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29.落窪の名

 陽が落ちて暗くなってしまったので、姫は「あこぎ」に格子を下ろさせ、灯台に火を灯させます。姫は何とか縫い上げてしまわないとと思っていますが、少将が姫を離してくれません。そのうちに北の方が


 「縫物をさぼらずにしているだろうか」

 

 と、こっそり姫の部屋に行ってみます。部屋を覗くと縫物はちらかされたまま放ってあり、火は灯っているのに、人影がありません。また几帳の中で寝ているのかと思うと大変腹立だしくなって、


「中納言殿。この、落窪の君は心に可愛げと言う物がありません。とても面倒見切れない。こちらに来て言ってやって下さい。こんなにも急いでいるというのに、どこの几帳かは知りませんが見た事もない物まで持ち込んで立てて、仕事もせずに中で寝てばかりいるのです」


 と訴えますが、中納言はとても年老いているので耳が遠く、


「もっと近くで話してくれ」というので、北の方は中納言のいる奥の部屋に戻り、その声も遠くなっていきます。後の方は何を言っているのか聞こえなくなりました。


「落窪の君?」少将は聞いたことのない名前に、首をかしげます。


「誰の名前ですか。落窪とは」


 と姫君に聞きますが、姫は自分がこんな呼ばれ方をしていると知られたくないので、


「さあ……」とだけ答えるしかありません。


「人に付けるには随分とおかしな名前ですね。『へこんでいる』だなんて。人に言われたら気がふさぎそうな名前だ。輝きを感じませんよ」


 少将はまさかこれが姫の呼び名とは思わずに、名前の主に同情します。


「北の方がひどく責め立てていたから、よほど性格が悪いのかな」


 少将は深く考えることもなく、そんな事を言いながら横になっていました。姫の心の中はいたたまれなくてたまりません。


 ****


 少将、知らないとはいえ姫の前で言いたいだけ言ってしまいましたね。こんな屈辱的な名前、どんな人だっていい気分はするはずがないのだから余計なことを言わなければよかったんですが。口は災いのもととはよく言ったものです。知りもしない人の噂話などしない方がいいのでしょうけれど、少将は本当に軽い気持ちで姫との話のタネにしようと思ったようです。人の性格を非難している場合じゃありませんね。


 この邸の主で姫の父親の中納言は、相当年老いた老人のようです。北の方の事ですからもちろん中納言に聞こえるように声を張り上げたとは思うのですが、その声は耳の遠くなった中納言には聞こえません。邸の事も北の方に任せきりのようですし、どおりで若い少将があまり尊敬の念を見せない訳です。


 中納言というのは位では従三位で、大変に高い地位です。貴族の地位が上から一位から十位まである事は以前に説明しましたが、実はこの三位から上というのは、ことさら高い地位を誇っていました。この地位にいる人たちは実質国を握っているような人たちです。帝は別格で、すでに人の位と比べる物ではありません。帝はまさしく帝王ですから神も同然です。その血を継ぐ皇族の方々も別格扱いでした。しかし三位から上の人々も「雲の上人」などと呼ばれ、上流貴族としてあがめられました。


 こういう三位より上を目指すのが、六位より上の貴族たちです。良家の出身者は大抵六位以上です。少将の身分もここに入ります。大臣の子にいたっては、元服を済ませた時点ですでに四位の地位が約束されていたようです。「源氏物語」では、源氏の子「夕霧」が六位で元服させられた事を恥じていました。内裏での殿上を許されるのは五位から上です。六位というのは上流の貴族としては、最低限の位だったのでしょう。私達が貴族と聞いてイメージするような豪華な生活を送っていたのは、この六位以上の人達です。その下になると生活は庶民的なものになります。


 例えば住居。都の十万、二十万とも言われる人々の内のほとんどを占める大衆は、以前も書いたとおり竪穴式の住居でした。調理も晴れた日は外のたき火で行いました。その生活様式は弥生時代とたいして変わりはなかったようです。教育を受ける機会もないので識字率も低かったことでしょう。


 一万二千人ほどの庶民的な下流、中流の貴族は、ようやく「家」と呼ぶにふさわしい住居で暮らしていました。一応貴族社会の一員なので、教育も受けますし、文化的な生活もします。歌も詠めば物語も楽しみ、文字も書きます。男性は皆役人です。それでも六位以下の役人は千百坪の邸が持てるまでがせいぜいでした。「あこぎ」や「帯刀」はこの身分に入ります。


