司祭 エーリオ
「神よ。本日も見守りください」
閉じていた瞼を、まつ毛を丁寧に剥がすように開き、交わる両手をふっと解いた。
朝の祈りを終え、床についていた膝をそっと浮かす。
そのまま静かに立ち上がり、陽の光が滲むステンドグラスの窓をゆっくりと見つめた。
「ふふっ。今日の神は機嫌が良さそうです」
ステンドグラス越しでも分かる天気の良さに、思わず口元が緩む。
(さて、掃除でも始めましょうか)
白い司祭服を揺らしながら、聖堂の出入り口へと向かった。
掃除道具を取りに物置に向かう途中。
天窓から注がれる光に目を細め、ふと思考を巡らす。
(うーん)
一日の順番としては掃除からしたいところですが、神の機嫌が良い内に洗濯もしてしまいたいですね。
(……洗濯を先にしましょう)
私は行き先を変え、道中にある洗濯物をまとめている作業室の前で足を止めた。
扉の取手を握り、半身を逸らしながら引く。
衣服の匂いと洗剤の香りが、扉の隙間から鼻を掠めた。
そのまま部屋の中に入り、洗濯物が積み上げられている籠を見る。
(……ちょっと、今日は量が多いですね)
始めにこちらに来て正解でした。
これも神の思し召しですね。
私は目を閉じ、神に感謝をした。
「では」
私は再び山になった洗濯物に目を向けて、すっと人差し指を伸ばした。
「〈水泡〉」
指先から水属性の魔力が滲み出し、洗濯物を薄く包み込む。
私は水の膜がしっかりと洗濯物を覆ったことを確認して、指先を下から持ち上げるように、軽く弾いた。
洗濯物を包んだ水泡は指の動きに合わせて宙に浮かんだ。
(洗剤、洗剤)
運びながら洗濯した方が早く終わりますからね。
掃除もありますから、これが一番です。
私はそんなことを考えながら、洗濯用に薄く削った石鹸を取ろうと、石鹸の保管箱を開けた。
パカッ。
「……」
中身は空だった。
私は横に置いてある削りかけの石鹸に、そっと視線を移した。
そして、水泡で浮かせていた洗濯物を籠に戻し、包んでいた水を、静かにバケツへと注いだ。
(横着するなと、仰るのですね……)
私は大人しく、削りかけの石鹸を手にして、専用のナイフで削り始めた。
***
作業室と干し場を何往復もして洗濯物を運び、干し場でまとめて洗う。そして干す。
全てを干し終え、太陽の光を返す白い洗濯物たちを眺めながら一息吐いた。
「ふう……」
額に滲んだ汗が、つうっと頬を滑り落ちた。
思えば最近、運動不足だったかもしれません。神はそのことを案じたのでしょう。
(神よ。感謝いたします)
私は再び、神に感謝の祈りを捧げた。
「エーリオー」
(おや?この声は)
聞き馴染みのある声に、私はそっと振り向いた。
「うおっ、エーリオこれ一人でやったのかよ」
物干しにかけられた洗濯物たちを見て目を丸くする少年。
「テオドール君。おはようございます」
「はよ。あとちょっと早ければ手伝えたんだけどな」
私を呼んだのは、この町のご飯屋さんで働くテオドール君だった。
彼は働き者で、気づいたら人助けをしてしまう人なので、きっとこの状況に歯痒さを感じているのでしょう。
「ふふ。そのお気持ちで十分ですよ」
「それにしても、本日はどうしてこちらに?」
私がそう尋ねると、テオドール君は「あっ」と声を漏らして、手に持つ籠をすっと差し出した。
「今日はリイヤいないんだろ?昼飯頼まれてさ」
リイヤというのは、共に神に仕える見習い司祭の青年のことである。
最近ご両親の具合が悪いようで、度々ご実家に通っていた。
「それはそれは、ありがとうございます」
私は自然と、頬が緩んでいた。
「リイヤさんにも、今度感謝しなければなりませんね」
テオドール君の働くご飯屋さんのご主人の料理はとても美味しいので、これは嬉しいサプライズです……!
「ラミアさんが『おやつも持ってきな!』って、クッキーも入ってる」
「クッキーまで……!」
美味しいご飯にクッキーまであるなんて、こんなにうれしいことありますか!
「……ちなみに、クッキーは……」
「ナッツ入り」
「最高ですね」
私はテオドール君に向けて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。デミドアさんとラミアにもエーリオが喜んでいたとお伝えください」
「ははっ!分かった。伝えとく」
「じゃあなー」
手を振りながら去って行くテオドール君に、私も小さく振り返しながら見送った。
テオドール君の背中が見えなくなった頃、腕の中に収まる籠にゆっくりと視線を移した。
「……」
にこっ
(これは横着せずに頑張ったご褒美ですね)
私は軽やかに浮いてしまいそうな足取りを落ち着かせながら、ご飯とおやつの入った籠を置きに、休憩室へと向かった。




