浮気トラウマ
◆浮気トラウマ
「じゃあ〜次の質問!浮気されたら許す?別れる?」
大学の飲み会で、いっときの話題のために投げかけられた質問。僕が大っ嫌いな話題。頭がいたい。
皆がキャアキャア思い思いの意見を言うのを愛想笑いで聞き流していたのに。
僕の目の前に座っていたとある男の子が僕に指摘した。
「莉央、お前はどっち?さっきからだんまりじゃん」
斉藤龍之介。柔和な感じのハンサムボーイだけど、そのくせ人の心見据えるみたいな瞳で、僕の苦手な男の子。
内心汗をかきかき、僕は答えた。
「え?え〜やっぱ浮気は許せないよね、そしたら別れる、かな僕としては」
ジッと1秒。『それ本音か?』と言わんばかりの尋問じみた瞳。
「ふ〜ん。俺も浮気は嫌い。俺たち気が合うね」
彼は適当につまみながらニッと笑った。
・・そう、龍之介はやたらに気が合うねって言ってくるんだけど、僕はこういう人は苦手。
自分の気持ちをお揃いにされてるみたいで。
『俺もそう思ってたんだよ、やっぱ話合うな莉央は』ってかつて僕に笑いかけた元恋人の面影が一瞬過ぎる。あの人も僕に意見合わせるのうまかったっけ、それに僕はのせられて・・
「莉央?莉央!」
「!」
あっといけない。ぼんやりしてた。忘れたい過去の記憶は時折顔を覗かせる。忘れ去られない様に。
「ごめん、ちょっとぼうっとしてた。えと、トイレ行ってくる」
なんか言いたそうな龍之介を置いて、僕はトイレへと向かった。
ざわざわしてる居酒屋。寒くなってきた今日この頃、鍋料理が売りのこの店には人が沢山集まっている。皆楽しそう、幸せそう。お酒で顔赤くして、ギャハハって笑って。あんな風に笑えて良いな。
男子トイレの扉をくぐる。鏡にうつる自分はしけた顔をしている。平凡な容姿。セーターの丸っこいシルエットが、僕という人間をよりシャープさのない人間へと変えている。
壁に背をつけて、ポケットから携帯を取り出す。アテのないネットサーフィン。皆のいる飲み会に戻りたくなかった。
あの浮気の話題が終わるまでは特に。
「莉央」
「わ!」
龍之介だった。
「大丈夫?気分悪い?」
「えっうん、ちょっと飲みすぎたかも」
「全然飲んでなかったのに?」
「うっ・・」
「嘘へたすぎ」
にやにや笑いで見下ろされて恥ずかしい。
「良かったらこのまま飲み会ふたりで抜けない?俺もあの飲み会、結構窮屈でさ。飲み直そうよふたりでさ」
***
ふたり訪れた、小さなラーメンの屋台。
「莉央、ラーメン好きだろ。あそこにしようぜ」
そういって連れてこられた場所。
よく見てるなあ、あんまり喋ったことないのに。
ビールも頼んで乾杯した。僕らと大将以外いないそこは、意外と心地良かった。
「莉央ってさ。恋愛の話嫌いだよな」
「そう?」
「うん。普段からあんまりぺちゃくちゃ喋る方じゃないけど、恋愛絡みは特に無言だなーって」
「あー、ほら、僕って恋愛経験ないから」
ズルルと麺をすすった。
「今まで相手いたことねえの」
「うん、うん」
「ふーん」
やめてくれ。もう何も突っ込んでくれるな。
・・そうだあの人ともラーメン屋、来たことあったっけ。『莉央は才能ある、頑張れよ』そう言って・・なのに、そのくせ・・!
