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27.御心に

「帯刀」はいよいよ困ったことになったと思いました。蔵人の少将に手紙を取られてしまっただけでも大変なのに、その手紙は三の姫の手に渡っているというのです。

 しかも三の姫はどうやら自分と「落窪姫」の事を変に誤解したようです。手紙に何が書いてあったのかまで「帯刀」には知る余地もないことですが、三の姫が『末の松山』と言っていたというのが本当なら、さらなる誤解まで招いてしまったようなのです。ひどく恥かしくは思いますが、今更どうしようもありません。


 仕方がないので「あこぎ」にこっぴどい事を言われるのを覚悟しながら、「帯刀」は事の次第を説明しました。


「さっきの姫君からのお手紙を自分で少将様に御持ちしようと思っていたが、蔵人の少将様に呼びだされて髪を整えている間に、その蔵人の少将様にこっそり手紙を取られてしまったんだ。えらい事になった。どうしたらいいんだろう」


 あまりの事の重大さに、「あこぎ」も怒るのも忘れてうろたえます。


「すごく大変じゃないの! どんな騒ぎになるか分かったもんじゃないわ。そうじゃなくても姫様は北の方に疑われてらっしゃるのに。これで北の方に知られたら、どれだけ騒がれることになるか」


 二人は冷や汗をかきながら、姫君の事を心配します。


 三の姫は「落窪姫」の筆跡で書かれた手紙を、


「「帯刀」が落した手紙を、蔵人の少将様が見つけたものです」と言って北の方に見せました。


「やはり。様子がおかしいと思ったよ。手紙の相手は誰だろう。「帯刀」が「落窪」に通っているのだろうか。なにしろ手紙を持っていたのだし。相手が何者にしろ、きっと自分の所に『迎えたい』と言っているに違いない。『邸を出るのは難しい』と書いてあるのだから」


 北の方は手紙を読みながら考えをめぐらせます。


「「落窪」に結婚はさせまいと考えていたのに、まったく癪な事になった。夫が出来てしまえば今までのように、ここにこもって縫物などさせられなくなるだろう。夫が自分のもとに迎えてしまうだろうから。「落窪」が居なくなったら大変だ。私の可愛い姫たちの、使い勝手のいい使用人と思って置いていたのに、どこの盗人まがいがこんな事をしでかしたのやら」


 せっかく自分の思い通りに憎い「落窪姫」をさげすみ、こき使って溜飲を下げて来たのにとんだ邪魔者の出現に、北の方は腹立たしくて仕方がありません。


「しかしまだ表沙汰にはするまい。そんな事をすれば男が「落窪」を隠してしまうに違いないから」


 北の方は内心腹立だしいものの、しばらくの間は様子を見た方がいいだろうと思いました。

「あこぎ」と「帯刀」は、誰も手紙の事を騒ぎ立てないので、不思議に思っています。


 姫君にも「あこぎ」の口から事情を話し、


「こうこういう訳で、まったく面目もないのですが、前の時と同じような手紙を、少将様に書いてはいただけないでしょうか」


 とお願いしましたが、姫は口では言い表しようがないほど悲しまれます。あの手紙を北の方も読まれたのかと思うと、とても苦しい気持ちになって、


「また書きなおすなんて、とてもできそうにないわ」

 と、どうしようもないほど嘆き悲しみます。


「帯刀」も、とても申し訳なくて姫君は勿論、少将様の前にも出る事が出来ずに自分の家に籠ってしまいました。

 

 ****


 三の姫に誤解された。これは三の姫が言っていた歌から「帯刀」が気付いたことです。

『末の松山』の歌は「どんな波でさえ絶対に越えられないはずの『末の松山』さえも超えてしまうのが男女の仲」という事から、「別の相手に心変わりすること」の意味につかわれるポピュラーな言葉です。

 三の姫は「帯刀」が「落窪の君」の書いた恋文を持っていたので、「帯刀」が「あこぎ」から「落窪の君」に心変わりしたと誤解したんです。

 そしてあの手紙の内容から、「落窪の君」が、頼りない「帯刀」を責めていると思ったんですね。確かにそう取られてもおかしくない文面です。


 事ここにいたっては、気の強い「あこぎ」も、「帯刀」を叱るどころじゃありません。三の姫の手に手紙が渡っているなら、北の方に手紙を読まれるのは時間の問題です。北の方が一体姫にどんな事を言って来るだろうと、冷や汗まで書いて脅えています。


 ところがこの北の方は一枚上手でした。腹こそ立てているものの、姫をここから逃がさないためには、少し様子を見た方が賢明だと踏んだようです。姫には他にどんな仕打ちをするより、この邸に一生閉じ込めて自分達に見下され続けることの方が、ずっと堪える事を知っているのでしょう。


 それに姫の裁縫の腕は本当に素晴らしい物があるようです。寝る間も惜しんで大急ぎで仕上げているにもかかわらず、この家の婿君たちは着る物の出来に文句を言う事はありません。三人もの婿に次々と衣装を整えなければならないこの邸では、姫の裁縫の腕は欠かせない物になっているのです。


