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16.「あこぎ」の献身

 こんな事になってしまって「あこぎ」はいたたまれなくて部屋から出る事が出来ません。どんな顔をして姫君に会えばいいのか、見当もつかないのです。

 けれどいつまでもそうして引っ込んでいるわけにもいきませんから、そうっと、姫君の部屋を覗いてみました。

 姫君はまだ横になったままです。その姿をおいたわしいと思いながらも、どうやって声をかけたらよいのかも分かりません。「あこぎ」が悩んでいるうちに、「帯刀」と少将様から後朝きぬぎぬの文が届きました。


「帯刀」の手紙には、


「昨夜は一晩中俺も知らないことでお前に責められて、すっかり懲りてしまったよ。もう少将様がお前達をを困らせるような時には俺は行かない事にする。でなけりゃ、お前にどんな目に会わされるか分からないから。考えるだけで恐ろしいや。姫君にも俺は嫌われただろうから、こういう役目はやりにくいんだが、少将様に姫君への手紙の返事をもらうように頼まれた。嫌な役目だろうが、お返事を姫君から貰えるようにお前からも頼んでくれないか。これは男女の慣わしだし、大丈夫、お二人は運命で結ばれたんだ。何も心配はいらない。姫君にもそう申し上げてくれ」

 

 と、自分の都合ばかり書いて来ています。けれど、早々と来た後朝の文を姫君に見せない訳にもいきません。「あこぎ」は思い切って文を携えて姫の部屋に行きました。


 ****


「後朝の文」というのは男女が契りをかわした朝に、送りあう手紙のことです。「帯刀」の言うとおり、これが交際中の慣わしでした。

 もちろんこの手紙も男性が先に送ります。この時代は恋愛も結婚も男性主導で、女性は待つしかなかったんです。女性は断る権利はあるけれども、追いかけることはできなかったんですね。

 だからどうしても恋愛事は男性に有利になりがちですから、この「後朝の文」も男性が早くに送るほどよいとされました。少し遅いようなら迷いがあって、付き合い次第と思われていると考えられましたし、かなり遅いようなら「遊びだった」ことが分かります。場合によっては文を返さずそれっきりってこともあった訳です。少将は急ぎ文を送って、「本気なんだ」と知らせて来たわけですね。


「帯刀」は帰る直前まで「あこぎ」に責められていたわけですから、「あこぎ」にも姫君にも、ばつが悪いのでしょう。けれど少将の誠意を姫に分かってもらわなければなりません。

 なんとか妻の「あこぎ」の怒りを解いて、姫にとりなしてもらおうと「あこぎ」にすり寄った手紙を送っています。こちらは後朝の文どころではなく、全面降伏の様相ですね。


 ****


「あの……姫様。少将様からのお文が参りました」


「あこぎ」が声をかけても姫は横になったままです。


「昨夜、私は何も知らなかったのでございます。気づかず寝ているうちにこんな事になってしまって。今更なにを言っても信じていただけないかもしれませんが、本当の事なのです」


 姫に返事はありません。


「もし、そんな気配を感じておりましたら、きっと姫様にお知らせしましたのに」


 相変わらず姫君は黙ったままです。「あこぎ」たまらない思いに駆られます。


「やはりわたくしも知った上で、姫様を騙したと思っていらっしゃるのですね。信じていただけないなんて残念です。私は姫様のことだけ考えて長年お仕えして参りましたのに。今度のお参りも姫様と一緒に行けないならと、北の方に疑われようともご辞退させていただいたほどですのに。そんなわたくしの心も届きはしないのでしょう。わたくしの言葉に耳を傾けていただけないなら、わたくしが居てもお邪魔なだけですわ。どうぞお暇を出して下さい。何処へなりと参りますから」


「あこぎ」は話しているうちに、情けないやら、悲しいやらで泣き出してしまいました。

 そんな「あこぎ」の姿を見ると、さすがに姫も心動かされたのか、


「いいえ。あなたのせいではないわ。あなたが知っていてもいなくても、突然男の方があんなふうにいらしたら、思いがけずに嫌な思いをした事に違いはありませんから。でもそれよりもね」


 姫は思いきったように言います。


「わたくしが本当に辛かったのは、あまりにもひどい身なりを少将様に……あのような立派な殿方に見られてしまったことなの。たとえ粗末な身の上でも、お母上が生きておいでならこんな身なりであの方にお逢いすることは無かっただろうと思うと、侘しく惨めに思えるのよ」