色々思い出してジワ、と目頭が熱くなる。ハナが出るのをティッシュでどうにかする。ラーメン屋で良かった。
何か今日は調子悪いな。嫌なこと、ズルズル思い出してしまう。
龍之介があれこれ世間話を振ってくれるのを、申し訳ないけど上の空で聞いていた。
「・・でな、俺はさあ、まあ莉央は俺の恋愛話には興味ないかもしれんけど、浮気されたことあって」
心臓を突き刺すように投げ出された爆弾発言に、思わずエッと顔を上げた。
「皆には内緒にしてな。莉央と俺のふたりだけの秘密」
少し哀しそうな顔で、龍之介はニッと笑った。
***
自分の家に帰ってシャワー浴びて、頭濡れたままベッドに身をボフ、と投げ出した。お酒にすこし酔っていた。
・・龍之介も浮気されたことあるんだ。あんなにカッコ良いのに。
急に打ち明けられた共通点が、龍之介と僕の心をぐいっと近づけた様な気がした。
もっとお話してみたい。初めて龍之介に対してそう思った。
***
それから僕は、大学でちょこちょこと龍之介と話をする様になった。見た目のランクも趣味も何もかもが違うけど、根っこのトラウマを共通するものとして話のウマが合ったのだ。
「莉央。また飲もうよ、ふたりで」
そう誘われたのは、ラーメン屋行った日から5日後のことだった。
時間気にせずゆっくり飲もうぜ、と龍之介が言うから、龍之介の家で宅飲みをすることになった。
酒に強い龍之介。こたつの上に大量の酒が並んでてちょっと笑った。
「はいはいかんぱ〜い」
カン、とチューハイの缶をぶつけて乾杯。
最初はだらだらと他愛もない話をしていた。
でもじきに僕は我慢できなくなって聞いた。
「ねえねえ。前浮気されたことあるって言ってたじゃん。あれホントなの」
「うん」
「浮気された時怒った?」
「あたりめーじゃん」
「その後どうしたの」
「泣きながら別れた。どうしても気持ちがついてこなくて・・」
そういって窓の外を何となく見つめた龍之介。
きっと今昔のことが頭過ってるんだろう。ごめん、嫌なこと思い出させて。
その代わり僕も言うよ。
「・・僕ねえ、ホントは昔付き合ってた人いたんだ」
「誰?」
「誰だと思う?」
「知らねーよ」
「学校の先生。音楽のね」
「え・・」
何かちょっとショックを受けているらしい龍之介に、僕は話し始めた。
「僕、もともと小さい時からピアノやってたんだよ。音大に行こうと思ってた。高校の時、すごい練習してた。それで音楽の先生が目を掛けてくれて、放課後も一緒に練習に付き合ってくれたんだ。優しくってカッコ良くてピアノがすごく上手くて、尊敬してた。
それが・・
だんだん帰りにコーヒー誘われる様になって、ご飯食べてこって言われる様になって・・帰りに先生が送ってくれた車で、手を握られたことがあった。
好きだ、付き合って欲しいって言われて・・」
龍之介は何も言わずに僕をジッと見つめている。嘘と本当を全て正確に見分けてしまいそうな、あの瞳で。
「それで僕も先生のこと尊敬してたし、何しろさ。誰かから告白されるなんて人生で初めてだったから、何か舞い上がってしまって。迷ったけど、よろしくお願いしますって返事したんだ」
まだ何も知らず幸せだったあの頃。
「それで学校帰りにこっそりデートすることが増えた。その・・二人っきりになれる場所にも行った。高校を出たら堂々と付き合える様になるからって先生に言われて信じてた」
龍之介は瞳をそっと伏せた。こんな嫌な話、誰かに聞かせたことなんかなかった。でも龍之介なら受け止めてくれる様な気がするんだ。止まれなかった。
「だけどある時さ。街で先生が女性と2人で喫茶店で話してるところ見ちゃったんだ。随分親しげで、何か変だなって思って・・。
先生に後日聞いたんだ。あの人だれって。
あれは元カノで、ちょっと相談あるって呼び出されただけ、心配するなって言われて間に受けちゃってさ」
変だと思いながらも、かりそめの安堵に浸ることがやめられなかった。
僕はばかで世間知らずだった。
「でも段々、先生は冷たくなっていって。放課後のレッスンもなくなって、ふたりでこっそり会うこともなくなってって・・何回聞いても忙しいってそれだけ言われて。不安にならなくて大丈夫だからってずっと言われてた」
先生は騙していた。
ずっと押さえ込んできた怒りと悲しみが込み上げてきた!
「・・だけど先生!結局その女の人と結婚した!嘘ついてた!ずっと何年も付き合ってたんだって!・・結局、浮気相手だったのはっ!僕の方・・!」
はらはらとこぼれ落ちた涙は止まらない。
人前でこんなにみっともなく泣くなんて初めてだ
った。
龍之介がそっと肩を抱いてくれた。
「莉央。俺、どうしたら良い?ぶっ飛ばしたら良い?そいつ」
「・・良いよ、終わったことだもん」
「終わってねえじゃんお前の中で」
「もう良いんだよ、今どこに住んでるのかだってっ分からないし・・!」
うなだれた僕を抱きしめてくれた龍之介。
「つれーよな・・」
「ありがと、龍之介・・」
「こっちこそ話してくれてありがと、莉央」
傷に寄り添ってくれる人に初めて知り合えた。
僕にはそれがたまらなく嬉しかったのだ。
龍之介との飲み会を終えて、帰る際。
「莉央さあ、復讐したい?その先生に」
「え、いや・・どうだろう、分からない」
「そっか・・」
ちょっと怖いこと言ってきた龍之介。でも心配してくれてるのかな。ありがと、と言ってその日は別れた。
***
後日。龍之介がこんなLINEを送ってきた。
『前言ってた莉央の先生、こいつ?』
・・!!!