 三位以上になると邸の面積が最低でも二千二百坪はあったそうで、正二位以上になれば四千四百坪という広大な邸が基準だったそうです。ただし六位より上の人は三百人程度でした。貴族らしい暮らしをしている人なんて、ごくごく僅かな人だけだったんですね。


 ちなみに姫の母親は皇族の出身だったのですから、本当なら彼女の地位は高いものです。ただこの時代は母親が夫にどれだけ愛されているかで、子供の立場が変わりました。身分が厳しい律令制の封建制度にもかかわらず、入り婿による母系社会の法則の方がそれを上回っていたのです。ですから身分がどんなに高く、本人によい素養や教養があっても、家を背負った女性が出世の見込める貴人に愛されなければ、家門はすたれる一方だったのです。当時の女性は自分ばかりか、一族の存亡をかけて愛を得る必要があったんです。


 中納言の様子では姫の母親はあまり中納言とは上手くいっていなかったのでしょう。徹底した母系社会は親子の絆も歪めたようです。夫の母親への愛情の差が、その子供への愛情の差ともなって現れたのが、この時代でした。 


 ****


 そのうちに北の方はうえのきぬも裁断して届けてきました。そして、また縫うのが遅くては困ると思い、中納言に姫のさぼり癖をあれこれ訴え、


「行って、叱って下さい、叱って下さい」と中納言を責め立てました。


 責められた中納言も面白くないので、姫の部屋の遣戸を引き開けるやいなや、


「どういうつもりだ、落窪の君。北の方の言う事に従わず、よくない態度をとっているのはどうしたわけだ。実の母親がいない以上、お前は北の方によく思われるように努力しようとは考えないのか。これほど急いでいるのによそから頼まれた物を縫って、ここの物には手をつけていないとは、どういう神経をしているのだ」


 と、まるで姫に当たるようにおっしゃいます。几帳から出てきた姫は、ぽろぽろと涙を落すしかありません。


「今夜中に全て仕上げなければ、もう、お前など我が子とは思わないぞ」


 中納言は、そう姫を叱りつけて出て行きました。


 こんな言葉を実の父親にかけられている所を几帳の中の少将に聞かれてしまい、姫は恥ずかしくて仕方がありません。


「こんなに恥ずかしい事を言われているところを少将様に聞かれ、さらに『気がふさぎそうな名だ』とおっしゃっていた名前が私の呼び名だと知られてしまった」


 と思うと、たった今にも死んでしまいたいような気持ちで、縫物もしばらくは押しやってしまい、灯りの暗い方を向いて激しく泣き崩れてしまいます。

 少将は姫が可哀想でなりません。「姫」と呼ばれる身でありながら北の方だけではなく、守ってくれるはずの実の父親からも、こんな風に足げざまに虐げられていたとは、夢にも思っていなかったのでしょう。こうも泣き崩れている姫が、どれほど恥ずかしい思いをしているのだろうかと思うと、自分まで涙がこぼれてきます。


「少しこちらに入られて、休まれるといい」


 少将はそう言いながら無理やり姫を几帳の中に引き入れて、あれこれと優しく慰めの言葉をかけます。


「「落窪の君」がこの人の呼び名だったとは。私が何の気もなく言った事を、この人はどれだけ恥ずかしく思ったことだろう。知らなかったとはいえ、可哀想な事をしてしまった」


 少将は胸が痛みます。


「それにしても継母の北の方はともかく、実の父親の中納言まで、よくあんな憎らしげなことを自分の姫君に言えたものだ。父親であれば自分の姫君は、とても素晴らしく思うのが当然ではないか。それなら私が、この姫を誰にも負けないほどに幸せにして、この人達に見返してやろう」


 少将は心の中でそう決意しました。


 ****


 さすがに実の父親から「我が子と思わない」とまで言われて、姫の我慢も限界だったようです。「いみじう」(大変、はなばなしく)泣いたとあるので、これはもう、号泣していると言っていいでしょう。それもよりによって少将の前で言われたのですからね。

