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52.車争い

 三の姫との離婚を望む蔵人少将が、三位の中将の妹君、中の君(二女でもこう呼ばれる)に求婚してきました。これ幸いと中将は、


「蔵人少将と言う人は舞に秀でた大変素晴らしい人です。賀茂祭の舞人にもなられましたし、中の君の御結婚相手を皇族の方ではない、臣下の中から御望みになるのであれば、この方を婿に取るのがいいでしょう。見所がある人ですから」


 と、常々お勧めになります。実は、


「中納言の北の方は、この蔵人少将を宝としてもてなすために、自分の妻をこき使ったのだ」


 と思うと、何としてでも蔵人少将に三の姫を捨てさせて、北の方から奪い取ってやりたいと思っていたのでした。


 中将がそんな風にいうものですから、母上の北の方も蔵人少将は見所のある方のようだと思い、時々中の君に手紙の返事をかかせて、様子を見るようになります。すると蔵人少将も、


「これは中の君との結婚に、脈があるかもしれない」


 と期待して、いっそう三の姫から離れて行ってしまいます。今まで素晴らしいと褒めていた装束の出来も今では縫い目もまっすぐではなく、歪んだひどい出来栄えなので、それを口実にひどく腹を立てて見せ、仕立てて懸けてある衣装まで放り投げると、


「これはなんてひどい仕上がりだ。今まで美しく縫っていた人は、どこに行ってしまったんだ」


 と怒ります。三の姫が、


「男について、出て行ってしまったんです」と返事をすると、


「どんな男について行くというんだ。自分からこの邸に愛想を尽かして出て行ったに違いない。この邸にはまともな仕事のできる侍女など、もういないのだろう」


 と、言い返しました。それで三の姫も、


「でも、特別いいところがない人だって、出て行ってしまいそうですわ。このところのあなたの御心を見ていればね」とさらに言い返します。


 そんな事があってからは蔵人少将はますます三の姫のもとを訪れません。ごくまれにやってきても、


「そうだ。面白の駒もいらっしゃいますし。あんなに素晴らしい人が来る邸だと思うと、心惹かれずにはいられませんね」


 などと言う調子で嫌みを言って帰ってしまいますので、とても悔しがって嘆きますが、どうする事も出来ません。

 北の方は「落窪の君」がいない事をそれは忌々しく思い、なんだってあいつなんかの為に振り回され転がらせられるような目に遭わなくてはならないのかと、うろたえてばかりいます。

 

 以前は


「私は幸せ者だ。良い婿を取る事が出来て」


 と喜んでいましたが今はそのかいもなく、我が家の面子を立ててくれると期待した蔵人少将は、この邸からも、三の姫からも心が離れ、疎遠になっていく一方です。

 しかも良い縁談だと急いで迎えようとした婿は、どういう訳か世間の笑いの種になるような者が来てしまって、北の方は病気になりそうなぐらい嘆いています。


 ****


 何と、中将は蔵人少将を四の姫から引き離すために、自分の妹と結婚させる気でいるようです。蔵人少将の性格を考えると、とても薦めたくなるような人とは思えませんが。


 でも蔵人少将は確かにエリートのようです。臨時の祭りの代行の舞人に、とっさに任命してもらえるんですから。前に書いたとおり貴族の出世は人に好かれ、尊敬されるのが近道でした。そのために秀でるのは何でも構いません。名誉ある祭りの舞人で、人が褒めるような美しい舞を舞う事でも出世できる能力とみなされたのです。実際出世の目があるからこそ、中納言の北の方はこの人を大事にして、自慢の種にもしていたのです。


 それにこの人はプライドも高く出世への意欲も満々です。それだけに「面白の駒」と相婿となって、足を引っ張られているのが我慢ならずにいるのです。

 もちろんこの時代の姫君ですから、中将の妹も政略結婚への覚悟はできています。同じそういう結婚をしなければならないのなら、出世の可能性が高い方がいいでしょう。


 そしてこの左大将の権威は大変勢いがあるようです。帝を守る兵のトップが近衛大将で、左右近衛大将はとても華やかな人の羨む役職です。そして今では自分の息子を五位から三位にまで押し上げる力があります。さらに娘は帝の后の女御となっていて、中将は帝のお気に入り。次男も帝の近いところで雑務や補佐をする仕事です。幼い三男まで童殿上しています。こんなに帝のおそば近くに家族全員が仕えている一家なんて、そうあるものでは無いでしょう。


