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眠る太陽の下で月は目覚める  作者: 伝記 かんな
7/12

月明かりの行方


                  7



言われている事も、

何が起こっているのかも、分からない。

目の前にいる、美しくあどけない少女を

ただ、見つめる事しか出来なかった。



『固まってないで、何か喋ってよ。』


むぅ、と頬を膨らます、“咲茉”。

そんな顔でさえ、愛らしい。


『・・・・・・もう、仕方ないわね。

 ほら、ここに座って。』


“彼女”は、ベッドの縁を

ぽんぽんと叩く。

隣に来い、と言っているようだ。


一つ一つの仕草や言動が、

自分のお姉さんのように仕切っている。

それが、魅力となっているのかどうかは

分からないが、可愛いと思えてしまう。


心依架は素直に従い、

“彼女”のすぐ隣に腰を下ろした。


“咲茉”の小さな手が、自分の手に触れる。

その事にも驚くが、

抱えていた少年の白夜を

受け渡されて、さらに目を見開く。


身体の温かさ。重み。

まるで、実態があるかのような感覚。


知らずに自分は、

“間”へ迷い込んだのだろうか。


『鎖、見える?』


“彼女”は、片腕を上げる。


何もないと思っていた白く細い腕に、

うっすらと半透明だが

絡みつく大きな鎖が見えた。

そしてそれは、自分の腕の中にいる

小さな白夜の身体に繋がって、

絡みついている。


『これを、断ち切るのよ。』


澄んだ、大きな瞳を向けて告げられた。


“彼女”は、自分がこれを断ち切れると

信じている。


「・・・・・・どうやって、切ればいいのか

 分からないけど・・・・・・」


『嘘。知ってるはず。』


「ホントに、知らないんだって・・・・・・」


『あなたは、“選ばれし生贄”でしょ。』


「・・・・・・選ばれし、生贄・・・・・・?」


特別感はあるのに、嬉しいとは思えない。


『その中でも、あなたは

 “暗闇の獣神”を眠りにつかせる

 きっかけになった、張本人。

 断ち切れないわけがない。』


「・・・・・・暗闇の、獣神・・・・・・?」


急に、ファンタジーの世界。

どういうことだろう。


『“暗闇の獣神”が食らう“月”の、最高峰。

 それが、“選ばれし生贄”。

 かつて腹を満たす生贄として捧げられ、

 平穏を築いたとされる貴重な存在。

 おとぎ話として、

 お母さまから聞かされたわ。』


お母さま。この子は、

紛れもないお嬢だって事は分かった。


『当時の“常世”と“現”は、

 良い事も悪い事も全て繋がっていて、

 生身の人間が平穏無事に生きていくには

 困難だったの。それに扉を設け、

 鍵を掛け、節制しているのが

 私たちの一族。今では、公にせず

 陰ながら支える存在なのよ。』


何かその、おとぎ話が始まった。

これは、聞かなくちゃいけないやつ?


『“常世”で絶大な力を振るっていた

 “暗闇の獣神”の気性と血の気は荒く、

 荒ぶる神とされて皆を恐怖に陥れていた。

 当時の“現”では、“彼”を鎮める為に

 その生贄を、定期的に捧げていたの。』



―・・・・・・

 ごめん。どれもこれも、理解できない。



しかし、せっかく自分の為に始めた

おとぎ話を遮るのはどうかと思い、

仕方なく耳を傾ける。


『数多くの生贄が捧げられた中、

 あなたを捧げた途端

 “暗闇の獣神”が沈静して、後に

 深い眠りにつき、今に至るらしいの。

 ・・・・・・わたしはね、興味本位で

 “暗闇の獣神”が眠る領域に

 踏み入れてしまったの。

 入っちゃダメって所、

 入りたくなっちゃうの分かるでしょ?

 百に止められたんだけど、我慢できずに

 行っちゃったの。・・・・・・

 それが、始まり。

 百には、悪かったと思ってる。

 食べられちゃうところだったのを、百が

 助けてくれた。条件付きで。』


理解はできないが、何か、

重要な事を話してくれている気がした。


「条件って・・・・・・?」


とりあえず、問い掛けてみる。


『魂を助ける代わりに、百が

 “暗闇の獣神”の媒体となって、

 “月”を食らい続ける。要するに

 お腹が空いてる“獣”のごはんを、

 百が代わりに食べるって事。』


急に、解釈が子どもっぽくなった。

でもそれで、少し理解する。


『でも、当時のように

 身体丸ごとじゃなくて、“月”の部分だけ。

 そこが、違うところかしら。』


“彼の方”というのは、“咲茉”が話している

“暗闇の獣神”の事なのかもしれない。


「“月”を食らうって、どういう事?」


『ねぇ、あなた。どうして目覚めないの?

