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55.再会

 こうして六月(おそらく二月か、三月の誤りと見られている。清水寺詣でまでは、一月の話だった)になりました。中将が積極的に言い勧めて蔵人少将を中の君と結婚させてしまったので、中納言邸の人々はそれを聞いて、苛立って死にそうな思いをしています。

 北の方はなんとか生霊になって取り憑いてでも中将を苦しめてやりたいと強く手がらみをしていました。そして二条の女君(落窪姫)はこの結婚を聞くと、


「中納言の邸では蔵人の少将様の事をあれほど大切にお世話していたのだから、どれほど辛く思っておいでかしら」と思い、あの邸の人々の事を気の毒がっていました。


 三日夜の所顕しの宴の為の装束は出来の良い物を用意したいと、お裁縫が御得意でいらっしゃる女君にお願いされました。女君は急いで衣を染めさせ、裁断し、衣装を縫っています。立場は変わっていますが、同じ蔵人少将の衣装を縫っておられるので、昔の事を思い出し、しみじみとなさったりします。


  着る人の変はらぬ身には唐衣

    たち離れにしをりぞ忘れぬ


(着る人は変わらないけれど同じ衣装を縫っていても、中納言邸を離れた時の事が忘れられません)


 と、口ずさんでいらっしゃいました。


 その衣装の仕上がりも大変美しく縫い重ねて贈られましたので、左大将の北の方はこの上なく御喜びになりました。

 中将は「まったくうまいこと思い通りになったものだ」と思いながら蔵人少将に会うと


「なんでも大変恐ろしい性格の妻をお持ちだと妹の中の君が言っていましたが、この縁談は私があなたと間近でお話できる間柄になりたいと、中の君に強いてお勧めしたのです。そんな訳ですから無理なお願いかも知れませんが、妹もあちらの方の嫉妬を心配しています。我が妹をあの三の姫と同じようには思わないでください」と、念を押します。すると蔵人少将は、


「ああ、そのような恐れ多い。よくお聞きください。あちらには文さえも贈ったりはしませんよ。こちらの方々が私を婿に望んでいると聞いてからは、あなた様を何よりの頼りと思っているのですから」と答えます。そして本当に三の姫の事を顧みる事は無くなってしまいました。

 中納言の邸より、左大将邸でのお世話の方が格段に勝っていますし、三の姫より中の君の方がずっと美しく朗らかなので、どうして中納言邸に通う必要などあるでしょう。


 そんな訳で蔵人少将はまったく中納言邸に見向きもしないので、中納言の北の方はじりじりして物もろくに食べられないほど嘆かれました。


 ****


 このお話の冒頭、六月と書かれたのはおそらく書き写す時の間違いだろうと考えられています。この話はこの後初夏の賀茂祭のお話になり、さらに時間が流れて次の正月を迎えますので、やはりこれは二月か三月の間違いのようです。

 印刷技術なんてなかった当時、物語の流通は人の手による書き写しによるものでした。語り部による口頭で広がっていった民話以外は、誰かが書いたものを借りて、誰かが書き写す以外、物語は広まりようがなかったのです。


 ですから現在に残っている本文は、書き写し間違いや空白部分、意味の通じないところがあったりします。複数の本を比べたり、他の同時代の物語の言葉を調べたりして、原文として紹介されている物を、色々な人が読みやすく訳してくださっているんです。私がこれを書くための中心にしている本(新版 落窪物語)では、宮内庁に保管されている『おちくぼ』を底本に、「九条本」と「草紙」を参考に本文として掲載されています。難しい、根気のいる作業をする人がいてこそ、現代人の私達もこのお話を楽しむ事ができるんですね。


 ついに蔵人少将は、中納言の三の姫を捨て、左大将の中の君と結婚しました。その結婚の三日夜の宴の婚礼衣装を、二条邸の女君が仕立てる事になりました。同じ人に着てもらうための衣装なのに、以前と今の立場の違いに女君は思わず感傷に浸ったようです。今は幸せで、決してあの頃に戻りたいわけではないのでしょうが、それでもあの時、中納言の邸から救出されなければ、こんな風に幸せの中で蔵人少将の衣装を仕立てることなど無かったのですから、感慨深いものがあるのでしょう。今の幸せを余計に実感しているのかもしれませんね。


 左大将家の婿君になった蔵人少将は、見事なまでの割り切りようです。中将が無理に勧めた縁談だが(実際その通りですし)向こうに嫉妬をさせるな。自分の妹を大事にすると態度で示せと迫っています。自分の立場と家柄と、妹に絶対の自信を持っているんですね。


 そして出世欲の強い蔵人少将は、当然これを聞き入れました。三の姫には文さえ贈らないと宣言しています。当時の男女のやり取りに、文がどれだけ大切かは、ここまでこのお話にお付き合いいただいた皆さんなら、もう、分かっていますよね? これで三の姫と蔵人少将は離婚も同然でしょう。これこそ政略結婚、当時の普通の結婚その物なのでしょう。北の方はとうとう、食事ものどに通らなくなってしまったようです。


