11.雨中の訪問
その夜は雨も降っていたので「帯刀」も今夜は少将様が来ることはないと思い、二人はすっかりくつろいで、新婚らしく共寝をしながらそれぞれに自分の主人の人柄などを語り合います。
うるさく言う人がいないので姫もくつろがれているのか、お得意の筝の琴を遠慮なく美しく奏でています。「帯刀」は聞き惚れてしまいました。
「姫君はこんなに美しい音を奏でられるんだなあ」
「素晴らしいでしょう。亡くなった姫のお母上が、姫が六つの時からお教えしたのよ」
と、「あこぎ」も自慢そうです。
すると少将からの使いが「帯刀」を呼びにきます。「帯刀」は慌てて服を整え、飛び出して行きました。「あこぎ」は夫が誰に呼び出されたかも分からないまま飛び出してしまったので、仕方なく姫君の所に向かいます。
呼び出された「帯刀」が忍んで止められた車の中を覗くと、少将が待っていました。
「どうだい、上手く手配できそうか。この雨の中来たことを無駄にしないでくれよ」
「こんな風に知らせも下さらずに突然来られましても。雨も降っていますし今夜はおこしにならないと思ったじゃありませんか。姫君からはまだお返事さえ頂いてないんです。姫君のお気持ちも分からないままでは手配だってやりようがないですよ」
「帯刀」は困り果てました。こんな強引な真似をされては、姫に誠意のない、軽々しい扱いをしていると思われたって仕方がありません。
「まあ、そう難しく考えるな」
少将の方は気楽なもので「帯刀」の背中をポンと叩いたりします。何を言っても聞き入れそうにもない様子です。「帯刀」はあきらめるしかありません。
****
旅行の説明でもお話しましたが、牛車というのは車と言っても今の自動車のような役割をするものではありません。貴人の姿を隠し、足を地につけずに移動するためのものです。
ですから冷たい雨の中で温かい訳でも、隙間風を防ぐ訳でも、それほど快適な訳でもありません。外で濡れるよりはマシといった程度だったでしょう。
それに牛車は身分にもよりますが、大変豪華に作られたものでした。身分の高い人ほど大きくて立派で、様々な装飾が施された車に乗ります。輿に乗るような高貴な身分の人も車に乗りますが、そう言う人の車は大型で屋根も唐破風の立派な屋根で、出入り口に使う簾も他の車のような青簾ではなく、豪華な織物がかけられます。京都の時代祭に使われる立派な車がそれです。
そこまで立派ではなくても、普通の貴族の牛車だって相応に豪華なものだったでしょう。牛車って、実用的な移動の道具ではなく、権威を示す芸術品なんですね。
そんな牛車で雨の降る、誰も見ていない夜の都を出歩こうなんて貴族は考えません。
日頃は邸の奥で快適に過ごしている貴人たちが、豪華な車を雨に汚して不快な思いをする必要なんてありません。雨の中をわざわざ他の邸を訊ねに行くなどという事は、普通ないんです。ですから「帯刀」はすっかり油断して、新妻との語らいの時間を楽しんでいたのです。
そして「帯刀」は姫の琴の音色に聞き入って、褒めていますね。当時はお邸の奥に住む女性とは本当に親しくならないと、顔はおろか姿もめったに見る事が出来ません。深窓の姫君ともなれば、声すら聞く事は出来ませんでした。
だから姫君が演奏する楽器の音色というのは、姫君の人柄を知る大切な手段になります。顔も姿も分からなければ、こういう事で見当をつけるしかなかったんですね。
ですから姫君達は楽器や、人に出す手紙の筆跡を一生懸命に練習したんです。それが姫君の価値になり、美人の基準にさえなったんです。
少将は「あこぎ」が惟成に出した手紙を見て、筆跡を褒めていました。顔が見えない以上、そういう魅力がとても大切に考えられていたんです。「あこぎ」の髪が長くて美しい事が美人と言われていたのも同じことです。顔が見えなければ、何かの拍子で後姿がちらりと見えた時、その黒髪が美しい事は大変魅力的に思われたのでしょう。
女性の普段見てはいけない部分が、一瞬ちらりと見えることに男性が弱いと言うのは、今でも同じようなものですけどね。
****
「仕方ないですね。車から降りて下さい。今、考えますから」
「帯刀」がそう言うと、少将は邸に入って牛車を「朝になったら迎えに来い」と返してしまいました。今夜は絶対に引かないつもりなのでしょう。
少将を「あこぎ」の部屋の引き戸の前に落ち着かせると、どうしたものかと「帯刀」は頭を巡らせますが、人の気配がないのをいい事に気軽な少将は、
「とりあえず、姫の姿を覗き見させてくれ」なんて言い出します。
「待って下さい。強引にお顔を覗き見して、期待外れならどうなさるつもりですか。物語の『物忌の姫君』のような醜い方かもしれないですよ」
焦る少将を落ち着かせようと「帯刀」は冗談を言いますが、
「その時は物語と同じに『笠も忘れ袖をかぶり逃げ帰る』さ」と、少将も笑います。
****
突然雨の中をフライングでやってきてしまった少将に、「帯刀」は困りながらも状況に身を任せる事にしたようです。
「帯刀」は「あこぎ」がこんなことを許すわけがないことをよく知っています。自分の大切な姫の気持ちもはっきり分からない内に、少将の強引な好奇心を満足させるために利用されるようなことは、絶対に許せないはずです。
「帯刀」自身も「あこぎ」から姫の人となりは聞いています。いくら姿が見えないとはいえ、「あこぎ」に対する接し方や、内心、姫に対する邸の人々の同情などから、その性格や人間性もそれなりに見えてはいるのでしょう。
控えめな姫君の、普段は自由に弾く事も出来ない琴の音を聞いて、本当ならこの邸のどの姫にも劣らない品も技術も持ち合わせている事を、知ったことでしょう。きっと「帯刀」も姫に同情心と、親しい気持ちを持っていたはずです。
そんな中で少将と「あこぎ」の板挟みになってしまったと言うのに、少将のお気楽さ加減に、つい、愚痴が出てしまう「帯刀」でしたが、少将のことも幼いころからよく知っています。今まで散々煽られてしまってとうとう我慢が出来なくなった少将に、そんなに冷たい態度も出来ません。そもそも自分の母親は乳母として少将に仕えているのですしね。期待だけ膨らまされた少将へも、同情心があったことでしょう。
「帯刀」がいう『物忌の姫君』というのは、この頃普通に出回っていた物語のことのようです。
このお話のように、千年以上もの時間にわたって残り続けた物語は、そう多くはありません。
他国からの模倣から発展を遂げて、日本独自の文化が花開いた平安時代。おそらくは多くの物語も誕生していた事でしょう。
けれどもその大半は失われてしまったようです。私達が古典として読んでいる物語も当時はきっと最新のベストセラーで、その中でより多く書き写された物や、大切に保管された物が私達の目に届いているのです。
『物忌の姫君』は、失われた物語の一つのようです。会話から察すると、雨の日に憧れた姫の顔を見てみたらあまりに醜くて『笠も忘れ、袖をかぶって、逃げて帰る』しかなかったという話のようです。顔が見えないままの恋愛ではこういう事も実際に起こっていて、貴族の失敗談として面白おかしく読まれていたのでしょうね。