43.逆さまな縁談
二条の邸では灯りがともされ、少将は横になってくつろいだまま、「あこぎ」を呼びます。
「ここ何日かのこと、詳しく話して聞かせてくれ。ここにいる姫君は何も話してはくれないからね」
と少将がおっしゃるので、「あこぎ」は、姫が身に覚えのない罪で引っ立てられた所から、少将が姫を助けに来るまでの出来事を、事細かに説明しました。
少将は北の方のしたことを本当にみっともない事だと呆れかえります。
「この邸には侍女がまだ少ないので、どうも便利が悪い。「あこぎ」に侍女を集めてほしいのだ。父上の邸の人々にも来てくれないかと尋ねるつもりではあるが、見知った顔ばかりではどうも面白みがない。「あこぎ」はこの際、一人前の女房の長になってもらう。お前の心はもう十分にそれだけの資質があるのだから」と、横になったままですが少将は言って下さったので、
「そんな嬉しいことを言って下さるなんて……ありがとうございます」
と、「あこぎ」は心から喜びました。
夜が明けても少将はのんびりとした気分で、巳の時を過ぎ、午の時まで横になっていました。
そして昼頃、左大将邸に参上なさるので「帯刀」に、
「姫君の近くにいてくれ。すぐに帰るから」と言ってお出かけになられました。
「あこぎ」は早速、叔母の和泉の守の妻のもとに、手紙を送りました。
「急な事がありましたので、几帳等をお返しする御手紙の後、昨日今日と御連絡できませんでした。実は今日、明日の内に、美しそうな童や女房を集めていただきたいのです。そちらにも良い童がいたら、一人か二人、しばらくお貸し願いたいのです。理由は会ってお話しようと思います。ほんのちょっとでいいので、おこしになって下さい」
****
姫の救出は「あこぎ」にも幸せをもたらします。彼女の働きは自分の女主人の夫である少将におおいに認められ、女童からいっぺんに出世して、二条の邸の侍女の長、まとめ役を言いつかりました。しかも少将は彼女を信頼して、侍女集めを彼女に託します。自分の親元から引き抜いてくるよりも、「あこぎ」に任せた方が姫と相性のいい侍女を集められるだろうという気遣いなのでしょう。この邸は少将の母親の所有するものですが、少将としては姫君をこの邸の女主人とし、自分の妻としてきちんとした環境を整えるつもりのようです。
姫の境遇から仕方がないとはいえ、少将は本当に権門の子息で、自分に自信も持っている人のようです。
男君にとって婿取り婚の良いところは、若い婿君にとって結婚することによって自分の環境がどんどん有利になることです。もちろん、それを望んで良い家柄、権門の家柄の姫との結婚を皆望むのです。衣食住の全てを最上級にもてなしてもらい、特に内裏に参上する時の衣装や、必要品の準備を全て整えて貰えるのは、大きな魅力でした。
この当時の衣装はとても豪華ですから、ただの衣装ではなく、時には衣装その物が貨幣の代わりにまでなりました。もちろん平安時代にも銅銭という貨幣はあったんですが、まだまだ衣や、お米による代替え貨幣の価値も健在でした。きちんと『禄物価法』という法律もあり、公定価格も決められていたそうです。
中納言は年老いているとはいえ、それ相応に人間関係も持っていたのでしょう。でも人間関係や、口利きには中納言の年齢ではそろそろ苦しい物もありそうです。そこで特に内裏で必要な物や衣装の用意に力を入れたのです。その結果、良い衣装を縫う事が出来る姫の裁縫の腕は欠かせないものになり、婿君たちの機嫌を取るために、姫は寝る間もなくなるほど縫物の仕事をさせられていたのでした。
ところが少将は自分の結婚にそういうものを求めませんでした。彼は父親の左大将に勢いがあり、父親自身にまだ出世の目があります。そしてその左大将の自慢の長男が少将でした。少将自身も帝の覚えがよくて、何よりも若さと自信がありました。自分が人に好かれることをよく知っていて、他家との結婚に頼らずとも、父親の力と自分が帝のお気に入りである自信から、自力での出世に不安を感じていないのです。ですから他からのコネも世話もあてにせず、姫を自分の手元にかくまって、正式に妻にするつもりです。
はっきり言って当時の若い男君は無理に自立する必要なんてありません。周りが納得していればずっと妻の実家の世話になっていてもかまわないのです。妻の実家で妻の世話、子供の世話、自分の世話、果ては出世の世話まで焼いてもらえるんですから。
舅に首根っこを押さえられた生活は面倒ですから、頃良い当たりで自分の邸を構えますが、それをしない男君だっていたようです。少将のように恵まれた環境が揃っていて、自立心も備わった男君は珍しい存在でしょうね。
****
少将が左大将邸に行くと、あの、中納言の四の姫との縁談の仲立ちをしている侍女が出てきて、
「お聞きしたい事がございます。あの、御縁談のお話ですが、あちらは先日も『年が明けないうちに話しを進めておきたいと思うので、少将殿にお文をいただけるよう、頼んで欲しい』とおっしゃって、強くお願いされました」と言います。
これを聞いた少将の母上である、左大将の北の方は、
「向こう様からお文の催促とは、まるで逆さまのようですね。こうまでお願いされているのですから、聞き入れて差し上げてはいかがでしょう。四の姫に恥ずかしい思いをさせては気の毒です。あなたも今まで独身でいるというのも、そろそろ見苦しいことですし」と薦めます。
少将は、仲立ちの侍女に向かって、
「そんなに言うなら早く私を婿に取ればいいでしょう。文なら私が通ってから差し上げますよ。今時は文通などしなくても結婚してしまうと言いますから」
