46.すり代わった婿君
少将が二条の邸に帰ってくると、姫は雪が降る庭を部屋の中から火桶にもたれかかって眺めていました。
そして火桶の灰を火箸でまさぐったりする姿が何とも可憐で美しいので、少将は向かい合って座り、一緒に雪を眺めます。
不意に姫は灰の上に火箸で歌の上の句をお書きになりました。
「 はかなくて消えなましかば思ふとも
(あのまま、はかなく死んでいたら、どれほど恋慕っても)」
少将はその言葉をしみじみとご覧になると、まったくだと思いながら、
「 言わでをこひに身をこがれまし
(愛する想いを言いたいと乞い、願いながら、恋の火に身を焦がしたことでしょう)」
と、下の句を書きつなぎます。でも、すぐに少将はさらに歌を書きました。
「 埋み火の生きてうれしと思ふには
我が懐に抱きこぞ寝る
(灰に埋めた炭火が消えない様に、あなたが生きていて下さったことが嬉しく思えるので、私は灰となってあなたを懐に抱いて寝ます)」
そして姫を抱きかかえると、そのまま横になってしまわれました。姫は、
「私はあなたの懐の中に、しっかりと閉じ込められてしまいましたのね」
と言って御笑いになりました。
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幸せな境遇になった姫君は、寒い雪の降る日に温かな火鉢にあたりながら、庭に降る雪を眺めているようです。いかにも姫君に似つかわしいご様子ですね。
ほんの少し前までこの姫は寒く火の気のない落ちくぼんだ部屋でボロを着せられ、一日中縫物に追われ、揚句のはてに物置部屋に食べ物もまともに与えられずに閉じ込められていたのです。一転した今の境遇に、少将に歌の上の句を書いて、愛されている事に感謝し、幸せをかみしめているようです。
二言目には「はかない」「死んでいたなら」という言葉が出るので、ちょっと大げさに思われるかもしれませんが、これも時代の感覚の違いでしょう。
この当時は私達が生きる今の時代とは、命の重さがまるで違います。この頃はまだ文化が低い大衆にたいしては、命の重さなどほとんどないも同然でした。貴族にとって重い身分の方の命は自分の命よりも途方もないほど重く、尊いものでしたが、軽く見られる人の命はどこまでも、今では想像もできないくらい軽く考えられたのです。
貴族の住む邸はきらびやかなものですが、一歩邸の外に出て路地でも曲がれば、行き倒れた人々の遺体が多数転がっていたほどです。軽く見られる人々の命は、召使たちに汚らしいと追い立てられる野良犬と、何ら変わりがなかったのです。今だったら虫けら同然です。
姫は中納言の邸では本当に軽んじられていて、家事をこなす下女よりもひどい扱いを受けていました。本来の身分が低くはないだけに、北の方に疎んじられた分だけ余計に虐げられ、貶められていました。こういう立場になるとすでに人間以下のように見られてしまいます。
つまり、閉じ込められた分、野良犬よりもひどい扱われ方をしたのですから、北の方の気分しだいで、いつ命が絶えても本当におかしくはなかったのです。物置に閉じ込められた時も食事を一日一度にされていましたが、当時の食事は仏教思想の影響から、あまり栄養の良いものではありませんでした。おかげで貴族の寿命はとても短いものだったそうですから。
そんな食事さえも一日一度。しかも虐げられているのですからまともな物など与えられていなかったはず。あのままでは本当に飢え死にさせられてもおかしくなかったかもしれません。
「軽んじられる」とは、それだけ大変なことなのです。そんな生と死のはざまから姫は救われたのです。あまりの今の境遇の違いに、姫がしみじみとするのも無理のないことでしょう。そんな姫の心を見るからこそ、少将は姫の姿が一層いじらしく、可愛らしく感じるのです。
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そして十二月五日を迎えると、中納言の邸では四の姫の結婚当日とあって、邸中をこの上なく美しく飾りたてました。仲立ちの侍女も、
「今日はご婚儀の日です」
と念を押してくるので少将は兵部少輔のもとに、
「先日お話した婚儀は今夜ですよ。戌の時くらいになったら中納言邸に行ってください」
と伝えると兵部少輔も、
「分かっています。私も心得ていました」と返事を返します。
兵部少輔は父の治部卿に、
「実はこれから少将殿のお世話で、少将殿に代わって中納言殿の四の姫との婚儀に参ります」
そう言って先日の少将に言われた話を説明しました。この治部卿という人も、人交わりのない、世間に出ることを嫌う変わり者で、常識を知らない人なので、
「少将殿のご都合を知れば、あちらも不都合とは思わないのかもしれない」と考え、
「それで少将殿も助かるのなら、その労に応えて褒めて頂くのは悪いことではないのだろう。早く行きなさい」
と、婚儀に相応しく装束を準備なさいます。兵部少輔も深く考えることもなく、父の用意した装束を身につけ、出かけて行きました。
