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30.四の姫との縁談と、交野の少将

 北の方は多くの縫物の仕事をさせるには、姫一人では手が足りずに終わらないのではないか。それに叱られて腹を立てているかもしれない。これでは本当に間に合わないかもしれない。そう考えて、少納言という美しい姿の女房を呼ぶと、


「落窪の君と一緒に縫物をしてきなさい」と命じました。


 少納言は落窪の間にやってくると、


「どれを縫ったらいいのでしょうか。なぜ、お休みになったままなのですか。北の方があれほど『遅くて困る』と気をもんでらっしゃるのに」と聞きます。


「気分が悪くて……その縫いかけた物はあなたが縫って下さい」


 と姫が言うので少納言は手元に引き寄せ、縫い始めます。けれどしばらくして、


「あの、やはり少しでもご気分がよろしかったら、起きてください。ここのひだの縫い方が分からないので」というので、姫は、


「少し、待って下さい。お教えしましょう」

 と言ってかろうじて起き上がるとひざをついて、几帳から出てきます。


 少将は灯台の火の光で少納言の姿を見てみると、


「ここにはこんな美しい侍女もいたのか」と思って眺めています。


 少納言が姫君の方を見ると、その頬は涙の後で濡れて光っています。お可哀そうに思えて、


「こんな事を申し上げると口がうまいと思われるかもしれませんが、申し上げなければ、こういう思いを持っている事を、お知らせする事も出来ませんので、言葉にさせていただきます」


 そう姫に声をかけました。


「私も、勤めと割り切り仕方なくお仕えしているお方よりも、ここ何年もの間あなた様の御気立てを見ておりますから、あなた様の方にお仕えしたいと思ってはいるのですが、人の目が鬱陶しいこともあって慎まざるを得ません。人に知られない様にお仕えしたいと思っても、それもなかなかできずにいるのです」


 といいました。それを聞いて姫は嬉しそうに、


「御身内の方々でさえも、そのような優しい御心の様子には見えませんのに、あなたはわたくしが嬉しく思える事をおっしゃって下さるのね」とお答えします。


「本当におかしなことでございます。継母の北の方があなたを疎むのは仕方のない事かも知れませんが、御姉妹の方々まで自らお声をかけても下さらないなんて、大変気に入りませんわ。こんなに美しいあなた様をお一人にして寂しい思いをさせておいでだなんて。あちらは今度は四の姫様が婿君様をお迎えする仕度をなさっているんです。北の方の御心のままに、年上のあなた様を差し置いて、四の姫様のご結婚を先にしようとしているんですよ」


 少納言は憤慨している口調になります。姫は少納言に聞きました。


「めでたいことですわ。御婿君はどちらの方ですか」


「左大将殿の御子息の右近の少将と聞いております。『御器量もよく、すぐにも出世するだろう』と、人々に褒められている方です。帝の憶えもめでたい方のようですし、まだ決まった妻の方もいらっしゃらないご様子なんです。婿君としてお迎えするにはとてもよい方なので中納言様も『ぜひうちに御迎えしたい』と常に言っていらっしゃって、北の方がお話のつてを得るのに急がれたそうです。四の姫の乳母があちらの邸に勤めている人を御存じだったので、盛んにひそひそと話しあわれて、手紙を送ったそうです」


 姫は少将からこの話を聞いていたので、ついついほほ笑んでしまい、


「それで、どうなったのですか」と話の続きを促します。


 その姿は少納言の目から見ても優しい頬笑みの口元や、目元が火の灯りに映えて、匂うような気品ある美しさでした。


 ****


 姫にはちゃんと味方がいたんですね。おそらく使用人の大半は姫を気の毒に思い、何かお幸せになれるチャンスがあればと、心の中では思っているのでしょう。ただみんな自分の生活があるでしょうからね。邸を出て、次の勤め先がなければ本当に悲惨な時代ですから。


 それにしても姫の少将への信頼は、すでに厚い物があるようです。四の姫との結婚話がある事を少将自身が語っていて、そのために自分たちの仲を公表する覚悟がある。自分のところに来てほしいと真摯に告げられたことで、姫は少将に絶対の信頼を寄せているのでしょう。たとえ少将が他の姫君と結婚しようとも、自分への愛情が途絶えることはないと信じているようです。始まって間もない恋の強さを感じさせます。


