54.悔しい報告
中納言の北の方はしばらくその場にたたずんでいましたが、混雑した人々で騒々しい上にまるで人を突き倒すような勢いで行きかっているので、沈んだ気持ちのまま戻らなければなりませんでした。その戻る道での北の方の心も想像できるでしょう。もし中納言家が左大将家より勢いが勝っていたら、言い返してその場に居座る事も出来たのでしょうが、今の中納言家にはとても太刀打ちできません。仕方がないので中納言の北の方は足が宙に浮いた様な思いで牛車に帰りつき乗り込みましたが、それは悔しいことこの上ありません。
「やはり、これは恨みを持たない人のする事ではないでしょう。中将は中納言殿の事を悪く思っているのでしょうか。一体何があって、こんな風にあたっているのでしょう」
と、皆で集まって嘆いていますが、中でも四の姫は「面白の駒」の事まで言われたものですから、なおの事恥ずかしい思いをしています。寺の高僧を呼んで、
「三位の中将に勝手に局を占領されてしまいました。それは恥ずかしい思いをさせられましたよ。まだどこか、空いている局はありませんか」と聞きますが、
「さすがに今日は無理です。今時分に空いている局はどこにもありません。人がすでに入っているところでさえも、身分の良い若君が押し入って居座っていらっしゃるほどですから。遅くなってお下がりになったのが余計に悪かったのでしょう。いかがなさいますか。御車で一夜を明かすのがよろしいと思いますが」高僧はそう勧めました。そして、
「取り置いていた局も、お相手が強気に出ても良い方なら、もしや局を取り返す事も出来たかも知れませんが、三位の中将と言えば、ただ今一の勢力を持つと言われ、太政大臣ですらこの君にお会いすれば言葉どころか音すら立てることもできないほどです。お妹君は帝の御寵妃で大変時めいていらっしゃいますし、御自身も帝の覚えが良いことを知っていらっしゃる人です。争うべきお相手ではないでしょう」そう言って高僧はその場から去ってしまいました。
中納言の北の方たちはお寺に着けば車から降りられるつもりでいたので、車に六人も乗ってきたのでその中は大変に狭く、身じろぎさえできないありさまです。その苦しさと言ったら、あの「落窪の君」が落窪の間に押し込められていた時に勝っていました。
それでもようやく夜が明けて、中納言の北の方たちは憎らしい三位の中将が出るより先に早く帰ろうと急ぎましたが、昨日折れてしまったあの、車輪を縄で結んでいるうちに、中将の方が先に車に乗ってしまいます。これでは今急いで出ると、行きの二の舞になってしまうので、今度は中将の後に出ようと、中将が先に出てしまうのを待っていました。
それを知った中将は、
「中納言の北の方が後から思い合わせられるようにしよう。ちゃんと思い知らせなければ効がないからな」と思われて、召し使っている小舎人童にを呼ぶと、
「あの車の前の方、車の主人が乗っている辺りに近寄って、『懲りたか』と言って来い」
と、おっしゃいました。さっそく童は車の前の方に近寄り、大きな声で「懲りたか!」と叫びます。すると、
「誰がそんなことを言っているのか」と聞くので、
「あちらの車からです」と答えました。中納言の北の方は、
「こっちは端に寄っているというのに、何か思う所があってこんな真似をするのだろう」
と囁きながら不可思議に思いました。そこで北の方も、
「まだ、懲りてなどいない!」と言い返すので、童がそれを中将に伝えると、
「あの意地の悪い者が憎らしい口を利くものだ。今は私の妻となっているあの「落窪の君」がここにいるとは知らないのだろう」と笑って、さらに童に、
「そちらはまだ死ぬこともできない身でしょうから、またこんな目を見る事になるでしょう」
と言わせます。いい加減北の方も、
「もう返事をするな。気に食わないだけだ」
と言い合いをやめさせて、返事をさせませんでした。それで満足した中将は、ようやくお帰りになりました。
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清水寺の高僧の話から考えると、この時の中将の勢いは、まさに怖いもの無しになっているようです。太政大臣が黙りこむどころか、音を立てるのも憚るなんて、たとえにしても大変な言葉です。貴族の位は太政大臣の一位が最高で、太政大臣はたった一人しかなれません。別格の帝は別として、臣下としての最高位、位人臣の極みが太政大臣なのです。
そんな極みにいる人でさえ何も言えなくなりそうなほど、中将の勢いは強いと言われているようです。それだけ彼は極めて帝のお気に入りと言う事なのでしょう。もちろんその後ろに父親の左大将が作り上げた権威があり、妹が帝の寵妃である事が彼を有利にしているのも否めないでしょう。尊敬を通り越えて、誰もが「この一族に睨まれたくない」と思っているのが透けて見えます。
周りがこんな感じでは、中納言の北の方がいくら悔しがったとしても、とても太刀打ちなど出来ないでしょう。誰もが「左大将家一族」の顔色をうかがっているようですし、中将はその左大将家の長男。しかも帝のお気に入り。こんなに強い後ろ盾があっては、おもねる人はいようとも、誰も彼に意見することなど出来ません。勢いのある貴族と言うのは、それほど凄いものなんですね。これでは貴族社会で怖い物などなさそうです。中納言家もとんでもない人を敵に回してしまいました。
