24.姫君の鏡箱
姫君は、「こんな隠れる場所もないようなところに、誰かが来たりしたら大変だわ。どうしたらいいのかしら」と、胸が潰れるような思いをして、とても脅えています。
「あこぎ」ももう居ても立ってもいられない気持ちです。
早くおかずを綺麗に盛り付けてお粥を差し上げたり、御手水のお世話をしたいと急いで歩きまわりますが、手が足りなくて誰かもう一人手伝ってほしいくらいです。
それなのに準備もできない内に車から降りたらしい北の方が、
「あこぎ、何をぐずぐずしてるの。あこぎー!」
と大声で怒鳴るので、大急ぎで姫様の部屋の襖障子開けて飛び出していきました。あまりに慌てているので、開けた障子を誰か閉めてくれる人がいるのかさえ、気が回らないほどです。
それでも姫様の部屋にいた事が分からない様に、少し大周りをして格子の間を隔てて北の方の前に出ていきます。
「帰ったばかりで疲れている私達が苦しくて休んでいる時に、今まで休んでいたお前がなぜ、車を下りる所まで出迎えに来ないのか。お前はいつも自分の事ばかりではないか。こんな役立たず、「落窪の君」に返してしまおうか」
北の方が忌々しげにそう言うので、「あこぎ」は心の中では「ああ、そうして下されば嬉しいのに」と思いながらも言葉では、
「申し訳ありません。汚いものを運んでいるところでしたので」と言って誤魔化します。
「いいから早く、手水の世話をしなさい」
そう北の方に言われて「あこぎ」は立ち上りますが、まるで身体が宙を浮いているような気がしています。
石山詣でから帰った人たちの精進落としの食事が出来あがった頃を見計らって、「あこぎ」は御厨子所に顔を出すと、
「ね、ね、ちょっと来てくれる」
と、この間の女性に声をかけて、叔母さんに送ってもらった沢山のお米と引き換えに食事を分けてもらい、姫様と少将様に差し上げました。
沢山のおかずがそろった御膳を見て少将は、
「姫君は食事や物に御不自由な思いをしていると聞いていたのに、この大変心憎いばかりの食事はどうやって用意したのだろう」
と思っています。もちろん姫君も、
「一体どうなっているのかしら」と不思議で仕方ありません。
せっかく用意したお食事なのに、少将様は不思議がっているせいか、周りがうるさく落ち着けないせいか、はたまた昨夜のお餅のせいなのか、あまり箸をつけてはくれません。
姫様も気もそぞろに脅えているらしく、起き上がる気にもなれないご様子。
この食事は精進落としの宴会のための御馳走です。もったいないのできちんと盛り付けをし直して自分の部屋にいる「帯刀」に食べさせると、
「ここには日頃から通ってるけど、こんなにいい食事のお下がりにありついた事なんかなかったなあ。やっぱり少将様が来ていると違うや」と満足そうです。
「これからも昨夜みたいに嬉しい心遣いを、惟成には見せてもらわなくちゃいけないんだもの。そのための門出の宴ってところね」と「あこぎ」が言うと、
「そんなつもりでいるのかよ。ああ、おっそろしい」
と「帯刀」が言うので、二人とも笑ってしまいました。
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とうとう北の方が帰ってきてしまいました。姫も「あこぎ」も気が気ではありません。今まで北の方が留守の間は要領よく仕事をこなしていた「あこぎ」も、この事態に冷静ではいられなくなっているようです。姫にいたっては起き上がることもできないようですね。
しっかりしているはずの「あこぎ」が、開けた障子の戸を閉め忘れて飛び出すなんて、北の方の恐れられぶりと、二人の動揺が手に取るように分かります。
ところでこの「障子」ですが、今の私達が目にしている障子とは少し違います。この頃は部屋を仕切って使うための建具で、屏風と几帳以外はみんな「障子」と呼ばれていました。
私達が「障子」と呼んでいる物は「明かり障子」と言うもので、陽の光が取りこめるようになっていますが、この頃の障子は「襖障子」「衝立て障子」が一般的でした。後に光を取りこめる「明かり障子」が使われ出すと、そっちの方が広まって今でも障子と呼ぶようになったのです。
