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水は命を与え、同時に命を奪う。

その透明な膜の下には、感情も、記憶も、そして肉体すらも閉じ込められる。


『雨音に潜むもの』は、海や川、井戸や雨といった身近な水を舞台に、

異世界転生・転移、BL、GL、そして残酷なホラーを織り交ぜた物語です。

本作では、水底での金縛り、血に染まる雨、屋上からの落下など、

生理的嫌悪感と精神的恐怖を同時に味わえる描写を含みます。


読み進めるほどに、あなたもまた動けない身体の中で、

意識だけが水の檻に囚われる感覚に沈んでいくでしょう。

どうか、息を忘れずに――。

「血の雨の街」


ユナは目を開けた。

そこは水ではなく、赤い雨が降り続く街だった。

地面には水たまりが無数にあり、その一つ一つが、過去の光景を映している。


――笑う顔。泣く顔。死んだ顔。


ユナは、そこに“彼女”の姿を見た。

かつて剣の修行を共にした、唯一の親友であり、初めて恋を知った相手――アリア。

だが、その姿は半ば崩れ、血で濡れた長い髪が地面に広がっている。


「ユナ……やっと会えた」

アリアの声は、かつての柔らかさを失い、乾いた笑いが混じっていた。

胸元には巨大な水晶の槍が突き刺さっている。それは異世界の掟を破った者への刑具――そして、かつてアリアがユナを庇った時に受けた傷だった。


ユナの脳裏に、あの日の情景が蘇る。

赤い水面、砕けた石橋、そして自分の腕の中で息絶える親友。

その瞬間、自分の心もまた水の底に沈んだ。


「もう……あなたを守らなくていい?」

アリアの顔が歪み、瞳から黒い水が溢れた。

次の瞬間、彼女は水たまりから無数の手を伸ばし、ユナの足を掴む。

その手は冷たく、しかし懐かしい温度を持っていた。


「一緒に来て……あの底まで」

ユナは剣を抜いたが、その刃先は震えていた。

斬れば、二度と触れられない。

斬らなければ、自分も水の底に引きずり込まれる。


赤い雨が強くなり、二人の間に水の壁が立ち上がった――。


「落下」


赤い雨の街から逃げるように走ったユナは、気づけば高層の塔の屋上に立っていた。

地上は霞み、赤い雨と血の川が混ざり合い、渦を巻いている。

その渦の中心には――アリアがいた。


「ねえ、覚えてる?」

アリアの声は、懐かしくも痛かった。

「私たちが最初に訓練を抜け出して、塔の屋上で景色を見た日のこと」


あの日、アリアは冗談めかして言った。

『ここから飛び降りたら、きっと違う世界に行ける』と。


ユナはその記憶を振り払おうとするが、アリアの背後に現れた影が、彼女を突き落とそうと腕を伸ばしていた。

咄嗟にユナは手を掴む――だが、その手は冷たく、骨ばっていた。

まるですでに死者のもののように。


「行こう、一緒に……」

アリアの瞳には、水面のように揺らぐ異世界の光景が映っていた。

その奥には、美咲とリクの姿が見える。

だが、そこに至るには、この高さから飛び降りるしかない。


風が強くなり、足元のタイルが崩れ落ちる。

赤い雨が視界を滲ませる中、ユナは決断した。

握っていたアリアの手を――さらに強く握り返す。


「なら、落ちてやる……一緒に」


二人の身体は空へ、そして赤い渦の中心へと吸い込まれていった。

落下の瞬間、世界は水の音に満たされ、ユナの意識は完全に途切れた。


「沈む身体」


暗闇の中で、美咲は目を開けた。

そこは、再び水底だった。

だが今回は、体がまったく動かない。

まぶたすら、重くて閉じられない。


視界の端には、リクとユナの姿があった。

二人とも同じく、宙に浮いたまま金縛りにかかったように静止している。

口は開いているのに、声が出せない。


耳元で水音がした。

それは普通の波の音ではない――規則正しく、心臓の鼓動のようなリズム。

ドクン、ドクン、と響くたびに、全身の血が冷たくなっていく。


やがて、水の奥から巨大な影が現れた。

人の形をしているが、その肌は透き通り、内部で魚が泳いでいる。

顔は――三人の顔を溶かして混ぜ合わせたような形をしていた。


『返して……』

その声が直接、脳に響く。

金縛りはさらに強まり、美咲は呼吸すらできなくなった。

そのとき、リクの目が美咲と合う。

彼の瞳は、必死に何かを訴えていた。


――斬れ。


ユナの手が微かに動いた。握っていた剣が、水中で光を放つ。

しかし、剣を振るうには、あと一息、金縛りを解かねばならない。


影はゆっくりと、三人の頭上に手を伸ばした。

その指先は氷のように冷たく、触れられた瞬間、魂ごと引きずり出されそうな感覚が走る。


「動けぬ檻」


目を開けた瞬間、美咲は自分が檻に閉じ込められたことを理解した。

だが、その檻は鉄ではなく――自分の肉体だった。


首は微動だにせず、腕も脚も、まるで骨の奥まで凍りついたように固まっている。

呼吸だけは続いているが、吸うたびに冷たい水が喉を満たし、胸の奥で泡と血が混じって弾けた。


視界の端に、リクの顔があった。

彼の眼球は左右に忙しなく揺れ、必死に何かを訴えている。

しかし唇は閉じたまま、声帯も沈黙したまま――叫びはすべて体内に閉じ込められていた。

その沈黙が、かえって絶叫よりも恐ろしい。


ユナもまた、目を大きく見開いたまま動かない。

その眼窩の中で黒い水が揺れ、時折、血の筋が浮かんでは消えた。


そして――背後から、水を押し分ける音がした。

近づくそれの気配を感じるのに、首を回すこともできない。

ただ、視界の端が少しずつ影で覆われていく。


巨大な手が、美咲の肩に触れた。

指の一本一本が皮膚の下に潜り込み、骨の輪郭をなぞる。

その冷たさは、もはや温度という概念を越え、感覚そのものを削ぎ落としていく。


動けない身体。

逃げられない意識。

唯一の自由は、恐怖を感じ続けることだけ。


その時、美咲の耳元で、声が囁いた。

『動けないなら――沈めばいい』


視界が暗転し、水と血の匂いが全身を満たした。


最後までお読みいただきありがとうございます。

今回の章では「動けない」という状況を徹底的に描きました。

金縛りは、ただの怪談的現象ではなく、

肉体の檻と化し、意識だけが恐怖を受け止め続けるという地獄そのものです。


この物語における水は、ただの舞台装置ではありません。

それは、愛と執着、罪と後悔を凝縮し、形を変えて襲いかかる存在です。

ユナ、美咲、リク――彼らの中で誰が生き残り、誰が水底で朽ちるのか。

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