 ここまで聞いておいて、

 なんでピンとこないの?』


「そう、言われても・・・・・・」


人違い、という可能性はないのだろうか。

自分が、そんなに

重要なとこにいるとは思えない。

生贄っていうくらいだし。


『分かったわ。思い出せないなら、

 教えてあげる。』


諦め口調の“咲茉”だが、

自分にとっては有難い。


『女の性を持つ者に宿る、

 生命を創造する力。それを例えて、

 “月”と呼んでいる。

 その力が多く湧き出る時期は、適齢がある。

 ・・・と、お母さまから聞いた。

 それを食して、“暗闇の獣神”は

 絶大な力を保持しているらしいの。

 “常世”を統べる者”、とまで言われる存在。

 本当に、神さまと言っていいかしら。

 目にする事も、赦されない。

 確かな事を、知る者はいない。

 ・・・・・・そんなの、一目だけでも見たいって

 思うじゃない?そうでしょ?』


愚痴っぽくなってるのが、妙に可笑しくて

笑ってしまった。

笑うところじゃないかも、だけど。


「笑って、ごめんね。」


素直に謝ると、“彼女”は怒るどころか

頭を下げてきた。


『・・・・・・反省してる。

 百に、大きな迷惑かけちゃってるし・・・・・・

 だから、どうにかしたいの。

 百が大好きなんでしょ?わたしも大好き。

 同士として、お願いするわ。』


白夜が大好きな者同士。

同盟は、結ばれた。


「うん。分かった。何とかする。

 でも・・・・・・すぐには、難しいかも。」


マナさんたちに相談したいけど・・・・・・

一週間の猶予が欲しいと言われているから、

連絡しづらい。


“咲茉”は、悲しそうな表情で見上げてくる。


『こうしてる間にも、

 百は苦しんでいるのに?』


それを言われたら、お終いだ。

自分だって、苦しい。


「例え断ち切る事が出来たとしても、すぐには

 実行できないよ。

 何が起きるか分からない。」


『でも・・・・・・』


「これを切って、その“暗闇の獣神”が

 怒ったらどうするの?」


『・・・・・・それは・・・・・・』


“彼女”は、言葉を詰まらせている。


その様子から、この子は意外と

勢い任せなのかもと考えて

心依架は、優しく言い聞かせるように紡いだ。


「おじぃちゃんが言ってたの。

 自分が目覚めると、白夜も目覚めるけど

 “彼の方”も目覚めるって。

 感覚的に、マズそうなんだよね。

 だからその、“暗闇の獣神”っていうのが

 出来るだけ眠ったまま、

 自分たちが解放されるっていう方法を

 考えた方がいいと思う。」


『・・・・・・おじぃちゃんって、誰?』



―白夜のご先祖様と、言った方がいいのか。

 でもまぁここは、ぼかしてもいっか。



「んー、と・・・・・・

 和装の、素敵な紳士。」


『・・・・・・??』


「とにかく、“常世”に詳しい人が今、

 良い方法を考えてくれてるの。その人が、

 一週間の猶予が欲しいって。」


『・・・・・・』



“咲茉”は両腕を組んで、考え込む。

そんな仕草も、愛らしい。


とにかく、“彼女”に全く

敵意はないというのが分かった。

白夜大好き同盟も、結ばれた事だし。


「ねぇ、“咲茉”。あなたって・・・・・・

 生きてない、んだよね?」


“現”で、という意味だった。

汲み取ってくれたのか、

自分を真っ直ぐ見つめて答えてくれた。


『生身はないけど、魂は生きてる。

 ・・・・・・っていうのが、現状かしら。

 “暗闇の獣神”の領域に

 踏み入れた時点で、わたしは

 死んじゃったの。』


「・・・・・・白夜が、

 魂を助けてくれたっていうのは

 どういうこと?」


死んでいるのに、助かったっていうのは

違和感がある。


『“暗闇の獣神”には従者がいるんだけど、

 それが、わたしの存在そのものを

 飲み込もうとしたの。“心理の記憶”まで。

 ・・・・・・従者の行動は、

 “暗闇の獣神”の意思と繋がっているわ。

 眠りながら食べるって、器用だけど

 お行儀悪いと思わない?』


確かに。


「白夜も、領域に踏み入れたってことっしょ?

 媒体だっていうけど・・・・・・

 何で、無事なの?」


『彼は特別よ。お兄さまと同じ。

 生きながら、“常世”を行き来できる。

 一族の力を、大きく引き継いでいるから。

 ・・・・・・でも、この事がきっかけで

 本当の力が抑えられているの。

 本当の百は、とてもすごいの。』



何となく。

何となくだけど、話が見えてきた。



「お兄さまっていうのは、白夜の叔父さん?」


『そう。百とわたしは、歳が近いけど

 白夜の叔母ってこと。安心して。』


叔母。その響きは、全然似合っていない。

幼なじみ、とか、そんな感じだと

ずっと思い込んでいた。


『ふふっ。一本引いて白夜、なんて

 とてもお上手よね。

 大好きって言っても、種類が違うの。

 わたしは、家族として大好き。

 あなたは、恋人として、でしょ?

 で、百が恋人として大好きなのは、

 あなたってことね。

 見たのよ。わたし。

 二人が裸で、仲良く眠っ・・・・・・』


「いやぁぁぁぁっ!」


いきなり何を言い出すんだこの子はっ?!


