嘘と真実
まるで明日の天気でも占うように、トールは静かに言った。
「もしもあなたが、あなたが知る以上のことを知ろうとなさるのであれば、私は法をもってあなたを殺さなくてはならなくなります」
凪いだ湖面のようにフェネルを見つめるトールを、フェネルも静かに見つめ返した。
優秀な宰相からは何も読み取れないが、彼はすでにフェネルに答えを出している。
トールはフェネルの頭にある質問と答えを知っている。
だからそれを口にすれば、フェネルは死ぬことになると。
それはこの国の誰も知ってはならない秘密。
魔法使いが、戦争に駆り出されているということ。
フェネルが知ってどうなることではない。
けれどフェネルは唇を噛みしめた。
どうにもならないことが、どうしようもなく堪らないことがある。
戦争がすぐに終わるわけではないし、もしもこの国が焼かれるようなことになればもっとたくさんの人がフェネルのように嘆くだろう。
ただ今はあの魔法使いが一人ぼっちでいるだけで。
それが、悲しくて仕方なかった。
「―――あなたはなぜ、魔法使いが恐れられているか知っていますか」
フェネルの様子を眺めながら、トールは語り出した。
「他の国にも魔法使いは居ます。彼らは宮廷に抱えられて役職についています。
けれど、この国では違う。歴代の魔法使いはずっとあの家で暮らしてきました」
街から外れた古くて淋しい一軒家。
古いためなのか幾ら掃除をしても埃の尽きない家だったが、太い梁の渡されたどっしりとした家を、フェネルは嫌いではなかった。
「この国が出来た頃、一人の魔法使いが居ました。彼は王によく仕え、よく諭し、王の良き友でした。しかしある日、隣の国から彼に誘いが来た」
脈絡のない昔話でもするように、トールはフェネルから視線を外して暗い夜の降りた窓の外を眺めた。
「彼には一人の息子が居ました。妻を建国の時の戦争で亡くし、彼らはたった二人きりの家族でした。隣の国の国王は、自分の国に来るならば、彼の息子にも素晴らしい地位と領地を与えようと言いました。子供の幸せを願った魔法使いは、隣の国へ仕えることを決めました。しかし、それを知った王は彼の裏切りに激怒し、魔法使いが隣の国へ出かけている隙に息子を捕えてしまった」
宰相は夜の暗闇を見つめたまま、少しだけ目を細めた。
「捕えられた息子は、別の魔法使いによって呪いをかけられました。裏切った父と同じように、王を助け、国のために働く。―――生涯をかけて」
フェネルもトールと同じように窓の外の闇を見つめた。
夜空に星はない。真っ黒に塗り込められたような空はまるで全てを吸いこむようだ。
「息子も父と同じように魔法使いとなりました。彼は才能ある魔法使いでしたが、自分に呪いをかけた魔法使いを呪い、王を呪い、そして国を裏切った父を呪いました。その彼の家が、魔法使いの家です」
目を焼くような光をずっと見てはいられないが、目に優しい闇はいつだって人に魅力的だ。
「人とほとんど交わることなく過ごした彼は、やがて人に恐れられるようになり、孤児を養子に引き取ったあと、孤独な最期を迎えました。しかし、彼にかけられた呪いは彼の養子にまで引き継がれ、その後も続きました」
トールは窓からフェネルに視線を戻し、フェネルも部屋へと視界を帰す。明るいシャンデリアが一層眩しく見えた。
「以後、魔法使いは王に求められる以外は隠遁生活を送り、死期が近くなると魔力の強い子供を養子に迎えるようになりました。たいていが孤児や親を亡くした子供です。中には子を成した魔法使いもおりましたが、魔力が強すぎてほとんどの子供が早世でした」
子供たちを悼むように、トールは静かに目を閉じた。
「―――どうして花嫁候補なんて選び出したのですか?」
宰相の話が本当ならば、魔法使いに花嫁をなどという王は今までいなかったはずだ。
どれほど言いつくろったとしても、王にとって魔法使いは便利な道具にすぎなかったのだから。そして、きっと力がなければ魔法使いは殺されてしまうのだろう。―――今までの五十一人の中に、抵抗した者もいたはずだ。
トールはおもむろに視線を上げると、杖の先で床をトンと突いた。
「―――呪いは年々、少しずつではありますが弱くなってきているのです。すでに、ガードウィン殿への呪いはほとんど無いに等しい」
「……呪いが、無い?」
思わずフェネルが呟くと、トールは少し視線を向けたが続ける。
「ガードウィン殿の持つ呪いは王家に対する忠誠心のみ。王から求められれば依頼は受けますが、断ることもできます。彼はすでに自由だ」
フェネルは、いつかのトールとガードウィンの会話を思い出していた。
ガードウィンが囚われていると。
「彼は、珍しく先代の魔法使いから生まれた純粋な魔法使いです。ご両親は早くに他界しましたが、ご健在だった先々代に育てられました。彼らの時代には王家との仲も良好になっておりました。ですが、それが王家との縁を深めることになってしまった」
トールは溜息をつくように目を細める。
「先々代が亡くなられたあと、ガードウィン殿は新たに制約を結んでしまった。王家に今まで通り仕えると」
言葉を切ったトールはフェネルをのんびりと振り返る。
「しかし、ガードウィン殿の先行きを不安に思われた方が彼の誓約に条文を付けたしたのです」
「―――まさか…」
思わず顔をしかめたフェネルを眺めて、トールは続けた。
「そうです。ガードウィン殿が結婚をするまで、というものを付けたしたのです」
フェネルは自分に向けられた予想外の話の大きさに溜息をつきたくなった。三百年越しの呪いなど大それた話だ。