中納言邸では人々が皆着飾り、婿君が到着するのを待っていますと、
「おいでになりました」との使いの者の言葉に喜んで迎え入れます。
その夜はほの暗い中で、兵部の少輔も良い具合に緊張していたのか、いつものような愚かそうな態度なども見せずに、そのお姿もほっそりして、上品な感じに見えましたものですから、邸の人々もさすがは評判のいい婿君でいらっしゃると感心して、あまり考えることもなく、
「ほっそりとしていらして、優雅にお入りになりましたこと」と、褒めそやしています。
それを聞いて北の方は笑顔が隠せずに、
「良い婿君を迎える事が出来て、私は幸せ者だ。自分の姫君達には皆、思い通りの婿君を取ることが出来たのだから。この、四の姫の婿君も、すぐに大臣におなりになるだろう」
と、人々に自慢して回りますので、人々も、
「そうですね」と納得して申し上げていました。
四の姫はやってきた君がこんな常識知らずの愚か者だとも知らずに、共寝なさってしまいました。そして夜が明けると、兵部少輔は帰っていきました。
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この治部卿という人も、かなりの変わり者というか、人の気持ちを考えられない人のようです。婚儀の当日に婿が入れ替わるのがどれほどの大ごとか分かっていない様子です。相手の姫君の気持ちを考えれば、常識を知らない以前の問題だと思うのですが……。
この父親の治部卿も、兵部少輔も特に悪気はないようです。当時は極端に女性の地位が低く、身分はよくても結局は物扱いされましたし、人が説明した事は全て真に受けて「そういうものだろう」と思い込んでしまう人達なのでしょう。
この親子は愚か者として描かれていて、特に兵部少輔は少し「知恵の足りない人」とされているようです。そういう人をこうして寄ってたかって馬鹿にしているのですから、貴族社会とは残酷なものです。けれどこの人も「痴呆の君」という訳ではなく、本人さえやる気があれば仕事もできない訳ではなさそうですし、ちゃんと少将とも普通に会話をしています。要は人に笑われることに脅えるあまり、無気力になっているだけのようです。
心優しいとか何かに懸命になれる人ならいいのですが、どうもこの人はすべて人任せ、思うようにならなければどこかに引っ込んでしまう、自己主張の弱いわがままな人のようです。これでは人並みに知恵もあり、顔立ちも悪くなくても人付き合いでうまくいくはずもないでしょう。
ですから父親の治部卿は、きっと少将が息子を世間に引っ張り出す、きっかけにするために入れ替え結婚を勧めたと思ったのでしょう。我が子の心配だけはするんですね。
こういう人を利用する、少将に一番問題があるのは言うまでもありませんけど。
婚儀と言っても、通っている二日間は、夜、闇の中に忍んでやってきて、まだ夜明け前、暗いうちに帰っていくのが礼儀でした。通っている二日間は男君は姿を現してはいけませんし、親族も姿を見ようとしては失礼にあたります。誰も男君の顔を知らなくても不自然ではないのです。まさに「秘め事」です。
しかも少将はちゃっかり、中納言方が焦っているのを見通して「今時ははそういうもの」と言って、文通さえしていませんでした。ですから四の姫や北の方は少将の姿だけでなく、人となりさえほとんど知らずにいるのです。人の評判だけを聞いて本人の人間性を知らないまま、焦って婿に迎えようとしたツケが回ってしまいました。
けれども四の姫も北の方も、まだその事に気がついてはいません。少将のたくらみは、思うがままに進んでいるようです。
連歌の後の姫の言葉や、治部卿の言葉。
こういう解釈をしたのって私くらいなのかなあ。
姫の「さしこと」は、本文直訳では意味未詳とされているので、
「さしこむ」の、「中に閉じ込める」の意味から解釈しました。
完全に意味が分かりませんから、前後の流れを止めない台詞にするか、飛ばすか、近い言葉で見当をつけるしかありませんので私は近い言葉を選びました。
治部卿の言葉は、治部卿が少将に息子の事を頼んでいるのだからという解釈から、こういう訳しかたになりました。
だって「誰が、誰に、何をした」の、「誰が」も「誰に」も分からない・・・
本文は『労ありて人に褒められ給ふ事は』で、前後にも誰の事かを匂わせる文はありません。
私は治部卿が(少将のたくらみを何も知らずに)労を負ってくれた少将への感謝の言葉として訳しました。
その場の文だけなら中納言や治部卿を指していそうですが、ここは少将の復讐シーン。
治部卿は少将を信頼して息子を頼み、みんな少将に踊らされている事を描かれているシーンです。
その全体的な流れを重要視して、私はこういう解釈をしたんです。
前後の流れから行ってもこの方がいいように思うんですが。
いろんな解しかたがあるようです。
お勉強には使わないでくださいね。
あくまで私の解釈です。