「見てたの?!」


『?さっき言ったでしょ?百が眠っている間は

 わたし、起きてるの。別に、そんなに

 慌てなくてもいいじゃない?』


いやいや慌てるっしょ!



・・・・・・

落ち着け。心依架。


白夜が起きている時は、眠ってるって事よね。

最中は、見てないって事よね。



「え、えっと、とにかく。

 まだ、これは断ち切れない。

 一週間、待って。自分も待つの嫌だけど、

 ここは待った方がいい。」


『・・・・・・

 一週間も、待たなくちゃいけないの?』


「それまでには、何とかするから。」


『約束よ?』


「うん。ゼッタイ。」


『指切り。』


小指が、差し出される。


ちょーかわいいんだけど。


その小指を、自分の小指で絡め取った。


「・・・・・・“咲茉”。」


『なぁに?』


「大人の白夜が、あなたの事いないって

 思ってるっていうのは・・・・・・

 きっと、違うよ。」


『え?』



だって、そうなら。


寝室に写真は置かないし、

あんな表情は浮かべないし、

自分のポケットに、こっそりカードキー入れて

部屋を自由に使っていいとは、

言わなかったと思う。


“彼女”と自分を、会わせたかったのでは。

そうとしか、考えられない。



「気づかないフリ、してるだけ。」


『何で、そんなことするの?』


「それは・・・・・・本人に聞かないと、

 分からないんだけどね。」


『・・・・・・百に、早く会いたい。』


「うん・・・・・・自分も。」



絡めた小指を、ゆっくり離す。


そして、自然に

自分の腕の中で眠る小さな彼へと、

視線を落とした。



“彼女”と出逢えたこと。

詳しい話を聞けたこと。

こうして、彼の温もりを実感できること。


これが良い方向へ、少しでも繋がれば

大きな前進だと思う。


そう心依架は、確信していた。


眠る彼が残してくれた、希望なのだと。















                  *
















今、目の前で眠り続ける甥は、本来

このような事態に陥る者じゃない。


自分に置かれた立場と、

陰で動く者たちを束ねる存在に、

なっているはずだった。

自分よりも遥かに、皆を

光差す方向へ導ける力を、持っていた。


“心理の記憶”の因縁と、

自分の妹が起こした好奇心。

それによって、彼の人生は大きく変わった。


出来る事なら、代わってやりたい。

ずっと、そう思いながら。

自分は、彼を見守っていた。



【一つだけ、頼みがあります。

 鍵を一つ、作って頂けませんか?】



彼の頼みなら。

如何なる理由があったとしても、

実現しようと思っていた。


しかしその鍵の用途を、悟った時。

何の為に、そこまで犠牲になるのかと。

身を呈する選択をするのかと。

分からずにいた。


こうして眠るお前を目にして、やっと。

そうか。お前は。

ようやく、誰かを愛する事が出来たのか。

自らを、認められたのか。


かつて自分が、そうであったように。


心底から渇望する相手に。

巡り会えたのか。



ならば自分は、厭わない。

お前の望み通りに、全力を尽くそう。


この世界が、闇で染まらないように。

照らそうとする、お前の意思を。



















                  *



















翌日の昼下がり。


白夜の部屋のベッドで、心依架は

ゆっくり瞼を上げた。



あれから、小さい白夜を

ベッドに横たわらせ、挟むように“咲茉”と

川の字になって寝転がった。

何かを話していたけど、すぐに

寝落ちしたのだろう。憶えていない。



二人の姿はもう、見当たらない。


夢、だったのだろうか。


そう思うが、確かな温もりの余韻が

腕の中に残っている。

あれは、夢じゃなかった。

そして、この小指で

“彼女”の小指と、指切りしたことも。



ポケットに入れていたスマホを取り出し、

時刻を見て驚いた。

もう、14時過ぎている。


とりあえず、シャワーを浴びて

スッキリしよう。

そう思って心依架は、身体を起こして

ベッドから降りた。



彼という部屋の主がいないのは、

何とも言えない寂しさと、違和感があった。


でも、“咲茉”と小さい白夜がいてくれたお陰で、

それも紛れている。妙に、落ち着いている。



カーテンから少し漏れている光に

目を留め、覗くように開けると

灰色の雲が覆う空が広がっていた。

雨が降るかもしれない。


スマホをソファーテーブルに置き、

傍らに置いていたリュックから

部屋着と下着を取り出す。



―そうだ。シャワー浴びた後

 晴さんのピアノを聴こう。

 聴きながら、コーヒーとか。いいかも。


 出来るだけ、ここでゆっくり過ごしたい。



平常心を保つこと。

泣いても騒いでも、何も変わらない。


そう言い聞かせながら、バスルームへ向かう。






シャワーヘッドから勢いよく出る

ぬるま湯を被りながら、心依架は

“咲茉”から聞いた『おとぎ話』を

思い出していた。



リアルとは思えない内容だし、

それに自分が関わっているとか

少しも、ピンとくるものがない。


ただ、“生贄”っていうところが、

自分っぽくて共感できるところ、かも。

食べられる存在。


・・・・・・?

