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21.降りぞまされる

 暗くなるに従い、雨が何故この間の悪さでといいたくなるほど激しく降り続けます。それはもう、頭をちょっと外に出す事も出来ないほどです。少将は残念そうに「帯刀」にこぼします。


「悔しいが、これでは姫のもとに行くのは無理なようだ。この雨の降りようではなあ」


「でも、まだ通い始めて日も浅いことですから、向こうも心細い思いで待っておられるでしょうに」

 女性に不利な恋愛期間。しかも姫は心もとない身の上です。「帯刀」も、姫に同情的な言葉が出てしまいます。


「とはいえ、間の悪い事にこの激しい雨です。いたしかたありません」

 これでは車など出せないことも「帯刀」は分かっています。


「私の怠け心という訳ではないんだがな」


 少将も表情も暗く、心細そうです。姫に自分の心が浅いと思われるのではないかと不安なのでしょう。向こうも待っているのでしょうが、少将達ももどかしい思いをしています。


「では、そういうお気持ちを文にしたためてはいかがでしょう」


 ひどく困りながらも、「帯刀」はそうお勧めしました。


「そうだな」


 少将もそう言って姫に手紙を書きます。


「一刻も早くお会いしたくて仕度をしていたのですが、そのうちにこんなにもひどい雨になってしまい、伺う事が出来なくなりました。自分のせいではないとはいえ、申しわけなく思っています。決してあなたへの愛情が薄いなどとは思わずにいて下さい」


「帯刀」の方でも「あこぎ」に手紙を書きます。


「今から俺だけでも行く。少将様もおいでになるつもりだったけど、この雨ではどうしようもない。お気の毒に、悔しいと嘆いていらっしゃるよ」


 そんな手紙を受け取ったので「あこぎ」もとても悔しい思いで「帯刀」に返事を書きました。


「どうして来られないなんて言うの。『降るとも雨に』って、歌にもあるじゃない。こんな時にこそ来るのが、本当の御愛情ってものでしょう。騙し討ちなんかしておいてこんな風じゃ、少将様はいよいよ思いやりのない人ね。惟成、あんたもあんたよ。どういうつもりでいい気になって自分だけ来るなんて言えるの。姫様をあんな目に会わせておいて、ずうずうしい。世間じゃ『今宵来ざらむ』って言うくらいだから、少将様はもうおいでにはならないんでしょうね」


 姫君からの返事には歌だけが書かれています。


  世にふるをうき身と思うわが袖の

    ぬれはじめける宵の雨かな


(この世に生きるのが悲しい身の上の私ですが、今夜の雨であなたがおいでになれずに、袖を涙で濡らしはじめています)


 ****


 気の毒に、少将も「帯刀」も激しい雨にどうする事も出来ずに呆然としているようです。雨くらい……と、今の時代の私達は考えてしまいますが、当時の都は事情が違います。

 貴族が出かける時は牛車に乗って、沢山のお供を連れる事は旅行のところでもお話しました。

 けれど、貴族が出歩いて危険なのは何も遠出をした時ばかりではありません。立派な衣装や高価な小物を身につけている貴族は、いつだって強盗や盗賊の標的になってしまいます。


 当時、大衆と貴人との貧富の差は今では考えられないほど大きなものでした。大衆はいまだに竪穴式の藁や枯れ草をかぶせただけの、とても粗末な家に住んでいました。

 自然災害に見舞われたり疫病が流行ったりすれば、今日明日の食べ物にも困り飢えて亡くなる人や、盗賊の一味になって生き延びようとする人がいっぱいいたんです。しかも高貴な人やその人に仕えている人々の衣装を一そろえ手に入れるだけでも、そういう人なら一生食べていけるだけの価値があったんです。


 ですから都の治安は決してよいものではありません。勿論そういう悪人や強盗を取り締まる役人達もいます。警護をする人たちだっています。けれど夜になるとやはり危険なのです。

 夜の都は私達が考える以上に真っ暗です。今のような街灯もなければ、家から明かりがもれるなんてこともありません。貴族たちは夜型の生活をしていましたが、邸には侵入者を防ぐために高々と土で固められた築地塀という塀がめぐらされ、邸を守るために固く門を閉じます。光の漏れる隙間など殆んどなかったことでしょう。


 頼りになるのは月と星の光だけ。そういう夜道を男君は車に乗って行列を作り、沢山の松明を焚いて女君のもとへ通うのです。

 ですから月のない夜は真っ暗で、雨の日は誰も外に出たいとは思わなかったでしょう。


「あこぎ」もそれは分かっているはずなのに、随分厳しい手紙を書いていますね。『降るとも雨に』というのは和歌の一節で、恋人の為なら雨が降ろうと逢いに行くという意味の歌です。

『今宵来ざらむ』も和歌の引用で、今夜来ない人はこれからも訪れる事はないという意味です。

 つまり、「騙し討ちをするような人たちだから、やっぱり根は薄情なのね。だからもう来ない気なんでしょっ!」と怒って見せています。一日目の夜のことを匂わせていますから、かなり根に持っているのでしょう。このままではせっかくの準備も無駄になってしまいますから。


 ****


 少将の所に手紙が届いたのは戌の時も過ぎてしまっていました。灯りのもとで姫の手紙を読んだ少将は、姫が可哀想でたまりません。「帯刀」に届いた「あこぎ」の手紙も御覧になって、


