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53.局争い

 中納言の北の方たちが乗った車がはまってしまった堀はとても深いものでした。そう簡単に引き上げる事も出来ずにいます。とにもかくにも色々と騒ぎながら車を動かそうとしているうちに、とうとう片方の車輪が少し折れてしまいました。


「これは困ったことになった」


 そういいながら仕方がないので何処からか縄を探し出して来て、折れた車輪を縄で結んだりして、


「こうしておけば車もひっくり返らないだろう」


 と言って、どうにかこうにか坂道を登っていきます。


 中将の車はとっくにお寺の階殿はしどの(屋根付きの階段)に引いて来て停めてあります。そこに随分長く時間が経ってから、中納言の北の方の車が、かろうじてよろよろとやってきました。その姿を見て中将のお付きの供達は、


「とても丈夫そうな車輪だったのに、折れてしまったようだ」


 と言って、中納言の北の方の車を嗤いました。


 その日は吉日なので、中納言の北の方たちが辿り着いた時には階殿に人が多くて隙間がありませんでした。仕方がないので人のいない、隠れた所から車を降りようと、そこを通り過ぎて行きます。中将は「帯刀」を呼ぶと、


「この車の人々がどこで降りて局に入るのか見届けて来い。その局に先回りして、こっちが居座ろう」とおっしゃいます。


 さっそく「帯刀」は走っていって彼らの様子を見ると、北の方は知り合いの法師を呼んで、


「かなり早くに参詣に出かけたのですが、ここにきている三位の中将と途中で出合わせてしまい、私達の車を強引にどけて車輪を堀にはめてしまったんです。おかげで車輪が少し折れてしまい、今までかかってしまいました。私達が籠る(参詣の為に泊る)局はありますか」と聞き、


「早く車から降りたいのです。とても苦しくって」と言いました。


「それは大変な目に遭われました。言われるまでもない。本堂の参籠の間をかねてからのおおせ通りに取り置いてあります。それにしてもこのような混雑した日に、中将殿はどこに籠られるおつもりでしょう。おそらく身分の低い者の、局を襲って奪い取ることになるでしょう。やれやれ、今夜は大変な夜になりそうです」と法師は言います。それを聞いた北の方は、


「では、早く車から降りないと。そんな事なら人のいない局と思われて、誰かに取られてしまう」と慌てました。そこで男三人が、


「とりあえず局を見ておきましょう」


 と言って局に向かったので、「帯刀」はその後ろに付いて行き、局の場所を確認します。そして走って中将の元に戻ると、


「こんな風な会話をしておりました。中納言の北の方が局にはいらぬうちに、先に局を奪いましょう」と言って、急いで人々を車から降ろしました。


 ****


 中将達が強引な真似をしたおかげで、中納言の北の方たちが乗った車は車輪のどこかが折れてしまったようです。中に乗っている人達は外に姿を現すわけにはいきません。中に大勢の人を乗せたまま、お忍びの少ないお供の人たちで深い堀にはまった車輪をなんとかしようとしたのですから、変に無理な力でもかかったのでしょう。まったく踏んだり蹴ったりです。どこかから探し出してきた縄で応急処置をして、あの急な坂を上ったようです。


 ようやくの思いでお寺にたどり着いた中納言の北の方一行。でも、そこには中将がそれこそ手ぐすねを引いて待っていました。車輪が折れたのを見ると、ここぞとばかりに笑います。さらに、もっと彼女たちを困らせようとたくらみはじめました。今度は「帯刀」までもが一緒です。この二人がコソコソしていると変に楽しげで、なんだか復讐と言うよりも、まるでいたずらっ子が悪さをする相談をしているような感じです。


 やはりこの時代の上流貴族は、VIP扱いだったんですね。あらかじめ知っている法師にお願いをすれば局(お籠りの為の部屋)を取り置いてくれたようです。しかも上流の貴族が後からやって来ても、身分の低い人の局を奪い取ってしまう事が普通だったようです。仏様はきっと平等なのでしょうが、お寺の法師は平等とはいかないようです。それでもやはり最後は早い者勝ちなのでしょうか? 中納言の北の方は急いでいるようです。


 そこでお供の男達が気を使って局の確認に向かったようですが、どうやらそれが中将にたくらみを吹き込まれた「帯刀」に局の場所を知らせることとなってしまいました。中納言の北の方は、まんまと中将の策略にはまってしまいそうです。


 ****


 中将はと言えば、何も知らずにいる女君のお姿が人の目に触れたりしないように「さし几帳(前後左右を几帳で取り囲んで移動する)」をさせ、御自分でも女君のおそばから離れることなく、大切にかしづき、お世話をなさいます。


 中納言の北の方たちは中将が車から降りる前から皆、歩いて局へとお渡りになっていました。

 一方中将の一行は大変権威のあるご様子で、衣擦れの音はさらさらと、沓の音もパタパタと威厳高くお渡りになります。「帯刀」は尊い方がお渡りになるからと先頭に立って、道行く人々を払いのけながら道を開けさせます。そんな行列が行く中で中納言の北の方の一行が、騒ぎたてながらやってきて、中将の一行と出くわしてしまいます。