あれ、何か・・・・・・

ちょっと、おかしくない?

引っ掛かるんだけど。



【数多くの生贄が捧げられた中、

 あなたを捧げた途端

 “暗闇の獣神”が沈静して、後に

 深い眠りにつき、今に至るらしいの。】



食べられた、ってことだよね?

食べた後、落ち着いて、眠った?

そんなことって、ある?



考えていると、鈍い頭痛が生じた。



お昼過ぎまで寝ちゃったから、かな。

時差ボケみたいな感じかも。


思えば、長い夜だった。


“常世”の散策から始まって、

晴さんのスタジオへ出向き、

ピアノに感動して・・・・・・

部屋に戻ったら、“咲茉”に出会って。


日常から、離れた時間を過ごした。


これで彼がいたら、最高なんだけど。




全身を洗い終え、湯を止めて

シャワーヘッドをフックに掛けると、

バスルームを出た。


すぐ側のラックに置いてあったバスタオルを

手に取ると、ふと、何かに気づく。



視線。


誰かが、いる。


目を向けると、そこには。



驚愕のあまり、身体が固まった。


自分を見つめる、その誰かというのは。



―えっ?ちょ、待って。



状況判断に困った。


黒真珠のような大きい瞳を

自分に向ける、あどけない少年。


小さい白夜が、出入り口付近に立って

こちらを見つめている。



―今、これ・・・・・・



タオルは手に持っている。

シャワーを浴び終えた、直後である。

当然、裸、だ。



「いっ・・・・・・」


『リビングにいるから。』



叫ぶ隙を与えられず言われて、絶句する。


彼は、くるりと身体を反転させると

姿を消した。



「・・・・・・」



―・・・・・・えっ?どういうこと?

 起きてるじゃん・・・・・・えっ???



慌ててバスタオルで、身体を包む。

もう遅いと思うが。



―今の・・・・・・白夜、だよね?


 びっくりしすぎて、動悸がヤバい。


 と、とりあえず、服着てリビングに行こ。



喜んでいいのかも分からない。

起きたのなら、

少年の姿のままというのも、おかしい。


栞からの連絡もない。

本当に起きているなら、知らせてくれるはず。


何が起こっているのか、確かめないと。








ちょこんとソファーに座る彼を目に入れて

心依架は、画像に収めたいという

衝動に駆られた。



こんな時にとは思うけど、かわいすぎる。


ただ気になるのは、彼の表情。

なんというか、無だ。

ふんわり笑う欠片もない。



傍に近づこうとすると、

真っ直ぐ目を向けられた。

感情を浮かべないせいか、近寄り難い。

強制的に、足を止めた。


『“咲茉”に、会えた?』


隠す必要はないと判断し、頷く。


『やっぱりおねえさん、只者じゃなかったね。

 僕の思った通りだった。』


おねえさん。

彼にそう言われると、何だか、変。


『僕も、会いたいんだ。“咲茉”に。』


無断で彼の部屋に入った時。

“間”で、この小さい彼に懇願された。


「・・・・・・“咲茉”は、傍にいるよ。

 でも、白夜が起きてる間は、

 眠っちゃうんだって。」


大きな鎖に繋がれていて。

それを断ち切らなくては、多分。

彼の願いは叶わない。


小さい彼の表情に、ようやく浮かぶ。


『僕が、“咲茉”を護れなかったんだ。』


後悔。悲しみ。

溢れる涙が、彼の白い頬を伝う。


『止められなかったから・・・・・・

 僕が、悪いんだ。

 でも、もう、時間は戻らない・・・・・・ううっ、

 会って、謝りたいよ・・・・・・』


俯いて泣きじゃくる姿に、きゅう、と

胸が締め付けられた。


そっと近づき、隣に腰を下ろす。


『もっと僕が、しっかりしていれば・・・・・・

 こんなことには・・・・・・』


「“咲茉”は、百のこと

 大好きだって言ってたよ。」


心依架の言葉に、彼は顔を上げる。


「大きな迷惑を掛けちゃったって・・・・・・

 百に、会いたいって言ってた。」


二人とも、気持ちは同じなんだよね。

会わせてやりたい。


涙を拭って見上げる彼の表情には、

少しばかりの明るさが灯る。


『・・・・・・おねえさんには、

 話しておこうと思うんだ。僕のこと。』


「うん。聞かせて。

 ・・・・・・でも、その前に・・・・・・

 何で自分のこと、名前で呼ばないの?」


違和感が、ありすぎる。

彼なのに、彼じゃないような。


『大人の僕のことは、知らないんだ。

 おねえさんの名前、なんていうの?』


「えっ・・・・・・?」


知らないって、どういうこと?


『大人の僕は、僕のこと切り離してるから。

 そうしないと、“彼”の影響が

 大きすぎるからって。

 僕が、僕じゃなくなるから。』


・・・・・・?心の、問題的な?

