41.救出
待ちに待った夜が明けました。「帯刀」は大急ぎで少将のもとに駆けつけます。少将も待ちわびていて、
「「あこぎ」は何と言っていた」と口を開いたとたんにお聞きになりました。
「はい、「あこぎ」が申しますには……」
「帯刀」は昨夜「あこぎ」から聞いた一部始終をお話して聞かせます。少将は典薬助の事を「見苦しく、腹ただしい奴だ」と思いながら聞き、そんな事になっているのなら姫君はどれほどお心を痛めている事かと考えるだけでも心配する心は募るばかりです。少将は「帯刀」に命じます。
「親の暮らすこの邸で住む事はしばらくないな。私は母が持っている、人のいない二条の邸に住もう。行って、格子を上げさせろ。姫君が住まうにふさわしく、掃除を行きとどかせておけ」
やっとこの時が来ました。命じられた「帯刀」も喜びに心を躍らせます。もちろん「あこぎ」も、人に知られない様にしながらも期待に満ちて、何かにせかされるように準備を整えていました。
午の時になると、車二台に三の姫、四の姫、北の方などが乗って、お出かけになろうと大騒ぎになります。その騒ぎに紛れて北の方は典薬助の所に人をやって、
「ああ、危ない危ない。私がいない間に、誰があの戸の鍵を勝手に開けるか分かったもんじゃない」
そう言って鍵を典薬助から取り返し、自分で持って車に乗り込んでしまいましたので、「あこぎ」は、本当ににくったらしく思ってしまいます。
中納言も自分の自慢の婿を祭りの舞人として出す事が出来たので、大変光栄で、自分もぜひその姿が見たいと、お出かけになりました。
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昨夜「あこぎ」と「帯刀」が吹きだした典薬助の顛末も、今の少将にはただ腹立たしいばかりのようです。笑うどころか、自分が誰よりも本気で想いを寄せた姫君に、そんな老人が手を出そうとしたことが許せない思いしかないようです。そして何より、そんな事があったにもかかわらず、今でもとらわれの身である姫が、心配でならないのでしょう。
そして、やはり少将は姫を助けるための準備を整えてあったようですね。しかもその後に姫をかくまう場所の用意もあるようです。自分の母親が所有している、空いている邸を使う許可を取り付けてあったんです。お邸の奥様はこんな風に自分の邸を別宅のように持っていたんですね。おそらくは親から受け継いだ邸を、普段は夫の邸にいるので使わずに、何かの折にだけ使っているのでしょう。羨ましい限りです。
とにかく準備は整い、北の方も、中納言も無事に出かけました。いよいよ救出劇の始まりです。
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邸の人たちが皆、大騒ぎしながらガヤガヤと出かけてしまうと、「あこぎ」は早速少将の所に人が出払った事を告げる使いを走らせます。
少将もいつになく心を逸らせて、いつも使っているような華やかな御車では無く、用意させていた見知らぬ車に、朽葉色の下簾を掛けさせ女車のように装い、大勢の男のお伴をお連れになって出かけられます。「帯刀」が馬で先導しながら中納言邸におこしになりました。
中納言の邸は、祭りの為に婿君、蔵人の少将のお供、中納言や北の方のお供と、三つに男のお伴の人々を分けて連れて行ってしまったので、誰も残ってはいません。人の気配のない門の前にしばらく立っていた「帯刀」は、頃合いを見計らって隠れて邸の中に入ります。人の気配のない中、「あこぎ」を見つけ出すと、
「少将様が御車で来ている。車はどこに寄せたらいいんだ」
と聞くので、邸の一番奥だけど、今は人もいないことだし、姫を助け出しやすいところにしようと、
「寝殿の廂に寄せればいいわ」
と言って、邸のもっとも奥まった所にある寝殿の、さらに奥の北の廂に車を引きいれます。するとようやくこの邸の男が一人出てきて、
「誰の車だ。邸の人が皆出払っているというのに」と、咎めますが少将のお供が、
「怪しい車ではない。女房方が参上なさったのだ」
と言って堂々と車を寄せるので、男も車が女車なので特に不審にも思わず、去っていってしまいます。その祭りに行かなかった女房達も邸の主達がいないので、皆自分の部屋に下がってくつろいで、寝殿には誰もいません。「あこぎ」は、
「少将様。早く車から降りて下さい」と言って、姫のいる部屋に案内します。
少将は急いで車から降りると、全力で姫のいる物置部屋へと走ります。ついに部屋の前にたどり着きますが、戸には鎖が差されていました。
