12.垣間見
「帯刀」は少将を姫君の部屋の格子の前に案内し、邸の留守番を守る人に見つからないよう、見張りをしていました。
少将は早速格子の隙間から部屋の中を覗いてみます。消えそうに弱い灯火がかろうじて照らす部屋は大変に簡素で、がらんとしています。
本来なら姫君が暮らす部屋には無くてはならない、几帳や屏風と言った身を隠す最低限のものすらありません。
おかげで薄暗い室内でも中の様子が分かります。中には二人の女性の姿が見えました。
どうやら少将の方を向いている歳若い少女のような女性が「あこぎ」のようです。薄暗い中でも艶やかで美しい黒髪が目を引きます。顔立ちもまずまずの、美少女のようです。彼女は全体的に可愛らしい感じで、白い単衣を着て、上に光沢のある掻練の衵を着ています。
もう一人の寄り添うようにしている女性がおそらく姫君なのでしょう。彼女は「あこぎ」の着ているのと同じ白い衣が、すっかりくたびれて古くなってしまった物を身にまとい、さらに寒さを凌ぐかのように古びた綿入りの衣を腰の下にかけています。相当みすぼらしい物を身につけているのが分かります。
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垣間見とは人の普段の姿をこっそり覗き見することです。今だったら犯罪です。
これは結構普通の事だったようです。顔が見えないお付き合いとは言え、やっぱり女性の顔は確認したいのが人情だったんですね。姫君にはプライバシーが無くなりますけど。
ようやく少将は姫の姿を目にする事が出来ました。しかしその様子はとても寂しいものだったようです。
本当なら姫君の部屋というのは、様々にしつらえられた豪華なものです。沢山のお付きの人がいるので、賑やかでもあったはずです。でも、この部屋には姫と「あこぎ」の二人しかいません。それに最低必需品の品さえないようです。
今までお話したとおり、姫君というのはその家の宝物のように大切にされる人です。実際、家を繁栄させる婿君を迎えるためには欠かせない宝物であったんですから。
そういう姫に今の少将のようなけしからん事を考える男性が、気まぐれに遊びで手を出しに来ては大変です。ですから姫君はとても手厚く守られます。大勢の人が常に付き添い、姿さえ見られない様に仕切りや建具でその身を隠します。
屏風は今の物と同じで部屋を仕切って使うものでした。美しい絵が描かれ、中には名歌や詩が書かれる物もありました。姫君はその陰に隠れて、直接姿を人に晒さない様に暮らしました。
几帳というのも仕切りに使うものです。でもこれは屏風のように風も光もさえぎるものではありません。骨組みを組んだものに帷子と呼ばれる薄絹をかけて、骨組みごと移動できるカーテンのように使いました。
姫君の部屋というのはこう言った建具や御簾で周りを囲んで、美しい棚や箱といった家具を置いて飾りながら、姫君を守るようにしつらえられている物なのです。
でも「落窪姫」の部屋には家具や小物どころか、身を隠すものすらなかったんですね。
しかも姫君の身なりはみすぼらしいものでした。ほんの少し前までは、身体を寒さから守る綿入りの古着さえ無く、ボロ着一枚で凍えていたのですから。三の姫に仕えている「あこぎ」の方がよっぽどいいものを着ているんです。
西洋のシンデレラはみすぼらしい姿から美しいドレス姿に身を変えて、見違えるように美しくなって王子と出会います。それに比べて「落窪姫」の、なんて悲しい姿でしょう。女性なら運命の人と出会う時は、とびきり美しい姿で出会いたいものなのに。
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横を向いたままうつむいているので、姫の顔は見えません。それでも少将は姫の様子に引き込まれてしまいました。
頭の形が大変綺麗です。よく整った感じで歪みがありません。その美しい頭から流れるように美しい黒髪が肩へとこぼれ落ちています。うつむき加減のしとやかなしぐさが、一層姫を美しく感じさせてくれます。穏やかで優美な女性なのでしょう。
あまりの美しげな雰囲気に、やっぱり顔が見たいと思ったその時、弱々しかった灯がとうとう消えてしまいました。
少将は悔しいとは思いましたが、逢えば最後には顔は見れるのだからと思いなおします。
「ああ、暗くなってしまったわね。今日は夫が逢いに来ているのでしょう。早く行っておあげなさいな」
暗い中で「あこぎ」にそう言う姫君の、その声の美しさ。優しげで、可憐で、女らしい可愛い声が少将の耳をくすぐります。
「いいえ、さっき友人が来たようなんです。だから惟成は大丈夫。それより今夜は広いお邸に人がいないから、姫様もお一人では恐ろしいでしょう。今夜は一緒にここにおりますわ」
「まあ。それでは夫が気の毒でしょう。私は大丈夫よ、恐ろしい事なんて慣れていますもの」
そんな風に二人が互いを思いやっている姿が、二人を余計に美しく感じさせてくれます。少将は心が洗われるようです。
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すいません。結構誇張して表現しています。
だって「頭の形がいい」「髪の流れがいい」「声が優しい」これだけで少将が見とれたと言われても。多分、それだけ雰囲気が良かったってことなんでしょうけど。
顔が見えなければ想像するしかありませんから、ちょっとした雰囲気でも美人を察する能力が当時の男性にはあったのかもしれませんが、私達にはそこまでは……。せめてこの程度は誇張させて下さい。
それにしても寝る間も惜しむほどの針仕事を言いつけられている姫の部屋が、そんなに薄暗いなんて。
しかも肝心なところでその火が消えてしまうなんて、どれだけ油や芯を与えられていないんでしょう。少将もじれていますが、読んでいる読者だってとってもじれじれしてしまいます。
少将もただのプレイボーイでは無かったんですね。少なくとも部屋のきらびやかさや、衣装の良さ、見た目だけの美しさに惑わされる様な男性ではないことがようやく分かりました。
まだ顔の見えない姫の、本質的な品の良さや可憐なまでの優しさに心ひかれている事が分かります。そして姫と「あこぎ」の友情にも理解を示せる人の様です。
シンデレラの王子様より、素敵な男性かもしれません。ちょっと、軽薄ですけどね。