よく分からない。

小さい白夜は、自分の知ってる白夜とは

違うという事なのだろうか。


・・・・・・とにかく。


「心依架。呼び捨てでいいよ。」


『どんな字を書くの?』


あは。

子どもの彼も、同じ事聞くんだ。


「“こころ”に、“にんべんのころも”で、

 架け橋の、“か”。」


『とても、いい名前だね。』


それも、同じ。


思わず微笑む。


『僕は、“常世”と“現”を行き来できる一族。

 “連鎖”の力を持っているんだ。

 だから、“彼”の事も受け入れられたし、

 こうして、存在する事ができる。』


“彼”とは、多分。


「“彼”って、“暗闇の獣神”のこと?」


『“咲茉”から聞いたの?』


「うん。おとぎ話として、聞いてたって。」


『そう・・・・・・“咲茉”は、

 “彼”に会ってみたかったんだ。

 どんな姿なのか、見たかった。

 “彼”と一族の関係には因縁があって、

 助けてもらった事もあるけど、

 どちらかというと、支配されているんだ。

 “彼”の要望を満たす為に、働いていた。

 でも、ある時を境に・・・・・・“彼”は、

 眠りについたんだ。』


それ。例のやつ。


「・・・・・・“選ばれし生贄”、ってやつだよね?」


『・・・・・・うん。』


大きな双眸が真っ直ぐに、心依架を捉える。


小さな彼の両手は、そっと

自分の片手を取った。


『それを実行していた時代の一族を、

 僕は赦さない。話し合えたはずなのに・・・・・・

 命を捧げるなんて、

 あってはいけないことなんだ。

 一族を代表して、謝罪するよ。』



深々と、小さな頭を下げられる。


彼の温かさが、全身に

染み渡っていくような。


胸の奥まで届いて、じんとした。


無意識に流れるこの涙は、何なのだろう。



小さな彼の指が、溢れ出る自分の涙を

拭き取るように、頬に触れる。

そして、微笑みを浮かべた。


『大人の僕は・・・・・・きっと、心依架のこと

 大切に、大事に想ってるよ。

 僕だって、そう。お友だちになりたい。

 こんな深いところまで来てくれた人、

 今までにいないんだ。

 “咲茉”も、同じだと思う。』


止まらない。

どうしよう。


この子は、紛れもない、白夜だ。


「・・・・・・ハグ、してもいい?」


『うん。』



―こんな小さい頃から、

 しっかり見据えていたんだ。


 いろんなこと。



『・・・・・・“咲茉”を、解き放ちたい。

 僕に縛られて、動けないんだ。

 そして、僕も。

 大人の僕のところへ、帰りたい。』



―白夜は。

 取り戻したいんだ。この子を。



彼の身体を離し、心依架は

真っ直ぐ向けられる眼差しを受け止めた。


「もう少しだけ、待ってて。

 ゼッタイ、何とかするから。」


『無理しちゃダメだよ?』


「あははっ」


同じこと、前にも言われたっけ。


「無理だって思ったら、無理になっちゃう。

 大丈夫。言葉の意味が分かんないことは、

 いつもだけど。」


『“常世”の事を言葉にするのは、難しいんだ。』


「うんうん。それ、口グセ。」


『・・・・・・ありがとう。』


あ。そうだ。


「今、大人の彼は眠ってるって事だよね?

 それってやっぱり、“彼”の影響で?」


重要なとこ。この子なら、知ってるかも。


小さい白夜は、頷いた。


『媒体になってるから、近づきすぎると

 同化しようとするんだ。

 出来る限り離れて、

 “彼”の空腹を満たす為に“月”を・・・・・・』


「“月”を食べられた人に、影響はないの?」


『生きている限り、尽きることはないんだ。

 一人一人の、輝きは違う。

 ・・・・・・心依架の“月明かり”は、

 とっても満ちていて、綺麗だ。

 僕が見る限りでは、一番だよ。』


真っ直ぐに見つめて、

真っ直ぐに伝える。

女を喜ばせる術を、自覚なしに。恐ろしい。


「・・・・・・そ、そんなことないっしょ。」


『ううん。最高峰の、さらに上かな。

 誰よりも、素敵だよ。』


にっこり笑って、言われる。


ちょっと。

ピュアすぎて、ヤバい。

頭、撫でまくってやろうかな。


『“彼”は、君が来るのを待っているよ。

 でも・・・・・・気をつけて。

 君はもう、“あの頃”の君じゃない。

 飲み込まれないようにね。』


言われている事は、少しだけ分かる。

心依架は、心依架ってことっしょ。


「うん。しっかり話し合って、

 分かってもらうから。」


『・・・・・・出来るといいね。』


「出来るっしょ。」



白夜を、返してもらうんだ。


何気ない日常を、一緒に過ごす為に。


そして二人を、解き放つ為に。


















                  *




















あれから、五日が過ぎた。



あの日、小さい白夜と一緒に

過ごせると思っていたが、話した後に

彼は、微笑みを残して

姿を消してしまった。


晴のピアノをデバイスで十分聴いて、

少し落ち着いた後、自分の家に戻った。


今でも信じられないが、

白夜の家のカードキーを失くしてしまった。

施錠して、確かに

ポケットに入れたはずなのに。

かなり探したけど、見つからなかった。

拾われて、届けられていないかも確認した。

でも、それも音沙汰がない。


かなり、落ち込んだ。

部屋に行けば、

二人に会えると思っていたのに。

それもだけど、本人に怒られちゃうのでは。

栞さんに、連絡しよう。そう思って

連絡したけど、繋がらない。

何で、繋がらないの?



