48.面白の駒
次の日、兵部少輔は日が暮れると早々に中納言邸にやってきました。早く訪れた婿君に北の方は、
「やはり、三の姫の言った通りだった。もし四の姫が気に入らなかったのなら、もっと遅くなっていらっしゃったはず。三の姫が言ったようにこの君は恋のてだれの好き者だから、趣向を変えてわざと様変わりな言葉をお使いになっただけなのだろう」
そう思って喜んで婿君を邸に迎え入れます。
とはいえ、四の君の方ではあんな手紙を受け取った後なので、ひどく気まずく、恥ずかしい思いをしていました。それでも親が許した婿君が来てしまった以上、仕方がありません。四の姫は婿君の前に出て行きました。
ところが婿君の様子は四の姫にとって少しも好ましくありません。
少しばかりの物を言う言葉づかいも、その時の気配も、どこかボーっとした感じで受け答えも間が抜けています。四の姫はこれまで聞いていた姉姫たちの婿君の御様子や、取り分け三の姫の婿である蔵人の少将などと、この君の御様子があまりに違いすぎるので、大変ご不快に思えて、
「わたくしのほうこそ、『恋が覚めた』と言いたいわ」と思いました。
そんな四の姫の御心に気づくこともなく兵部少輔は深夜遅くに帰っていきました。
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北の方。鈍いですね。あんなひどい手紙を受け取っても自分に都合よく解釈してしまったようです。もし、この人がもう少し、自分の娘の心に気を配る人なら、おそらく事の異常さに気がついたことでしょう。
けれどこの人が娘の婿に求めたのは、どこまでも「出世のできる男君」であったようです。婿君の人間性や娘との相性なんて、初めから頭になかったのでしょう。
いくら政略結婚とは言え、結婚は娘の一生を左右する一大事。多少の事なら家門の為と目を瞑るにしても、初夜を終えたばかりの娘を平気で傷つけるような手紙を書いてよこすような婿君では、先々娘が幸せになれるはずなど無いでしょう。そんな当たり前の親心さえ、この人は失ってしまっているようです。
四の姫もこういう時ぐらいはせめて、親に泣きつけばよかったのでしょうが、あの北の方の気性を考えると、実の娘とは言え、何事にも異を唱えるなんて出来なかったことでしょう。
いくら姫は家を栄えさせるための道具にされた時代とはいえ、この親子の信頼関係のなさはひどすぎます。父親が強引に事を運ぶのは政治的戦略で仕方のないところがありますが、娘を唯一守れる母親がこれでは……。悲し過ぎます。
当時、女性は「女」と生まれただけで、「男」を惑わせる罪を背負っていると言われたので、女性の地位は本当に低いものでした。どれほど大事に扱われても人間としての情愛はともかく、貴族社会の中では完全に物品扱いです。ですから家の主が決めてしまえば、女性は何事にも逆らう事は出来ません。北の方が「落窪姫」を貶めるにも、他の人には自分の思うように言いつけるだけでしたが、主である中納言には、言葉巧みに騙し賺す必要があったのはそのせいです。
ですから姫が嫌だと言っても、決定権は主にあるので、北の方は娘の気持ちを上手に夫に伝えて、親心を発揮しなくてはなりません。北の方が本当に娘の幸せを願うなら、もっと姫の心に気を配る必要があるのです。それなのにこの人は邸の主よりも我が子の心より世間体に心を傾ける人でした。だから少将のタチの悪いはかりごとに引っかかってしまったのです。
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そしていよいよ、三日夜の夜になると、中納言邸は華々しい雰囲気に包まれます。所顕しと言う婿君を正式にお迎えする披露宴の用意が、邸中盛大に行われていました。
婿君の従者を待機させる「侍所」や、雑色と呼ばれる雑用係の人たちが詰めるところなどにも祝膳が用意され、いつにもまして飾られた邸に明々と火が灯されます。
勢いのある出世頭の君と相婿になれる嬉しさに、蔵人少将までもが急ぎ出て来られました。
右近少将と言えば今帝の憶えも大変よろしい方なので、主の中納言も自ら失礼のないようにと重々しく出ていらして、お座りになって待っておられました。
婿君がやってきたと聞くと中納言が、
「まず、こちらにお入りください」
と案内しますが、婿君は挨拶もせずにさっさと言われた上座に座ってしまいます。明るい灯のもとでそのお顔とお姿があらわとなりました。
婿君は首から身体にかけて大変細身で小さく、顔はお白いで化粧でもしたかのように真っ白。
皆に恭しく扱われたのですっかりいい気分になった婿君は、鼻の穴を大きく膨らませ、人々を仰ぎ見るように胸を反りかえして座っています。
人々はひどく驚いて婿君を見つめていましたが、それが兵部少輔だと気がつくと堪え切れずに『ほほ』と笑いだしてしまいます。
中でも蔵人少将はこういう時に派手に笑ってしまう性格なので、ことさら大げさに笑い転げました。そして、
「面白の駒じゃあ、ないですか」と扇を叩いて笑い、立ち去ってしまいます。
蔵人少将は宮中の殿上でさえ、ことさら兵部少輔の事を、
「面白の駒が、群れを離れてやってきた」
と笑いからかって馬鹿にしていたので、その彼と相婿になってしまった事を驚いたのでした。
人々のいない所に隠れて、
「これはどういう事なのだろう」と言おうにも、笑ってしまって言葉に出来ません。
中納言もあきれてものも言えなくなり、
「これは誰かが計った事に違いない」と思うと、ただ、腹立ちに腹立つばかり。