 もしかすると、少将が姫との結婚が本当に初めてであったことから来る、自信なのかもしれませんね。決して一時の気まぐれではない、他の誰と比べられても自分への愛情は保たれるに違いないという自信。これまで「あこぎ」以外からは自分を肯定された事がない姫だけに、初めて向けられた愛情への信頼は自分が愛される資格があると悟っただけではなく、自分が人を深く愛せる喜びも目覚めさせたことでしょう。


 こういう時女性は強いものです。誰かより多く愛されたいとか、強く愛されたいというような競うようなことは必要ありません。競い合う強さは、時として負ける弱さにつながります。しかし捨て身の強さはどんなにわずかな愛でも得られれば十分満足できるので、負ける弱さがありません。その時その場の愛が全てで、そのために自分の全てをかける覚悟があります。今の姫にはその時その時の少将からの愛が信じるに値するもので、少将を愛する心が自分を支える全てなのでしょう。


 それだけに明日引き裂かれるかもしれない、という恐怖も強いと思いますが、同時に今少将の愛を受ける一瞬一瞬が、彼女にとって大事な時間。彼女がどれほど全力で少将を愛しているかがほの見えます。その輝きが少納言に彼女を美しく見せているのでしょう。几帳の影で聞いている少将としては、気が気ではないでしょうけど。


 この「少納言」という呼び名ですが、これは男性の役職名とは少し違います。例えばあの「枕草子」を書いた清少納言は、宮中勤めをする時にこの名を名のる事になったはずですが、彼女の身内に過去に宮中勤めをした人がいて、その人が「少納言」と呼ばれていたので、彼女の父親、歌人の清原元輔きよはらのもとすけの性の一文字と「少納言」を合わせて、「清少納言」になったと言われています。(ただし、歴史的に証明される資料は見つかっていません)


 このように女性の呼び名は役職だけでなく、身内にゆかりの呼び名や、親の呼ばれ方など、何らかのつながりなどから呼ばれることも多いので、色々なお邸に沢山の「少納言」さんがいたのです。少しややこしいですけど、名前で呼び合う事がない文化ですから仕方ありませんね。


 ****


「少将様はなんとおっしゃっているのですか」と姫は尋ねますが、


「存じません。『よい話だ』とでもおっしゃったのでしょう。内々に仕度なさっているようですから」


 これを聞いた少将は、「嘘だ!」


 と、叫びたくなりましたが、思い直して我慢し、伏せたままでいます。少納言は、


「婿君が増えるとなると、あなた様の仕事が増えて、御身体がお辛い事になるでしょう。よい御話があるのでしたら、早くご結婚なさいませんか」と聞きますが姫は、


「なぜ、私のような見苦しい人が結婚など考えられるのでしょう」とお答えになります。


「どうしてそんなおかしなことをおっしゃるのです。御心も御姿も、こちらで大事になされている姫君達の方が、かえって」そこまで言いかけてしまい、少納言は言葉を濁しました。そして、


「あの、世の中でこの方に勝る人はいないと噂されている、弁の少将を御存じでしょうか。世間の方は交野かたのの少将とお呼びしているようですが。その方の御邸で私の従妹の少将と呼ばれている人が勤めております。御邸の局を訊ねましたところ、交野の少将様も私がここの御邸に勤めていると知って、色々心遣いをして下さいました。御姿の優雅なご様子などは、本当に他にはない御美しさに御見受けしました」


 少納言はその時の事を思い出したのか、うっとりとしています。


「交野の少将様は


『中納言殿には姫君が多くいると聞くが、どんな方がたか』


 とお聞きになって、大君おおきみ(一の姫)をはじめに、詳しくお聞きになりますので一人づつお答えしていたのですが、あなた様の事をお話ししましたら大変に御同情なさって、