「ひどくすねているようだな。そういえば、今夜は三日目の夜。通い始めたばかりで、しかも特別な日だ。不安に思っているのだろう。可哀想に」


 と、待っている二人に想いを馳せます。少将はどうしようかと思いながら物に寄りかかり、頬杖をつくとそのままぼんやりと暗い物思いにふけってしまいました。「帯刀」も困り果てていましたが、とうとうため息をつきつつ立ち上がります。


「ちょっと待て。どうするつもりだ。向こうへ行く気か」

 少将が呼びとめました。


「せめて私だけでも歩いて行って、「あこぎ」を慰めようかと」


「……よし、それなら私も行こう」


「少将様! それは……それは素晴らしいお考えです!」

「帯刀」は喜んでそう言いました。


「大傘を用意しろ。私は濡れてもいいように衣を脱いで来る」

 少将はそう言って奥の部屋に入っていきます。「帯刀」は急いで大傘を探しに行きます。


 そんな事になっているとは知らない「あこぎ」は悔しげに嘆いていました。ついには腹立ち紛れに、


「ああ、もう、憎ったらしい、雨だこと」と、大きな声が出てしまいます。


「どうして、そんな事を言うの」

 姫君も「あこぎ」と同じ気持ちですが、少将を待ち焦がれている気持ちを表に出すのが恥ずかしくて、何でもない様に聞きました。


「だって。もっと小降りならまだいいんです。なんだってこんな時に、こうも土砂降りになるのかしら」「あこぎ」はイライラしています。


「……降りぞまされる」

 姫はおもわず、古い歌の一節を小さく口づさんでしまい、ハッとして口元を押さえます。


「雨で恋人が来ないことを嘆く歌を口ずさむなんて。はしたないわ。「あこぎ」は聞いてどう思った事かしら」

 姫はそう思うと恥ずかしくて、何かにもたれて顔を隠し、横になってしまいました。


 ****


 雨の、しかも土砂降りの真っ暗な夜に、少将は姫の所へ歩いていく決心をしたようです。こんな時は何があっても、誰に襲われても不思議じゃありません。かなり勇気のいる決断です。

 刀を帯びた「帯刀」でさえも、おそらくは躊躇があったことでしょう。

 それを高貴な身の上の若君が身分も顧みず、衣を脱いで歩いて姫に逢いに行くというのです。

「帯刀」はどれだけ感激したことでしょう。


 本当にこの少将という人は、形式や儀式張った様式美を何より重んじた時代に、考えられないほど自由な、型破りな考えを持つ人のようです。ようやく三日夜を思い出す鈍いところがあったり、軽率な問題行動もおこしますが、それはどうやらこの自由な発想の表れであるようです。そして冒険を厭わない、勇気のある人でもありますね。もう問題児扱いはやめましょう。勇気ある型破りな少将。大変男らしい人です。


 形式や占いに固められた世の中で、こういう人に心から従っている惟成も、きっと普段から気苦労が多いことでしょう。「あこぎ」の活躍が目立つので彼は頼りなく見えがちですが、彼も「あこぎ」の登場と同じように『されたる者』(気が利く者、秀でた者)と書かれています。ちなみに「あこぎ」は『されたる女』と書かれています。きっと彼も本当はよく気の回る、人に信頼される人物なのでしょう。皇太子であるところの東宮の護衛を務める「帯刀」の仕事についていますし、こんな夜に「あこぎ」に逢いに行くというのですから、ある程度腕に覚えもあるのでしょう。


 惟成もこんな風に少将をお連れするのは責任重大なはずなのですが、姫のもとに行くという少将を止めるどころか素直に喜んでいます。彼もどうやら普通の家来ではありませんね。彼は役目上は三の姫の婿君、蔵人の少将の家来なのですが、乳兄弟の少将のことを心から慕っていて、彼の為なら何処までもつき従う心があるようです。

 だから姫君に献身的な「あこぎ」と気が合うのでしょう。よい夫婦ですね。


 そして珍しく姫は小さな本音をもらしました。「降りぞまされる」とは、つれない恋人に自分はどう思われているのか聞きたいけど、怖くて聞けない。それを知っている雨はますます降り続いている。あの人が来てくれないのは雨のせい? それとも……。そんな切ない女心を詠んだ歌です。まさしく今の姫君の心情なのでしょう。


 沢山の和歌の引用が出てきましたが、これは私達が「和歌」として接するから「なんでわざわざ」と思うのであって、当時の人たちにとって男性が教養として身につけなければならなかった堅苦しい「漢詩」などと違い、「和歌」は気軽で生活に密着したものだったんです。ここに出てくる「和歌」は誰もが知っている流行歌のようです。今ならポップス……いえ、もっと気軽なコマーシャルソングのサビに近いかもしれません。大人も子供も気軽に口ずさむ、わざわざ考え込まなくても、ふっと思い浮かぶようなものだったんでしょう。


 そうでなければ、すねて怒っている「あこぎ」の口から次々と出てきたり、ため息交じりに沈み込んでいる姫が、思わず口ずさんだりはしないでしょうから。


和歌はCMソングのサビのようなもの。

これは私の感覚的な解釈です。


このシーン、個人的に好きなんです。今だったらクリスマスイブの夜、約束した恋人が仕事で会えなくなって、それもまだ付き合い始めで「ホントに仕事かな? 付き合って見たらイマイチで、別れたいとか思ってんじゃないかな?」って考えてたら、一人きりで恋人を待っている寂しさを歌った、もと国有だった某鉄道会社のCMの、大ヒットしたクリスマスソングのサビ部分が口をついちゃった・・・そんな感じに思えるんです。


ちょっと難解な和歌のシーンも多いけど、私はそんな想像をしながら読んだり書いたりしてます。


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