 こんな家族と一族になれば、もともと出世の目があると人に言われた人なら、間違いなく出世ができます。蔵人少将がこんないい話を逃すはずはありませんし、左大将の一族から睨まれたくもないでしょう。蔵人少将が権威と出世を望む限り、彼は中の君との結婚を望み、生涯中の君を大切にするよりほかないのです。日和見な彼だからこそ、逃れられないんです。


 それに中将から見れば、中納言邸の姫よりも自分の妹の方が、見た目も性格も上だと思っています。確かにこっちの邸の明るい雰囲気で育った方が、性格も良く、表情も豊かな姫になりそうですしね。婿君の御世話なんて、中納言家の足元にも及ばない事が出来そうです。中将は蔵人少将と妹を結婚させても、妹を幸せにできる自信があるようです。


 蔵人少将も中納言邸では使用人も安心して働けない、環境の悪さを指摘しています。使っている主人たちの人間性が見えてきてしまったようです。

 中納言邸で彼は悪いところばかりが出ていますが、本来はけなす時も皮肉な人ですが、褒める時もおおいに褒め称える笑い上戸な人なので、性格的にも明るい左大将邸の方があっているかもせれません。

 衣装はさらに上質な物を、女御様にお着せ出来るような仕立てのできる女君までいますしね。


 ****


 正月の末頃に吉日の日がありました。悪いことばかりが続いた中納言家の人たち。この日に物詣ですると縁起がいいので、北の方は三の姫、四の姫を連れて、車一つで忍んで清水寺に詣でる事にしました。


 ところが折しもこの日は、せっかくの吉日だからと中将と北の方の女君も参詣なさろうとしていました。中納言の車は早くお参りしたいと先立っていましたので、中将の車よりも前を進んでいきますが、お忍びなので人も少なく前駆けの人もいません。

 一方中将の車は御夫婦で最初の晴れがましい参詣と言う事もあって、従者も前駆けの人も多く、先払いをしながら大変物々しく参詣なさいます。


 前を行く中納言の車は、後ろから来る車に追い越されそうになって、人々が戸惑っているようでした。車の先導する人が掲げている松明の灯りに照らされて簾の中が透けて見え、中納言の車には随分多くの人が乗っているのが分かります。車を引く牛も苦しそうで、お寺に向かう急な坂道をなかなか登れずにいます。後ろに続く車の行列は先を塞がれて進む事が出来ずにいました。どの車も雑色達が迷惑がっています。中将も迷惑そうに、


「前でつっかえている迷惑な車は、誰の車だ」と尋ねさせると、


「中納言殿の北の方がお忍びで詣でてらっしゃるようです」と答えます。


 いい時にあの北の方と居合わせたものだと、中将は内心喜びながら、


「お前達『前の車、早く先に進め』と言ってやれ。出来ずにいるようなら、脇にでも退かしてしまうんだ」と言うので、前駆けの人たちが、


「そちらの車の牛は弱々しげだなあ。この坂を先に登ることなど出来ないだろう。脇にどかして、この御車を先に御通ししろ」と、中納言の車の雑色に言います。すると中将も、


「ほう。牛が弱いのか。それならあの「面白の駒」にでも御車を引かせればいいのに」


 と、おっしゃいました。その御声も魅力があって、楽しげです。でもそれを車の中で微かに聞いた中納言の北の方や姫君達は、


「ああ、辛い。一体だれなのだろう」と困惑します。


 それでも中納言の北の方の車は意地になって前を行こうとするので、中将の従者たちは、


「なんでどかないんだ」


 と、小石を投げつけはじめました。中納言の従者は腹を立て、


「何かと言うと威勢のいい大将殿の所のように威張り散らす奴らだ。こちらは中納言殿の御車だぞ。おい、こっちもやり返してやれ」と言ってきました。


 これを聞いた中将方の雑色たちは面白がって、


「中納言殿にだって、怖がる人はいるだろう」


 と言うと大勢でまるで雨の降るように小石を車に投げつけると、道の片側に皆で集まり、中納言の車を無理やり脇に押し退けてしまいます。そしてそのまま中将の車をみんな先に行かせてしまいました。中将の方は前駆けの人を始めに、お供の従者達もとても多く、お忍びの僅かな供でやりあっても敵うはずなど無かったのに、従者が無茶をしたので押し退けられた揚句、車輪の片側が堀にはまってしまいました。


 中納言の雑色たちは無謀に争いを吹っ掛けた従者にあきれ返って物も言えません。


「まったく余計なことをしてくれた」


 と、従者に文句を言うばかりです。車の中の北の方や姫君達はとても悔しがって、


「どなたが詣でているんですか」と聞くと、


「左大将殿の御子息、三位の中将殿が御参詣しているようです。三位の中将と言えば今一番に勢いのある方。その方に従者が何か悪い対応をしたようです」と言います。北の方は、


