのでしょう。あるいは中将が女君に返事をさせなかったのかもしれませんが。
こんな中将の御心を知って「帯刀」は自信満々に「あこぎ」に宣言しています。まるで自分が中将に女君への決心をさせた様な口ぶりです。まあ、今回は「帯刀」は大活躍しましたからね。
それに「帯刀」と「あこぎ」の仲も、自分たちの主人が穏やかに添い遂げて下さる事にかかっています。二人とも夫婦仲もいいけど、自分たちのそれぞれの主人を大切に思っているんですから。「帯刀」もホッとして喜んでいるんでしょう。
そしてとうとう女君は中将の第一子を御懐妊です。これでますます中将の女君への愛は深まっていくようです。女君も無事に出産すれば、出世頭の君の最初の子供を儲ける大役を果たすことになります。軽んじられて育った女君の立場も、重さが加わってくることでしょう。
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四月に左大将の北の方である、中将の母上が、姫宮たちと桟敷で賀茂祭の行列をご覧になる事になりました。そこで中将に、
「せっかくですから二条の北の方(落窪姫)にも、賀茂祭の行列をお見せしたらどうかしら。わたくしもあの方に今までお会いしたことがなくて、残念に思ってましたから。この、ついでにでも」とおっしゃるので、中将も嬉しく思って、
「どういう訳か私の妻は他の女性のように物見をしたがらない人なんです。でも、せっかくだからお勧めしてみます」と喜びます。
二条の邸に行くと女君に、
「私の母が、あなたにも賀茂祭の行列をお見せしたいと言っていました。母もあなたに会いたがっています。この機会にぜひ、会ってみませんか」と言いますが女君は、
「でも、あまり気分がすぐれませんし、今はお腹もこんな姿です。この姿を人に見られたらと思うと、とても恥ずかしいですわ」と、気が乗らないご様子。でも中将は、
「誰にも見られたりしませんよ。私の母と中の君だけです。このお二人なら私が見るのと一緒ですよ」と強いて勧められるので女君は、
「中将様の御心に従います」とおっしゃいます。
さらに中将の母上の北の方もお文で、
「やっぱりおいで下さいな。楽しい見物も、今は御一緒に楽しみたいと思いますから」
とおっしゃってくださいました。
実は女君は物見が嫌いなのではありませんでした。中将の母上の北の方の優しい御誘いのお手紙を見ると、あの、石山詣での時のことが思い出されました。あの時は邸が空になるほど、誰もかれもが旅行に行くのを楽しみにしていました。使用人はおろか、外に出たがらない年寄り達まで喜んで連れて行ってもらっていましたのに、女君だけ一人、取り残されそうになりました。
あの時は「あこぎ」が残ってくれて、中将と結婚できましたが、女君は華やかなお祭りに、その時のことを思い出して、悲しく思っていたのでした。
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心の傷って深いんですね。女君が中将に言った断りの言葉は、ただの方便でした。女君は今では中将にとても愛されて、子供も宿して、幸せに暮らしているというのに、世間が華やぐ季節になると、独り取り残された孤独感が蘇ってしまうようです。周りが明るく楽しげになるほど、昔の境遇が思い出されて悲しくなる。ギャップが大きいだけに女君には辛く思えてしまうのでしょう。
普通の貴族の姫君でさえ満足に邸の外へは出られないので、お祭りや物詣でなどの時は、心弾む楽しいひと時なのです。女君のように落ちくぼんだ部屋に閉じ込められていた人には、とびきり楽しい事のはずなのに、それが逆に以前の記憶をよみがえらせて悲しみを誘ってしまう。これは辛いことでしょう。「あこぎ」を除いて他の誰にも分かってもらえない悲しみでしょうから、余計辛いかもしれません。
しかも女君は長い間中納言の北の方に虐げられて、みっともない、みすぼらしいと、人目に出してはもらえずにいました。それが真実であろうとなかろうと、彼女の心の中に染み付いてしまっています。当時の女性のたしなみとして、人に見られてはいけないという思いとは別に、人に「みっともない様子だ」と思われたくない気持ちが働いているんじゃないでしょうか?
中将のお母さんのせっかくの申し出を、この人らしくもなく素直に受け入れられないのは、そういう気持ちがあるのかもしれません。
こういう傷に、きっと特効薬はないのでしょう。今は女君は二条の邸の北の方で、女主人です。そして他の誰が何と言おうと、中将が認める、中将のただ一人の北の方、正妻です。中将の親姉妹にも会わずにいるわけにはいきません。こういう機会にうち解けて、自分に自信をつけて行くしかないでしょう。女君は長年虐げられて委縮してしまった、自分の心と闘わなければなりません。これは女君自身の心で乗り越えるよりほかにないのでしょう。
中将からの愛を得て、女君も以前とは変わっているはずです。女君は勇気を出して、無事に中将の家族と、仲良くできるでしょうか?




