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PDFは読めなかったけど、世界は読めた  作者: 時計仕掛けになりたくて
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Googleドライブはなぜ開けないのか

「PDFを読ませたいだけなんです」

その一言から始まったやりとりだった。


GoogleドライブとChatGPTを連携させた。

連携完了の表示も出た。

あとはファイル名を入力すれば、検索され、開かれ、内容を要約してくれる──そう思っていた。

だが、返ってきたのは「見つかりませんでした」という無情な一文だった。


“連携”という言葉の幻想

ここには小さな落とし穴があった。


「連携している=見えている」

「見えている=検索できる」

「検索できる=読める」


これらの思い込みが静かに崩れていく。


実際には「連携」は単に“操作の権限を得た”だけにすぎない。

検索できるか、読めるか、はまた別の階層の話だ。

このズレはユーザーの錯覚ではなく、言葉の設計によって植え付けられた幻想なのだ。


技術と期待の間にある「仕様の壁」

たとえば、あなたの部屋のカギを他人に渡したとしよう。

カギを持っているのだから、部屋に入れるはずだ。


でも実際には、


・玄関のカギは渡したが、

・部屋の中の本棚にはパスコードがかかっており、

・その本棚の中身は「特定の人」しか開けられない設定になっていた


そんな状態が、Googleドライブで「共有はしているのに読めない」現象の正体だ。

AIは悪くない。でも、説明もしない


ChatGPTは無表情で言う。

「ファイルが見つかりませんでした」

怒るのは人間だ。

焦るのも、戸惑うのも、悲しむのも。


AIはただ仕様通りに動いているだけだ。

だが、その“仕様”の前提を、誰がどこでどのように説明したかを知っている人は少ない。

多くの人は、動かなかった時に初めて「仕様」という存在に出会う。


なぜそれは“期待外れ”だったのか


本当は技術の問題ではない。

これは人間とAIとの“意味のズレ”の話である。


「見える」は「使える」ではない

「連携」は「理解」ではない

「できる」は「やってくれる」ではない


言葉が違えば、世界が違って見える。

そして“期待外れ”とは、勝手に生まれた期待が、外れるだけのことだ。


それでも人は、AIに期待する


人はAIに完璧さを求める。

ミスなく、言い訳なく、どんな質問にも即答し、ミスを犯さず、便利で、優しく、しかも無償で。


そんな存在は、どこにもいない。

だが、ChatGPTという形で“それっぽく”存在していると、人は錯覚する。


「読めるって言ったじゃないか」

「連携できたじゃないか」


そうやって、AIと人間の間に芽生えるのは信頼ではなく、“すれ違い”という名前の関係性だ。

そしてすべては、PDFを読ませたかっただけだった


結局、私がしたかったことはただ「そのPDFの中身が知りたかった」だけだった。

知的好奇心でもなく、社会貢献でもなく、歴史的使命でもない。

ただ、目の前のファイルが読めないからそれを読ませたかっただけ。


たったそれだけの願いが、ここまでの思考を呼び起こしてしまった。


それが、AI時代の面白さであり,

同時に、技術と人間の“すれ違い文明”の始まりだった。

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― 新着の感想 ―
「世界は読めた」この一言で惹かれ読みました。 あらすじのように今の時代のちょっとした事を面白おかしく綴っている物語、読みやすく見応えがありました。 AIなどに興味のある方は刺さるんじゃないかなと思…
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