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5.乳兄弟

 八月も一日ごろ、姫は一人横になりながら、眠れぬままに、


「母君、私をあなたの所へお導き下さい。とても辛いのです」と言い、


「 我につゆあはれをかけば立ち返り

    ともにを消えよ憂き離れなむ

(私を憐れんで下さるならば、この世に戻って私とともに消えて下さい。そうすれば辛いこの世と離れることができるのです)」


 と歌を詠みますが心が慰められる事はありませんでした。


「あこぎ」は仕えている三の姫の居どころの続きにある、間口が二間の廂の間を曹司ぞうし(自分の部屋)として与えられましたが、三の姫と同じような所は恐れ多いと理由をつけて、姫のいる「落窪の間」の近くに間口が一つの部屋を与えてもらい、そこで寝起きをしていました。

「帯刀」から話を聞いた次の朝、その自分の部屋を出て落窪の間に行くと「あこぎ」は話のついでを装いながら、さっそく右近の少将が姫に逢いたがっている事を伝えました。


「このような侘しいお暮しを続けていても、先々の希望が見えません。思い切ってお逢いになってみたらいかがでしょう」


 と、姫が前向きに考えてくれるように言って見るのですが、姫の方は人並みに世話を焼いてくれる親もいない自分に、そんな夢のような話しが来るとは信じる事さえありません。返事のしてくれない姫に「あこぎ」が困っていると、


「三の姫の朝の手水の御世話をして差し上げよ」


 と、お呼びを受けたので、その話はそれきりになってしまいます。


 姫君は心の中で、


「これからどんな事があったとしても、良いことがあるなんて思えないわ。やはり母上のいない身では人並みを望む事なんて出来ないもの。どうしたら死んでしまえるかしら」と言う気持ちばかりが深くなります。たとえ尼になったしても、この邸から離れる事は出来そうもないので、ただここから消えてしまいたいと思っています。


 ****


「あこぎ」も心の中ではこんなチャンスを逃しちゃいけないと、少将の事を持ちあげて語ったことでしょう。本当はもっと姫に積極的に少将と結婚することを進めたかったのでしょうが、こういう事が初めての姫に、余計な気負いを持たせないように「物のついで」を装ったんですね。長年人に虐げられて心が脅えている姫に気を使ったのでしょう。なかなかの気配り上手です。


 しかも「あこぎ」は、三の姫の近くにずっといい部屋を与えられるにもかかわらず、姫が心配でわざわざ姫の部屋の近くに、姫の落窪の間と同様に床が引っ込んだ部屋を自分の部屋にさせてもらったんですね。姫の近くにいたいというのもあるのでしょうけど、彼女だったら「姫様より良い部屋になんて住めない!」くらいの思いはあったんじゃないでしょうか? まったくこの子は献身的な子です。


 この頃の姫君の恋愛や結婚は、親が自分のツテやコネを頼って縁談を申し込む事が重要でした。そしてお付きの女房が親の意向を考慮しながら駆け引きをします。そうやってどのような婿をとれるかが、姫だけではなく家門の将来を大きく左右したのですから、それは必死だったはずです。もちろん中納言家でも「落窪姫」以外の姫君達は、そうやって懸命な姫の売り込み活動を行い、文通に持ち込み、婿を迎えた後も丁寧に世話を焼いていた事でしょう。


「落窪姫」も、自分が他の姫たちの婿君の衣装をたくさん縫いながら、この家の人々がどれほど婿君たちを大切に扱っているかを知っていたはずです。身分ある姫の結婚とは、親が縁談や婿君の世話を焼く事だと思っていた事でしょう。実際、そうでしたしね。

 そんな中で親に人並みの姫として扱われないという事は、まともな縁談など来る筈がないと、姫は思っていたのです。


 ****


 でも「帯刀」は少将に姫の事をせっつかれます。「あの話はどうなったのだ」と期待して聞いてくるのです。仕方なく、

「話はしましたが、妻が言うには決して簡単なことではなさそうなのです。この手の縁談は親が色々世話を焼くものですが、あちらは中納言様も北の方の言いなりで、姫のお世話をするつもりはないようなのです。これでは姫が恋愛や結婚をしようという気になれないのも、仕方ありません」と言い訳しました。


「だから都合がいいんじゃないか。『とりあえず入れてくれ』と言っただろう。中納言に知られて婿君扱いなんかされてはたまらない。まずは逢ってみて、気に入ればわたしの所に連れ帰るし、気に入らなければ中納言に知られぬよう姫に口止めして、理由をつけて終わらせればいいんだから」


「そんなに適当では困りますよ。これには私の口やかましい妻がからんでいるんですから。姫君のご決心がついてから手引きさせていただこうかと」


「決心も何も、たがいに逢ってみなければ結婚する気になれるかどうか、分からないじゃないか。とにかく上手い事整えてくれ。適当になんか扱わないよ。手出しした姫を『うっかり』忘れたりなんかしないからさ」


「『うっかり』お忘れにならないって、そのような軽いお気持ちでは困るんですが」


「『すっかり』と言おうとして間違えただけさ。それよりこの文(手紙)を姫に渡してくれ」

 そう言って少将は「帯刀」に手紙を持たせます。


 ****


「あこぎ」が睨んだ通り、少将が姫に抱いた興味が恋の火遊びであることがよく分かりますね。いい加減に見えますが正式に親を通した縁談でなければ、恋愛のきっかけなんて、こんな感じだったのでしょう。だからこそ親が姫のお相手に神経をとがらせたり、「あこぎ」のようなお付きの女房が恋の駆け引きを手伝ったりする必要があったんです。


 それに少将は中納言を随分うっとうしがっています。仮にも中納言というそれなりの職についている年上相手にあまり尊敬の念が見えません。

 この中納言は家庭の中でも北の方に丸めこまれているのですから、実務の方でもあまり有能ではなさそうです。随分高齢と書かかれていますから、老いて仕事は大したことが出来ない癖に、態度だけは大きくて頑固な厄介爺と、若い少将は思っていたのかもしれません。


 そして「帯刀」との親しげなやりとり。心を許して本音を漏らす少将に、妻の事もあってチクリと釘をさす「帯刀」。それを「言い間違えた」と少将がとぼける所など、当時の乳兄弟が身分が違うながらも本当の兄弟のように、親しく情をかわしていた様子が描かれています。


 少将は姫を『ふと』(短い時間で)忘れたりしないと言って、帯刀に咎められるのですが、少将は『長く』のいい間違いだと誤魔化します。

 これでは面白くないので、私は『ふと』を『うっかり』と、『長く』を『すっかり』と表現してみました。この方がいい間違いっぽいと思ったので。

 正しさよりも、感覚を重視しました。遊び心と思ってお許し願えれば幸いです。



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