それにしても中納言の北の方も無理な事をしたものです。いくらお忍びとはいえ、一つの車に六人も乗り込んで来たなんて。通常、車に乗るのは四人までです。清水寺のようにきつい坂道を登ろうというのなら、間違いなく二台に分乗しなければ厳しいはず。どおりで牛が引っ張りきれなかったり、車輪が折れたりする訳です。当然車内もぎゅうぎゅう詰めで来た事でしょう。
だから早く車から降りてゆっくりしたかったんですね。そう言えば知り合いの法師に苦しかったと愚痴をこぼしていましたっけ。
そんな無茶をしたばかりに、そのぎゅうぎゅう詰めの状態で、車で一晩を明かす羽目になってしまいました。どうもこの人は中将にいじめられているだけではなく、何かと自分で墓穴を掘っているところがあります。自分では要領よく立ち振舞っているつもりなんでしょうが、実際は空回りばかりしていますね。「落窪の君」や、中将の事がなくても、どこかで自滅していたような雰囲気です。それでも意地だけは大変強いようで、中将に「懲りたか」と言われて、「懲りていない」と言い返しています。さすがにそれ以上口答えする気力は無かったようですけど。
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実は中将が「懲りたか」と童に言わせようとした時、女君が大変悲しまれて、
「とても心が痛みますわ。そんなひどいことを言わせなさるなんて。あとで中納言殿がお聞きになる事もあるでしょう。そんなことをおっしゃってはいけません」
と、お止しようとしたのですが中将は、
「この車に中納言は乗っていませんよ」と笑って意に介しませんでした。
「姫君達がお乗りになっているんですもの。同じ事ですわ」
「なあに。今に、懲らしめたお返しに沢山の世話をして差し上げますよ。そうすれば中納言殿の御心も変わられることでしょう。心に決めた復讐をあきらめるわけにはいきませんからね」
中将はそう言って、女君のいう事などお聞きにならないのでした。
北の方は邸に帰りつくと中納言に、
「あの大将殿の息子の中将は殿にも悪いことをなさっているのですか」とお聞きになりますが、
「そんな事は無い。内裏でお会いしても心遣いをしてくれているように見えるが」
とおっしゃいます。
「おかしい。お寺では車を無理やり退かされて車輪を折られたり、馬鹿にされたり、局を奪われたりと散々だったのに。こんなにひどく悔しい思いをさせられたことなど無いほどだった。寺を出る時に言いたてた言葉など、もう……。あれに、どう応えてくれようか」
と、身を揉んで悔しがります。でも中納言は、
「私はもう老い萎びてしまい、世の中の覚えも無くなっていく身だ。だが、あの中将殿はすぐにでも大臣になられる勢いだから、何と言われようとも応えることなど出来ないだろう。仕方のないことだ。これがみっともなく噂されたとしても、この老いぼれの妻子だったばかりにそんな恥を見て、人に笑われてしまうのだろう」
と言っては爪弾きをして、また、お嘆きになるのでした。
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同じ車に乗っている女君。姿を外に見せてはいけない身分ですから、大行列な事もあって行きの出来事には気がつかなかったようですが、さすがに帰り際の応酬は耳にしてしまいました。心優しい女君は早速中将をお諌めしますが、中将は聞き入れてくれません。行きの騒動の事など耳にしたら、さぞかし悲しんだことでしょう。
悔しい思いをしたまま邸に帰った中納言の北の方。内裏で夫が中将に苦しめられているんじゃないかと聞いてみますが、中納言の返事はあっけないものでした。どうやら中将は内裏では相当猫を被っているようです。むしろ中納言は心遣いを感じているくらいでした。
しかも自分の老いを感じている所に、勢いのある中将の話をされて、すっかり自信喪失しています。あんなに恥をかきたくないと騒いでいた人なのに、相手が中将だったと知ると、「老いた者の妻子だったから」と嘆くばかり。これでは北の方も不満が解消されません。
北の方の悔しがるしぐさ、「身を揉む」とは、身をよじるようにして、悔しがる様子を言います。まるで子供が全身で、駄々をこねるような仕草なのでしょうか? この時代の人たちの感情表現は、以前「あこぎ」が、足を擦り合わせて悲しんだように、結構ダイナミックなものだったみたいですね。
権勢と当時の政治について
上流貴族が利益を搾取するばかりの荘園制度が確立されて「殿上人の政治への関心は失われた」と言うのが一般的なようですが、「利権」こそが「政治」だった人たちにとっては、殿上人はやはり政治家だったのではないかと思います。
殿上人たちに必要だったのは「政治への実務能力」ではなく「権威を誇示する能力」。そのために才能や、きらびやかな文化を競ったのでしょう。
平安時代の繁栄の陰には、この時代の持つ特殊性があったんだろうと思います。
そして、権勢に勢いがなければ、あっけなく没落してしまう時代。中納言達が「恥をかく」事をことさら恐れ、悔しがったのには当時のこんな社会的背景もあったんです。