『その方こそ私の思うような、理想の姫君だ。必ずこの文を渡して下さい』


 とおっしゃるので、


『中納言殿には沢山の姫君がいらっしゃる中でその姫君は母君がいらっしゃらない事を心細く思われて、御結婚の事など御考えになっていないと思うのですが』といいますと、


『その、御母上のいらっしゃらないところが、御気の毒ながらもいじらしく、心惹かれるのです。私のところにはそういう華やかな暮らしで育てられていない、けれども物の情緒という物を分かっている、美しい姫君に来ていただきたいのです。そんな方がいたら唐土や新羅にまで探しに行きたい。私のところにいる方々で、こちらにいる御息所みやすどころ(帝の妃だった人)を別にすれば父母が揃っている人などいません。そんな思うようにならない生活をなさっているより、私の物としてここで大切にさせていただきたい』


と、それは熱心に夜が更けるまで御話しなさるのです。その後も、


『あの事はどうなりました。文を差し上げてもよいか』と聞いていらっしゃるのですが、


『よい機会がないので。そのうちご覧にいれられる時がありましたら』

 

 と、申し上げておいたのです」


 姫がなにも言わないので、そのうち少納言の部屋から使いの人が訊ねて来て、


「急用でございます」と声をかけます。少納言が出てみると、


「御客様が来ています。とにかくおいで下さい。御話ししたい事があるそうです」


 と使いの人が言うので、


「ちょっと待って、姫君様にお断りするから」と、戻ってくると、


「お相手をしようと思っていたのですが『急用』とのことで人が来ておりますので。御話ししたい事の残りもまだ沢山ございます。交野の少将の艶っぽくて美しいご様子なども、また詳しく御話ししましょう」と、名残惜しそうにしています。そして心配そうに、


「北の方には、私が下がってしまった事は申し上げないでくださいませ。驚いて、相当お叱りになると思いますので。また来られそうになったら、御伺いします」


 といって、自分の部屋に下がっていきました。


 ****


 うろたえる少将に追い打ちをかけるように、少納言が持ってきた話は少将と四の姫の縁談が進んでいる話しだけではありませんでした。何と彼女は姫への交野の少将との縁談まで持ち込んできました。それも話しぶりを見ると、彼女自身が交野の少将に多少の思い入れがあるようです。本当なら自分にそんな話があればいいのにというくらいの気持ちなのかもしれません。

 彼女の身分では交野の少将には相手なされることはないので、姫を紹介して、自分と姫を重ね合わせて憧れを夢見たいとも思っているのでしょうし、交野の少将に少しでも好印象を持ってもらいたいと思っているのでしょう。


 このシーンは当時の縁談の紹介がどのように行われていたのかがよく分かります。自分の邸にいる侍女の中に、噂を聞いて目星を付けた邸に知人がいるか調べて、いるとなればその侍女を通して、いなければ信頼できる社交上手な侍女につてを作らせ、邸にいる姫の詳細を聞きだすのでしょう。もちろんその時に親の方も自分を歓迎しそうか、自分の後ろ盾にどのくらいなれそうか、外からは見えにくい実際の邸の事情や人間関係などを、それなりに調べることも怠らなかったことでしょう。


 そして仲介役の侍女たちを通じて姫の親や乳母の意向を探り、自分を売り込んでおきます。

 父親に許可をもらい、手紙を出しても差し使えなさそうだと分かると初めて手紙を送り、文通してもらえるかどうか訊ねる事が出来たようです。

 確かにこれは姫君に手紙を読んでもらうまでは大変そうですね。

 本人や使っている侍女には、相手の邸の主人に信頼されている人間へのコネを作る能力が欠かせないでしょう。現実的には本人同士より、乳母や侍女同士の駆け引きが大きくものを言いそうです。


 少納言の従妹の「少将」。彼女も少納言と同じように勤め先での呼び名を「少将」というのでしょう。もちろん、いろんなお邸に「少将」さんがいるわけです。おそらくは混乱しない様に、「どこそこの少納言」「誰それに仕える少将」等と呼ばれたのでしょう。今でも女性は「誰誰の奥さん」「どこそこの娘さん」と呼ばれますから、千年経ってもこういう習慣は途絶えることがないんですね。


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