18.「あこぎ」張りきる
姫君は落ち込んでいますが、「あこぎ」まで一緒になって沈んではいられません。初夜こそあんな形になってしまいましたが他に相談できる人もいないので、「あこぎ」は一人で姫君のご結婚の準備をしようと決心しました。立ったり座ったり、忙しくしています。
まずは姫の部屋を奇麗に掃除します。普段は縫物に忙しくて丁寧な掃除までは行き届きませんでしたから、隅々まで清める事にします。
部屋は清らかになってはいくものの、几帳も屏風もない殺風景さはどうする事も出来ません。
姫君は何も考えることもできない様子で、相変わらず突っ伏したまま泣いておられます。それでも、
「お掃除させていただきたいので」
と、姫をそっと起こして差し上げると、その眼も、お顔も赤くなってしまっていて、本当に痛々しいご様子。「あこぎ」も気の毒でなりませんが、
「しっかりなさってください。姫様は本当にお綺麗な方なのですから。わたくしにお任せ下さい。御髪をといて、綺麗にお化粧いたしましょう」
なんて、まるで古参の女房のように大人っぽく言って、心強く思っていただこうとするけれど、姫はどうしても気分が悪いといい、また横になってしまいます。
家具や調度品のないこの部屋ですが、姫君は亡くなったお母上から譲り受けられた、美しいお道具類を少しばかり持っています。
さすがは皇族のご出身でいらしたお母上様のお持ちになっていた品で、特に鏡などは古風で大変に美しい、品の良い立派なものです。
「これだけでも持っていらして良かったわ」
「あこぎ」はそう思いながら綺麗に拭いた鏡を、姫の枕もとに飾ります。するとそのあたりがパッと華やかになりました。
こんな風に「あこぎ」はその日、一日中大人の一人前の女房のように考えたり、女童のように細かな雑用に動きまわったりして、忙しく立ち働いていました。
そして姫君には、
「このような事を言うのは恐れ多いとは思うんですけど、よろしかったら、私の袴にお着替え下さいませんでしょうか。これはわたくしもほんの少ししか着ていないので、見た目が良いと思うんです。お気の毒に昨夜はあんなお姿で、少将様にお逢いになられたのですから」
そう言って三の姫に仕える時に着る、まだ二度しかはいたことのない袴をそっと差し出します。
「姫様にお仕えする身で馴れ馴れしいとは思いますが、残念ながら他にお世話して下さる方もいらっしゃいませんし。いかがなさいますか」
姫は恥ずかしくはあるけれど、昨日と同じ姿を少将様にお見せすることもできず、何より「あこぎ」の心づかいが嬉しくて、その袴を着る事にしました。
「良い香も焚き締めましょうね。三の姫の裳着のお式(女性の成人式)の時にいただいた薫物が少し残ってますから」
そう言いながらほんのりと、いい香りが漂うように具合よく袴に香を焚き締めます。
それにしてもこの部屋はあまりに殺風景すぎます。あけすけの部屋のままでは寝具も丸見えで整えにくいし、何より落ち着けません。
「せめて三尺の御几帳だけでも欲しいわね。どうしよう」
寝具も薄過ぎるのが気になります。これでは少将様はゆっくりお休みになれないでしょう。
****
邸中の大人が逆らえない北の方に逆らってでも、姫様の為に立ち向かうような「あこぎ」です。普通の少女じゃありません。いつまでも姫と一緒になって、不安がってなんかいられません。ここからが「あこぎ」の本領発揮です。
事がこうなった以上、姫と少将が幸せな気持ちで正式に結婚するのが一番いいことだと「あこぎ」は分かっていました。こういう時に冷静な判断が出来るのが「あこぎ」です。
「あこぎ」は中納言の三の姫の女童です。きちんとした大人の女房の仕事をさせてもらったことはないのでしょう。それでも彼女は自分で大人の仕事をこなしてみせようと決心します。大事な姫の一生がかかっているんです。
この時代は婿とりの通い婚です。たとえ初夜を共にしても、それはお試しの様なもの。正式な結婚をするには、男性に三日間通ってもらうのが当時のしきたりでした。ここで互いの気が合わなければ……特に男性の気に染まらなければ、そのまま男性が訪れずに「かりそめ」で終わってしまいます。「あこぎ」は少将と姫をそんな風にする訳にはいきません。
姫が少将の気に染まるように、あこぎは必死に結婚の準備をします。彼女にとっては全てが初めてのことですし、きっと誰も教えてなんかくれなかったはず。それでも三の姫の結婚の時に大人たちがどうしていたかを思い出しながら、自分でいろいろ考えて、姫の晴れの日を飾ろうと努力します。
幸い少将様はせっせと手紙を送ってくださっているのですから、惟成が言うほど本気かどうかは分からなくても、今、姫に関心を持っていらっしゃることは確かなはず。姫様も少将様を嫌ったのではなく、自分の哀れな姿を少将様に見られた事がショックなだけだという事が分かりました。そういう姿を見られた事をこんなにも辛がっているという事は、本当は姫様も少将様のことが恋しく思われているのでしょう。
それならば姫様の晴れの日を相応に飾って差し上げて、お二人が互いにもっと恋しく思うようになればいいんです。「あこぎ」はそう思って張り切っているんです。
「あこぎ」は姫に大人ぶって仕度をするように促していますね。
いくら準備万端、大人たちが恋愛も結婚も世話を焼いて用意しているとはいえ、今まで男性は父親くらいしか目にした事のない当時の姫君達。それだけに現実の初夜を迎えて戸惑ったり、うろたえたり、自分が物語で夢見たようでは無かったりして、愕然としたり、泣いたり、すねたりする姫もいたのではないのでしょうか?
