3.不幸な姫と、一途な「あこぎ」
このお話はこんな風に始まります。
今では昔の事になってしまいましたが、中納言で、娘をたくさん持受けている方がいらっしゃいました。その姫方は、大君(長女)と中の君(二女)は婿君を迎えていらっしゃって、それぞれ、西の対、東の対の離れに、華やかに住まわせていらっしゃいました。
さらに三の姫、四の姫に裳着の式(女性の成人式)をおさせしようと言って、この上なく大切にしていらっしゃいました。
中納言にはその他に、今はお亡くなりになりましたが、昔時々通っていらした方で尊いお血筋の方がお産みになった、姫君がおいでになりました。
中納言の北の方には、この姫君がいる事が快く思われず、この方を中納言の姫君とは認めず、寝殿から離れた所にある、間口が二間の床が一段落ちくぼんだ間に住まわせていらっしゃいました。
その方は「姫君」とも呼ばれず、「御方」などとはまして呼ばれるはずもなく、それでも侍女の名を付けたのでは中納言殿がご不快だろうと憚って、「落窪の君」と侍女たちにも呼ばせていました。
この家の主人で、姫の父親の中納言は北の方のいいなりで、まったく姫をかばってはくれません。ここで使われている他の人たちも、北の方を恐れて姫を「落窪の君」と呼んで、彼女には近寄らないようにしていました。父親である中納言もこの姫には幼い時から可愛がることもなく、冷たい態度のままでした。 しかもこの邸の中は北の方の思うがままでしたので、姫にとっては辛いことばかり多くありました。
姫にはお世話してくれるはかばかしい人もおらず、乳母もいません。ただ、お母上の御存命の頃から使っている、女童が大変気の利く子で、「後見」と名付けられていました。この子は姫の境遇に同情して、姫の傍を片時も離れずにお仕えしていました。本当はこの姫はこの邸のどの姫君よりもお美しく、他の方に劣っていないのですが、人並みに世間に出してもらえないので誰も姫の事をご存じないのでした。
姫もだんだん自分の境遇について知るようになると、世の中の辛さが心にしみて、歌などを詠んで嘆かれます。
「 日に添へてうさのみまさる世の中に
心づくしの身をいかにせむ
(日が経つにつれ世の中の悲しみが募っていくのに、心をすり減らすばかりのこの身をどうしたらいいのでしょう)」
と言って、この世の悲しさを感じているのでした。
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この物語の主人公は「落窪姫」です。「おちくぼ」とは、一段落ちくぼんだ粗末な部屋で姫が暮らしている事に由来する名前です。
継子の姫を快く思わないこの家の北の方(正妻)が、彼女を姫として認めないばかりではなく、古く粗末な物を着せ、そういう部屋の中に押し込めてしまったのです。
この姫に仕える魅力的な脇役「あこぎ」。初めは「あこぎ」という名ではなく、「後見」という名前の女童として登場します。
女童というのは姫君や女主人に付き添って、お世話をしたり、心を慰めたりする少女たちで、女主人の近いところで共に過ごしています。
「後見」は「落窪姫」の幼い時に亡くなった母親が生きていた時からずっと姫に使えていました。ですから姫の事は幼馴染の様にも、姉妹のようにも思い、献身的にお世話をし、姫のもとから片時も離れる事はありませんでした。
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姫は何事にも聡明で、琴なども誰かお教えする方がいて下されば、大変御上手に弾く事が出来るに違いないのですが、誰もそういう方はいません。それでもとても器用な方なので、姫が六つか七つの時に母君が習わせた筝の琴を大変上手にお弾きになります。この琴に北の方の息子の三郎君が興味を覚えたので、北の方が「この子に習わせよ」とおっしゃり、時々お教えになっています。
閉じ込められた姫は、なんの教養も受けさせてはもらえないので、手慰みに裁縫をするようになります。すると本来は物覚えがいいのか、ひねり縫いなどもとても上手になさるようになり、裁縫の技術はどんどん上達していきました。それに目を付けた北の方は、
「とても上手に縫うわね。顔が美しくない人はこういう事ができるようになるといいものです」
と言って、姫を「お針子」のようにこき使いました。自分の娘が結婚する度に、その婿君の衣装の仕立てを次々姫にいいつけます。姫が「忙しくなったわ」と思ったのはほんのわずかの間で、その後は寝る間もないほど忙しく縫物をこなさなければならなくなりました。ちょっとでも遅くなろうものなら北の方は、
「このくらいの事も嫌々やっているようで、なんの仕事ができると言うのか」
