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31.北の方のたくらみ

 少将は隠れていた几帳をグイッと押しやって、


「なんですか、あの少納言という人は。素敵な、感じの良い話し方をする人だな。器量も美しいしと思って見ていたのに、交野の少将の事を『艶っぽくて美しい』などと褒めるものだから、顔を見るのも嫌になりましたよ。あなたもお返事もできずに、隠れている私の方を気にかけて、上手くこの場を取り繕っていらっしゃいましたね。私がいなければ、さぞ、交野の少将が喜ぶような御返事をしていらしたことでしょう」と、姫にすねて捲し立てます。


「あの男が文など持ってこようものなら、私など、すぐに見限られてしまう。彼は妙に魅力がある癖のある男で、たった一行の文を送っただけで、狙った姫君を「はずす」という事がないんです。人の妻だった女性や、帝の妻だった方まで御自分の愛人にしているんです。だからいつまでも身が固まらないんだ」そんなことまで苦々しげにおっしゃっています。


「そんな御愛人たちの中でも、『私の物』などとおっしゃっているのですから、あなたの事もさぞかし大切に思われているんでしょうね」


 と、少将は大変愛想のない顔で、不愉快に思いながら皮肉を言いました。姫はそんな少将の姿がとても不思議で、返事もしないでいると、


「どうして何もおっしゃらないんですか。よい話だと思っている所に私が嫌がって話すものだから、お答えしにくく思っているんでしょう。都にいる女性で交野の少将を愛しく想わず、惑わされない人などいませんからね。まったく羨ましいものだ」


 と、ますます不愉快さが現れてしまいます。すると姫は、


「では、私は都の女性の数には入りませんね。女性らしくないのかもしれません。そんな気持ちになれないのですから」


 と、静かに答えます。少将は慌てて、


「い、いや、そんな事はない。あなたの女性らしさと御美しさなら、お血筋から言っても中宮(帝の正妃)様になられてもおかしくないですよ」


 とおっしゃいますが、そんな事は姫には想像もできないことなので、返事もせずに裁縫を続けています。けれどその手でさえも、とても白く、美しい手なのでした。


「あこぎ」は姫様のところに少納言が来ているのに安心して、具合の悪くなった「帯刀」を看病しようと、「少しの間だけ」と思って自分の部屋に下がっていました。


 姫は下襲したがさねは縫い終わったので、うえのきぬに折り目を付けるために、


「ここを引っ張ってもらわないと、上手く折り目が付けられないわ。どうしても「あこぎ」を起こさないと」といいますが、


「どれ、私が引っ張りましょう」と少将が言いました。


「そんな。殿方には見苦しいことでしょうに」


 と姫は断ろうとしますが、少将はかまわずに几帳を戸の方に寄せて起き上がり座り込むと、


「そうおっしゃらずに引っ張らせて下さい。私はなかなかの職人ですよ。まずはやらせてみてくださいよ」


 そう言って姫と向かい合わせになって生地を引っ張り、姫が折り目をつけやすいようにします。少将はいかにも慣れている風を装って気を使いすぎているので、かえって手つきが怪しくなってしまっています。それを見た姫はくすくすと笑いながら折り目をつけます。


「四の姫とのご結婚の事は、本当だったのですね」姫が少将に言いました。


「せっかくご結婚を許されているというのに、知らん顔なさっているなんて」


 少し非難めいた口調で姫はおっしゃりますが、少将は、


「ばかばかしい。交野の少将があなたを『私の物』となさった時には、私も堂々とこちらの婿になりますよ」と笑い飛ばします。


「それにしても夜もずいぶん更けました。まだ多く残っていますし、そろそろ寝ませんか」


 と、少将は言いますが、


「あと少しですわ。あなたは早く寝て下さい。私は縫い終えてしまいますから」


 と、姫は答えます。


「一人で起きているつもりですね」


 少将はそう言って寝るのをやめてしまいます。


 ****


 少将もやきもちの妬き方は可愛らしい物がありますね。突然子供のように少納言や交野の少将の事を捲し立てて、懸命に姫に訴えています。プレイボーイ時代なら、やきもちなんて女性に妬かせるもので、自分が妬くようなものではなかったでしょうに。

 こんなにあからさまにやきもちを妬かれたら、姫だってあきれておかしく思うしかありませんよね。必死に訴えながらも子供のようにすねていたんでしょう。姫はどれだけ少将を可愛らしく思ったことでしょう。


 もともと姫は口数が少ないですし、少将が捲し立てている間の姫の心の表現は『いと、あやし』(とてもふしぎ)としか書かれていません。この場面はひたすら少将が一人で捲し立てているんです。もちろん捲し立てるなんて言葉が出て来る訳じゃないんですが、印象はそんな感じなんです。私は「」三つに分けましたけど、本当は少将がずっと一人でしゃべりっぱなし。古文とはいえ声に出してみると、まさしく捲し立てています。