「中将殿と言えばあの、前の右近少将だった方か。中将殿はなんの恨みがあって何かにつけ、こちらに恥をかかせるのだろう。兵部少輔の事もこの方がたくらんだ事に違いない。四の姫が気に入らなければ、穏やかに『嫌だ』と断ってくれればなんの問題もなかったのに。何の縁もない人でもこんな敵のようになる人もいるものだ。まったくどういう人なのだか」


 そういいながら手をもんで、いぶかっていました。


 ****


 車争い。これはよくあった事のようです。たかが車の順番くらいと思いますが、今の自動車のように一人の運転手が自分の意のままに動かすわけではありません。この時の中納言の北の方の車はお忍びなので省いたようですが、前駆けの人たちが鞭のようなもので好奇心から行列に近づこうとする大衆や、野良犬などを払いのけて前を開けさせ、大勢の雑色や従者に守られながら進んでいきます。護衛の役割も持った人たちですから、やはり血気盛んな人も多いのでしょう。どちらの主人が立場が上かと揉めたり、場所の取り合いになったりすることも多かったようです。


 ここでは中納言の北の方たちの乗った車が、無理を通そうとしたようですね。京都の清水寺は今でも有名な観光スポットですが、あのお寺に行く坂は大変急で、未舗装のあの坂を牛車が上るのはなかなか大変そうです。今のように店が立ち並んでいるわけでもないのですから、誰もが坂を早く登り切ってしまいたいと思いながら、お寺を目指した事でしょう。


 お寺にお参りするのですから、穏やかな気持ちで臨めればいいんですが、石山詣での所のお話でも分かるように、この頃のお参りは殆んど物見遊山でした。穏やかどころか、皆高揚してしまっています。石山は遠いので数日がかりの旅行になりますが、同じ都の郊外にある清水なら、ずっと気軽に一泊程度でお参り出来ました。あのお寺は遠い昔から観光スポットだったんです。


 どうやらここでは中納言家の車は、少々無理が過ぎたようです。お忍びと言う事で、一つの車に多すぎる人を載せて、強引にあの急な坂を登らせようとしたようです。

 案の定、牛はとても車を引っ張りきれず、途中で立ち往生し、道を塞ぐことになってしまいました。お忍びとはいえたった一台の車に大勢載せたり、牛が弱々しげであったり、どうも中納言家は目立ちにくい、細かいところで出し惜しみをしているようです。他の車にとっては迷惑この上ありません。


 そう言えば「落窪の君」に裁縫をさせてお針子がいなかったり、お道具や装飾品を取り上げたり、決して気前がいいとは言えないところがありました。牛に餌をやったり、家事を支える下女や、雑用に励む下男にきちんと相応の対価を払っているのでしょうか? 気になります。


 中将はここで会ったが百年目とばかりに、中納言の北の方をからかいます。意地になって動けなくなった迷惑な車に『早く進め』とわざとその意地を煽るようなことを言います。

 さらには北の方が多いに気にしている「面白の駒」の事を持ちだし、ムキになって退かない車に従者の方が腹を立てて、小石を投げだしても知らん顔。まさか大将の息子の車とは思わずに、大将の名前を持ち出して「こっちは中納言だ」と威張る従者に、中将の従者達まで面白がってからかい、とうとう石の雨を降らせた挙句強引に車を退かしてしまいました。


 中納言の威光に勝てないのは大将くらいなもの。そう、たかをくくって強気に出た相手が、その大将の愛息子だった。しかもその愛息子の愛妻を虐待した、復讐相手の従者が突っかかってくるとは、この作者も憎い演出をしてくれます。従者たちが調子に乗っていくのを見ながら、中将が心躍らせているのが手に取るように分かります。


 相手が中将と知って北の方も鋭いような、鈍いような。「落窪の君」が消えた先から中将に嫌がらせを受けているというのに、中将がわざと中納言家に恥をかかせている事には気がついても、それが「落窪の君」に関わる事だとは気がつかないようです。


 ところで北の方がしている手をもむ仕草。これは両手をこすり合わせる仕草で、当時の人が今なら腕を組んで首をひねりたくなるような気分の時にする仕草だったようです。時々イライラしたように出て来る爪弾きも当時の仕草ですし、「あこぎ」が姫を閉じ込められた時に、足をすり合わせて悲しんだのも、じっと出来ないほど深い悲しみの仕草でした。仕草も時代によって大きく変わっていったんですね。


 まだ寺につかない内からこの調子です。中納言の北の方も、中将も行く先は一緒。さてさてどんな事になりますやら……。


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