とお責めになるので、姫はこの世から消え失せてしまいたいと嘆きます。
三の姫の裳着がすむと、すぐに蔵人の少将を婿にお迎えし、とても大切にお世話をします。おかげで「落窪の君」はこれまで以上に忙しくなりました。
このお邸には美しい侍女は多くても、こういう仕事をする下女などは少なく、縫物を一日中している姫を周りの人まで軽く見ているようです。
姫はその事がとても辛くて、涙ながらに縫物をしながら、
「 世の中にいかであらじと思へども
かなわぬものは憂き身なりけり
(こんな世の中、生きていたくないと思ってはいても、この身は思うに任せないものだわ)」
と、心の中で詠んでいました。
姫の傍に従えていた「後見」ですが、長い髪をしたとても可愛らしい少女なので、三の姫の所にいつも呼び出され、「後見」はとても不本意で悲しく思っています。
「私は姫様にお仕えしたくて親しい人から『迎える』と言われても断っておりますのに。どんな理由であれ、私は姫様以外にお仕えしたくありません」
と言って泣きました。けれど姫は
「そんな事は言わないで。同じ邸にいるのだから、どなたに仕えても一緒です。私といては着るものにも事欠いてしまいます。あなたが良い物を着て幸せそうにしてくれるのなら、わたくしもうれしいわ」とおっしゃいます。
確かに三の姫は「後見」をとても大切に使ってくれました。けれどそれが「後見」には辛そうに暮らしていらっしゃる姫様に、申し訳ない想いに駆られることとなって、いつも姫の部屋に入り浸ってしまいます。
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どうやらこの北の方は、相当怖い女性だったようですね。邸の中では誰ひとり彼女に頭の上がる人はいなかったのでしょう。まさに、女主として君臨していた様子がうかがえます。
北の方の出自については記載が無いのですが、これを基とした小説では彼女は決して高いとは言えない身分で、皇族出身の姫の母親への嫉妬から、姫を妬んでいたという設定があります。「落窪姫」をこの家の人間として認めず、隠すように閉じ込めてさげすむ。案外、身分差からの嫉妬説は的を得ているように感じます。妻の数が多く、身分に差があり、寿命も今ほど長くなかった当時は、こんなケースが結構多かったんでしょう。
さて、「後見」と言う少女は献身的なだけではなく容姿も美しい少女で、長い髪を持っていました。当時女性の髪が長い事は美人の絶対条件でした。「後見」という彼女の幼名もおそらくこの髪の長く美しい後姿からつけられていると思われます。
けれども「後見」の見栄えの良さに目を付けた北の方は、彼女を自分の娘の三の姫に仕えさせてしまいます。「後見」という幼名のままでは都合が悪いという事で、名も「あこぎ」と改められます。
でも、姫を姉妹のように思って献身をささげて来た「あこぎ」にとって、これは悲しい仕打ちでした。彼女は「落窪姫」から引き離されたくなかったのです。
実は「あこぎ」には可愛がってくれている良い親せきがいて、彼女が勤めを辞めたら養女として迎えようと言ってくれていました。
けれども彼女は寂しく辛い身の上の姫を一人、だれも味方のいない邸に残す事など出来ずに、断り続けていたのです。
姫は心の優しい人です。でも、離れたくないという「あこぎ」を守る強さはありません。お姫様とはそういうものなのです。そして、そういうお姫様を懸命に守る一途な心を持った女房が、理想の女房とされていたのです。
姫の不幸は閉じ込められて世話を焼いてもらえず、針仕事をさせられている事ばかりではありません。
中納言家の他の姫君達は、成人すると皆、「裳着の式」と言う成人式をしてもらっています。
「裳着」とは裳と言う上着の上から身につける、後ろに長く引きずる布を身につけるようになることで、これは女性が大人である証しでもあり、正式な場で目上の人にかしこまった態度を示す、正装には欠かせないものでした。つまり「この姫はお披露目ができる、結婚可能な女性になりました」と言う、証しの儀式だったのです。
儀式の時にはさらに「髪上げ」と言って、髪をまとめて髪飾りをつけました。
けれど落窪姫はこの儀式をしてもらえません。つまり世間に「ここにこういう姫がいて、結婚出来る年頃になりました」と言うお披露目をしてもらえないということです。当時はこのお披露目が無ければ、普通の結婚は絶望的と言ってもいい状態になってしまいました。
閉じ込められ、外に自分と言う人間がいることを知らされず、結婚もできない。未来を閉ざされたまま、こき使われ叱られ続ける。
落窪姫の不幸はそういう所にあるのです。