45.悪知恵
少将の母である左大将の北の方が、少将に尋ねました。
「二条の邸に女君を住まわせていると聞きましたよ。本当なのですか。それならどうして中納言殿に四の姫との縁談を『良い話だ』などと言ったのですか」
少将は来た来た、と思いながら、
「お知らせしようとは思ったのですがあの邸は無人でしたし、ほんのしばらくの事だからと思っていましたので。母上からも手紙などやって下さい。中納言殿は早く返事を欲しがっていると聞いていますし、男は妻が一人という事はないものです。いっそ、二人の妻が仲良く語り合えるようになってほしいですね」と言って笑います。
「まあ、なんて憎らしいことを言うのでしょう。妻を多く持つことはその方々の嘆きを背負うことにもなるのですよ。そうなれば、やがて自分の身も苦しむ事になるのです。そんな事はおよしなさい。二条の邸に住まわせた方が気に入っているのなら、縁談の方はお断りしなさい。二条に住む方には、わたくしから近いうちにお手紙を差し上げますから」
左大将の北の方は少将にそうお説教をなさり、さっそくその後に素晴らしい贈り物を二条の邸に届けさせ、姫と親しく手紙を交わされます。すると左大将の北の方は姫をいたく気に入り、
「この人は品の良い方でいらっしゃるようね。お文の書き方も、御筆跡も、優しげで美しく、お心がこもっていて素晴らしいご様子です。どなたの所の娘でしょう。この方を正妻に決めておしまいなさい。私も娘を持っていますから二条の方のお気持ちを思うとお可哀そうで、心苦しく思われるのです」とおっしゃいますが、少将はほほ笑みながら、
「この人も、決して忘れませんよ。まあ、他の女性にも気が惹かれるんです」といいます。
「どういうことでしょう。よろしくないお気持ちですね。わたくしには女君にとって大変聞こえの良くない御心に思えますよ」
そう叱りながらも、北の方もつい、少将に笑顔で答えてしまいます。この北の方は御心が優しく、姿かたちも大変美しい人なのでした。
こうして月が変わり、十二月になりました。少将の母の北の方は、
「中納言殿の四の姫との結婚は明後日ですけれど、二条の方は御存じなのですか」
と、二条に住んでいる姫君をお可哀そうに思いながらお聞きします。仲立ちの侍女も、
「明後日です」と念を押すので少将は、
「良く分かってるよ。中納言邸に参りますから」
と答えながら、心の内で面白がっています。もちろん、計略を練っているからです。
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この少将のお母さんも、この時代の女性としては型破りな方のようです。政略結婚が当たり前で、息子のより良い出世の為に母親と乳母が力を合わせて、良い縁談を必死に探し、それでも人間のことですから自分の好みの女性と関係を結ぶ事には目を瞑っておくのが普通なのでしょうが、女性を迎えたばかりの息子が、別の縁談にいい返事をしたことをたしなめています。
しかも息子が勝手に連れて来て、自分の邸に住まわせている女性に同情を寄せています。
この人の心の広さも姫といい勝負。少将が姫に惹かれたのは、姫の美しさやいじらしさは勿論、母親を思わせる姫の心の広さもあったんじゃないでしょうか?
普通ならきちんとした姫君と結婚もせずにフラフラして、自分のまったく知らない女性を自分の所有する邸に連れ込んだら怒るんじゃないでしょうか?
