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魔法使いの嫁  作者: ふとん
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思い出の残る家

 すでに慣れた錠の重みを確かめながら、フェネルは鍵を回した。

 ここ数か月ですっかり慣れた感触だった。


 ガードウィンが戦場へ行って、すでに季節が二つ廻ろうとしていた。


 春だった陽気はすでになく、今は冷たい雪の季節だ。この国の雪はそれほど深くはならないが、それでも毎年街中が真っ白になるほど積もる。

 この季節になると人々は家にこもりがちになるので、商店主たちは従業員たちにまとめて休みを出す。フェネルも例に洩れず、長い休みと少しばかり上乗せされた給料を渡された。

 そして、この雪の中、魔法使いの家へと通っている。

 あの魔法使いがしばらく帰ってこないことを知って、まずフェネルが気になったのは、あの家の掃除だ。少しでも放っておくとすぐに埃を溜めこんで、彼が帰る頃にはひどいことになっているだろう。出ていく前に見たところ、布をかけておくことさえしていなかったから、帰ってきてもきっと寝る場所さえないに違いない。

 そんなことを、恐れ多いとは思ったが宰相へ手紙を送ると、返事は快く返ってきた。魔法使いの家の鍵と共に。

 魔法使いが長い間家を開ける時には鍵をいつも預かっているのだという。そしてフェネルには、好きに過ごしていいとさえ書き添えてあった。

 太い梁と柱に守られている家が、よほどのことでもない限り雪の重みで傾くことはないだろうが、フェネルは雪の季節に時折掃除に出かけることにした。

 知らないわけではないが、他人の家へと勝手に入ることに、始めは躊躇も覚えたが、たった一週間ほど空けただけで食卓に降り積もった埃を見て思い直した。親切な家政婦にでもなったつもりでいればいいのだ。

 フェネルは三日に一度、雪の積った道をのんびりと魔法使いの家へと通うことにした。雪の季節の間だけでも、一日ひと部屋ずつ掃除していけば、以前と変わらないほどの家の様子は保てるだろうと思ったからだ。

 ガードウィンが薬の調合などに使っていた部屋を除けば、台所に洗面所、トイレに風呂場に応接間、それから部屋は四つ。順調に一つずつ掃除をして、フェネルはある日とうとうガードウィンの私室の前に立ってしまった。

 ガードウィンが入ってはいけないと言ったのは、危険な魔法を扱うこともあるからと、薬の調合を行う部屋だけ。自分の私室にはよりつかないと思ったのか、近寄るなとさえ言っていない。実際、フェネルがこの部屋の前を通ったのは、興味本位でうっかり覗いてしまった時だけだ。

 ノブに手をかけてから、鍵でもかかっていればとフェネルは思ったが、皮肉にもドアノブはゆっくりと回った。

(ベッドに布をかけるだけでいいのよ……)

 フェネルは後ろめたさをそう言い訳して、思い切ってドアを開けた。

 彼の部屋は、まるで古めかしい書斎だった。

 壁一面には本が並び、その中心には重そうな書斎机とたとえ子供が飛び跳ねても壊れそうにない頑丈そうな椅子が、そして奥に広めのベッドが主が出ていったときのまま埃を被っている。

 ほとんどの物が片づけられている中で、唯一、明かりとりの窓辺のチェストにフェネルは吸い寄せられた。

 小春日和を受けて小さな写真立て達が薄暗い部屋の中で淡く浮かび上がっている。

 古い家族写真だった。

 写真は貴族が楽しむもので、庶民には馴染みのないものだがたまの記念に撮る者もいる。だからフェネルは知らないわけではなかったが、それでも珍しいものだった。

 優しいセピアの色彩の中で家族が楽しげに笑っている。

 どこかの草原だろうか。誰かによく似た男女に囲まれ、面影のある幼い少年が楽しそうに彼らに抱かれて、その傍らで威厳のある壮年の男が豪快に笑っている。

 他にもある写真にも温かな家族が幸せそうに笑っていた。

 きっと、ガードウィンの家族だ。

 彼がフェネルに家族の話をすることは無かった。

 それは、フェネルの境遇を慮ってのことだったのかもしれないし、すでにない家族のことを多く語りたくなかったのかもしれない。

 四つある部屋のうち、一つは女性の部屋が、一つは子供部屋が長い間使われないまま残されていた。

 今のガードウィンが使っている部屋は、恐らく壮年の男の―――すでに亡くなったという彼の祖父の部屋なのだろう。

 少年の成長に合わせて撮られていた写真は、少年が祖父と二人だけで写るようになってすぐ終わっているようだった。以降の写真はない。

 フェネルの両親は、フェネルが物心つく頃にはすでに他界していたので、愛されていた記憶はあるが、写真のような温かな記憶は少ない。

 子供のころのことで思い出すのは、最初にフェネルの面倒を見てくれた時計塔のおじいさんのことだ。彼は年老いて一人者だったが、取り残されたフェネルを不憫に思って、時計塔でしばらく面倒をみてくれていた。彼が病気で倒れ、あっけなく亡くなる直前に、今、働いている菓子屋の女主人にフェネルのことを頼んでくれさえしたのだ。彼の葬式を教会の神父さまに頼み込んで慎ましく行ったあと、フェネルは菓子屋で修業をすることになった。

 フェネルにとっての家族は誰もいなかったが、孤独ではなかった。

 だから、この家で一人暮らしているガードウィンの孤独はフェネルには想像ができなかった。温かい家族を次々と失くして、誓約だろうが、呪いだろうが、何かに繋がりを求めたくなるのは、人として間違った感情ではないようにも思えた。

 

 きっと、フェネルは宰相の思惑にはまっている。

 それでも思った。


 結婚のことや不幸な境遇のことなんて本当はどうでもいい。

 彼と話したい。

 何でもいい。他愛もないことを。

 

 フェネルは写真とベッドに布をかけて、部屋を出た。

 思いのほか長く部屋に居たらしく、窓の外の日が傾きかけている。

 日が落ちるまでに帰らなくてはとフェネルは慌てて毛織のコートを着こんだところで、スカートのポケットが重くなっていることに気がついた。

 宰相からもらった封筒だ。特別な封筒なので、いつも持ち歩くことにしているのだ。開いてみると上質な便せんにフェネルにも読みやすく、宰相にしては短い手紙がつづられていた。

 フェネルはそれに目を通すが早いか、封筒をコートに押しこむが早いか。

 いつものように魔法使いの家に鍵をかけるのももどかしく、家を飛び出すと街外れの道を走った。

 手紙にはこうあった。


―――本日、魔法使い殿が帰還されます。



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