それまで親の言う事だけを忠実に守ればよかった姫君達には、外の世界から初めて迎え入れる男性は大変な試練なのかもしれません。それが自分の役目だと頭で分かっていても、全てを理解するのはたやすくなかったかもしれません。
そんな時には侍女の役目と共に、家庭教師の様な役目をするのが古くから親も同然に姫君をしつけて来た年配の女房でしょう。うろたえて沈み込む姫君に、指導者としてピシャリと叱ったり、励ましたりして冷静さを取り戻させたことでしょう。
「あこぎ」もそんな様子を他の姫と侍女たちから見ていて、自分がそういう役目をしなければならないと思い、姫に大人びた口調で励ましたんじゃないでしょうか?
まだ若い彼女の必死な想いが伝わります。
****
「あこぎ」は奥の手を使う事にしました。前から「あこぎ」に、勤めを辞めて一緒に暮らすようにと言ってくれている親戚の、以前は高貴な方にお仕えし、今では裕福な和泉の守の妻になっている叔母さんに手紙を書きました。
普段は折角の申し出をお断りし続けているので、「あこぎ」は遠慮してこの叔母に頼るようなことはしない様にしていました。でも今は仕方がありません。
「普段ご無沙汰しておきながら、急なお願いを失礼いたします。私の所に大切な来客がございまして、出来ましたら几帳を一つ、お借り出来ませんでしょうか。それからもし、手元にございましたらお客様に使っていただく寝具もお借りしたいのですが。御連絡もしないままこんな時だけお願いをするのは心苦しいのですけど、なにしろ急な事だったもので」
急いでいるので走り書きのような手紙でしたが、叔母さんからは優しい返事が返ってきました。
「お手紙を頂けて嬉しいこと。あなたに頼って頂けなくていつも寂しく思っていたのよ。これからも御用のある時はどんどん言ってね。遠慮しなくていいのよ。たいして良い物ではないから、このくらいはあなたも持っているだろうけれど、私が着ようと思っていた寝具をあなたにあげるわ。几帳もどうぞ。これからも頼りにしてね」
そんな手紙と一緒に、几帳と、紫苑色の寝具を届けてくれました。あこぎは大喜びで姫君に見せます。
その几帳の紐を解き、帷子を下ろした頃に、ちょうど少将様がいらっしゃいました。「あこぎ」は早速恭しく少将様を姫のお部屋にお通しします。
姫君はまだ横になっておられましたが、少将様がいらっしゃったのに失礼だと思って起き上がろうとします。それを少将様がお止になって、
「私のせいで御気分が悪くていらしたのです。無理にお起きになる事はありませんよ」
とおっしゃいます。
姫君も今夜は綺麗な袴と、少将様から頂いた衣を身につけ、御髪も通し、化粧も施し美しく装っています。部屋も美しく整えられて、「あこぎ」の気遣いで几帳や新しい寝具まで用意されています。おかげで気後れすることなく、少将様に寄り添う事が出来ました。
少将も見違えるような姫の姿に待ちきれない様に共寝なさいます。姫君も落ち着いているので、少将の言葉に時折優しい返事を返してくれました。
その様子が少将には、またとない素晴らしさに思えて眠る事さえ忘れ、一晩中二人で語り明かしてしまいました。
こうして幸せな二夜目の夜は、あっという間に過ぎて行きました。
****
「あこぎ」の身の回りが少しだけ分かりましたね。彼女の叔母にあたる人は、高貴な人に仕える事が出来るくらいには身分が整っていたようです。
と言う事は、彼女の両親もそのくらいの身分はあったのでしょう。もし両親が健在なら、「あこぎ」もそういう身分だったのでしょう。
しかもこの叔母は「和泉の守」の妻になって、裕福に暮らしています。「守」というのは「受領」と呼ばれる「国司」のこと。今で例えれば県知事さんのようなものでしょうか。
この「受領」になると、赴任先に恵まれれば官人としては結構いい儲けがあったようです。彼らは税を徴収するのが主な役目になるので、都で政をつかさどる朝廷の人たちとの大事なパイプ役になって欲しい地方の人たちや、都にいる政治家たちが、裕福な国からの速やかな納税や自分たちへの富を回してもらうことを望みました。
ですから受領達には有利な取り計らいや様々な付け届け、高価な品々を渡したりします。富が絡んだお話になると、あまり綺麗ではないのはいつの時代も変わらないようです。
特に貴族は見栄を張って生きていかなければなりませんからね。そういう事も多くなります。
和泉の国は豊かな国だったようですね。そういう人の妻に「あこぎ」の叔母は納まったようです。だから生活に余裕があって性格がよくて可愛らしい、「あこぎ」を引き取りたがっているんです。そしてしっかり者の「あこぎ」は、あまり普段は叔母に頼らない様に気を使っているようです。姫の為にせっかくの誘いを断っているので、遠慮しているんでしょう。「あこぎ」のそういう所をこの叔母も、余計可愛らしく思っているようです。「あこぎ」には頼りになる味方ですね。
「あこぎ」の叔母の親切と、何より「あこぎ」の活躍のおかげで、姫も落ち着いて今度は幸せな夜を迎えられたようです。「あこぎ」はどんなに嬉しかったことでしょう。
ところでこの時代、男君が途中で帰ったりしたら困ると、邸の主人が心配で男君の沓を抱えて眠ったりしたそうです。
私、想像してしまうんですよ。「あこぎ」が、少将が姫の部屋から帰れない様に、沓を抱えて、どこかに惟成と隠れてしまう所を。
「何があっても、少将様は夜明けまで帰してあげないからね。惟成もここから離れたりしたら、承知しないから」
なあんて、言っていそうじゃありませんか。




