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35.三郎君

「あこぎ」は「何とかして姫様にお食事を差し上げたい。どれだけご気分が悪いことだろう」


 と思い、考えを巡らせて強飯こわいい(米を蒸したもの)を手紙にうまく隠して姫に渡せるように用意しました。でも、どうお渡しすればいいのか分からないので、姫が琴をお教えしていた三郎君と言う中納言の一番小さなお子様に、


「あの「落窪の君」がこんな風に閉じ込められて、どう思われますか。お可哀そうだと思いませんか」と聞くと三郎君も、


「思わないはず、ないよ」と答えます。


「それなら誰にも様子を知られない様に、このお手紙を姫様に渡して下さい」

 

 と言うと三郎君は、


「うん、分かった」


 と言って手紙を受け取ります。そして物置部屋の前に来ると、


「ここを開けて、開けて。どうしてもだよ。どうしても」と駄々をこねます。


 北の方は三郎君をきつく叱って、


「何をしたくてここを開けたいって言うんだい」と聞くと、


くつをここに置いてあるんだ。取りたいよう」


 と言いながら戸を叩き、ごとごと音を立てて騒ぎます。


 中納言はこの末っ子の三郎君をそれは可愛がっているので、どうしても甘くなってしまい、


「沓を履いて得意顔で歩き回りたいのだろう。早く開けておやり」


 といいますが北の方はさらに叱って、


「今はだめです。あとで開けたついでの時にしなさい」といいます。


 すると三郎君は調子に乗って、


「こんな扉、僕が壊してやる」


 と腹を立てながら騒ぐので、中納言は自分で戸を開けて三郎君を入れてやりました。

 三郎君は沓も取らずにひざをついて屈み、姫に手紙をサッと渡します。


「変だな。ないや」


 そういって三郎君が部屋から出たので、北の方は、


「まったく、ろくでもない事ばかりする」

 

 と三郎君を走って追いかけると、叩いて懲らしめます。


 姫はその手紙を隙間から入った日の光で見ると、「あこぎ」が色々な事を書いてくれていて、その紙には強飯が目立たない様に包んでありました。姫はとても嬉しかったのですが、食欲はなく、それはそのまま下に置かれました。


 ****


 姫の大変な時ですけど、この三郎君。可愛らしいですね。やんちゃで腕白坊主で、でも心根が優しくて素直。とてもあの北の方が生んだ子とは思えないくらいです。

 可愛らしく駄々をこねるのですから、まだ幼児なのでしょうか? 中納言は耳が遠くなるほどの高齢と言う事になっていますから、我が子と言えど孫……ひょっとすると曾孫のような感覚で可愛がっているのかもしれません。それは甘くもなるでしょう。


 この小さな男の子も姫の味方のようです。言葉少なでも、きっぱりと姫に同情をしています。大人の方が間違っている事を、感覚的に分かっているのですね。

 普段から優しい姫に琴を教わって、懐いていたのでしょう。小さな男の子が大きな琴を懸命に弾く姿は、想像するだけでも可愛らしいものがあります。


 女性だけでなく、男性も楽器が演奏できることは重宝な事でした。内裏では帝の前で演奏する機会も少なくはなかったのです。本格的にそれぞれの家で、技術が継承されていったようで、その家特有の技術、秘術等が伝えられ、その家の誉れともなったようです。

 少将も「管弦の宴」があるにもかかわらず、笛を忘れて姫に送ってほしいと頼んでいました。こういう宴が内裏の中では頻繁に行われて、良い演奏が出来る事は人の注目を集め、人間関係を円滑にしてくれたようです。貴族と言うのは文化の継承者でもあったんですね。


 ですから北の方も姫の琴の腕前を見込んで、幼い三郎君に琴を教えるように命じたのです。本当なら姫の血筋のみに伝えられるべき技術でしょうが、北の方にそういう遠慮がある訳がありませんね。

 おかげで姫には小さな味方が出来ていました。当然、母親に叱られることも、叩かれることも分かってはいたんでしょうが、姫への純粋な同情心が勝ったようです。


 そうまでして届けられた食事なのですから、姫には食べてもらいたかったんですけど、どうしても姫は食欲がないようです。

 気持ちの問題だけでなく窓さえない部屋で、今のような密封容器のない時代の、おそらく瓶や何かに「お酢」や「どぶろく」や、「干し魚」と言った匂いのきついものがずらりと並んだ中では、息をして、吐き気を堪えるだけで精一杯で食べて飲み込むような気には、とてもなれなかったんでしょう。本当に姫はひどいところに閉じ込められたものです。