喪失感を抱えたまま、時間だけが過ぎた。




ISAMIベーカリーは、相変わらずの

大盛況である。

今日も行列が絶えず、

勇一家のパン作りも絶えず、

真世心の伯母の智絵里と共に

心依架は、接客に追われていた。


多忙な方が、余計な事を考えなくて済む。

そう言い聞かせながら、

日々をやり過ごしていた。



客足が落ち着きを見せた、昼下がり。

智絵理が先に休憩に行き、心依架は

接客の合間でトレーを拭いて片付けていた。


店に訪れた二人の男女に、目を見張る。


「心依架っ」


「わっ、明日葉っ?」


「よぉ。大川内。」


キャンパスライフを始めたての、

明日葉と元クラスメイトの久我だった。

卒業後、二人が

付き合い始めたのを知っている。


「いいにおい~っ」


店内の空気を全部吸うような勢いで、明日葉は

満面の笑みを浮かべながら

パンの香りを楽しんでいる。


元々が、キレカワだった彼女。

ナチュラルメイクだけで飛び抜けちゃう。

清楚な白のロング丈スカートが、

とても良く似合っている。


「ヤバいな!全部うまそうっ」


爽やかな笑顔を浮かべる彼も、学生の時の

勤勉な雰囲気が一掃して、垢抜けている。


うん。二人とも、幸せそう。



「・・・・・・心依架、元気ないね。大丈夫?」


流石、というか。

明日葉は、見抜いてしまうようだ。

彼女は心配そうに、自分の顔色を窺ってくる。


優しい温かさに甘えそうになったが、

堪えて笑みを浮かべる。


「大丈夫。忙しすぎて、疲れてるだけ。」


「無理すんなよ。」


久我の言葉にも感謝しつつ、笑う。


「うん。ありがと。」


「・・・・・・真世心は、中?」


「そうだね。ひたすら、パン作ってる。」


「もう立派な職人だな。」


「だね。」


まよごんはホントに、すごい。


「パン食べてくれたら喜ぶと思う。

 二人が来た事、伝えとくね。」


「たくさん食べる。

 ・・・・・・たくさん、食べたい。」


「よ、よし。まかせろ。」



そのやり取りが、何だか癒された。


明日葉と久我の雰囲気は、とても温かい。


二人は、順調に進んでいる。

これからも、楽しく歩いてほしいな。
















仕事が終わる頃から鈍い頭痛がして、

帰宅した時には酷くなっていた。

熱っぽいし、だるい。


「熱があるわね・・・・・・とにかく、

 ゆっくり休みなさい。」


楽な格好になるのも、

穂香に手伝ってもらわないと無理なくらいに

きつかった。

そして促されるまま、

自分の部屋のベッドに横たわる。

冷たい水で濡らしたタオルを

額に乗せられ、布団を掛けてくれた。


ママがいてくれて良かった。

夜勤だったら、一人だった。

寂しくて心細い時間を、過ごさずに済む。


ぼうっとする頭で、そう思った。



“二人”に、会いたいな。


カードキー、どこにいっちゃったんだろう。


落とした感じ、なかったのに。

まだ、引きずっている。



こうしている間にも、苦しんでいるのに。


熱、出してる場合じゃないのに。



白夜。会いたいよ。


白夜。










【我よりも、その男を欲するのか?】



重低音の声が、響く。



【お前は、我を求めないのか?】



・・・・・・誰?



【忘れたのか?我を。】



「うぅっ・・・・・・」



頭が割れる程、痛い。


自分は。何を忘れたのか。

何を、思い出そうとしているのか。


この、重くて、足枷のような声を、

いつも、どこかで、聞いて、いた、

気が、する。



【また、お前の膝枕で眠りたい。】



膝、枕。あぁ。そう、だ。膝枕を、してた。

でも、誰、を?



【我に、安らぎを。】



あなたは、誰?



















