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22.ずぶ濡れの恋人

 少将は一襲ひとかさねの白い御衣だけになり、お供も「帯刀」一人に大傘を差させ、こっそりと開けさせた門から、そうっと忍んでお出かけになります。

 激しい土砂降りで右も左も分からないほど真っ暗闇ですが、二人はこの冒険を楽しむような気持で、笑いながらすっかりぬかるんだ道をよろよろと歩いています。

 すると、人目を忍んで歩いていた小路が終わって大路に出る角のところで、沢山の松明を灯して、先払いをさせながら進む一行に出くわしました。


 少将達が歩いて来た小路はとても狭く、隠れるような場所もありません。仕方がないので道の端によって、傘を横に垂らしながら顔を隠して通り過ぎようとしますが、それを見た雑色ぞうしきという無位の下っ端役人達が、


「そこ行く者達。しばらくそこに止まっていろ」と少将達を足止めさせて、


「こんなに激しい雨の降る夜中に、たった二人だけで出歩くとは怪しいな。捕まえろ」


 と言うので少将達は困ってしまいました。


 そのまま仕方なく立ち止まっていると、松明を持った人が火を振って灯りを強めて少将達をよく眺めます。


「みんな、この二人の足は生っ白い。盗人ではないようだ」


 松明を持った人はそういいますが、別の人は、


「なあに、御身分が高い癖にこそ泥しなきゃならないような奴だから足が白いんじゃないか」


 と言って、少将達の横を通り過ぎようとします。二人はホッとしたのですが、


「なんだ、突っ立ったままで。高貴なわが主人にたいして失礼だぞ。座って控えろ」


 そう言って傘をバンバンと叩きます。その勢いで二人はよりにもよって、そこにあった牛糞の上に尻もちをついてしまいました。さらにまた、別の気のはやった人が、


「なんだってこんなにまでして、傘で顔を隠そうとするんだ」


 と言って通り過ぎながら、大傘を引っ掛けられながらも傾けて持ったままでいる少将達に、松明の火に息を吹きかけ明るくしながら、


「おや、指貫を履いているじゃないか。貧乏人がめかしこんで愛する妻の所に行くんだろ」


 と、口々にからかい、行ってしまいました。


 少将は立ち上がると、


衛門督えもんのかみが見回りでもしているらしい。私を疑わしい者として捕えるのかと思った時は死にたくなったよ」と嘆きましたが、


「だが私を足の白いこそ泥と言っていたのはおかしかったな」


 と、「帯刀」と二人で思いだしながら笑いだしてしまいました。


「まいったなあ、もうここから帰ってしまおうか。糞がついてしまったんだから。こう臭くてはせっかく会いに行ってもかえって姫に嫌われそうだ」


 少将はふてくされて言いますが、「帯刀」は笑いながら、


「この大雨の中をこんな目に遭ってまでおいでになったと知ったら、少将様のお心に感激して、姫君には糞の匂いも麝香じゃこうの香に思われるでしょう。ここまで来たら帰る邸は遠く、向かう姫のもとはすぐ近くです。このまま姫のところへ行きましょう」


 そう言われると少将も、せっかく姫に逢いたい一心でここまでやって来たのだから、と考え直し、姫のいる中納言邸においでになりました。


 ****


 少将と「帯刀」は大冒険になりましたね。少将の言う所によると出くわしてしまった行列は、「衛門督」を務めている人のようです。少将は右近衛府みぎのこのえふに勤めている少将なので「右近少将」と呼ばれていますが、この人は右か左かは分かりませんが、衛門府えもんふに勤めて督(長官)の職についているんですね。 

 貴族と言うのはもともとの家柄や、本人の実力……場合によっては朝廷への寄付などによってそれぞれに位があります。

 位は一位から十位まであり、さらに正と、従に分かれていました。貴族の男性はみんな朝廷に勤める役人で、位に応じた役職を持っています。


 少将の勤める近衛府は朝廷の仕事を行う「内裏」の警備や、帝の行幸等の時の警備も行う、帝に近いところでお守りする役目です。少将の位は正五位で、若い人には十分に高い位です。

