50.逆転
蔵人少将が懸念した通り、殿上の貴人達は、
「面白の駒はどうしていますか」
「相婿になられてさぞかし親しくなられたことでしょう」
「もうすぐ年が変わったら、あなたが御引きになって白馬の節会の馬に出したらいかがです」
「いやいや、立派な婿が御揃いになって、中納言殿はあなたとあの者と、どちらを大事に思うんでしょう」
と、言いたい放題に言って嗤います。蔵人少将は塵ほどにも人からからかわれたくなど無いと思っているので、大変苦々しく思っています。
もとより蔵人少将は相性の合わない三の姫を、素晴らしい姫だとまでは思っていませんでした。けれど中納言邸に行けば、それはそれは丁寧に自分を世話してくれるので、その世話を受けたいがために通っていたのが本音でした。
ところが「面白の駒」などと相婿になって、こんな風に人にからかわれるようになっては、中納言邸はまったく魅力がありません。それどころか以前は自慢の種だった装束の仕立てさえ、ひどい物になっているのです。もう、中納言邸は蔵人少将にとって少しも足を向けたい所では無くなっていたのでした。
よい機会だから、これにかこつけて中納言邸に通うのはやめにしたい。いっそ離縁してしまおうと蔵人少将は考えて、だんだん中納言邸から足が遠のいていきました。蔵人少将の訪れない夜が続くようになって、三の君は物思いにふける日が多くなります。
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蔵人少将、とうとう中納言邸に愛想がつきはじめたようです。この人は人を人一倍嗤う性格でありながら、人に笑われるのが人一倍嫌いなようです。
当然、彼は三の姫とは政略結婚でした。老いているとはいえ中納言の人脈を出世のアテにしていたでしょうし、丁寧な世話を受けるのも、見事な装束を用意されるのも彼には魅力でした。多少三の姫が冷たく相性が合わなくても、目を瞑るのに十分な魅力がありました。
ところが今や、衣装の仕立ては悪く、邸の雰囲気は暗く最悪で、三の姫とも口論してしまいます。しかも出世どころかあの「面白の駒」と相婿になって、人にからかわれるばかりです。
貴族にはどんな仕事よりも人間関係と権威がものを言う時代です。権威を得るにははっきり言って利権が必要で、その利権を得るためには出世が不可欠でした。利権を与えてくれる地方役人や受領達は、出世した人間に手ずるや口利きを求めて利益を献上してくれるのですから。
その出世のためには人に認められなければなりません。そのための人間関係、縁故関係です。そういう関係を使って自分を売り込んでもらうのです。
人が認めるのなら内容は何でも構いませんでした。貴族生活を安定させる指針だろうが、気配りだろうが、舞いや朗詠、楽や人の統率力でもいいんです。今の政治活動と芸能活動が同じように扱われ、人々の人気を得て尊敬される必要がありました。権威を示すとはそういう事でした。
実務は下の役人がやってくれますから。だから見栄を張るのです。
そんな中で人に認められるどころか、人に笑われてしまうのです。しかも舅の中納言は、耳は遠くなる、目は見えなくなる、何でも人に丸めこまれる……まったく頼りになりません。揚句の果てに人に騙され、「面白の駒」を婿に迎えたのです。
彼は少なくとも独身の時は人に将来を見込まれていました。舞が得意で臨時の賀茂祭で舞人に抜擢されるくらいです。それなのにこのままでは中納言一家に足を引っ張られてしまいます。もともとが政略結婚。離縁を考えるのは当然の成り行きなのでしょう。貴族社会は薄情なものです。
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逆に二条の邸では日に日に邸の様子も好ましい物になっていきます。少将は姫を大変大切になさって、かしづきお世話なさいます。
「侍女は何人でも雇って参上させればいい。女房達が多くいる邸と言うのは心憎い見過ごせない所、華やかで楽しそうな所と呼ばれ、良い評判が立つからな」
少将がそういうものですから、それぞれの女房達が自分の手蔓を求めて参上するので、侍女の数はすぐに二十人以上になってしまいました。このお邸は主の少将も、女主人の姫君も御心が穏やかでお優しくいらっしゃるので、使われる人たちにとっても、大変働きやすいお邸なのです。