                  *


















真っ黒で、何も見えない空間。


その中に、何かがいる。


自分は、それに、そっと触れた。



【我に触れるとは。恐れを知らぬ娘だ。

 面白い。】



思ったよりも、ふわふわで、

手触りが良かった。


「どうして、こんなにたくさんの毛で

 覆われているの?」


ふと疑問を、“それ”に投げかけた。


【さぁ。我にも分からぬ。】


「寒いから?」


【否。】


「何かから、身を護る為?」


【生まれた時から、この姿だ。】


「・・・・・・手入れ、大変ね。」


【・・・・・・】


「これから毎日、梳かしてあげるね。」


【お前は心底から、恐れを知らぬな。】


「何を恐れるの?」


【・・・・・・】


「あなたは、優しい。私を生かしてくれた。

 この命はもう、あなたのもの。

 何も恐れる事なんて、ない。」



空間が、揺れる。


自分の身体も、一緒に揺れた。



【面白い。お前を傍に置いて良かった。

 退屈せずに済む。】


「飽きたら、丸ごと食べていいからね。」


【・・・・・・当分、飽きんな。】



空間が、さらに大きく揺れる。



そうか。彼は、笑っているんだ。


自分という存在で。


初めて自分も、心から笑った。


必要としてくれる。私を。

それだけで、嬉しい。


嬉しい。これが、嬉しい。


無いと思っていた感情が、湧き上がる。



















                  *
















ゆっくり、心依架は瞼を上げた。


溢れ出る涙で、ぼやけているが

自分の部屋の天井が映る。


何かの夢を見ていた。

だけど、思い出せない。

嫌な夢では、無かったと思う。


どのくらい眠っていたんだろう。

だるさが消えて、身体が軽い。

熱が、引いたような気がする。



涙を拭い、チェストの上にあるデジタル時計を

目にして、驚いた。


丸一日、寝ていたらしい。

今日、仕事だったけど・・・・・・


ゆっくり身体を起こして、

勉強机の上に置かれていたスマホを手に取る。


ママが、連絡してくれたのかな。

通知の中に、真世心のメールがあった。



《ゆっくり休んで!》

《良くなるまでゼッタイ安静!!》

《いっぱい頑張ってくれて

 ありがとね!。゜(゜´Д`゜)゜。》



思わず、微笑む。


いっぱい頑張ってるの、まよごんなのに。

こちらこそ、ありがとね。


引き続き通知を追っていると、

栞からのメールが届いていた。

浮き立って、内容を確認する。



《連絡できずにごめんなさい》

《今夜迎えに行っても大丈夫?》



病み上がりでも、全然平気だった。

待っていた連絡が来て、とても嬉しかった。

すぐに返信する。



                《大丈夫です!》



彼が起きたという内容は、書かれていない。

でも、きっと、彼の元へ行く事は確かだ。

眠っている姿でも。

会える。傍に、行ける。


こうしてはいられない。

ママに、言わなきゃ。

元気になったから出掛けてもいいかって。

止められるかもだけど、行きたい。

彼に会いたい。


ベッドから下りて床を踏み締めると、

立ち眩みがした。でも、気にしない。


部屋のドアを、勢いよく開ける。


「ママ!元気になったから、

 出掛けてくる!」


急に飛び出してきた心依架を、

リビングのソファーに座っていた穂香は

凝視した。


「びっくりした・・・・・・えっ、

 ちょっと、もう大丈夫なの?」


「この通り!ね?」


「ま、待ちなさい。・・・・・・喉は?

 お腹は空いてないの?」


その言葉が合図のように、

喉の渇きと空腹に気づく。

ぎゅるるるっと、腹の虫が鳴いた。


「・・・・・・渇いてる。空いてる。」


「ふふっ、もう。とりあえず、

 お水飲んでスッキリしてきなさい。

 その間に、ご飯作るから。」


笑いながら穂香は、キッチンへ向かう。


「眠ったままだったから、心配だったのよ?

 熱は下がったみたいだったけど・・・・・・

 思ったよりも早く回復して、良かったわ。

 きっと、疲れが出たのね。」


グラスいっぱいに注がれた水を

彼女から手渡され、ありがと、と

短くお礼を言って口を付けた。

程よく冷たくて、美味しい。


眠りっぱなだったの、初めてかも。

確かに、疲れてたのかもしれない。


「真世心ちゃんに、きちんと連絡するのよ。

 とても心配してたんだから。

 ・・・・・・彼に、会いに行くの?

 会いに行くのはいいけど、

 無理しちゃダメよ?」


あぁ、ママ。大好き。ありがと。


「うん、ありがと!

 なるべく早く帰ってくる!」


「はいはい。遅くなってもいいから、

 必ず連絡するのよ?いい?」


「あはっ、はーい!」



今までに、早く帰ると言って

早く帰った事がないのを、穂香は知っている。

話さずとも理解してくれる母親に

心依架は感謝しつつ、逸る気持ちを抑えて

バスルームへ向かった。
















21時を少し過ぎた頃。


心依架は身支度を済ませて、

マンションのエントランスまで下りていった。

外に出ていく丁度のタイミングで、

真っ赤なスポーツカーが現れる。


迷いなく助手席のドアを開けて乗り込み

シートベルトを着用すると、

運転席にいる栞は、こちらへ目を向けずに

車を発進させる。


「・・・・・・色々と不自由な思いをさせて、

 悪かったと思っているわ。」


言葉を投げる彼女の格好は、

黒に近い紺のスーツ姿に黒縁眼鏡。

いつもの派手なファッションとメイクは、

施されていなかった。


ブラウス上部分が鎖骨まで開き、

括られていない長い黒髪が

彼女の身体に絡む様子は、

疲労が色濃く窺える。


「・・・・・・疲れてますね、栞さん。」


「いつもの私は、こんな感じよ。

 心配しないで。・・・・・・それよりも

 この一週間、何か変わった事はなかった?」


単刀直入に訊かれて、

何から話せばいいのか戸惑った。

でも、まずは。


「実は・・・・・・

 白夜が預けてくれた部屋のカードキーを、

 失くしてしまって・・・・・・」


「あぁ。いいのよ、それは。使ったのね?」


いい、とは?