 大変立派な行列に中納言の北の方たちは道を塞がれ、行く手を阻まれ、無理に先へ行こうとしようにも、行列の御様子の違いにみっともなくて進む事が出来ません。

 仕方がないのでしばらくその場で群れるように立ったままでいると、


「そちらは後追いばかりの物詣でですね。いつも人の先に立ちたいとばかり思われておいでのようですが。結局、遅れてばかりですね」


 中将の一行がそう言って笑うものですから、中納言の北の方の一行は、誰もかれも、とても悔しくてなりません。

 こんな調子だったものですから、中納言の北の方の一行はすぐには局に歩み寄る事も出来ず、中将の行列をやり過ごしてからかろうじて局へと向かう事が出来ました。


 中将の一行が局に着くと、局の番をしていた子供の法師はその局を確保していた主が来たのだと思い込んで、出て行ってしまいました。中将の一行は皆その局に入ってしまいます。

 中将は「帯刀」を呼んで、


「中納言の北の方たちを、笑ってやれ」と言います。


 そんな事とも知らずに中納言の北の方たちは、自分たちの局があるはずとやって来て、中に入ろうとしました。すると、


「無遠慮な。ここには中将殿がいらっしゃられる」と言われてしまいました。


 まさかの事態に中納言の北の方たちは、あきれて立ちつくしてしまいました。それを人々は一斉に笑います。


「随分おかしなことをしますね。確かに案内させて、人がいない事を確認してから車を降りるべきだったのに」


「こんな混雑した日に上の空で来たって、局などあるはず無いでしょう。ただただ、欲しがってもねえ」


「いっそ、仁王堂にでもいらしたらどうですか。それこそそこだったら、とどまる人などいないでしょう。いくらでも場所はありそうだ」


 と、誰もが空とぼけています。「帯刀」は自分の事が知られるわけにいかないので、若くて気の逸りやすい者をはやして言わせ、笑わせます。中納言の北の方たちは体裁の悪いこと、この上ありません。泣くに泣けず、辛いという言葉では足りないくらいの思いをしています。


 ****


 中将一行の行列は、大変物々しいようです。沢山のお付きの人たちが列をなして、きらびやかにぞろぞろと連なっていた事でしょう。

 衣擦れの音と沓の音で、また、擬音が出てきました。この擬音は本文では、衣擦れの音は「そよそよ」沓の音は「はらはら」です。

 衣擦れの音が「そよそよ」と言うのはなんとなく分かりますが、沓で歩く音が「はらはら」と言うのは面白いですね。当時の人は今とは音の感じ方が全然違うようです。


 そんな立派な行列と出くわしてしまった中納言の北の方。こちらはひっそりとお忍びで来ているのですから、そんな大行列に立ちふさがれたら、どうする事も出来ません。そもそもいささか細かい所では節約意識の高そうな人です。お忍びの時などトコトン質素にして出かけているのでしょう。そんな状態で華やかで威厳高い中将の大行列と張り合って、先を競って歩こうものなら、その姿の差を人々に見せつける事になってしまいます。そんなみっともないこと、見栄っ張りな中納言の北の方に出来るはずもありません。悔しがりながらもどうする事も出来ずにいます。


 おまけに中将達に「後追いの物詣で」と馬鹿にされてしまいました。これはあの坂道で、無理に先を争って揚句、立ち往生して他の車に迷惑をかけた事への嫌みなのでしょう。お忍びで来ているのだから、先を争ったりせずにおとなしくそっとお参りをすればいいのに、変なところで人に後れを取りたくないと、ムキになってしまうのが中納言の北の方のようです。けれど中将にそこをつけこまれて、いいように振り回されています。


 疲れ果てている上に悔しい思いまでして、ようやく落ち着けると局に行ってみると、よりにもよってその中将の一行が、自分達が籠るはずだった局を占領しています。北の方たちは呆然とするばかり。中将と「帯刀」にすれば、まさしく「してやったり」の気分でしょう。

「帯刀」などは、自分が出てきてはもとの「落窪姫」である、女君の存在が知られてしまいますから、裏からこっそりと気の逸った若者に、中納言の北の方たちを「笑い者」にするようけしかけています。

 これは単純に「早いもの勝ち」と言うよりも、「威厳」を示せる者の方が、こういう時は有利に立つようですね。


 見栄は張ってもこんなところで質素にしなくてはいけないのは、やはり中納言の権威は危うい状態にあるのでしょう。それでなくても本人が高齢で、目も、耳も怪しくなってきているのに、このところ世間の笑い者になってばかりいたのですから。この局争いで、中将と女君の立場と、中納言と、その北の方の立場は、一層広がっていくことでしょう。

 中納言の北の方たちは運を開きたくてお寺に詣でたのに、中将と鉢合わせしたばかりに、なんだか運まで逃げて行っているようです。



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