42.消えた「落窪の君」
中納言の邸では、中納言達一行が祭り見物を終えて帰ってきました。車から降りて寝殿の中を見てみると様子がおかしいことに気が付きます。
良く見ると「落窪姫」を閉じ込めておいたはずの物置部屋の戸が倒され、放りだされています。さらに打ち立てが壊され、そのあたりに散らかされていました。
誰もかれもが驚いて何事が起ったのかと慌てふためいています。しかも寝殿には人っ子一人いないのです。それはもう、あきれたようにビックリして、
「これは一体、何事が起ったのか」
と、邸中で声を響き渡らせながら罵り騒ぎます。
「この邸はまるでなっとらん。まともに留守番出来る者はいないのか。こんな邸の奥の寝殿の、私達が眠るようなところの中にまで入り込まれて、打ち立てを叩き割られ、戸を引き放されたりしておきながら、誰も咎めようともしなかったとは」と、腹立ち紛れに中納言が言います。
「一体だれが留守番をしていたのだ」さらに叱りながらそう聞いています。
北の方はと言えば、ものを言う気力も失せて、はなはだ忌々しいことこの上ありません。
これは間違いなく「あこぎ」の仕業だと思い、「あこぎ」の姿を求めて探し回りますが、どこにもいるはずなどありませんでした。
思いついて落窪の間を開けてみると、そこにあった几帳や屏風と言った調度品が一つもありません。
「これはやはり、「あこぎ」と言う盗人のような童が、こういう、人が居なくなった時を見計らって、しでかしたに決まっている。あの時さっさと追い出そうと思ったものを、三の姫が『使いいい』なんて言ったばかりに、とうとうこんな事になったじゃないか」
と、三の姫にあたり散らします。
「あっちはたいしてあなたに心使いもなく、あなたへの思いも薄かったというのに、無理に使うものだから」北の方はさらに三の姫をひどく叱りました。
中納言は留守番役の男を一人探しだして尋ねると、
「まったく分かりません。ただ、とても美しい下簾をかけた網代車が、皆さまがお出かけになった後にすぐ入ってきて、またすぐに出て行きました」
と男は答えました。それを聞いた中納言は、
「きっとそれに違いあるまい。女がこんな風に物を叩き壊せるはずがない。男の仕業だろう。どこの男がこうも我が邸を白昼堂々入り込んで、こんなことをしていったのだ」
と我も忘れるほどに憎らしく思いますが、もう、どうしようもないのでした。
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やはり中納言の邸では、「落窪の君」の逃走は大騒ぎになっています。あの北の方はどれほど怒り狂うのかと思ったら、あまりの事態に怒る前に呆然自失してしまって、声も上げられないありさまでした。完全に安心しきっていたのでしょう。それでも真っ先に「あこぎ」の事が頭に浮かんだのですから、その悔しさったらないでしょうね。
さすがに北の方も、それなりに大きな自分の邸……中納言の位は従の三位ですから、最低でも二千二百坪(6600平方メートル)以上のの広さで、今ならちょっとした工場や、中型店舗くらいの広さのある邸を、白昼堂々その一番奥にある邸の主の寝起きをする場所に入り込んで、戸や、その回りを壊す狼藉を働かれるとは、思いもしなかったのでしょう。邸の奥方で外に出る機会も少ない彼女にとっては、この世のどこよりも安全だと思っている場所が、こんな事になるなんて、天地がひっくり返った気持ちだったと思います。中納言が怒るのも当然でしょう。
しかも、これも北の方らしく「あこぎ」が関わっているのなら「もしかして」と思ったのでしょう。慌てて落窪の間に行ってみると、そこには「落窪姫」の母親から譲り受けた私物が全て無くなっているのです。
「あこぎ」は姫救出の計画実行が決まってから、人に知られない様に何事か準備をしていたようですが、きっとこの事だったんですね。以前、屏風から始まって何から何まで北の方に取られたと言っていましたが、どうやら北の方は落窪の間を封鎖してからは、姫から取り上げた品々の保管庫のようにこの部屋を使っていたようです。良いものばかりですからとっておきの時の為に、ここにしまっておいたんでしょう。
邸を飛び出す時は櫛箱一つを引き下げて出て行っているのですから、「あこぎ」はおそらく事前に二条の邸を整えに行く「帯刀」と連絡を取って、ここの姫様の品々を邸中が祭りの支度で大騒ぎをしているうちに、二条の邸に運ばせておいたんですね。
彼女は律儀ですからおそらく叔母からの借り物も、叔母のもとに返したことでしょう。そして姫様のものは無断ですが、きっちりと返してもらったんでしょうね。
短い時間で物凄い手際と要領の良さです。やっぱり彼女は敵に回すと怖い人です。
北の方は「あこぎ」を盗人呼ばわりしていますが、彼女が律儀で中納言の物にまで手を出そうと考えなかった事に感謝してもいいくらいですね。
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北の方は「あこぎ」が置いていった手紙に気が付きます。それを読むと典薬助は「落窪の君」とまだ『寝て』いなかったことを知り、悔しがって典薬助を呼びつけます。
「こんなありさまで「落窪の君」は逃げてしまった。お前に預けた甲斐もないじゃないか。こんな風に逃がしてしまって、「落窪の君」と近い関係になってはいなかったのか」と聞きます。
