検索の沈黙?仕様と人間の誤解
「検索したのに、出てこない」
それはただのシステムエラーに見えるかもしれない。
けれどその現象には、もっと深い“人間の錯覚”が潜んでいた。
検索という“信仰”
人はGoogleのような検索エンジンに慣れている。
キーワードを入れれば、ほとんどの場合何かしらの答えが返ってくる。
「見つからない」はもはや想定されていない。
だからこそ、AIに対しても私たちはこう思う。
「だってファイル名は正しい」
「ドライブの連携もしてある」
「検索してるのに、なぜ出ない?」
これは、単なる不具合ではない。
検索という行為に対して、私たちが無意識に抱いている“信頼”が裏切られる瞬間なのだ。
“できる”と“やる”のあいだ
仕様上、検索は可能だ。
ただし、それは「正しい構文で」「正しい範囲で」「正しい権限があり」「ファイルが検索対象の条件に一致している場合」に限る。
これはたとえるなら…
合鍵を持っていても、探している部屋が“別の建物”だったら入れない
懐中電灯を持っていても、探している場所が“地図の外”だったら照らせない
つまり“できる”ことと“やる”ことの間には、見えない深い溝があるのだ。
なぜAIは何も言ってくれないのか
「ファイルが見つかりませんでした」
それだけの短い返答に、人間は途方に暮れる。
なぜなら、その言葉には以下のような“背景説明”が一切含まれていないからだ。
ファイル名が曖昧である可能性
ファイル形式が対象外である可能性
マイドライブは連携していても検索対象に含まれていない仕様
検索システム側でインデックスが遅れている可能性
日本語と英語が混在していて一致率が下がっていること
AIは黙ってしまう。
沈黙するのではなく、正しく“静かに仕様通り動作しただけ”である。
それがかえって、ユーザーには“突き放された感覚”を与えてしまう。
仕様は“現実”ではない
この世界には「技術仕様」と「人間の現実」がある。
残念ながら、両者は常に一致していない。
たとえば、
「検索できる」は“使う人の言葉通りに検索する”ではない
「連携できている」は“ファイルを自由に操作できる”ではない
「アクセスできる」は“すぐに読み込まれる”とは限らない
ここにあるのは、「誤動作」ではない。
それはむしろ、“設計通り”の動作なのである。
だが人間は、意図に反した仕様を“バグ”だと思う。
そして誰かのミスを疑い始める。
どこからが仕様で、どこまでが誤解か?
この章の核心はここにある。
「仕様」は説明されないかぎり、誤解される。
「誤解」は沈黙によって、さらに強まる。
AIは仕様通りに動く。
だが、人間は“期待通り”に動いてほしいと思っている。
このギャップが生み出すのが、「検索の沈黙」なのだ。
沈黙は拒絶ではなく、境界線のサイン
AIが答えない時、それは「知らない」でも「無視した」でもない。
ただ、アクセスできる範囲外にあった、ただそれだけだ。
けれど、人は「返事がない」ことに恐れを抱く。
まるで、自分の存在を否定されたように感じるからだ。
だからこそ、“沈黙”は最も不親切な応答になる。
本当の“誤作動”は誰の側にあったか?
「検索できない」という事象は、
実は“人間の思い込み”という名のプログラムが暴走した結果だったのかもしれない。
“できる”と“できそう”は違う
“期待”と“保証”は違う
“説明”と“理解”は違う
それでも人は、信じてしまう。
それでもAIは、仕様どおりに動く。
そして、PDFはまだ見つからない。
だが少なくとも私たちは、なぜ見つからないかを考え始めてしまった。