 二言目には「恥ずかしい」と出てきますが、これは私達と貴族たちとの価値観の違いです。

 貴族社会では何よりも「恥をかく」事を恐れました。見栄と体裁を常に気にして、それが家門の攻勢を左右した時代です。「恥をかく」とは大変なことなのです。


 しかもこの姫は本当なら普通の姫ではありません。皇族の血を受け継いでいるのです。律令制度の中では皇室は別格で、本来この血筋は何より尊ばれるべきもののはずでした。母親が健在で、夫の中納言に愛されていたなら、彼女は誰よりもあがめられ、最高のしつけと教育を受け、いずれは帝や東宮のもとに入内出来るようにと、大切に育てられるはずの人だったんです。

 特に父親というのはそういう姫には下に置かない扱いで、母親は姫の教育の為にいろいろ注意もしますが、父親はまさに「かしづいて」お育てするのが普通でした。


 おそらく姫も本来はそれ相応のプライドだって持っているはず。身分を考えれば誰よりも恥などかきたくないでしょう。それが継母に虐げられるだけではなく、実の父親からも言われのない叱責を受け、「我が子」と思ってももらえない。しかもその父親に「落窪の君」などと屈辱的な名を呼ばれている所を、愛する恋人に聞かれてしまったんです。


 継母の態度も、かばう気のない父親の姿も、虐げられている自分も、それに傷ついて涙してしまう自分の心さえも、全てが姫には恥ずかしいことなのです。良家の子息として生まれ育った少将には、それが彼女にとってどれほど辛いことなのか、とてもよく分かるのでしょう。

「落窪」の名を気やすくあれこれ言った罪悪感もあるのでしょうが、それだけではなく、少将は姫をさぞかし優しい言葉で慰めただろうと思います。


 少将が前に中納言家の四の姫との縁談が持ち上がっていると話した時、原文では少将は姫に自分の事を「まろ」といいました。


 なんだかこの時代の人はいつも自分を「まろ」と言っているイメージがありますが、そんな事はありません。「まろ」は男女ともに使う言葉ですが、これはとても砕けた言葉づかいで、ごくごく親しい人にしか使わないそうです。女性だったら、「あたし」とか、幼女が甘えて「あたち」と言っているような感じです。優しく、そっと、ちょっと馴れ馴れしい、甘えるように言う時に相応しい言葉なんです。姫との甘いひと時の中で、少将はそんな言葉を使っているんですね。きっとささやきをかわす時も、悲しみを慰める時も、恋人らしい、優しく温かな言葉をかけた事でしょう。それが今の姫にはどれほど救いになっている事か。


 とにかく少将は姫がどれほどの境遇にいるのかを知りました。そして中納言達を見返すほど姫を幸せにしたいと、あらためて決意したのです。とても、強く。


「まろ」の表現については、山口仲美著「平安朝 元気印 列伝」を参考にさせていただきました。


実質的貴族の六位より上の人数ですが、前国立歴史民族博物館館長の故土田直鎮氏によると奈良時代にその人数は急速に増え、一時400人に届こうとしますが奈良末期には320人程度まで減り、貞観十年には300人を少し出る程度となったとされています。

時期によって増減はあったでしょうが、おそらく300人くらいというのが妥当な数字でしょう。


四位、五位の人数は永承二年に四位、五位の藤原氏のすべてを記録されている史料があります。

正四位上が二人、正四位下が十二人、従四位上二人、従四位下~正五位下四十二人、従五位上三十三人、従五位下百十一人の合計二百二人。さらに数は多くないものの、源、平、橘、大江など諸氏の五位以上の人々がいたはずです。

人数が圧倒的に五位に集中しているので、位を授かったばかりの六位の人々を合わせたとしても、およそ300人程度というのは納得のいく人数ですね。


都全体の人口は京都産業大学の井上氏の試算が有名で、貴族・官人12273人、諸司厨町(技術者として勤める役人の職員寮的な所)15033人、一般市民90066人と算出。実数不明確な皇族、奴婢(正式な売買が可能な奴隷)を加えて、およそ十二万~十三万人と算定しています。

けれどこの数字は一町あたりの規模や、それぞれの建物の規模などから割り出され、都の隅々まで居住区が整備され、そこに一定人数が住んでいたことを前提としています。

実際は川に挟まれた都は湿地帯も多く、生活環境として不適切なところもあり、都市整備もどの程度まで行われていたか分かりません。

さらには地方からの流入者、流出者も多く、路上生活者も多数いたものと思われますので、正確な実数はつかみにくいのが現状です。


そんな訳で都の人口については諸説ありますので、あくまで目安と思っていただきたいと思います。

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