けれどもここは宴の席です。人の目も多いことなので懸命に心を静め、
「私は右近少将殿を婿に迎えたはずなのに、なぜ、あなたがこんなところにいらっしゃるのか、不思議でならないのだが」とお聞きになりました。
すると兵部少輔は、少将から入れ知恵された言葉をそのまま中納言に伝えました。自分はこの秋から四の姫に通っていたので、少将殿と入れ替わってもらったのだと。
けれどもその説明をなさっている姿も、まるで他人事のようにどこかボケっとした様子なので、中納言もこれでは今更何を行っても無駄だと悟り、婿君と縁を結ぶ儀式の盃さえ交わさずに奥へと引っ込んでしまいました。
自分たちの主人がそんな風に笑われているとも知らず、兵部少輔もお供達は祝膳の席に着き、呑めや食えやでその場の席に居並んでいましたが、肝心の宴の席では人が一人も残ることなく立ち去ってしまいました。体裁の悪くなった兵部少輔は、仕方がないのでこれまで通っていた四の姫の所に向かいました。
北の方はこの話を聞くと、何がどうなっているのかと呆然としてしまいました。中納言はと言うと、
「こんな年老いた身となって、このような恥をかく事になろうとは」
と、爪弾きをしながら座り込んでいます。
四の姫はその時、御帳台(部屋の主が眠る所)の中にいらしたので、初めて夫の顔を見て驚きながらも突然、兵部少輔が入り込んでしまっては、逃げる事さえできませんでした。
周りの侍女達も四の姫がお可哀そうだとは思いましたが、この縁談を仲立ちした人達も四の姫に仇するつもりなど無かった事は分かっていますし、この縁談を受けたのは四の姫の乳母なので、他の人は何も言う事など出来ませんでした。
誰もかれもが嘆きながら夜を明かしましたが、兵部少輔は、
「結婚は四日目からは婚家に泊るものだ」
と聞いていたので、そのまま帰ることなく寝転がっていました。
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とうとう中納言家の人々は、何も気がつかないまま兵部少輔を四の姫の婿君として披露してしまいました。
ここでは三日夜の宴と言うのがとても盛大に、はなばなしく行われることが書かれています。
結婚その物はひそやかにおこなわれ、披露する時ははなばなしく、大勢の人に御披露するのが当時の貴族の結婚だったんですね。でも、この披露宴のシーンで貴族社会と言うのがどれほど世知辛いものか分かってしまいます。
「落窪姫」と少将の三日夜は、それはそれはつつましいものでしたね。「あこぎ」が必死で手配した品でささやかに部屋を新婚らしく飾り、居心地を整え、心をこめておもてなしをしていました。少将も土砂降りの中散々な目に遭い、あわや自分も親兄弟にも恥をかかせそうになりながらも、腹も立てずに冷静に対処して姫の元までたどり着き、姫との愛を深めた日となりました。
そして大雨の中届けられた餅を、「あこぎ」が心をこめて飾り付け、二人が無事に儀式を済ませるのを見守っていました。ささやかで、美しい結婚の儀式でした。
それに比べて四の姫の結婚の、なんてひどい有様でしょう。邸中がこの上なくしつらえられ、皆が着飾り、豪華な式典の準備がなされたにもかかわらず、初めての後朝の文で侮辱され、やってきた婿君は笑い者にされ、親は面目を潰されながらも、その面目の為に婿を追い帰す事も出来ず、盃すらかわさずに部屋の奥に引っ込んで愚痴を言うばかり。しかも人々は面白がって笑った挙句、一人残らずその場を去ってしまいます。人の祝いの席が台無しになったというのに冷たいものです。
蔵人少将など、日頃からからかい、馬鹿にしてきたらしい兵部少輔と相婿になってしまい、本当は嘆きたいはずなのに笑い上戸な性格が災いして、その場の誰よりも大笑いしてしまったようです。ようやく陰に隠れても、心とは裏腹にまだ笑いがおさまりません。人を平気で嗤う人間性が、完全に仇となって返ってきました。
「笑われることはない」と少将に騙された兵部少輔は、居心地の悪さを感じながらも結局は四の姫の所に行ってしまいました。この時初めて四の姫は自分の夫の顔を明るいところで見たのでしょうが、御帳台と言う、夫婦の寝具の上で待っていた以上、どんなに嫌だと思っても、逃げ場なんてありません。たとえこの場を逃げたとしても、この結婚は正式に成立してしまったのですから、もう、どうしようもないのです。
それでも周りには仕えている女房や女童と言った人達もいるのですから、彼女達がその場は姫の心を落ち着かせるためにも、身を張って言いくるめるなり、「あこぎ」のようになんとかその場を取り繕うなりしてくれてもよさそうなものですが、四の姫は召し使っている人達にそこまで思ってもらえるほどの信頼関係は結べていなかったようです。
しかも、親以上に頼りになるべき乳母が、よりにもよってこの縁談を受けた本人です。それでもこの乳母が、四の姫の為に何か北の方に意見できる人ならまだ、姫の心も救われたのでしょうが、ここの使用人は、みんながみんな、北の方に逆らえない言いなりな人ばかり。もしかしたら乳母でさえも自分の責任からどんな身の施し方を言い渡されるかの方に心が行ってしまっているのかもしれません。お可哀そうと心で同情はしていますが、行動を起こす人は一人もいませんでした。
北の方のいいなりに生きてきた四の姫は、どうする事も出来ずに兵部少輔と三日目の晩を一晩過ごしただけではなく、そのまま婿君として、御帳台の中に居座られてしまいます。




