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20.三日夜の準備

 今夜も少将が訪れてくれれば、三日目の夜を通い通してくれたことになり、姫と少将は晴れて正式に結婚したことになります。

 所顕ところあらわしの三日夜みかよの宴こそできるような姫の境遇ではありませんが、誰に御披露する事はなくてもお二人にとっては大切な記念の夜です。「あこぎ」はせめて三日夜の餅の準備くらいはして差し上げたいと思いました。


 けれどこういうお願いを出来る人のアテは、「あこぎ」には一人しかいません。「あこぎ」は再び叔母の和泉の守の妻に手紙を書きました。


「大変助かりました。お願いした品々をさっそく送っていただいて、ありがとうございます。本当に感謝しております。たびたびのお願い事でご迷惑かと思いますし、大変申し上げにくいのですが、今晩、ちょっとおかしな事情でお餅が必要になりました。できたら一緒に飾り合わせる見た目の良いお菓子と一緒に、少しお送りいただけませんか。実はお客様は僅かな間の滞在かと思っていたのですが、よくお話を聞くと四十五日の方違かたたがえとのこと。そんな訳で、昨日お借りした品もしばらくこちらで使わせていただきたいのです。よろしいでしょうか。見た目の綺麗なたらい半挿はんぞうも貸していただけると助かります。次々お願いばかりして本当に心苦しいのですけど、昨日からの叔母さんの優しさに甘えさせていただきたいと思いまして。何卒よろしくお願いします」


 そんな手紙を書いていると、少将様から姫様に後朝の文が届きました。


  よそにてはなほわが恋をます鏡

    うつる影とはいかでならまし


(離れてなお、私の恋しい気持ちは増していきます。あなたの鏡に映る影になるにはどうすればいいのでしょう)


 その歌に今日こそ姫も返事をします。


  身をさらぬ影とて見えてはます鏡

    はかなくうつるこそぞかなしき


(私の身から離れぬ影になりたいなんて、そのお言葉に私の想いも増してしまいます。でも、影はどんな鏡にも映るものですから、あなたのお心もはかなく他の方に移ってしまわれそうで、悲しく思えてしまいますの)


 見事な御返歌に少将はすっかり感激しています。美しく女らしい、軟らかさのある筆跡。姫の素直さを表すように変に跳ねたり恰好をつけて伸ばす事のない、気取りのない、素直そうな筆跡です。

 そしてその姫が自分と同じように想いが増しているというのです。他の何かに例えるのではなく、少将の心と同じだと言っているのです。しかも、少将の心が他に移るのではないかと、嫉妬しているというのです。その真っ直ぐな思いを伝えるような返歌に、少将は姫への愛情が余計に増すのを感じていました。


 ****


 結婚は三日かけておこなわれるのですが、この三日目の夜というのは特別で、三日夜みかよと呼ばれていました。

 三日間無事に男君が邸に通い通し「かりそめ」ではないことが証明されると、所顕ところあらわしという親族へ婿君を披露するための宴が催されるのです。ここで初めて姫君の両親と対面し、酒を酌み交わす事で婿君として認められたのでした。そして三日夜の餅という綺麗に盛り付けられた餅を夫婦の証しとして食べ、晴れて結婚が成立するのです。


 姫と少将の結婚は極秘に行われています。おそらく北の方はこの結婚を祝福などしないでしょう。中納言も北の方のいいなりですから、とても味方になってもらえるとは思えません。

 そもそもこの邸では、この「落窪姫」がいる事さえ認めてくれていないのです。とても親族への披露宴など開いてもらえるはずがないのです。それでもせめて形だけでもきちんとした結婚の儀式を行いたいと、「あこぎ」は三日夜の餅を用意しようと思ったのです。


「あこぎ」が叔母に書いた手紙に出て来る『方違え』とは、この時代の占いによる習慣でした。以前お話した陰陽道おんみょうどうです。

 例えば家から出かける先の方角や時間が縁起の悪い日だったとします。でもその方向に出かける用事がある時、家からではなく、一旦よその所に行ってそこから目的の場所に向かえば、時間も方角もずらす事が出来ます。そういう事の為によそを訪問することを『方違え』と呼んだのでした。

「あこぎ」は、急なお客は『方違え』に来ていて、しかもよく話を聞いたら、その『方違え』は四十五日間にわたって、滞在が必要な『方違え』だったと言っています。

 突然来訪した客が四十五日も滞在する。今だったら考えられませんね。でも当時はなんでも占いや、儀式化した様式美が重んじられる時代でした。誰もがこういう事を律儀に守って暮らしていたんです。当時の人々は大変だったんですね。