「こんなところに姫君は閉じ込められているのか」
そんな思いで部屋の戸を見ると、少将は万感胸に迫ります。早く戸を開けようと鎖をひねりますが、戸は全く動きません。
「惟成!」
少将は「帯刀」を呼んで、二人がかりで打ち立て(遣戸が外れない様に押さえる部分)を打ち壊し、強引に戸を開け放します。
戸が開くと、「帯刀」は部屋から離れました。姫の姿を見る事は失礼ですし、ようやくの二人の対面です。自分が邪魔をしない様に気を使ったのです。
姫は部屋の中でとてもいじらしい姿で座っています。その可憐な様に少将はたまらない気持で姫を抱きしめます。そして姫を抱き上げたまま、共に車に乗り込みました。
「「あこぎ」、一緒に乗るんだ。早く」
と少将はおっしゃいますが、「あこぎ」はこのまま出て行く気はありません。何もせずに出て行っては北の方は姫と典薬助の間に、男女の関係があったと思いこんだままになってしまうのです。「あこぎ」はそんな事は我慢できませんでした。
そこで典薬助がよこした手紙を二回巻いて、北の方のすぐ目につく所に置くと、姫の櫛箱も手に引き下げて車に乗り込みました。
みんな無事に事をやり遂げて、すっかり晴れやかな気持ちで車に乗っています。車は飛ぶように邸から飛び出し、誰もが本当に良かったと喜んでいます。邸の門さえ出てしまえば、頼りがいのありそうな沢山の男のお供に守られて、なんの問題もなく、車は二条の邸に着きました。
二条の邸は自分にとやかく言うような親さえもいないので、少将は何の気兼ねもいらないと思い、姫を車から降ろすとごろりと横になります。そしてここ何日かの互いの事や色々な思いを語り合い、二人で泣いたり笑ったりしています。
あの、典薬助の『ひりかけ』の話になると、少将は大笑いしました。
「それはご不幸な懸想人ですね。北の方はどれほど情けなく思われるだろう」
そんな事をのんびりと言いながら横になっていました。
「帯刀」も「あこぎ」と添い寝して、今はもう、なんの心配事もなくなった事を喜びあっています。そして日が暮れると少将様と姫君のお食事の用意などして、まるで自分が邸の主になったかのようにいそいそと振舞っていました。
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姫、無事に助け出されて、少将の母親の邸に到着しました。二組の夫婦とも嬉しそうです。
少将は準備万端で、万一の為に屈強そうな男性のお伴まで用意していたんですね。幸いそこまで必要ないようでしたが。もし留守番役にそれなりの男達が出てきても、抵抗する気も起きなくなるような布陣で臨んでいたのかもしれません。
それにしても「あこぎ」は姫のいる部屋の戸を固める時、相当がっちりと固めきってしまったようです。もう、普通の方法では開けようのない状態にまでなってしまったんですね。
少将もぐずぐずしていられなくて、「帯刀」と二人掛かりで「面倒だ」とばかりに、遣戸どころかおそらく建物の一部を丸ごと叩き壊してしまったようです。遣り戸の構造や、ここに出て来る「打ち立て」がどのようなものか分からないので、正確には言えませんが、若い男二人で戸があかず、壊した方が早いと判断したのですから、相当固かったのでしょう。
でも、さすがは帝を守る「右近衛少将」と、東宮を守る「帯刀」の二人。腕力ありますね。素手で戸を壊してこじ開けてしまうんですから。まったく身動きの取れなかったこれまでのイライラを、晴らす目的もあったかもしれません。
力持ちの「帯刀」ですが、細やかさも忘れていません。姫と少将の感動の対面の邪魔をしない心遣いまで見せています。今度のことで一番ほっとしたのは彼かもしれませんね。
そして「あこぎ」は、ただ姫を助け出すだけでは終わりません。あの、典薬助の後朝の文を目につく所に残し、二人の大切な愛の言葉を交わし合った手紙の入った櫛箱を、忘れずに持って出ました。こんな時でも冷静なあこぎです。
無事に二条の邸について、少将もようやく余裕と本来の明るさを取り戻したようです。「帯刀」から聞いた時は、怒りと不快感と心配で、どこまで耳に入っていたか分からなかった『ひりかけ』の話に、大笑いをしています。それだけ姫が無事に自分の手元に来たことが、嬉しかったんでしょう。「帯刀」も、まるで自分の邸のように立ち振舞っているようですし、全員が心から喜んでいるのがよく分かります。
特に二人の男性のはしゃぎぶりが、可愛らしいですね。