このお母さん、よっぽど少将に甘いのか、少将を真底信頼しているのかのどちらかでしょう。
しかも息子の心配は不要とばかりに、二条の人と、四の姫の心配しているんですね。ちょっと当時の感覚からすれば、上流貴族の北の方としては珍しい人と言っていいでしょう。
しかも、まったく知らない「落窪姫」と文通を交わして、しかもその手紙から姫の美点を見てとって、どうやら姫の事を気に入ってしまったようです。優しいだけではなく、なかなか鋭い女性のようですね。
少将の型破りな性格は、この優しいお母さんから譲り受けているのかもしれません。
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少将は治部卿の邸に赴きました。少将の母上の北の方には、叔父で治部卿になってはいるが、世間の人々からは愚かなひねくれ者と呼ばれていて、人づき合いもしない人がいました。この方の太郎君(長男)は、兵部少輔となられていました。治部卿の邸につくと少将は、
「兵部少輔殿はおいででしょうか」と尋ねますが、治部卿が、
「部屋にいるはずです。人に笑われると言って、宮仕えにも出られずにいるのです。少将殿、これを人交わりできるように面倒見ていただけるよう、お頼み出来ませんか。私も昔はそうでしたが、一時の笑われる時を過ぎてしまえば宮仕えも出来るようになるものなので」
と、少将に頼んできました。
「どうして面倒見ずにいられましょうか」
少将はそう言ってニヤニヤ笑いながら兵部少輔の部屋に行って見ますが、兵部少輔はまだ寝たままでいます。そのいかにも間の抜けた姿をおかしく思いながらも、
「さあ、さあ、起きて下さい。話したい事があるんです。御父上にはもう、御挨拶しましたから」と声をかけます。
すると兵部少輔は手足をそろえて大きく伸びをし、ようやく起きて手を洗ったりします。
「どうして私の邸にも遊びに来ないんですか」と少将が聞くと、兵部少輔は、
「人が『ほほ』と笑うものだから、恥ずかしくて」と言います。
「気を使うような所ではないのだから、恥ずかしがることはないんだが」
少将はそういいますが兵部少輔はうつむくばかりです。
「ところであなたは、どうして妻を持とうとしないんですか。独り寝ばかりではかなり辛いでしょうに」
「そういう世話をしてくれる人もいませんから。独り寝も慣れてしまって、今更辛くもありませんよ」
「じゃあ、辛くないからと言って、妻も持たないままでいるつもりですか」
「……もしかしたら、そういう世話をしてくれる人がいるんじゃないかと、待ってはいるんですよ」
ここで少将は内心「しめた。思った通りだ」と思いました。
「そういう事なら、私がお世話します。実は今日伺ったのはそのためなのです。とてもよい人がいるのですよ」
独り寝もなれたなどというものの、少将の言葉に兵部少輔はさすがに笑顔を見せます。
でも、その笑顔というのが、雪のように白い顔に、長い、長い首。顔つきなどは実に馬そっくりで、鼻の両穴など、見た事もないほど大きく膨れ上がっています。今にも「ヒン」といなないて、どこかに駈けて、逃げて行ってしまいそうな顔をしています。
この人と向かい合っては兵部少輔が言うように、誰もが笑わずにいられなくなってしまうのです。
「それはとても嬉しいお話です。どちらの娘でしょう」
「源中納言の四の姫です。あちらでは私と結婚させたがっているようですが、私には思い捨てることができない人がいるので、あなたに御譲りしようと思って。日取りも明後日と決まっていますので、その心づもりでいて下さい」
それを聞いた兵部少輔は、
「それでは私では不本意だと、また笑われるのではないでしょうか」
と言ってしょんぼりしてしまいます。少将は兵部少輔が人に笑われないようにと思っているのを、しみじみ、滑稽に思っていますが、そんなそぶりは見せずに、
「まさか。笑いはしないでしょう。中納言殿には
『私はこの秋から忍んで通っていたのに、少将を婿に迎えると聞きまして、少将は私の親戚ですから、「四の姫は私が秋から通っている」と直接恨み事をいいますと少将も「それは理に合わぬことをした。それでは私は四の姫とは結婚できません。あちらの親たちはそのことを知りませんから、私以外の婿を取ろうとするでしょう。それでは馬鹿らしい。これを機会に関係を表に出してしまいなさい」と言ってくれたので、私が来たのです』