 鉢合わせした衛門督の勤める衛門府は名前の通り大内裏に数多くある門を守ったり、やはり近衛府のように「内裏」の警護をします。こちらも位は正五位。少将と同じですね。


 同じ位で仕事の内容も近い。二人はよく知った者同士なのかもしれません。そんな知り合いによりにもよって、仕事以外では貴族が出歩く事など考えられないような大雨の夜に、身をやつし、顔を隠してこっそり姫のもとへ歩いている所を呼びとめられてしまったんです。二人とも慌てた事でしょう。少将の正体が知れたら自分や親たちの面目が潰れ、色々厄介な事になっていたかもしれません。


 おそらく衛門督は仕事で巡回中だったのでしょう。だから大雨の中沢山の供を連れ、怪しい男達を見つけた位のない役人たちが、役目がら捕えようと言いだしたのでしょう。

 でも少将は型破りではありますが、冷静な人のようです。位のない人たちにからかわれ、傘を叩かれ、ひどい姿にされながら小馬鹿にされても腹を立てずに顔を隠し通し、行列が通り過ぎてしまうと面白がって「帯刀」と笑い合っているのです。少将は本当に明るく影のない性格の人のようですね。

 そして「帯刀」も少将の心をおもんばかって「麝香の香り」と冗談を言いながらも、姫のもとに向かうように進言します。二人の仲の良さの中に「帯刀」の心づかいの真摯さもうかがえます。


 ****


 少将はやっとのこと門を開けさせて、邸にお入りになります。二人は「あこぎ」の部屋に行き、「あこぎ」は姫の部屋に行っているので留守ですが、少将が「まず、水を」と言って「帯刀」に足を洗わせます。「帯刀」も一緒に足を洗っていると、少将が、


「明日は夜明け前に急いで起きてくれ。まだ暗いうちに帰りたい。明るくなるまでここにとどまる訳にはいかないだろう。さぞかしひどい姿になっているだろうからな」


 と告げて姫君の部屋に行き、格子をそっと叩きます。


 姫君の方は時間が経つうちに少将が今夜来ない事よりも、このまま打ち捨てられて今度のことが北の方に知られたら、どんなお叱りを受ける事になるだろうと考えてしまい、こんな立場で生きている身が辛くなるばかりです。思い悩むと涙が出て、横になってしまわれます。

「あこぎ」もせっかく苦労して、色々準備したことがこのまま無駄になるのかと、悔しい思いで姫の傍で横になっていました。


 ところが何故か、格子の方から誰かが叩くような音がします。


「なんで格子から音がするのかしら」そう言って格子に近づくと、


「格子を上げてくれ」


 と聞こえてくるのは少将様の声です。「あこぎ」がビックリしながら格子を引き上げると、まぎれもなく少将様が姫のお部屋にお入りになりました。でも、その姿はしずくが垂れるほどにずぶ濡れです。まるで川の中を歩いてきたようなお姿でした。

「あこぎ」は少将様がこんな雨の中を歩いてまで来て下さったことが、たとえようもないほど嬉しくて感激しながら、


「なぜ、こんなにまで濡れていらっしゃるんですか」と、お尋ねします。すると少将様は、


「惟成がお前からこっぴどく叱られるのを嘆くのが可哀想で、指貫の紐をくくってはぎまで上げて来たんだが、途中で転んで、泥だらけになってしまったんだよ」


 と答えながら指貫をお脱ぎになるので、「あこぎ」は姫君のお召し物をとって少将様に着せて差し上げました。


「そのお召し物も乾かしましょう」

 と申し上げると、少将は来ていた白い御衣もお脱ぎになります。そして姫君が横になっている所に近寄ると、


「こんな思いをしながらも来てくれたのが嬉しいと言って、抱きついて下さると嬉しいんですが」


 と言って、暗い中を手さぐりで姫の身を探っていると、手に触れた衣の裾が僅かに湿っています。少将は姫が自分が今夜は来ないことを嘆いて泣いていたのだと思い、そんな姫が愛しくいじらしく思えて、