そう笑いながら立ってしまわれます。そして邸の自室に入るといつも使っている調度や厨子などを二条の邸に持っていかせ、それに姫君へのお文を書き添えます。
「今の間にも、どのようにお過ごしでしょうか。気にかかっています。内裏に参って、すぐに帰りますから。
唐衣きて見ることのうれしさを
包まば袖ぞほころびぬべき
(唐衣を『きて見る』時の嬉しさのように、あなたのもとに『来て見る』ことが嬉しい。袖で包んでも『ほころぶ』ように、私の笑顔も『ほころぶ』ようです)
今日は気恥ずかしいくらいの気持ちです」
姫からの御返事は、
「ここには、
憂きことを嘆きしほどに唐衣
袖は朽ちにき何に包まむ
(辛いことを嘆くうちに、私の唐衣の袖は朽ちてしまいました。私の嬉しさは一体何に包んだらよいのでしょう)」
とあったので、少将はそれは愛おしく思われました。その姫君には「帯刀」が心をこめて、とても細やかにお世話をしていました。
「あこぎ」が書いた手紙の返事も、叔母のもとから届きます。
「何があったのか分からないので、心配で昨日、文を届けに人をやったのですが、『すさまじいことをしでかした揚句、逃げて行った』と言われ、もう少しのところで使いの者まで殴られそうになったので、かろうじて逃げて来たという事でした。どうなさったのだろうと嘆いておりましたが、御無事と知って嬉しく思っています。お願いにあった童や女房は、今、色々聞いて探しているところです。私の所にははかばかしい者はおりませんが、和泉の守の従妹でこの邸に住んでいる方ならば、相応しいかと思います」
と、書かれていました。
****
出来るだけ大臣や帝に覚えの良い、お気に入りの人物に近づければ、当時は出世が望めました。朝廷と言う世界はとにかく人間関係が大きくものをいい、時の帝や権力者のお気に入りになることが、貴族たちの目標だったようです。いきなり高い人に近づけないにしても、少しでも良い要職についている人と縁戚になれば、帝のお気に入りの人の、さらにお気に入りの縁者として、位を高める事が出来たのです。その人間関係がさらに権力を高めてくれる。権力と威厳を競うのが貴族の世界ですから、良い家との結婚は、出世を大きく左右します。
男君は当然自分の出世の為に結婚相手を選びますし、姫君だって家の為に結婚相手を選びます。貴族の結婚は政略結婚以外は考えられないのです。普通は。
当然中納言家でもそういう結婚相手を姫君に求めました。それも何にも知らずに少将に求めてしまったのです。中納言が少将を望んだ理由は、彼が帝のお気に入りであること。今、勢いのある家の子息だという事。どうやら他の姫君とまだ結婚していないらしいという事だと思います。
なぜ未婚がいいのかと言うと、純情そうだから……ではもちろんなくて、他にライバルの姫と比べられずに済むからです。婿とりの通い婚と言う事は、どんなに丁寧に婿君の御世話をしようとも、婿君が通う気をなくせば成立しません。そうなったら離婚するしかないのです。
それに他の婿殿達への体裁もありました。「帯刀」と姫に関係があったと北の方がでっち上げた時、家来と相婿はみっともないという話が出ましたね。相婿と言うのはその家の姉妹の姫の婿君のことで、この存在は重要視されたようです。
結婚が自分の世話と、財力と、人間関係の為にある訳ですから、婿同士の人間関係も大きく左右します。出来るだけ自分に有利な、立派な人と相婿になった方が得なのです。
なんだか当時の貴族の男性は他力本願な人ばかりですが、そういう時代です。荘園制度が確立され貴族社会が安定すると、権力は全て中央の朝廷が握ります。中央が権力を掌握しなければ封建制度は成り立ちません。しかしそれは朝廷に利権の駆け引きをもたらしました。当時の政治はそういうことを上手くかいくぐり、出世をする事こそが重要でした。
現実的な政治を陰陽道の占いに頼ったりする時代です。遣唐使が廃止されたため外交の必要もないので、役人の仕事は現状を維持することと、速やかに朝廷へ納税させることに終始しました。朝廷の大臣たちの政治は今のようなものではなく、出世をし、利権を手に入れることその物が政治的目的になっていたようです。現実的な政務による実力が必要ないため、人間関係が物を言うようになったのです。その、人のつながりに貴族たちは縁故関係などを求め、複数の縁故を結ぶ母系社会が成り立って行ったようです。
貴族にとって結婚は政治そのものだったんですね。恋人や愛人と、妻の座は大きく違って行ったのも、こういう事情があったからでしょう。姫を一時の恋人や、ただの愛人にしない少将が、貴族としてはかなりの型破りであると理解していただけたかと思います。
中納言は出世頭で他の婿達も引き立ててもらえそうな少将を、何としても婿に欲しているようです。本来なら男性から手紙を送って始めるべき交際を、自分の方から「文が欲しい」と迫っています。まさになりふり構わずと言った感じです。
そんな中納言側に少将は、思わせぶりな言葉を残して笑って席を立ちました。どうやら何か思う所がありそうです。
その一方で少将は幸せをかみしめているようです。いつでも姫に会えると思うだけで、ほころんだ顔を隠しようもなくなってしまうと手紙を書きながら、反面、なんだか気恥しくなってしまうと照れています。
姫は今までの辛さから解放されて、包み隠す袖さえなくなったと喜んでいます。もう、涙をぬぐう袖は必要なくなったと言っているんです。そんな姫を愛おしく思う少将。
読んでいるこっちが照れてしまうような、仲睦まじさですね。




