4.「あこぎ」の結婚
「あこぎ」は三の姫の女童になっても「落窪姫」の事が心配で、姫の部屋に暇さえあれば顔を出していました。でも、北の方はそれが気に入らず「あこぎ」に腹を立て文句を言うので、二人は落ち着いて話をする事も出来ません。さらに北の方は「後見」のままでは都合が悪いと、名前も「あこぎ」と変えてしまいました。
そのうちに三の君の婿の「蔵人少将」に仕えている「帯刀」という目の付けどころがありそうな家来が「あこぎ」の事を見染めて、うまく手紙を届けました。
「あこぎ」の方でも「帯刀」を気に入って、二人は文通をするようになり、やがて無事に結ばれました。
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「あこぎ」が三の姫に仕えたのは成人して間もなくの事でしょうから「帯刀」が言い寄ったのはその直後だったと思われます。
幼少の時から髪や容姿が美しいと言われ、北の方が目をつけて自分の姫に仕えさせるほどの美少女です。成人直後は輝くばかりに魅力的な娘だったのでしょう。
献身的な性格は普段から優しさとなって表れ、それも彼女の魅力となっていた事でしょう。
「帯刀」がさっそく言い寄ったのも無理はありません。それでも邸の奥にいる姫付きの女房の「あこぎ」に手紙を届けるのは大変だったはず。様々な工夫を経て手紙を届けた事でしょう。
「帯刀」も若いながらも家来として一目置かれる様な、仕事のできる男性だったようです。
当時の大勢の人が働く邸で人づてで手紙を届けるという事は、決して容易なことではありません。「あこぎ」も若い家来が邸内の人々に様々なコネを作って自分に手紙を届ける大変さは分かっています。
手紙をくれた相手が若く、手際が良く、人に信用される自信にあふれた魅力的な男性で、すぐに好もしく思った事でしょう。この頃の恋愛は殆んど文通にかかっていますから、文通がうまくいけばしめたもの。とんとん拍子で二人は結ばれたのでしょう。
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二人は結ばれて後、一層仲睦まじくなり、「帯刀」は「あこぎ」が与えられている部屋に通い、頻繁に泊るようになります。
そして何事も隠しだてすることなく、寄り添って横になりながら、おしゃべりに興じるようになりました。楽しい新婚時代の始まりです。
そんな、寝る前のひと時の夫婦の会話の中で「あこぎ」は、姫の辛い境遇や、優しい性格、容姿の美しさはこの邸のどの姫にも劣らない事などを夫に話して聞かせます。
「あこぎ」は泣きながら、
「なんとかして姫が望むような方に姫を差し上げて、このお邸からこっそり連れ出していただきたいわ」と言い、明けても暮れても、
「あんなに素晴らしい、お美しい方なのに」と言ったり、思ったりするのです。
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「あこぎ」は姫想いの頭のいい少女なので、ただ話をしているのではなくて、心の優しい同情心を持った夫が、姫を今の境遇から救い出してくれる人の、アテを探してくれるんじゃないかと思っていたのです。
この頃は男性が女性の所に通う「通い婚」の時代でした。夫は妻の家に通い、妻は自分の家で夫の世話を焼きます。
でも「あこぎ」はこの邸に勤めに出ていますから「帯刀」は「あこぎ」が邸の中にあてがわれている部屋に通いました。だから実家で暮らしている娘とは違い、夫をもてなす事もそれほどには出来なかったはずです。一日の仕事を互いに終えて、独り住まいだった自分の寝室に「帯刀」を通して、寄り添い、互いの今日の労をねぎらいながら新婚の会話を楽しむ。そんなささやかな新婚生活だったことでしょう。
「帯刀」の方もそれを承知で「あこぎ」の部屋に通ったのでしょう。ごく普通の庶民は、こんなささやかな恋愛の中で、小さな幸せを育んでいた事が分かります。今の共働きの若い夫婦とそんなに変わりはありませんね。
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「あこぎ」があてにした通り「帯刀」は自分の母親が乳母を務め、お育てした「右近の少将」に「落窪姫」の話をしました。
少将はまだ決まった北の方もおいでにならず、親のある美しい姫の事を人から聞いては、これはと思う所に足を運ぶという事を繰り返しておいででした。
少将は「落窪の姫君」に関心をお持ちになり、
「ああ、その姫君はどれほどの辛い思いをなさっていることだろう。そんな扱いを受けてはいるけれど姫君は尊い血を引いていらっしゃるんだな」
と、思いを巡らせていらっしゃいました。
「よし、私をその人にこっそり逢わせてくれ」
「右近の少将」は早速そう言いますが、
「姫君は今は結婚の事など考えてはいられないご様子なので、近々少将様が逢いたがっているとお伝えします。いずれ、また」と「帯刀」は言葉を濁します。しかし少将は、
「とにかくいいから、ただその人の所に案内してくれればいいんだよ。中納言達とは離れた所に住んでいるんだし」と、すっかりその気になってしまっています。
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当時は身分のある人の赤ん坊は母親の乳ではなく、乳母の乳で育てられたのですが、乳が出るのは子を産んだ女性ですから、当然乳母には赤ん坊がいます。その赤ん坊は、貴人の赤ん坊と同じ乳で育つので乳兄弟と呼ばれ、実の兄弟を守るように貴人のお子様を守り、従うように育てられます。ですから普通の家臣よりも関係の濃い、友情を持った主従関係が生まれます。「帯刀」にとって「右近の少将」はそういう親しい貴人なのです。ですから「あこぎ」に聞いた姫の話を信頼できる「右近の少将」に聞かせたのでしょう。
「逢う」とは「逢瀬」の事で、当時の結婚は三日通えば認められる事実婚ですから、周りの目の届かない一人きりの姫のもとに行って、何事もなく済むわけはありません。
「あこぎ」は姫への思い入れが強いことが一緒にいる「帯刀」には良く分かっています。でも、少将様の様子ではちょっと変わった事情の姫に、自分のいい所を見せてみたい。そういう事情の人では期待はできないが、血筋がいいならそんなにレベルが低いってこともないだろう。
そんな雰囲気を感じ取れるのです。
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「帯刀」は困ってしまいました。うかつなことをしては新妻の「あこぎ」に嫌われそうです。
「帯刀」は「右近の少将」の言葉を「あこぎ」に伝えましたが、
「そんなの無理よ。今、姫様は結婚の事などお考えにもなっていないでしょう。それに少将様って、大変な色好だって言うじゃない。危なっかしくて姫様のおそばに近づけられないわ」と、「あこぎ」は突っぱねます。
「そんな言い方、ないだろう」
「帯刀」は恨めしそうな顔をしています。彼だって姫の事を思って努力したのです。そこは分かっているので「あこぎ」も申し訳なく思い、
「わかったわ。そのうちにおりを見てお伝えして、姫様のご様子をうかがいましょう」
と言っておきました。
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「あこぎ」もこの時、きっと、チャンス到来! と思ったことでしょう。これまで姫を助けてくれる身寄りも、アテにできる人もいなかったのに、出世頭でどの家でも婿に取りたがっている青年貴公子が、姫に関心を持ってくれたのです。
でも、ここからが肝心。ホイホイと色よい返事をして立場の弱い姫を軽く見られて遊びの相手で終わらせられてはたまりません。こういう事はお付きの女房の腕の見せ所なのです。
姫にお話しするときは、なんとか姫にその気になって頂くつもりでも、そんな様子を「帯刀」に見せて少将様に勘づかれては困ると思い、わざとそっけないそぶりを見せたのです。