「襖障子」は私達が知っている「襖」と同じで「衝立て障子」はやはり今の「衝立て」と同じです。ですからこの頃のお話に「障子を開ける、閉める」と出て来たら、それは「襖障子」のことです。もちろん、この姫が暮らしている「落窪の間」から出入りしている障子も「襖障子」です。この部屋の建具は建物の中とは襖障子で仕切られて、外とは格子で仕切られた部屋であることが分かりますね。
こんな慌てた状態でも「あこぎ」は冷静さを取り戻したようです。ちゃっかり叔母さんからもらったお米を姫様と少将様の食事に交換してしまいます。けれど肝心のお二人は食事どころじゃなかったみたいですね。
結局食事は「帯刀」がお下がりに預かりました。きっと一緒に「あこぎ」も食べたんでしょう。思わぬご馳走に喜ぶ「帯刀」に「あこぎ」は、「これからもこっちの味方をしてよね」と釘を刺します。「帯刀」も「恐ろしい」と言いながらも二人で笑いだしています。
二人の仲の良さがほほえましいですね。
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こうして少将と姫は部屋で昼まで一緒に横になってくつろいでいたのですが、いつもは覗きにこようともしない北の方がやって来て、姫の部屋の襖障子を開けようとします。
けれども「あこぎ」が内側から鎖をさしたので固くて開きません。
「何をしてるの。ここを開けなさい」
北の方の声に「あこぎ」も姫も「どうしよう」と脅えていると、
「いいから開けなさい。もし、北の方が几帳を上げても、着物をかぶって伏せているから」
と少将はおっしゃいます。姫はその着物も北の方が覗かれるかもしれないと思うと、気が気ではありませんが、もう、少将様にどこか他に行ってもらう事も出来ません。仕方がないので簡単には帷子を上げられない様に、少将様が隠れている几帳の前に身を寄せて座りました。
北の方は痺れを切らし、
「何をぐずぐずして障子を開けずにいるの」と聞くので「あこぎ」が、
「今日、明日は姫様の物忌の日ですので」と答えますが、
「何を大袈裟なことを。自分の家でも無い所で物忌みするなんて、いつからそんな良い身になったの。生意気な」
と、北の方が姫を見下して言います。こんな言葉をこれ以上少将様に聞かれたくない姫は、
「あこぎ、やっぱり開けましょう」と言って障子を開けさせます。
北の方は荒々しく障子を押し開けると、ひざをついてあたりを見回します。
すると部屋の様子がいつもと違います。綺麗に掃除され、道具類が美しく整えられて、几帳まで立てられています。それに姫君も美しく装い、部屋中によい香りがしています。これには北の方もおかしいと思って、
「どうしてここの様子も、お前の身なりも、いつもと違うんだい。もしや、私がいない間に何かあったんじゃないか」とお聞きになります。姫は顔を赤らめて、
「何もございません」と答えます。
少将は北の方がどんな姿なのか見たくて、伏せたまま几帳の隙間からそっと覗いてみます。
見えたのはあまり上等とは言えない白い綾織りの袿の上に、掻練の表着を重ねて着た、のっぺりした顔の、いかにも女主人「北の方」と言った雰囲気の人です。
「ふーむ。口元には愛きょうと色気があるな。ちょっと品もあるし。だが眉のあたりのしわに、年と意地の悪さが少し出ているようだ」と思いながら少将は観察しています。
「ここに来たのは今日、いい鏡を買ったものだから、お前が持っている鏡箱がちょうど良さそうだと思って。しばらく貸してもらえるかい」
「どうぞお持ちください」
北の方に早く出て言ってもらいたい一心で、姫はすぐに返事をします。
「こんなに快く貸してもらえるのは、とてもいい事だわ。では借りますよ」
そう言って北の方は姫の鏡箱をそそくさと自分の手元に引き寄せます。さっそく箱の中の鏡を出して、自分の物と入れ替えると、ちょうどいい大きさです。
「賢い買い物が出来たわ。それにこの箱もいい。今時、この箱のような良い蒔絵は手に入らなくなったからねえ」
北の方がそう言いながら、鏡箱を自分の物のように撫で回しているので、「あこぎ」は悔しくて仕方がありません。
「こちらの御鏡の箱もなければ困るんですけど」おもわず「あこぎ」はそう言いますが、
「すぐ、他のを探させます」と、ご機嫌な様子で立ち上がります。
「ところであの几帳はどこの物なの。随分綺麗じゃないか。他に見慣れない物もあるわね。何を急に風流ぶっている事やら」