 でもなぜかこの場面、姫の表情を感じる事が出来ませんか? 子供が駄々でもこねるように懸命に訴える少将と、そんなあからさまな態度が意外過ぎて、あっけにとられる姫。少将の姿から姫の表情を感じ取ることが出来るんです。うまいなあって、感心する一場面です。

 そしてすねる少将に自分は女の数に入らないと姫が答えると、少将が慌てて姫の素晴らしさを伝えようとする。姫のほほ笑みと、少将の慌てふためく様子が目に見えるようです。


 そんな二人が仲良く裁縫の作業を一緒にしている。これはほほえましいとしか言いようがありません。少将の軽口もとても効果的。二人の時間がどんなに明るく、心穏やかに過ごしているか、手に取るように描かれています。

 もちろん良家の子息の少将が裁縫の手伝いなんてやったことがある訳がありません。当然手つきはおぼつかなくなります。そんな少将の様子に笑ってしまう姫。

 ここは『女君、笑ふ、笑ふ、折る』となっていて、いかにも姫がクスクスと笑い、少将を可愛らしく想いながら折り目を付けている感じが出ています。

 なんだか二人の間に流れる、温かい空気まで感じることが出来るような場面ですね。


 ところでここで、「帯刀」の具合が悪くなっています。これは本当に体調が悪いというより自分のしでかした失敗がショックな上、姫や少将に合わせる顔がなくてあこぎの部屋に籠っているんじゃないかと思ってます。「あこぎ」はそんな「帯刀」を慰めているんじゃないでしょうか? この後「帯刀」はこのくらいで寝込んでいたら、身が持たないほどのショックを受ける事になるんですが……。


 ****


 そのうちに北の方が姫が縫物を終えずに寝てしまってはいないかと、心配で落窪の間に様子を見に来ました。部屋の中はまるで寝静まっているように静かなので、以前に使ったちょうど覗くのに都合のいい隙間から中を覗いてみますが、いるはずの少納言の姿が見当りません。こちらに几帳が立てられてはいますが、横の方からさらによく見ると落窪の君がこちらに背を向け、布に折り目をつけていますが、彼女と向かい合って布を引っ張っている男の姿が見えました。


 眠いと思っていた目もいっぺんに覚め、驚きながら見てみると、美しい白いうちきに山吹色のこれもまた美しい掻練かいねりの大変艶やかな物を一襲ひとかさね着て、さらに女性の「」のように何かの衣を腰の下にかけています。その姿がが明るい灯火の光に照らされて、見とれてしまうほど大変美しくて、素晴らしく魅力的です。普段、またとない人と思って世話をしている蔵人少将よりも立派で美しい人なので、北の方は動揺を隠せません。


「落窪の君」に男が通っている気配はあったが、大した男ではないだろうと思っていた北の方でしたが、この男の様子はただ者ではありません。しかもこんなに仲よさげに寄り添って、女の仕事を手伝うとは並みの愛情ではないのでしょう。とても厄介な事になった。このままでは姫の境遇がよくなって、自分の思うように出来なくなってしまう。そんな事を考えると縫物の心配も忘れて忌々しくなり、しばらくそこに立ちつくしてしまいます。すると見知らぬ男は、


「私もなれない事をして疲れてしまいました。あなたも眠そうですね。やはり今夜は縫い物はもうやめにして寝てしまいましょう。北の方にはいつも通りに腹を立てさせておけばいい」


 などと口にしています。「落窪の君」は、


「でも、北の方が腹を立てていらっしゃる所を見るのが、辛いんですもの」


 そう言ってさらに縫い続けます。すると男は不満そうに、火を扇であおいで消してしまいました。


「なんて事をなさるの。まだ片付けてもいないのに」と姫はとても困ってしまいます。


「なあに。几帳に引っ掛けておけばいいんですよ」


 と、自分で手づから布を丸めて几帳にかけると、「落窪の君」を抱いて寝てしまいました。


 北の方は二人の話を聞いてしまい、大変腹ただしく思いました。


「『いつも通り腹を立てさせて』とは、以前に私が腹を立てたのを聞いていたのだろうか。それとも「落窪の君」が話したのだろうか。どっちにしても腹の立つことだ」


 そう思いながら北の方は自分の居所に戻って横になりましたが、あれこれと考えてしまい気が晴れません。やはり中納言殿に知らせようかとも思いましたが、


「いや。あの男は見た目も美しいし、以前に見た直衣のうしも立派なものだった。身分の良い人なら中納言殿が表沙汰にして、あの男を婿に迎えるというかもしれない」


 そう考えると危なくて知らせられません。


「ここはやはり、「帯刀」と逢っていたという事にしよう。「落窪の君」をあんな所に放っておいたのがいけなかった。こうなれば物置部屋に閉じ込めてしまおう。何としても『腹を立てさせて』などと言わせるものか」と、まさに腹を立てながら考えを巡らせます。