 そう言って姫は悲しげに涙をこぼされます。


 姫が少将様を嫌ったのではなく、ひどい姿を見られた事を気にしていると知って「あこぎ」は安心しながらも姫の境遇をおいたわしく思いながら、お慰めします。


「お辛いお気持ちはよく分かりますが、少将様もこちらの北の方様の姫様に対するひどい仕打ちはご存じなのですし、それも全てご承知の上でいらっしゃったのですから、姫様も少将様のお心を信じてお頼りになったらいかがでしょう。姫様が少将様と正式にご結婚なされば、わたくしどもも嬉しく思いますわ」


 けれど姫はうかない顔で、

「その少将様のお心が、どれほど信じることが出来ると言うのでしょう。こんなひどい身なりの女の姿を見て、心動かされる男君がいらっしゃるとは思えないの。それにこの事が北の方に知られでもしたら、どんなお叱りを受けるか。普段からよその縫いものでもしようものなら、ここを追い出すとおっしゃっているのに」と、脅えられます。


「だったら、こっちからここのお邸を出て行ってしまえばいいんですよ。はっきり言いますわ。姫様はこんな所にいていいような方ではありません。それなのに北の方様は姫様を一生ここで裁縫女として閉じ込めておくつもりなんですよ。そんなこと許せませんわ」

 と、「あこぎ」は憤慨しながら姫を励ましました。


 ****


「あこぎ」は姫の事になると本当に必死ですね。こんな事になったなら普通の若い女房なら、姫が「遊びの相手」で終わらせられてしまうのではないかと、不安で一緒におろおろするのが関の山かもしれませんが、「あこぎ」は少将様を頼って、こんなお邸こっちから出てけばいいと言っています。彼女の献身さは大人たちでさえ脅える北の方をものともしない程、一途です。

 この献身、どこからくるのでしょう? この感想は「あこぎ」の魅力を語るための物なので、ここは「あこぎ」の生い立ちを想像してみることにしましょう。


 この話に「あこぎ」の両親は出てきません。彼女は最初から中納言家に仕える女童として登場しています。

 この時代は華やかな一方、大変過酷な時代でもありました。都の外で暮らす人々は勿論、都で邸に仕えていた人たちも、ひとたび邸の貴人が没落したり、邸にいられなくなったりすれば、次の勤め先が見つからなければ生活はすぐに行き詰ります。身分ある「落窪姫」でさえこんな境遇です。都の街中でも病魔や飢えで死んでいく人も多くいました。強盗や盗人に殺される人もいます。みなしごになる子供も多かったことでしょう。


「あこぎ」の両親も、貴人につてがありながらも何らかの理由で亡くなったのではないでしょうか? せめて我が子だけはと中納言家の前の北の方に「あこぎ」を女童として勤めさせたのかもしれません。そして「あこぎ」は北の方を母のように、「落窪姫」を姉妹のように思い、感謝をささげながら育ったのでしょう。姫との仲の良さを考えると、惟成と少将の様な乳兄弟のように愛と友情を持って育てられたに違いありません。


 しかし、北の方が亡くなり、中納言家に新たな北の方が迎えられると「あこぎ」と姫の生活は一変します。姫は虐げられ、北の方が邸に君臨し、誰も彼女に意見できなくなります。

 きっと、初めのうちは「あこぎ」も姫君同様に虐げられる生活を送ったことでしょう。大人たちでさえ脅えて逆らえないような北の方です。そのひどい仕打ちに二人の子供がじっと耐える日々が続いたことでしょう。


「あこぎ」はそんな辛い日々を、姫と共に助けあって生きて来たのではないでしょうか? 誰も大人が助けてはくれない中、二人の少女は互いを唯一無二の存在として寄り添って生きていたのかもしれません。「あこぎ」にとって姫君は、肉親以上の様な存在なのでしょう。

 だから「あこぎ」は中納言家から追い出されないために、三の姫に仕えます。そしてただ仕えるだけではなく、本来の姫君の暮らしはどういうものか、そのお世話はどうすればいいのか、どうしたら「落窪姫」を幸せにできるのか、日々考えながら暮らしたのでしょう。


 主人に仕える礼儀作法を覚え、少しでも知識を吸収し、大人のやり取りを見憶え、聞いた歌や物語を覚え、美しい文字が書けるように、懸命に練習したことでしょう。

 少将に文字の美しさを褒められた「あこぎ」ですが、きっとそうやって誰にも頼らない努力の末に、身に付けた技術であっただろうと思うのです。大事な「落窪姫」がいつか幸せになるためのお手伝いが出来るようにと、小さな少女が必死で身につけていったと思うんです。


「あこぎ」の悲しい生い立ちと、清らかな心。それがこれほど献身的な、魅力ある少女を作ったのかもしれません。これでは惟成がぞっこん惚れ込んでしまっているのも分かりますね。

 

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