北の方にこんな風に言われて、少将様はどうお思いになっているのだろうと思うと、姫は恥ずかしくてたまりません。
「几帳がなくては困りますので、私の親戚の所に取りに行かせたんです」
「あこぎ」がそう言うと、北の方は疑いながらもようやく部屋を出ていきました。
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「落窪姫」の部屋に入ろうとする北の方に、「あこぎ」は「姫様の物忌の日なので」と言って断ろうとします。
「物忌み」とは、これも陰陽道の慣わしで日にちや方角が悪い時に一定期間、部屋や家に閉じこもって身を慎むことです。物忌みの時は自分が閉じこもるだけではなく、来客なども迎える事はありません。ただ、この「物忌み」や「方違え」と言った慣わしは、都合の悪い時のいい訳などにもよく使われていたようです。
よく知っている仲とは言え、大勢の召し使っている人達に囲まれ、時には外から垣間見されてしまう貴族たちの暮らしです。息が詰まる時や、一人になりたい時だってあったでしょう。
そんな時の精神のバランスを取るためにも、この「方違え」や「物忌み」は有効だったに違いありません。どんなに身分が高くても所詮は人間ですからね。だから「物忌み」ですと言われれば、みんな納得し互いに遠慮して上手く心の均衡を保っていたんです。
でもこの北の方には、そういう常識的な思いやりは通用しないようです。放っておいたら足げざまに罵声を浴びせかねない勢いに、姫もあきらめて戸を開けますが、北の方は姫の鏡箱を「借りる」と言って持ち去ってしまいました。その後の北の方のしぐさを見ても鏡箱を返すつもりはなさそうです。
「鏡箱」と聞くと、現代人の私達にはどのような物が想像されるでしょう? 小さな手鏡をしまう小箱のようなイメージでしょうか?
歴史の教科書や博物館で、「銅鏡」と言う鏡をご覧になった事はないでしょうか。古代には日本でも占いなどに使われたという、銅製で鏡面の裏に飾りや彫刻が施された、あの丸い鏡です。白銅や青銅で作られた古い品ですから、発掘された物はすっかり変色してしまっていますが、当時はピカピカに輝いていた事でしょう。
鏡はこの時代になると占いや神事に用いられる物よりも、化粧道具として使われるのが一般的になっていました。もちろん貴族の女性には必需品です。
この頃の鏡は手鏡や置き鏡として使うのではなく、丸い鏡に装飾の他に紐を通すための穴があって、そこに紐を通した鏡を、「鏡台」という、今のポールハンガーのような取っ手付きの棒にひっかけて使いました。
その鏡を入れるのが「鏡箱」なのですが、手元の本に載っている写真を見ると、丸く平べったい箱に漆が塗られ黒々とつややかに光っていて、美しい蒔絵が施されたとても豪華な箱の写真です。蒔絵の柄を見る限り(大きな鶴が何羽も描かれています)そんなに小さなものではなさそうに思えます。
その箱が優雅なこれも漆塗りの猫足の台の上に乗っています。姫が少将の手紙をしまっている櫛箱と思われる箱も、写真にあるのはお正月の重箱を思わせるような立派な「唐櫛笥」という箱で、やはり猫足の台の上に乗せられています。鏡台も同じ黒い漆塗りで、金の装飾も施されています。これはもう小物ではなく小さな家具と言っていいでしょう。
おそらく普段は部屋の隅に押しやられていたこういう優美な品々が、美しい几帳と共に部屋に整えられたなら、殺風景だった姫の部屋が華やいだというのも分かります。大きな二階棚や書物をしまう立派な二階厨子、文台などが無くても目につく所にセンス良く配置すれば、かなりの存在感があったでしょう。
しかも姫の実母は皇族の出身。おそらく姫の持っている道具は一級品ばかりだったはず。でも北の方はそういう物も遠慮なく、自分の物も同然に持ち去っているようです。「あこぎ」が悔しがるのも分かりますね。
でも、その「鏡箱」を手に入れた事で北の方の気がそれたのか、少将は何とか北の方に見つからずに済んだようです。どうにかこの場は事無きを得ました。「あこぎ」は姫様のお母上の大切な形見の品を取られてしまい悔しそうですが、姫の方は少将が見つからず無事に済んで、胸をなでおろしているかもしれません。