「閉じ込めてさえしまえば、どうせ男も「落窪の君」の事など忘れてしまうだろう。そうだ。私の伯父のこの邸に部屋を借りている、貧しい典薬助てんやくのすけ(医者)がいる。あれは六十ばかりにもなるのにまだ、ふしだらなままだ。あれを「落窪の君」にまとわりつかせておこう」


 と、一晩中考えて夜を明かしていました。


 そんな事とは知らない少将は、姫としみじみと心の内を語りあうと、夜が明けたので帰っていきました。


 ****


 とうとう少将が北の方に見つかってしまいました。油断したというより、もう少将が大胆になっていたんでしょうね。

 そもそも少将は姫との結婚を公表するつもりでいました。見つかったら見つかったで堂々と中納言に自分の事を認めさせればいいんです。彼にはそれだけの自信があります。何と言っても中納言は四の姫の婿君に彼を迎えたがっているんですから。


 ところが彼には誤算がありました。北の方がどういう人なのか、彼はあまりよく分かっていなかったようです。北の方のしている事は継子いじめの範囲を超えて、虐待も同然です。少将が知った北の方の姫にたいする態度なんて、ほんの一握りの事だったんです。

 北の方の姫にたいする態度は冷たいというようなものではないでしょう。これは深い憎しみを感じさせます。私が北の方が「落窪姫」に辛く当たるのは彼女の母親への根深い嫉妬からという解釈に、深くうなずくのはそういう部分です。


 普通に継子が目ざわりだというなら姫を落窪の間に追いやって、自分の子供と差別化を図れば満足できるはずです。姫の結婚も邸に残って婿の世話をするのならともかく、姫自身が出て行くのならむしろ厄介払いになるはずです。

 ところが北の方は姫を卑下し、こき使い、お下がりや古着さえ着せずに虐待します。女童の「後見」までも引き離し、精神的にも彼女を追い詰めます。そして邸中の人間に彼女を貶めるように命じる……。これは普通の継子いじめとは呼べないでしょう。


 こうまで彼女を貶めるのは、彼女と彼女の母親の身分への嫉妬からというのはとても納得がいきます。北の方がどんなにこの邸で君臨しようとも、それは所詮この邸の中での話。一歩外に出れば上流貴族とは言え、身分の上では皇女やその娘には敵う事はありません。中納言が若ければまだ、この先大納言や大臣の地位を目指して父親の力で娘たちの入内をもくろむ事も出来ましたが、中納言はすでに高齢です。はっきり言って今の地位も保つのがやっとでしょう。


 しかし「落窪姫」は中納言がその気になれば、帝に入内させることも可能な身分。しかも自分の姫より容姿も美しい。今でこそ邸に君臨しているとはいえ、姫の実母が生きていた時は、夫婦仲はともかく皇族出の人を軽々しく扱う事も出来ず、中納言も彼女を表面的には北の方として扱っていたに違いありません。


 この時代の封建社会は歪みが生じています。前もお話したとおり母系社会の法則が律令制という絶対身分制度を凌駕してしまっています。世間は母系社会を支持しているのです。

 そして北の方は中納言に最も愛された女性なのでしょう。きつい人ではありますがしっかりした人でもありますから、夫を立てるよりも引っ張ってくれる人との相性がよければ、北の方のような人と気も合った事でしょう。世間が認める母系社会でなら、彼女は文句なく中納言の「一の女人ひと」です。


 ところが身分ばかりはどうする事も出来ないのが律令制度。特に姫たちの結婚は「落窪姫」がきちんと世話を受けたら逆立ちしても敵いません。それどころか同じ中納言の姫として、母親の身分の低さを世間に見比べられるばかりです。これは北の方個人としても、姫たちの母親としても、耐えがたいものがあったのかもしれません。北の方の「落窪姫」への恨みは、ゆがんだ社会への憎悪。封建制度への憎悪。そして皇族として生まれた姫の母親への嫉妬心が含まれているのでしょう。姫はそれを一身に受けてしまったのです。


 恨みの深さが普通の理由ではないだけに、彼女は何処までも残酷になれるようです。姫をさらに監禁し、それだけでは飽き足らずにこの時代では普通の寿命の倍近くにもなる老人で、しかも「ふしだら」な男を姫にまとわりつかせる事を思い立ちます。男性を知ったばかりの姫だからこそ、この仕打ちが一番堪える事を分かっていての計略です。北の方は姫の事になると完全に恨みの鬼となって、人間らしさを失ってしまうようです。


「落窪姫」はどうなってしまうのでしょうか?


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