 ****


 北の方もさすがに、


「日に一度は物を食べさせよう。縫物をさせるのに殺すわけにはいかない」


と思い、典薬助を人目のない時に呼ぶと、


「あなたと「落窪の君」を結婚させる事にします。「落窪の君」は「帯刀」と関係を持って、ほとぼりを冷ますために閉じ込めてありますので、あなたもそのつもりでいて下さい」


 と言ったので、典薬助はそれはそれは嬉しい、最高だと思い、口を耳まで裂けんばかりにニヤついています。


「夜になったら「落窪の君」のいる部屋に行きなさい」


 と、典薬助に姫と契らせる約束をしていると、人が来たので典薬助はそこから出て行きました。


「あこぎ」のもとには少将からの手紙が届きました。


「どうなっていますか。姫君の部屋の戸は開くのだろうかと、気になって仕方ない。やはり、機会があったら知らせてほしい。なんとかして私の手紙を姫に、必ず必ず渡してほしい。返事をもらう事が出来れば、少しは私の気も慰められるから。姫君の事を想うと、可哀想でならないのだ」と書かれており、姫への手紙には、


「 いのちだにあらばと頼む逢ふことを

    絶えぬといふぞいと心憂き


(命さえあれば逢う事が出来ると信じているのに、肝心のあなたが命が絶えそうだと言っているのが悲しいのです)


 私の大切な姫君。気を強く持って下さい。私もそこに一緒に閉じ込められてしまいたい」


 と書かれていました。


「帯刀」からも「あこぎ」に手紙が来て、


「俺のせいでこんな目に遭われている姫君と、それをご心配している少将様のお気持ちを考えると、本当に気分も悪く、伏せっているよ。俺が手紙さえ落とさなければと思うと、決まりも悪くお気の毒で、いっそ法師にでもなっちまいたい気分だ」と弱音を吐いています。


「あこぎ」は少将様には、


「お手紙をいただき、恐縮です。けれど、どうやって少将様を姫様とお逢わせ出来ましょうか。部屋の戸は、いまだに開かないのです。さらに状況は難しくなっています。少将様からのお手紙さえ、どうやってご覧いただけばいいのか分からないのです。姫様からのお返事は、もしもいただけましたら、わたくしから御伝言させていただきます。とてもお手紙など書ける状況ではありませんので」


 とお返事を書きました。「帯刀」にも同じように状況が悪くなっている事を書いた手紙を送ります。

 

 この先の事は二巻目に書かれているようです。


 ****


 縫物の為に殺しはしないが、六十の老人と結婚させる。凄い発想をする人です、北の方は。

 いつまでたっても「ふしだら」だという典薬助はいやらしげな笑みを浮かべて喜んでいますが、用はしばらくの間姫の見張り役をさせたいのでしょう。でも、この老人にとってはこんないい話はありません。それこそ孫のような若い姫と、邸の実質的な支配者公認のもと「契らせてやる」と言われたんです。特別「ふしだら」でなくても、それは喜ぶでしょう。


 けれどさすがにこれを堂々と表沙汰にまでは出来ないようです。もちろん本来の主である中納言の許可は得ていませんし、「帯刀」とのことが許されないのなら、六位で老人の典薬助だって許されるはずはないのです。でも、この北の方は中納言を完全に言いくるめる自信があるのでしょう。それにこの人なら自分の伯父とはいえ、いざとなったら姫だけ閉じ込めたまま、典薬助を追い出す事に躊躇もなさそうです。


 高齢の老人が邸から追い出されれば、間違いなく生きてなどいけないはずですが、この典薬助もどこか抜けているのか、利用されて危ない橋を渡らされそうになっている事に気付かないようです。それとも若い姫と契れるのなら、冥土の土産になるとでも思っているのでしょうか。


「帯刀」はやはり手紙のことを気に病むあまり、体調を崩していたのですね。今となってはそれこそ熱でも出して寝込んでいるのではないでしょうか。

 あんなに「帯刀」に遠慮がない「あこぎ」も、この手紙の一件が起きてから一度も「帯刀」を責めていませんね。事の重大さのせいもあるのでしょうが、やはりこれは「帯刀」がそれほど苦しんでいるという事なのでしょう。「あこぎ」の部屋に来た時は、「あこぎ」も心配して「帯刀」の看病をしていました。彼の憔悴ぶりがうかがえます。


 慰めの言葉をかけるシーンはありませんけど、「あこぎ」は「帯刀」にまったく手紙の話は持ち出していません。本当に苦しんでいる「帯刀」への、せめてもの気遣いなんでしょう。この二人も今は事実上、引き裂かれているんですから。


 ところでここでこのお話は一巻が終わります。そこで最後に「続きは二巻で」と断り書きがあるんですが、これは続きを促すための当時の物語の習慣だったようです。

 いいところで切っておいて、続きは次でって手法。この頃から使われていたんですね。


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