と言えばいいんです。そう言えば何も言えないはずです。笑う事もないでしょう。そうして通っているうちに、四の姫もあなたに慣れ親しんで、そのうち想いも寄せるようになるでしょう」
少将がそう言って聞かせると、兵部少輔も、
「成程。そういうものでしょうね」と頷いています。
「それでは、明後日の夜遅くになってから、中納言邸にいらっしゃってください」
少将はそういい残して、治部卿の邸を出て行きました。
少将は、兵部少輔は一時でもいい思いができるが、四の姫はどれだけ悲しむことだろうと、良心が痛みましたが、それよりまして、中納言の北の方が憎く思われていたのです。
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少将の悪いところが出てきました。姫の部屋への忍び込み方と言い、扉を壊しての強行突破ぶりと言い、本当にこの人はいろいろ問題がある人です。今度は兵部少輔に悪知恵を吹き込んで、そそのかしてしまいました。
兵部少輔はよほど特殊な容姿の持ち主のようです。そして本人もそれを大変気にしています。
それならいっそ、容姿以外の所で人に認めさせられるように、何かに一心に打ち込むとかすればいいのですが、残念ながらこの人はそういう気持ちにはならないようです。
貴族は人に好かれ、社交をする事が全てと言ってもいいのに邸の自分の部屋に引っ込んで、ひねくれ者と言われる父親と同様に人交わりどころか、部屋から出る気も仕事に行く気もないようです。典型的な引きこもりですね。
この人の父親、治部卿が勤める治部省という所は五位以上の上流貴族たちの戸籍を扱う所。どちらかと言うと地味な役職です。上流貴族の婚姻、葬送、相続。そんな記録の管理です。本来なら他に外国使節の接待などもつかさどるべきところですが、この頃はすでに遣唐使が廃止されているため、そういう役目はありません。そうなると実際の記録業務は下の役人たちで十分すむでしょうから人交わりの苦手な人でもかろうじて出仕出来ているのでしょう。
兵部少輔の所属する兵部省もやはり地味な管理業務です。その名の通り兵や舎人と言った武官の人事をつかさどるところです。本当なら軍事もここでおこなわれますが、兵の仕事はほとんどが帝や東宮の護衛ですからこれも現実には仕事がありません。それでも華やかな行事の護衛にに派遣する人を決めたりするはずですから、相応に人との繋がりを持とうと思えば出世の努力もできるはずですが、そういう事が苦手で引きこもっているのでしょう。社交が全ての上流貴族としては、変わり者、ひねくれ者と言われるのも無理はないのでしょう。
そんな引っ込み思案で、貴族としての努力が苦手な兵部少輔ではもちろん縁談など来る筈がありません。本人は容姿の事が気になって仕方がないようですが(そして実際に人が笑っているようですが)見た目も性格も問題があって、おまけに仕事にも行かないとあっては政略結婚の為の縁談が来ようはずもありません。
しかもこの人は引っ込み思案ですから自分から女性に恋文を送ることもできないようです。きっと顔を笑われただけで、恋をする気も失せてしまう人なのでしょう。
その兵部少輔に少将は目を付けました。どんなに引っ込み思案な人間でも年頃の男性なら周りが当たり前のように結婚しているのですから、妻が欲しくない訳はありません。結婚の約束はしたがその気がないから譲ると、兵部少輔に悪知恵のいい訳まで言い添えて持ちかけました。
困ったことに兵部少輔も自分が笑われることには敏感になっていても、相手の姫の気持ちを思いやるほどの考えはないようです。少将の言葉にあっさりと乗ってしまっています。
デリケートで、人に容姿を笑われ続けている気の毒な人ではありますが、我がままで無神経なところもあるようです。どうやら少将はそれを分かっていて彼を利用しているようです。
まったく立ちの悪い悪知恵ですが少将はそれを決行します。兵部少輔もこれ幸いと話に乗ってしまっています。これでは四の姫は気の毒としか言いようがありません。
少将もその事に罪悪感はあるようです。けれど彼の心の中は北の方や中納言一家への恨みでいっぱいのようです。こうまで悪知恵の働く少将に恨まれてしまった中納言一家。少将の復讐劇は、まだ始まったばかりです。