「本当は、そのような誓約自体を反古にする必要があったのですが、ガードウィン殿は稀に見る力の持ち主でしてね。おいそれと放り出すわけにも行かなかったのですよ。―――今回のことは、我々にとっては予想外のことでした」
トールはソファ越しだったフェネルに向かってゆっくりと歩きだす。そんな彼を目で追いながら、フェネルは疑問を口にする。
「……どうして、身寄りもいない私が選ばれたのですか?」
呪いがほとんどなく、王の覚えもめでたいガードウィンであれば、どこかの良い家の娘も婿養子に、などという話があったはずだ。フェネルに真価はよく分からなかったが、彼の見た目は涼やかな好青年だ。
事情を知れば、フェネルよりもずっと美人で気立てのいい娘だって花嫁に選ぶことだって出来たはずだ。
「フェネル殿はお美しいですよ」
トールは節度を保った距離にフェネルの前に立つと、少しだけ穏やかに笑んだ。自分の欠点を幾つも思い浮かべて、慰めはいらないと苦虫を潰したフェネルを遮って、トールは続ける。
「しかし、フェネル殿を選んだ基準は、一般的な花嫁候補の条件とは異なります。―――先々代が亡くなっても結婚をまったく考えないガードウィン殿に、花嫁候補を探そうとした我々に彼が出したたった一つの条件に、あなたは当てはまるのです」
その、と宰相の言葉が指し示したのは、フェネルの白銀の髪だ。
「あなたには、魔力がない。それがガードウィン殿が出したたった一つの条件でした」
魔力のない娘を。
そんな娘をと望んだガードウィンの心のうちがわかるようだ。
彼は己の力が疎ましいのだろうか。
しかし、トール宰相はフェネルの沈んだ心をあざ笑うように続ける。
「多かれ少なかれ人には魔力があります。それは髪や瞳の色に現われますが、あなたのような白銀には魔力は宿りません。そして、その瞳にも。そのような人は大変珍しいのです。……ガードウィン殿は、よほど結婚をしたくなかっただけなのですよ」
確かに彼ならやりかねない。そんな珍しい条件を出せば、うっかり見つかってしまうと逃げ出せなくなるというのに。
「……宰相さまは、おわかりなのですね。私のこの髪の意味を」
呆れるでもなく、静かに答えたフェネルを見つめてトールは淡々と告げた。
「はい。あなたは、不義の子。……近親相姦でお生まれになったのですね」
きっと、何が悪いということではなかったのだろう。
フェネルの両親がたまたま姉と弟だったということだけで。
良家で暮らしていた彼らがどんな境遇で愛し合うようになったのかは、今となってはわからないが、フェネルにとって彼らは良い親であったし、彼らは今までとは違う生活に耐えられず死んだということだけのことだ。
魔法使いになるわけでもないフェネルにとって、魔力などあろうがなかろうがどちらでも良いものだったが、この国では禁止されている行為で生まれた禁忌の子だと分かる人には分かるのだ。
フェネルの名前を決める時に、占ってもらった占い師が言い当てて教えてくれたのだという。
白銀の髪、水銀の瞳。
この二つを持つフェネルがどういう生まれの者なのか、ひと目で分かるのだと。
母の青い瞳の名残りはあるが、父の白銀は後天性のものだった。様々な心労が重なって、以前は夜のような黒髪が白銀に変わってしまったのだ。
「なぜ、私を選んだのですか」
魔力がまったくないとまではいかなくとも、少ない娘は他にも居たはずだ。
フェネルに、自分を疎む気持ちはない。
どんな出生だろうと、フェネルは両親に愛されていた。他界した彼らに罪があるとは思わない。
自分は生まれて良かったのだと思って、ここまで生きてきたのだ。
―――そうでなければ、とっくの昔に自ら両親の元へと走っていただろう。
けれど、他人はそうではない。
髪と瞳は気味悪がられるし、意味の分かる人はフェネルを禁忌の子だといわれなく嫌う。
そして、きっとガードウィンも知っていたはずなのだ。
トールは俯いたフェネルを見つめて言った。
「理由はガードウィン殿に直接尋ねてください。…けれど」
いつか見たように、トールはふと思いついたように微笑んだ。
「もしもあなたにこの国の秘密を話してあなたを殺してしまうようなことになれば、彼は悪魔のように怒り狂うのでしょうね」
「まさか」
たった一週間、共に暮らした相手をそこまで想えるはずもない。
自分のことは棚に上げて肩をすくめたフェネルをトールは笑った。
「これ以上、長居をして殺されないうちにお暇いたします。お時間ありがとうございました」
たかだか一週間暮らした相手に命を賭す趣味はない。
フェネルが丁寧にお辞儀をすると、トールは「いいえ」と応えて、
「本日はわざわざご足労いただき申し訳ありません。今後、何かございましたら、こちらに」
と、トールは懐から一枚の封筒を取り出してフェネルに持たせる。
「手紙を入れていただきましたら、私に直接届きますので、ご利用ください。封筒で私の文箱と繋がっておりますから」
「―――宰相様と文通が出来ると言うのですね……」
手に置かれた封筒を眺めながら、フェネルは呆れていいのか嫌がっていいのかわからず微妙な顔でスカートのポケットにしまう。
「……一応、お預かりしておきます」
「私からも何かございましたらお知らせいたしますので」
フェネルはスカートの中身が突然重くなったように感じて、げんなりと溜息をついた。
「今日はもう遅い。私がお送りいたします」
トールはいつものように、杖でトンと床を突く。慣れないフェネルは驚いた顔のまま、部屋からふっとかき消えた。
フェネルの残像を眺めるように、トールは小さく笑った。
「私はあなたであって良かったと思っているのですよ。本当に」