それはフェイスブックのアカウントだった。確かに先生だった。龍之介のやつ、僕が話したあんな少ない情報で捜索したのか・・?確かに高校の名前とか、色々あの時ぽろっと話したけどさあ・・。
『うん』
それだけ返信した。
しばらく待って、またメッセージが来た。
『今日ひま?どっかで飯食わね』
良いよと返した。
安い居酒屋の個室。龍之介とふたりで乾杯した。
それで、と神妙な面持ちで龍之介が切り出してきた。
「莉央。あの先生のことどう思ってる」
え・・
「・・どうもこうも、憎いだけ。でも憎いのは先生だけじゃない。
・・先生に振られて、でも裏切り者!って真っ直ぐ怒れなくて、物分かりいい振りでヘラヘラしてた自分。龍之介みたいに僕は怒れなかった」
「そっか・・」
龍之介はグイと酒を飲んだ。
「莉央さあ。今まで全く恋愛沙汰ないじゃん?そんな噂全然聞いたことなかったし。
次に進めないのはその先生がやっぱ原因?」
「・・!」
龍之介は僕のこころを言い当ててくる。
「やっぱそうなんだ。じゃあさ、ケジメ、そろそろつけてもいいんじゃない」
「・・・」
膝上の手をギュッと握った。
「莉央。悔しくないのか」
「!そりゃっ悔しいよ!でも今更どうするんだよ!」
「俺が殺してきてやる」
え・・温度のない瞳がほんのり笑ってゾクと震えた。
「龍之介、本気で言ってんの・・?」
「ま、物理的にさすがに殺さないよ。でも他に色々方法はある訳だ」
テーブルに置いた僕の手をそっと握って龍之介は言った。
「大事な友達泣かす奴は許せねえじゃん」
***
「莉央。大丈夫か」
「・・うん・・」
めちゃくちゃ寒い、冬も迫る寒空の下。僕と龍之介は張り込んでいた。
先生の家からちょっと遠いところのラブホテル横の物陰で。
「ねえ。めちゃくちゃ怪しくない?僕ら」
「こういうカップルだっているだろ多分。まあ怪しまれたらカップルのフリすれば良いさ」
ニッと笑ってわざとらしく僕の肩を抱いた。いい匂いがしてドキッとして、思わずやめろと突き放した。
張り込みの理由は至極単純。
先生、異動先の高校でまた生徒に手を出してるらしい。その尻尾を掴むためだ。
龍之介が一体どうやってその情報を得たのか分からないが。
『このSNS社会をナメたらだめなんだよ』
とにかくそういうことらしい。
ホテルに出入りするその写真を撮って高校にばら撒くと当初龍之介は言っていた。
要は『社会的に殺してやる』ってことだった。
・・っていうか僕はショック。結婚して尚、教え子に手を出すという悪癖が治っていないこと。そして僕は先生が気まぐれに手を出した1人に過ぎなかったんだってこと・・。
「莉央。先生来たら俺が殴ってやっても良いんだぜ」
「良いよ。それじゃ龍之介が逮捕されちゃうじゃん」
「そおか?理由が理由だし、俺のこと警察に訴えたら芋ずる式に今まで未成年の高校生に手を出してたことバレるぜ。そっちの方が死ぬだろ。まあその死を今から授けようとしてる訳なんだが」
興奮気味の龍之介。ワクワク感を隠しきれていない気がする。ありがたいけど・・
「何でこんなに色々してくれるの?」
「先生のことが区切りつけば莉央が前に進めるじゃん?そしたら俺、可能性あるじゃん」
え・・
「!莉央、来たぞ」
ドキッと跳ねた気持ちは、また別のドキッに塗りつぶされた。
・・男子高校生と腕を組まれる様にして現れた懐かしい先生。変わってない。年の割に若々しくて、オシャレでハンサムで。変わったのは、隣にいる男子高校生が僕じゃなくなったこと・・。
突然動悸がしだした。やばい。先生・・
龍之介は淡々と写真を撮っていく。
僕は先生の隣にいる男の子から目が離せなかった。僕みたいに何か普通な感じの子。でもあの子、すごい嬉しそうだ。かつての僕みたいに。自分もあんな風に笑えてたんだろうか。
あの子、先生が結婚してることとか自分が騙されてること、知らないのかな?あの子随分かわいい顔して笑うなあ。先生のことが大好きなのが見て取れる。でも、きっとあの子の笑顔もいつか消えちゃうんだ、僕みたいに・・!
