2.理想の姫、理想の侍女
「落窪物語」は10世紀末の末頃、980年代中ごろから、990年代の初めにかけて成立したと言われています。
作者は不明で、古くからあった「継子いじめ」の言い伝えにヒントを得て、下級貴族の男性が描いたものだろうとされていますが、詳しい事は分かっていません。
けれど、このお話の爽快さ、迷いのなさ、男は何処までも男らしく、女はいつまでも女らしいという男女の理想を掲げた設定、老人の不快な好色ぶり、地券などの生活上の諸手続きへの言及などで、私のような素人でも、これは男性が書いたのではないかと思ってしまいます。
遠い昔のお話ですから、もしかしたらとても男性への観察眼が鋭い、男性的な生活手腕にすぐれた、竹を割ったような性格の女性が描いたかもしれませんが、それはそれぞれの個人の楽しみにゆだねましょう。そういう事を想像するのも古いお話を楽しむ魅力の一つですから。
このお話で圧倒的に活躍をするのは、姫を救出する貴公子、「右近の少将、藤原道頼」です。
では、主役の姫君、「落窪の君」は活躍するのかというと……これがまったくと言っていいほど何もしない。
戦国の世のお姫様のように政略結婚をさせられようとも、夫を助け、内助の功を発揮するなんて事はありません。
自分の味方になってくれる人の為に、直談判をしたり、どうしたら困難を解決できるだろうと頭を巡らせることもありません。
ですから自分の為に現状を改善しようなんて、欠片も思い浮かぶ事が無いんです。ただ、ただ自分の身の上を嘆くだけ。
いいえ。嘆きさえしていませんね。心の中で思うだけで。
でも、当時はそれが不自然なことではありませんでした。生まれのよいお姫様というのは、おとなしく、人に物を言わず、邸の奥に大勢の「女房」と呼ばれる侍女達に囲まれて、顔や姿を出来るだけ隠して、特に男性には気配さえ悟られぬように気をつけて、立歩く事さえ「はしたない」と言われながら、親の言いつけを守って生きていたのです。
そういう基準で見れば「落窪の君」は理想的な深窓の姫君です。姫君の心と、たたずまいというのはこうあるべきだという、当時の貴族社会の姫の在り方を現しています。
でも、それじゃ物語は面白くなりません。いくら相手の男性がこれ以上ない活躍をしてくれても、姫方の方でも何か行動を起こしてくれないと困ります。
そこでこの物語を握る、姫の味方が登場します。「あこぎ」です。
彼女は物語の前半で、夫の「帯刀」と共に大活躍をします。
「あこぎ」の存在は「落窪の姫君」とは対照的で、大変行動的で頭がよく回ります。物怖じせず、とっさの判断がずば抜けていて、その上献身的です。
「落窪の君」が姫の理想像なら、「あこぎ」は当時の侍女である、女房の理想像です。
今の私達には「落窪の君」の頼りなさを理解するのは難しい事です。文化の違いというのはここまで感覚を違えてしまうものなのですね。
けれど、「あこぎ」の気持ちは今の私達にも十分に理解できますし、彼女の活躍は物語が動く大切なきっかけで、さらに前半の山場でもあります。
ですから私は、この魅力的な女性「あこぎ」について、感想を書きつづりたいと思います。