 ****


 中将殿の暮らす二条のお邸では、素晴らしい若い女房達が集まっていて、とても大切に使って下さると評判になっていました。それを聞いた、あの、中納言邸に仕えていた少納言が、自分も使っていただきたいと弁の君と言う人のつてを頼って、参上してきました。

 もちろん少納言はここであの「落窪の君」が中将の北の方となられているとは、夢にも思っていませんでした。


 ですから女君(落窪姫)が簾越しにご覧になった女房が少納言だと気がついて、とても懐かしくも嬉しく思いました。さっそく衛門あこぎを少納言のもとに行かせます。


「別の人かと思いました。昔、お優しくしていただいた事は忘れていなかったのですが、事情があって慎まなくてはならない事が多い身なので、ここでこんな暮らしをしているとお伝えする事も叶わず、あなたの事も気になっておりました。ですからこうしてお会いできたことを嬉しく思いますわ。早くこちらに来て下さい」


 衛門あこぎがそう伝えるので少納言は驚き、たしなみの為に顔を隠していた扇も取り落してしまいます。ひざをついて進み出て行く気持ちも心ここにあらずで、


「どういう事かしら。一体どなたの御言葉なのでしょう」と聞くと、衛門あこぎが、


「ただ、私がここにいるって事で、見当つけて下さいな。あの頃「落窪の御方」と呼ばれていた方ですよ。私も本当に嬉しいわ。あなたとこんな風に再会できるなんて。ここには昔知っていた人は一人もいなくて、もう、すべてが変わってしまった思いでいましたから」と言います。


 少納言も、


「まあ、なんて嬉しいことでしょう。私がずっとお仕えしたいと思っていた方は、こちらにおられたのですね。もちろん、姫の事を少しも忘れた事などありませんでした。ずっと恋しく思っておりましたの。これも、仏様の御導きがあってのことですね」


 と喜びながら、女君の前に参上します。少納言は女君を見て、この方が物置部屋に閉じ込められた、悲しい出来事を思い出してしまいました。

 けれど今は、大人びた美しさを備えられ、とても立派なお姿で座っていらっしゃって、本当にお幸せになられたのだと思えました。

 さらさらと衣擦れの音のする装束を身にまとい、汗衫かざみ(少女の正装)を着た女童や、とても若くて美しい女房達が十人以上も女君を取り囲んでお話をしているので、その様子はとても優雅でした。他の侍女達は、


「あの人だけこんなに早く御前に出るのを許されるなんて、どういう事なのでしょう」


「わたくしたちにこんな事は無かったのに」


 と、羨ましがっています。すると女君は、


「そうなんですよ。この人は、そうして差し上げるべき人なのです」


 とほほ笑まれています。そのお姿も大変美しくていらっしゃるのでした。


 ****


 さて、二条の御邸の良い評判に、知り合いのつてでやってきた少納言は、思いがけずに「あこぎ」や「落窪の君」と再会する事が出来ました。女君の方でもすぐに少納言に気がついて、早くこっちに来てほしいとあこぎに伝えさせます。


 少納言は驚きながらも女君の幸せを心から喜んでいます。誰もが北の方を恐れて近寄らなかったり、縫物をしているので軽く見下したりしている中で、彼女はずっと「落窪の君」にお仕えしたかったと言っていましたし、北の方の目を盗んで交野の少将との縁談まで持ってきていました。そういう心から女君の事を心配していた人ですから、女君の今の幸せな暮らしぶりを見て、安心したことでしょう。


「あこぎ」も喜んでいます。あの頃数少ない自分達の味方だった人ですし、同じ邸に勤める仲間でもあった人です。いくら自分が邸に召し使われる人たちの長になっているとはいえ、やはり急な大きな変化を経験した後です。彼女なりの気遣いや緊張もあるのでしょう。見知った顔に出会って、ホッとした気持ちになれたのかもしれません。


 心優しい女君も、親切にしてくれた人に無事を知らせる事が出来た上、これからは彼女にあの時の恩返しができると思っているんでしょうね。他の侍女達が羨む中で、彼女は特別だと言っています。中納言邸を出てからの気がかりだった事が一つ減って、喜んでいるのが分かります。

 少納言も、中納言の邸を出て、思い切って二条の邸に来たのは大正解ですね。


 当時は貴族の間で仏教信仰が盛んな時で、二言目には仏様が出てきます。仏教的な生まれ変わりの話も出てきましたよね。その割には自分の都合のいい御願が多い気もしますけど。ここでも「仏様の御導き」と言って少納言が喜んでいます。このお話では仏様も結構散々に扱われていますけど、今度は心優しい人達に褒められて、面目躍如したようですね。


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