今まさにホテルに入ろうとしている彼ら。いつの日かの僕に重なった。
闘志じみた気持ちがメラメラ燃えて、僕は気づいたら走ってって先生の手首を掴んでいた。
「先生!」
「り、莉央!?何でこんなとこに!?」
ビクッとした先生。驚いて僕を見つめたあどけない顔した隣の男の子。
「先生、結婚してるでしょ・・!こんなところで、な、何やってんの・・!?」
うろたえだす先生。不安気な顔で僕と先生を交互に見つめる男の子。ごめん、こんなこと聞かせて。
「こんなこともう辞めろ・・!」
「・・な、何言ってるんだ君。ほら、葛西くん、行こう。きっと頭のおかしい変な子なんだよ」
僕をグイと押して強引に男の子の手を引いていく先生。頭おかしいって・・!かつての元恋人にそんな風に言われて悔し涙が滲んだ。
「まっ・・待てよ!」
悔しい。でも弱虫な僕は一瞬怯んでいた。不安気な男の子が振り返る。
また?僕は変われないのか?弱虫のまま・・
その時。ぐいと僕の前に出た長身が先生を捕まえた。
「頭おかしいのはあんただろ。オッサン待てよ。じゃあホテルに入ってく2人の写真、あんたの高校にばら撒くけど良いんだな」
龍之介だった。
「な、なんだお前!」
「未成年に手を出して、ヤバいんじゃないの?教育委員会に出しても良いし、週刊誌に売っても良い。SNSで撒いても良い。俺は困らない。あんたが社会的に死ぬだけさ」
「ふ、ふざけるなよ!!」
顔色を変えて慌てふためいた先生。そうだよね、僕はおとなしかったからそんなこと、言い出さなかったもんね。
「家のローンもある、今クビになるとヤバいんだよ!ど、どうしたら良い、金か!?」
そんな保身まみれのセリフを聞いて、僕の中でブチっと何かが切れた。
渾身のグーパンチをした。倒れ込んだ先生。
「おまえなんか、大っ嫌いだ!その子の心配してやれよ!かわいそうじゃないのかよ!!こんなとこ着いてくるくらいおまえのことが好きだったんだぞ!
ちゃんとその子に謝れよ!今まで騙しててごめんなさいって!それにっ!もうこれから誰も高校で引っ掛けるなよ!ちゃんとしなきゃ、ホントに写真教育委員会にも高校にもばら撒くからな!」
うグッと息が詰まって何も言わないその男。
「返事はァ!!!」
僕のブチギレた怒鳴り声がホテルの入り口で大きく響いた。
***
「いや〜カッコ良かったなあ、莉央・・痺れたわ」
「・・・」
安定の安い居酒屋の個室で、僕らはまた飲んでいた。
勝利したので、その祝いってことで。
「それにしても莉央、あんなでけ〜声出るんだ。先生ビビってひゃ、ひゃい!って言ってたし。俺だって莉央にあんなにブチギレられたら震えるわ」
思い出してくすくす笑う龍之介。
「もう〜良い加減にして!忘れてよー」
なのにくっくっとまた笑う龍之介。もー・・
あの後、慌てふためいて帰っていった先生。
取り残された高校生の男の子。
うなだれる男の子の肩に手を掛けて色々話した。僕のことも。驚いていた。
写真データは彼に渡した。誠意ない対応したら、自分の顔にモザイク掛けて教育委員会にタレこめって言っておいた。
あれをどうするかはあの子次第。充分先生も脅したし、もう被害はない・・と良いんだけど。
「まあでも良いんじゃない。莉央があんなに熱い奴とは知らなかった。浮気相手の子の心配までしてさ。偉いじゃん」
頭ぽんぽんされて、ちょっと困る。
「まあ、ね・・」
「ま、何はともあれお疲れさん。でもなあ、本当は俺がカッコ良く莉央を救うつもりだったのになあ。参ったぜ」
「参ったって?」
「そしたら莉央は俺に惚れたかもしれない」
手を握られてドキッとした。
「あー、変な冗談やめて」
「冗談じゃない」
じっと見つめられてどぎまぎしてしまう。でもきっとバレてる、聡い龍之介には何もかも。
「顔真っ赤」
またくすくす笑ってる。
「キスしたい」
「や、えっと、待って待って。順を追って説明したい。良い?」
「んー、良いよ」
「龍之介。今回はその、本当にありがとう」
「頑張ったのは莉央だよ」
「でも龍之介のおかげなんだ。先生に向き合う勇気が出たのも、ちゃんと怒れたのも。龍之介が僕の背中を押して、そばにいてくれたから。何もかも・・」
龍之介が僕の本心を見つけ出して、背中を押してくれなければあんなことは出来なかった。
呪縛めいた怒りの感情を解放することは出来なかった。
人を寄せ付けず誰にも心開かなかった数年間。孤独だった。
龍之介は手を差し伸べてくれた。
それに・・
「・・また人を好きになれるなんて、思わなかった」
改めて声に出してみればドキドキがおさまらなかった。こんなにも。
「浮気したら、だめなんだからね」
できる訳ねーじゃん、そう言って龍之介は僕にキスをした。
end