「そこに置かれた文を見れば分かるんだよ」と、カンカンです。典薬助は、
「それは無茶なことをおっしゃる。姫君の胸を患っていた夜は、それはひどくお苦しみで、姫君に近づくことも出来ませんじゃった。「あこぎ」も付き添っていて、『忌日ですから今夜は何もせずにいて下さい』と姫君もおっしゃったんじゃ。それはもうひどくお苦しみじゃったから、わしもただ姫君の横に寄り添っておったのじゃ」
典薬助は自分が悪いのではないし、預けられた大事な姫君に相応の態度を見せたのだと言わんばかりに釈明しました。そして、
「次の日の夜は、今度こそどうあってもと思っておったのじゃが、あの部屋に行って戸を開けようとすると、内側から鎖を差してあって、どうしても開けてはもらえなかったので、板の上で立ったり座ったりして開けようとするうちに、風邪をひいて腹がゴロゴロと鳴りだしたのを一度、二度は聞き流し、なお、執念深く開けようとするうちに、何ともしまりのないことが起ってしもうて、大慌てで急ぎその場を下がって袴の中に出てしまった物を洗っている間に、夜が明けてしもうたのじゃ。この翁のせいではございません」
と、堂々としゃべっているものですから、北の方は腹を立て、叱りながらも笑わずにはいられません。まして聞き耳を立てて聞いている、若い女房達は死にそうなくらいひっくり返って笑い転げています。北の方はたまらず、
「もういい、もういい。あっちに引っ込みなさい。まったく頼みがいのない、忌々しいことだ。他の人に預ければよかった」と言うものだから、典薬助は怒ってしまい、
「無理な事を言う。心の方は、どうしても、どうしてもと思ったのじゃが、老いと言うのはどうしようもないもので、粗相もしやすく、思わず『ひりかけ』てしまったのは仕方のないことじゃ。この翁じゃからこそ、それでも、開けよう、開けようとしたのじゃよ」
と腹を立てながら言って、立ち去っていくので、余計人々は死にそうに笑っていました。それを見ていた三郎君は、
「全て母上が悪いんだよ。なんであんなに優しくて綺麗な姫君を、物置部屋なんかに閉じ込めたの。しかもあんな馬鹿みたいな人と結婚させようとするなんて。姫君はどんなに辛く思ったんだろう。姉姫達も多いし、僕も大きくなれば大人の世の中に出るようになるから、姫君とどこかで偶然会ったりして、身分がよくなったあの姫君と言葉を交わす事もあるかもしれないよ。そしたら困るじゃないか」
と、ませた口調で北の方にお説教をします。北の方は面白くなく、
「あんな奴、どこへ行こうとも良いことなんかある訳がない。何処で出会おうが私の子供たちに何ができるって言うんだい」と言い返します。
北の方は三人の男君を生んでいて、太郎君(長男)は越前守で任国に下っていて、次郎君(次男)は法師になっており、三男の君がこの三郎君なのでした。
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ここは作者の豊かな表現力が満載のシーンです。北の方はすっかり頭に血が上ったらしく、周りに若い女房や、幼い三の君がいる事など忘れてしまって、ヒステリックにわめき散らしたようです。「近い関係になっていない」「文を見れば分かる」と、かなりきわどいことを大声で言ったのでしょう。皆興味シンシンで、典薬助とのやり取りに注目したようです。
その典薬助も自分に落ち度はないと言いたかったのか、情けなくも滑稽な自分の様子を、事細かに説明し、それを聞いた若い女房達は、それこそ「箸が転がってもおかしい年頃」の娘たちなのでしょう。腹を抱えるどころか『死に返り笑ふ』ありさま。叱っている当の北の方でさえ、笑いを止める事が出来ません。老いた老人が雅男を気取ってみっともないざまで閉めだされ、それでも戸を開けようとして、ついには粗相をするというのは、それほどまでに面白い出来事だったようです。
でも、この典薬助はふしだらで有名だったのですから、もしかしたら若い女房達は、同じ邸にいてこの老人から多少の嫌な目に、普段からあっていたのかもしれません。姫に迫った時のように北の方の身内で、薬師であることをいい事に厭らしいまねをしようとして、若い女房達に嫌われていたのかもしれません。
そんな嫌な、気持ち悪い老人がこっぴどい、みっともない目にあったんです。普段の恨みも込めて、皆、おおいに笑ったのかもしれません。北の方がやり込められたことにも、内心せいせいしているのかもしれません。聞き耳を立て、好奇の目で見ている女房達の様子に、やはりこの邸に使われている人達は主達にいい感情を持ってはいないと分かります。今までの話の流れから余計な説明がなくてもそういう雰囲気が分かるようになっているのです。
そうまで笑われているのに、典薬助はそれには気に止めす、怒った勢いで遠回りないい方をかなぐり捨てて『ひりかけ』とはっきり口にし、「この翁じゃからこそ」と自慢げにしゃべっているのです。おそらくその場は、意地の悪い大爆笑に包まれていたでしょう。こういうところで特別大げさにせず、かえって写実的に細かく表現して読者を笑わせるのがこの作者の得意とする所のようです。絶妙としか言いようがありません。
しかも作者はこの北の方に追い打ちをかけるのに、幼い三の君に、ませた言葉でお説教させています。この子の言っている事はまったくの正論ですから、北の方もそれは面白くはなかったでしょうね。