 北の方の性格はかなりきつそうで、原文でも尾語に『ぞ』や『なり』の文字が目立ちます。

『ぞ』は相手に詰問するときにつかったり、断定する時に使う尾語です。『なり』も比較的断定する時に多くつかわれる言葉です。北の方の言葉はいいっぱなしの印象が強いんです。

 まったくいいっぱなしの言葉にしてしまうと古語は語彙が少ないですから、この人の言っている台詞の内容的にも、男性がしゃべっているのか、女性がしゃべっているのか分からなくなりそうです。ですから私は少し尾語を女性っぽくはしていますが、それだけこの人は言い方がきついんですね。


 けれどもまったく感情的な人かと思えば、なかなか計算高く、冷静なところもあるようです。老いて頼りない中納言に代わって四人の姫と、三郎君という男の子を養いながら三人の婿を迎え、大きな規模の邸を運営できるだけの事はあります。この人が邸に君臨しているという事は、あまり女房などに相談して頼る必要がないという事なのでしょう。全て自分の思い通りにしているのですから、管理能力などは有能な人なんでしょう。


 北の方はその計算高さで、ここは表沙汰にしない方が得策だと考えたようです。このままで終わるとはとても思えませんが。


 ****


 やがて日が暮れると、少将は何も知らずに姫の所においでになりました。


「どうして御返事をいただけなかったのですか」と、姫に御尋ねになります。


「北の方がいらっしゃったので、書けなかったのです」


 少将様に余計な心配をかけたくない姫は、そう言ってごまかします。少将も納得して、その夜はお二人でおやすみになりました。


 ほどなく夜が明け少将は帰ろうとしましたが、すぐに明るくなり邸の人たちが起き出して来て騒がしくなってきました。

 少将は結局帰ることが出来ず、姫の部屋に戻って横になります。「あこぎ」はいつものようにお二人の御食事のお世話に忙しく歩きまわっていました。


 少将は静かに横になっていて、姫に色々と話しかけます。


「四の姫はいくつになられましたか」


「十三か十四になります。お可愛らしい方ですわ」


「そうか。その四の姫と私を結婚させたいと中納言殿がおっしゃってると聞いたんだが。四の君の乳母が私の父の使っている侍女を知っていて、中納言殿の手紙にも『北の方も是非にとおっしゃっている』と書かれていたものだから、急に私の乳母がその気になって、私に責め立てて来たんです」少将はため息交じりにそう言いました。


「こうなったら、私があなたと結婚している事を公表しようと思うんだが、あなたはどう思われますか」少将はそう姫に聞いてきます。


「そのような事を公表されたら、私は辛い事になるかもしれません」と、姫はそっと言います。


 姫は自分と少将様の事が北の方に知られているかもしれないと思うと、少将様が公表した途端に北の方が、少将様と逢えない様になにか手を打つのではないかと思い、心細くなってしまいました。その様子を見ていた少将は事情を知らないので、姫が子どものように恥じらっているように見えて、可愛らしく思えます。


「ここは私も通って来るには少し肩身が狭く感じます。あなたをある所にお連れしたいと思いますが、来てはくれませんか」少将は優しく姫に語りかけました。


「あなたの御心に従いますわ」と姫がおっしゃると、


「なら、そうしましょう」と言って、少将は横になりました。


 ****


 少将は少将で厄介事が持ち上がっていたんですね。この中納言家の末姫、四の姫との縁談が進められようとしていたようです。

 姫にとっては手紙の件と相まって衝撃が大きそうです。でも事情を知らない少将は、姫が恥じらっていると思いこんで、かえって堂々と公表し、自分の手元に迎えて共に暮らしたいと望んでいるようです。姫から手紙の御返事がなかったことにも不信を抱きませんでした。


 姫も少将に気を使い、おそらくは失態をした「帯刀」にも気を使って、北の方が来て返事を書けなかっただけだと、嘘をついています。嘘をつく心苦しさより、少将や「帯刀」の心に気を配る所は実にこの人らしい優しさです。こんな姫の姿を見たら、「帯刀」はますます罪悪感に駆られてしまいそうですが。


 姫を自分の妻だと公表したい少将ですが、姫の意思も尊重したいと思っているようです。それでも自分の所に迎えるための準備はしているのでしょう。姫の色よい返事に新たな生活への期待を膨らましているようです。

 引き裂かれてしまうかもしれないと不安に思いながらも少将の優しい言葉に、「従います」と答えた姫。果してその心中は、どのような物なのでしょう?


『末の松山』は、あの東日本大震災で津波の被害を受けた宮城県多賀城市にある丘陵地帯です。

869年(貞観11年)この場所はやはり巨大な津波に襲われ、海岸から遠く離れた内陸部にまで波が押し寄せていたのでした。


あまりに意外な出来事に当時の人たちも衝撃を受けたことでしょう。

その深い恐怖を伴いながら、それでも波が越えられなかった末の松山のことを歌にして読み、皆それを実感を持って受け止めたと思います。


千年以上たった東日本大震災の津波も、この末の松山の目前まで津波は迫りましたが、この丘を越える事はありませんでした。

和歌は古い文化を私達に残しただけでなく、時にこのような自然への警鐘も示してくれるもののようです。


有名な和歌の背景をひも解く事は、とても意味深い事なんですね。


「君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山波も越えなむ」(古今集・東歌)

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