13.少将の策略
少将がようやく「帯刀」が見張っている所へと顔を出します。
「どうでした、お帰りになりますか。笠はどうなさいます」
「帯刀」はさっきの冗談を蒸し返します。
「お前は妻の味方だな。妻恋しさに私を帰したいのだろう」少将も笑ってしまいます。
姫の姿はとてもみすぼらしいものでした。今姫の部屋に忍び込んだら、姫はその姿を恥ずかしがることでしょう。でもここまできたら少将は何としてでも姫に逢わずにはいられません。
「お前は妻を呼び出して、一緒にいればいい。しっかり捕まえておいてくれ。その間に私は姫君と逢おう」
少将はとうとう邪魔な「あこぎ」を遠ざける策に出ました。「帯刀」は逆らえるはずもありません。
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なんだか妻に懐柔されそうな「帯刀」に業を煮やして、少将は強硬策に打って出ましたね。そのくらい発破をかけないと「帯刀」は新妻に敵いそうもないと思ったんでしょう。
実際新婚でも夫婦ともに忙しい二人なのに、せっかく夫とのんびりできる数少ない機会を「あこぎ」は姫と共に過ごそうとするくらい、献身的です。姫もそんな「あこぎ」に気を使って夫のもとに行くように促しています。
二人の友情を美しく思った少将ですが、それでは姫と二人きりになる事は出来ません。少将は姫の様子を見て、すっかり逢瀬を遂げる気になっているんですから。そこに姫と「あこぎ」の友情への気遣いなんて存在していないようです。やっぱり少将はちょっと軽薄ですね。
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「帯刀」も覚悟を決めて「あこぎ」を呼び出しますがその返事は、
「今夜は姫君の傍にいたいから、惟成は東宮の侍所(惟成の職場)で帯刀の仕事でもしていて頂戴」
と、そっけないものでした。でも、それでは「帯刀」は困ります。再度使いをやって、
「今、客が言った言葉を教えたいから、少し出てこいよ」と呼びました。
とうとう「あこぎ」がやってきました。
「何なの。うるさいわね」
「あこぎ」がそう言って部屋の引き戸を開けます。そこで「帯刀」は、あこぎを部屋に引っ張り込んで、抱きしめてしまいました。
「客はね、『雨の降る夜に独り寝なんかするもんじゃない』って言ったんだ。だから一緒にいようと思って」そう、囁きます。
「やっぱり用事なんて無かったのね」
あこぎは笑って離れようとしますが「帯刀」はそのまま「あこぎ」を押し倒してしまいます。
そうなると「あこぎ」も断る気はなくなってしまい、そのまま二人は共寝してしまいました。
その後「帯刀」は「あこぎ」を抱きしめたまま、ぐっすり眠ったふりをしてしまいます。
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うーん。さすがは新婚さん。「帯刀」もここにいたっては「あこぎ」に丸めこまれる訳にはいかなくなって、力技に出ましたね。
「あこぎ」も少将様もいて、母親もいて、自分も妻になっていて、仕事も安定している惟成よりも、自分以外に味方のいない姫君の方がどうしても普段は気になって仕方がないようですが、惟成とのささやかな幸せだって、大切にしたいんでしょう。
姫君への心配がなければ、惟成と楽しい時間が過ごせる時期なんですね。でも、「あこぎ」はそんな自分の幸せよりも姫君のことを大切にしているんです。年こそ若いけれど、まるで母親の見守る愛の様なものを「あこぎ」は持っているんですね。
けれど「帯刀」だって少将の事が大切です。母親が乳母として仕えているだけではなく、自分だって乳兄弟として培ってきた友情があります。少将を裏切る真似は出来ません。
貴族社会で貴人に従えなければ家来は生きてはいけません。「帯刀」も母親や「あこぎ」の為にも身分のある人に逆らう訳にはいかないんです。
いざとなれば夫の惟成や、よくしてくれている親戚に頼ることが出来る「あこぎ」は、姫君の事だけ守ればいいと思うのかもしれませんが、貴族社会にしたがって生きていく「帯刀」としては姫君の事より大事なことがあるんです。
「あこぎ」もある程度はそれを分かっているのでしょう。だからこそ、夫を信用しない訳ではないけれど、夫の事より味方のいない姫のことって、なってしまうんですね。
けれど愛する夫への油断から、「あこぎ」は少将の策略に乗せられてしまったんです。
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一人になった姫は横になりながらも琴をつま弾いて、
なべて世を憂くなる時は身隠さむ
巌の中のすみか求めて
(世の中の全てが悲しくなる時は、人の気付かない巌を住みかに身を隠してしまいたい)
と、悲しい歌を口づさんでいます。
そんな姿を見ながら少将は、人が来ないことを確かめると木の切れ端を使って器用に格子をこじ開けてしまいました。そのまま格子を上げて、姫の部屋の中に入ってしまいます。
姫は仰天して起き上がりますが、少将は姫に近付いて抱きしめてしまいました。
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これは感想文なんですけど、この場面の感想って、驚き以外にありません。
少将って、どういう人なんでしょう? よほど女の部屋に忍び込み慣れているのでしょうか?
格子を器用にこじ開けたと言う事は、この格子は外からは開けられない工夫がされた物でしょう。格子を上げるのですから神社などにある内側から押し上げて外に開き、上からひもなどでつって戸を固定する蔀と呼ばれるものだろうと思います。当時はこれが一般的だったようですから。
そういう格子を棒切れで開けてしまう。まるで空き巣か泥棒です。
姫はひどい扱いを受けていて、この部屋は一段落ちくぼんでいるような部屋ですから、格子も少将が簡単に侵入出来るような建てつけの悪い代物だったのかもしれませんが。
こんなことされたら別に姫君じゃなくたって、仰天したことでしょう。
軽薄だったり、雨の中恋の冒険に繰り出したり、女の部屋の戸をこじ開けてしまったり。女性を境遇や着る物で判断しない、心優しいところのある人ではありますが、このお話のヒーローは、いろいろ問題もあるようです。
ここでの姫のいる場所の状況は深刻です。
当時は人身売買が簡単に行われていて、女性が突然さらわれるようなことも起っていました。
邸の中と言うのは壁などがとても少なかったので、建物の大半部分は筒抜けです。身を守れる戸締りができるのは、ここに出てきた蔀格子や、人が出入りするための建具に錠を挿すくらいしかないでしょう。
この日、この邸は人が少なく、本来厳重に邸の周りを守っている警護の人もほとんどいなかったのだと思われます。
建物がこの程度しか侵入防止の手段がないわけですから、警護の人がいなければ、姫がここにいることを知られてしまえば何があってもおかしくはない状況です。あこぎが姫が心細かろうと心配したのはそのせいです。
そういう邸で器用に格子をこじ開けてしまう。開けられてしまう程度の所に姫が暮らしている。
少将の行動ももちろん問題ですが、いつ連れ去られても、勢いで殺されてもおかしくないところに姫が閉じ込められている。そういう姫を置いて邸中の人間が出かけてしまう。
この邸の人たちの薄情ぶりが現れている場面でもあります。