  何ごとを思へるさまの袖ならむ


(何がそれほど悲しくて、あなたの袖を濡らしているのでしょう)


 とおっしゃると、姫君が、


  身を知る雨の雫なるべし


(わたしがあなたに愛されているかを知っている、雨の雫のような涙が、袖を濡らしたのでしょう)


 と、お答えになるので、


「今夜、あなたが愛されているかは、私がここに来たことで、お分かりになったはずです」


 少将はそう言って、姫君と共寝なさいました。


 ****


 とうとう少将は三日目の夜に姫のもとを訪ねることが出来ました。姫も「あこぎ」も期待が裏切られた後だけに、その喜びは沁みるものがあったでしょう。

 しかも少将は全身ずぶぬれで、指貫はひどく汚れた状態で、ようやくの思いで辿り着いたというのです。普段は足で外を歩く事など無く、牛車に乗って移動する立場の方がです。「あこぎ」も姫も、指貫の汚れなど、まったく気にならなくなっていたでしょう。


 ただ、この汚れ、本当はもっと汚いものだったんですが。「あこぎ」が気付かないのですから幸い土砂降りの雨と、さっそく足を洗ったことで余計な匂いは流されていたようですけど。

 少将もまさかこの場面で、「糞にまみれて辿り着いた」とは言えませんよね……。


 そして今日も姫の部屋の灯りはとても暗いようです。土砂降りで月の光もないような夜なのですから、いつも以上に暗かったことでしょう。

 少将にはすぐに姫がどんな表情をしているのかは見えなくて、労をねぎらって欲しくて、抱きついて欲しいなんて、ちょっと大胆で、少し甘えた様な事を言っています。

 ところが先に姫の衣の袖に手が触れ、姫が泣いていた事を悟ります。


 今夜会えなかったら姫はどれほど悲しい思いをしたのだろうかと、少将は胸がいっぱいになったことでしょう。

 少将はそんな姫に、和歌の上の句部分だけを歌いかけます。姫の口から本当の言葉が聞きたくて。

 そして姫も下の句で返します。あなたの自分への愛が不安だったのだ、と。


 本当は姫が涙したのは、がっかりした後、北の方にどんな扱いを受けるかと想像するうちに流れた涙の様ですが、そもそもは今夜会えない不安がそうさせたのでしょうから、細かい事は目をつむりましょう。

 少将も三日夜を思い出すのに時間がかかっていますし、この二人なら特別な夜でなかったとしても、この時確かめあった愛は、十分価値があるものだったでしょうしね。


いい機会なので少将の位と役目の説明をしましたが、手持ちの資料からの推測なので、絶対とは言いきれません。


「近衛府」は帝直近の軍隊で、帝を守るために戦うのが仕事。

「衛門府」は今のSPや警察組織のようなもので、主な仕事は取り締まりや護衛です。そして「衛門督」は「衛門府」のトップです。

上にまだ中将、大将の位がある少将とは立場が微妙に違うかもしれませんが、私は話の流れを重視してこういう解釈に至りました。


このほかに都を守る組織には「検非違使けびいし」と言う物があります。

これは全くの治安維持専門機関。内裏を離れた都全体の秩序を取り締まるところです。

衛門府よりも、より警察に近い組織でしょう。


外交や戦の無い、平和な時代だったからこそ、都の平穏の維持は重要視されたようです。


ちなみに私が用いた官位に関する資料は、

「学研 全訳 用例古語辞典」の資料ページにある、「官位相当表」を使用しました。これは私の様々な想像を加えての感想文であることを、御理解いただければと思っています。


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