 そしてようやく少将は姫から初めて手紙の返事をもらえましたね。

 この歌も少将が贈った鏡の影の歌を、変に飾らず同じ気持ちだと返しています。素朴な心のままの歌です。

 世間知らずの姫の一番の魅力は、この率直さなのでしょう。そして少将には姫のその率直さが何より心をとらえて離さずにいるのです。

 その後にささやかな嫉妬を込めて、少将の心を計っているようですが、今の少将にはそういう姫の嫉妬さえも、可愛らしく感じることでしょう。


 ****


「あこぎ」のもとには叔母のいる和泉の守の邸から返事が届きました。


「亡き御母上の代わりと思い、あなたのことを本当に慕わしいと思っています。私には娘がいませんから、『あなたを娘にしたい。あなた一人くらい、何不自由のない暮らしが出来るように御世話をしてあげたい』と思ってこれまでもお迎えしようと言って来たのに、あなたが来て下さらない事を悲しんでおりました。だから遠慮なんて要らないのよ。あなたは私の娘も同然なんですから。いつでも甘えて頂戴。御依頼の品も、好きなように使ってね。さっそく盥と半挿をお送りします。それにしてもおかしなこと。こういう品は人にお仕えしている人は必ず持っているものですよ。今までお持ちになっていなかったのでしょうか。これまで頼んでこなかったのは、みっともないことなのですよ。お持ちでないのならこれは差し上げます。ご自由にお使いください。

 お餅の用意など簡単ですよ。すぐに用意して届けさせましょう。それにしても調度品やら、お餅やらが必要だなんて、まるでお婿さんをお迎えする準備のようですね。とにかくあなたにぜひお会いしたいです。とても恋しく思っています。これからも頼りにして頂戴ね。世間の人は『受領は羽振りがいい』と噂しているそうですが、私はその受領の妻ですもの。いくらでもお世話しますよ」


 とても頼りになる手紙です。「あこぎ」は嬉しくて姫様にもお見せしました。


「お餅は何のためにお願いしたのですか」


 姫は不思議そうに聞きました。世間知らずの姫は、結婚の証しである三日夜の餅の事さえ御存じないのです。


「ちょっと訳があるんです」


「あこぎ」はつい、ニヤニヤしながら答えます。これが晴れの儀式だとお知りになったら、姫君はどれだけ嬉しく思われるだろうと思うと、顔が崩れてしまうのです。


 届けられたお道具類は、どれも豪華で美しく、立派な物ばかりでした。大きな餌袋の方には白いお米がたくさん入っていて、紙で仕切って可愛らしいお菓子や、見た目の綺麗な乾物が包んであり、とても丁寧に配慮されて送ってくれました。


「今夜はこのお餅を出来るだけ綺麗に盛り付けて、少将様と姫様に差し上げよう」


「あこぎ」はそう思って、お菓子を取りだし、栗の皮をむいたりして準備を進めます。


 日が暮れていくに従い、少しやんでいた雨がまた、ひどく降りはじめました。この雨ではお餅を持ってきてもらうのは無理かもしれないと「あこぎ」はあきらめかけたのですが、使いの男達が、一人は大傘をさし、もう一人がほおの木で作ったひつにお餅を入れて、届けてくれました。「あこぎ」は大喜びです。

 見ればいつの間に用意したのか、二種類の草餅と、二種類の普通の白い餅が、小さく、可愛らしく綺麗に作られています。一緒に届いた手紙には、


「急な事だったので急いで用意させましたが、ご満足いただけるでしょうか。気持ちを十分に表わせなくて、残念です」


 と書かれています。とてもうれしくて使いの人たちもねぎらってあげたかったのですが、


「雨が強く降っていますので」


 と言って、帰りを急ぐようなので、身体が暖まるようにお酒だけ飲んでもらいました。


「ありきたりなお礼の言葉などでは、とても足りないくらい感謝しています」


 そう、心をこめて返事を書き、使いの人に持たせました。

「あこぎ」は上手くいったことが嬉しくてたまらず、器の蓋にほんの少しだけお餅を乗せて、姫様に差し上げました。


 ****


 この叔母さん。「あこぎ」のお母さんと仲が良かったんですね。そういう姉妹の娘で、しかも自分には娘がいない。可愛らしい娘の世話への憧れもあって「あこぎ」にもっと色々としてあげたいようなのに、「あこぎ」が勤めを辞めずにいるのでがっかりしているようです。羽振りがいいと自分でも行っているくらいですから、「あこぎ」が望みさえすれば一人前の姫君としてお世話をするつもりだったのでしょう。


「あこぎ」は姫様に恥をかかせないために、現在の姫や自分の境遇などは叔母に話していないようです。こういう事で愚痴を言って姫の名誉に傷がつかない様に、親切な叔母にもかかわらず、距離を置き続けているのでしょう。

 そんな「あこぎ」の事情を知らない叔母は、『必要な物を持っていないなんて』とやんわりと「あこぎ」をたしなめています。若い「あこぎ」が外で恥をかかないようにとの配慮なのでしょう。この叔母は本当に「あこぎ」を心から心配し、見守っているんですね。


 すぐに良い物が用意されて次々届けられる所から見ても、ただ単に裕福なだけではなく、よく気が効く、細やかな配慮の出来る立派な御婦人なんでしょう。女主人としてきちんと暮らしている様子がうかがえます。高貴な方にお仕えし、今は裕福な人の妻になっているのも成程と思える物がありますね。 


 おかげで準備は万端に整いました。「あこぎ」も満足そうにその時を待っています。でも、外は雨が強く降っているようです。果して少将は姫のもとを訪れるのでしょうか……?


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