ここではお邸に参上する時も、宿下がりして里に帰る時も、そのたびに美しい装束を少将と姫が用意なさって下さいます。おかげで侍女達は衣を替えて出入りするので、大変華やかな事が多くなりました。そんな侍女の中でも姫も少将も、衛門を一番の女房として扱っていらっしゃいます。
その「あこぎ」に「帯刀」が、あの「面白の駒」の事を話して聞かせました。話を聞きながら「あこぎ」は、あの、姫様を物置部屋に閉じ込められた時に悔しさに涙しながら、
「私は今すぐにでも高貴な身になりたい。そうしたら北の方に仕返ししてやろう」
と思った事を思い出していました。心の中では、
「あの時とっても悔しい思いをしたけど、今は姫様も私も、良い身の上になる事が出来たわ。これもあの時『仕返ししてやろう』と願った事が叶ったのかしら」
と思っていて嬉しいけれど、口に出しては、
「まあ、お気の毒なことね。北の方はどんな思いでいらっしゃるかしら」
などと同情の言葉を言ってみます。そして、
「中納言のお邸では、責められる人たちも多いんでしょうねえ」と言いました。
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「あこぎ」と姫は、中納言一家と完全に立場が逆転したようです。
このお話は三の姫と四の姫の悲劇を使って、侍女が縁談を調える心構えを教えています。
政略結婚させるんですから、姫には小さい時からそういう覚悟を教え込みますし、結婚後すぐに離婚されてはたまりませんから、よっぽど身分の高い玉の輿(帝に入内なんて典型的です)でなければ、ある程度最低限の相性も気を使って縁談を受けます。そのために乳母や大勢の女房がいるんですから。
中納言の北の方はそこを失敗しました。なんでも自分の思う通りにしようとし、姫君の婿君に出世ばかりを望んで、周りの女房や乳母に姫君達の心や性格の相談をしませんでした。
周りへの見栄ばかりに気を取られ、若くて見栄えのいい女房ばかり集めたので、いざという時に頼りになりません。その癖お針子代わりに「落窪姫」をこき使い、まともな下女も雇っていないので、蔵人少将の笛の袋一つ満足に縫えないのです。彼女達は家政婦ではなく、邸の運営、教育係です。姫君と家門を賭ける結婚で活躍せずに、なんの為の教育係かってことです。
このお話はそういう召使たち向けの物語です。貴人に仕える下流、中流貴族の為のものです。 彼らの仕事の環境は邸の主人次第で変わりますから、誇張されているとはいえ中納言一家のような、意地の悪い、見栄の為に人を人とも思わないような主人にあたると、当然苦労が絶えません。
そういう「ハズレ」な邸に勤めた人にとって文句のいえない嫌な主人を、さらに上の立場の人がとっちめてくれる……かなりスッキリしたことでしょう。
きっと当時の人に使われる貴族たちは、自分の主人と中納言一家を比べ、溜飲を下げ、四の姫の運命に同情し、自分達はどうすれば四の姫のような悲劇を生まずに済むのかと考えた事でしょう。そして、少将のように気前よく、姫のような人にやさしく、温かい主人の元、衛門のようなしっかりしたまとめ役のいるところで働けたら、と憧れたことでしょう。
それにしても少将は気前がいいですね。当時は質の良い装束は大金と同じ価値があったというのに、侍女が宿下がり(休日)をもらうたびに、装束を用意してあげるなんて。
姫は自分が裁縫が得意なくらいの人ですから、上質な物をセンス良く用意したことでしょう。
日頃も穏やかな主人にここまで気を使ってもらって、若い侍女たちにとってはこんなにいい働き口はそうそうなかったことでしょう。
そして「あこぎ」は「面白の駒」の事を聞いて、あの、姫様と引き裂かれた辛い瞬間を思いだしたようです。そう言えばあの時、姫が閉じ込められたのは、姫が北の方の計略にはめられ、濡れ衣を着せられてのことでした。今回は北の方が少将にはめられて、四の姫が濡れ衣を着せられています。
「帯刀」が「あこぎ」にどこまで話したのかは分かりませんが、あの時「あこぎ」は自分の大切な姫様を苦しめられ、あわや、典薬助と結婚させられそうになり、我が事以上に苦しみました。
今は北の方が、四の姫を「面白の駒」と結婚させられ、妊娠までさせられて苦しんでいます。
私達には気の毒な四の姫の運命も、当事者だった「あこぎ」にとっては、胸のすく思いだったことでしょうね。




