第1話 「宿代が払えません」
世界を救う勇者には、きっと輝かしい「第一歩」があるのでしょう。
でも、世の中に溢れる有象無象の冒険者たちにとっての第一歩は、もっと泥臭くて、もっと切実なものです。
伝説の剣を手に入れる前に、まず今日のパンを。
魔王を倒す旅に出る前に、まず壊した壁の修理代を。
これは、ギルドの隅っこで「最弱」と笑われる、どこか欠けた5人の男女が、生きるために手を取り合ったばかりの頃のお話。
かっこいい英雄譚を期待されると困ってしまいますが、「こいつら、バカだなぁ」と笑いながら見守っていただけるなら、これほど嬉しいことはありません。
「……あの、もう一回だけ言わせてもらっていいですか?」
私、クレアは床に額を押しつけたまま、震える声で言った。
宿屋の木の床はひんやりとしていて、染み付いた安酒の匂いが鼻をくすぐる。本来なら、こんなところで土下座なんてしている時間じゃない。今日は記念すべき、新しい街での初仕事のはずだったんだから。
「ダメです」
宿屋の主人の即答だった。
声に迷いは一切ない。むしろ、これ以上何を言うんだという呆れすら混じっている。
窓から差し込む朝の光はやけに爽やかで、小鳥のさえずりまで聞こえてくる。本来なら気持ちのいい一日の始まりのはずだった。だが、目の前の現実は、底が抜けたバケツのように最悪だ。
「いやでも! 昨日のは事故というか、不可抗力というか、ちょっとした運命のいたずらというか……!」
私は顔を上げて必死に食い下がる。だが、主人の視線は冷たく、私の背後にある「それ」に向けられていた。
「壁を豪快に吹き飛ばしておいて、事故は通らん」
「……そうですね。不可抗力で建物の構造に大穴が開くことは、この世界の物理法則ではあり得ません」
横から入ってきたのは、冷静すぎる知恵袋のセインだ。
眼鏡の奥の瞳は一点の曇りもなく、私を突き放している。味方がいない。いや、味方なんだけど、正論という名の凶器で私を殴ってくる。
「ねぇクレア、まだ粘ってるの? 往き際が悪いよ」
背後から軽い声が響く。振り返ると、カノンが欠けた壁の縁にもたれ、なけなしの硬貨を指でくるくると回していた。
「やってるの! というか、リーダーとしてやらされてるの!」
「諦めたら? かっこ悪いよ」
「諦めたら今夜から野宿なの! というか、追い出されるの!」
「もうほぼ追い出されてると思うけど。ほら、あっちから通行人がこっちを見て笑ってるよ」
「やめて! 残酷な現実を言葉にしないで!」
私は立ち上がり、仲間たちを見渡した。
まずはカノン。彼女が昨日、カジノで「今日は流れが来てる!」とか言って、パーティの全財産をスッカラカンにしたのがすべての元凶だ。
「だいたい誰のせいでこうなってるの!? カノン、あんたのギャンブル癖のせいでしょ!」
「さぁ? あれは投資に失敗しただけっていうか……。でも、負けた時点でもう過去の話だよ? 前を向こうよ、クレア」
「全部負けてる時点で投資じゃないの! ただの散財なの!」
「……ご、ごめんなさいぃぃ……」
震える声が、部屋の隅っこから聞こえてきた。
椅子の上で膝を抱え、今にも消えてしまいそうなほど小さくなっているのは、魔導師のミルだ。
全員の視線が、主人が指差す先――「元・壁」へ向く。
そこには見事な、、本当に見事なまでの円形の穴が開き、朝の光と風が容赦なく入り込んでいた。一羽の鳥が、その穴をのんびりと通り抜けていく。
「……ミル。ちょっと威力を出しすぎた、ってやつかな?」
カノンが気まずそうにフォローを入れるが、ミルはさらに縮こまった。
「……ス、スイッチが入っちゃって……。『ここ、ちょっと掃除してくれる?』って言われたから、汚れを根こそぎ……消そうと思ったら……」
「壁ごと消してどうするのよ!」
私の叫びが虚しく響く。ミルの魔法は強力だが、とにかく「加減」という言葉を知らない。
「……弁償、および修理費の全額負担ですね」
セインが静かに、そして残酷な事実を口にした。
「当然だ。今すぐ払えないなら、衛兵を呼ぶ」
主人の言葉に、セインが一歩前に出た。
「逃げません。責任は取ります」
「え、取れるの? 私たち、さっきの硬貨が最後の一枚だよ?」
カノンが呑気に聞くが、セインの答えは早かった。
「取れません。現時点での支払能力はゼロです。……ですが、働いて必ず返します」
その時、地下からひょっこりと、煤けた顔のケットルが顔を出した。
彼女の手には、ギルドで拾ってきたらしいボロボロの依頼用紙が握られている。
「ガハハ! 湿っぽい顔してどうしたんだい? 仕事ならあるよ。『荷物運び。危険なし。日当は……パンの耳が買える程度』だってさ!」
「安い……安すぎる……」
私はガックリと肩を落とした。
でも。今の私たちに、これ以上の選択肢なんて存在しない。
「……よし。やろう。みんな」
「何を?」
「ちゃんと働くの! もう一度、一からやり直し!」
「それ、前の街でも聞いた気がするけど」
カノンが肩をすくめる。
「今回は違うの! 私の気持ちが、もうメラメラ燃えてるんだから!」
「一番信用できない感情ですね」
セインがじっと私を見つめる。私は一瞬言葉に詰まったが、それでも精一杯の笑顔を作った。
「……ちょっとは、ちゃんとやるから。信じて」
完璧じゃない。
お金もない、信用もない、壁さえ壊しちゃう未熟なパーティ。
でも、ここで諦めたら、本当にそれでおしまいだ。
「……それでいいです。今はその言葉を信じましょう」
セインが小さく微笑み、ミルも震える手を挙げた。
「わ、私も……次は、……壁を残す。……頑張る」
「それは絶対条件よ!」
外に出ると、朝の空気は少し肌寒かった。
財布は空っぽ、借金は山盛り。
「……でもさ」
私は前を向き、力強く一歩を踏み出した。
「ゼロじゃないよね。私たち、まだやり直せるチャンスはあるでしょ?」
「そうだね。パンの耳からスタートだ!」
カノンが笑い、五人は歩き出す。
問題だらけで、どうしようもなくて、それでもどこか憎めない最弱パーティ。
昨日の失敗を抱えたまま、私たちはほんの少しだけ、前へ。
リトル・リンク、今日も(どん底から)ちょっとだけ成長中。
第1話をお読みいただき、ありがとうございました。
クレアたちのダメダメっぷりと、それでも捨てきれないチームワーク。
これから彼女たちがどうやって借金を返し、成長していくのか。
ゆるい空気感で綴っていきますので、お付き合いいただければ幸いです!
もし「このパーティ、先が心配だけど応援したい!」「ミルの加減のなさが面白い!」と思っていただけましたら、下の**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】**にして応援いただけると、執筆の大きな力になります!
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次回、第2話。
「危険なし」のはずの荷物運び。
けれど、彼女たちの行く手に平穏な道などあるはずもなく……。
引き続き、応援よろしくお願いいたします!