何も良くないと思うけど・・・・・・


「はい。・・・・・・部屋で、

 “咲茉”という少女に会いました。

 その子は、白夜の・・・・・・」


「流石ね。想定内だわ。」


食い気味で呟いた彼女の言葉に、

心依架は首を傾げる。


想定内って、一体、何の?


「少年の白夜にも?」


「はい・・・・・・詳しい事情も、

 二人から教えてもらって・・・・・・」


「上出来よ。これで、土台は万全だわ。」


栞は高揚して、ハンドルを切る。

同時に、身体が横に振られた。


少し荒い運転のように思えて、

彼女の横顔を見据える。


「これから、白夜の所に行くんですよね?」


「そうね。あまり時間がないの。

 タイムリミットは、深夜までくらいかしら。

 それを過ぎると、生存率が下がる。」


「・・・・・・」


生存率。誰の、なのか。

考えたくはない。


「あの夜の出来事は、全て把握済みよ。

 マスターに詳しい話を聞いた。

 無事に、弾が癒着したという事も。」


弾というは、“彼の方”の従者と呼ばれた

あの子に、埋まっていたやつだろうか。


その疑問を投げかけずとも、栞は

迅速かつ的確に告げていく。


「よく聞いて。“彼”の従者である獣に、

 銃弾が埋まっているのを見たわね?

 あれは、“彼”に例の花の現状を

 知らせる為に放ったもの。

 例の花が異常発生している状況に、

 危機感を持ってもらう為よ。

 ・・・・・・白夜は最終的に、“彼”の力を借りて

 例の花の繁殖を抑えようとしているの。」


紡がれる事実。

彼女の淀まない言動は、

身を引き締める効力を持っている。


「“咲茉”が“彼”の領域に足を踏み入れて、

 命を落とした事実は・・・・・・不慮の事故。

 それがきっかけで、白夜は

 “彼”の媒体として縛られた。

 その事態は、誰もが絶望だと思った。

 でも彼は、それによって

 “彼”が眠りについた根源を知った。

 だから“彼”を受け入れ、“彼”が望むままに

 自身を流し、“彼”の思うままに動いた。

 ・・・・・・“彼”が探し求める、小さな光。

 その明かりがあれば、“彼”が再び目覚めて

 “常世”の現状を見据えてくれると思ったから。

 ・・・・・・勿論、

 出逢わなければ終わりの賭け。

 でも、白夜は出逢えると確信していた。

 自分を媒体に使ったのは、その

 明かりの気配を感じ取っていたからだ、と。

 “彼”に従い、探し求めたら・・・・・・

 きっと、あなたに出逢えると。」



衝撃が走る。

同時に、彼が冗談のように言っていた

運命の出逢いというのは、

この事だったのかと理解した。



失礼するわね。


信号待ちの間、栞は一言断りを入れると

サイドウインドウを開ける。

加熱式タバコを吸い、

外に向かって吐き出した。


「例の花が、あんなに繁殖力を持ったのは

 とあるバイオテクノロジーの権威、

 “佐倉井 要”が、研究の試作を与えた結果。

 彼は、“常世”と“現”の隔たりを失くし、

 一体化させる研究に時間を費やし、

 あらゆる人間を巻き込んできた。

 ・・・・・・施された残骸、痕跡は、数知れずよ。

 それを一掃し、拭う為に立ち上がったのが

 白夜を筆頭にしたプロジェクト。

 これは、秘密裏に行われている。」



煙草の煙なのに、なぜか甘い匂いがして

少しも嫌だとは思わなかった。

吸いながら運転する彼女を、心依架は

瞬きもせず窺う。


「例の花だけではなく、“佐倉井 要”が残した

 爪痕は・・・・・・彼が没した後でも、

 思わぬ形で発見されているの。」


これは、朋也が話していた内容と一致する。



白夜が筆頭で行われている、

プロジェクトの実態。これが今、

告げられるとは思っていなかった。


それだけに、緊迫しているのだと把握する。



「心依架。本来なら、あなたは

 平穏な日常を送るはずだった身の上。

 プロジェクトの為に巻き込み、

 不自由な思いをさせてしまった事、

 彼に代わって、改めて謝罪するわ。

 ・・・・・・この一件が終わったら、

 全てを忘れ去って生きることも可能よ。

 選択肢は勿論、あなたに委ねる。」



―・・・・・・全てを、忘れ去る?

 それは一体、どういう意味?



「伝えておくべき事は・・・・・・

 白夜は、あなたが下した

 どんな選択肢でも受け入れる。

 それだけよ。」


「栞さん・・・・・・一体、

 何を言ってるんですか?

 何も、忘れたくないです。何もかも。」



―全てを、忘れるなんて。

 そんな事、出来るわけがない。

 また何も感じない日常を送るなんて。

 そんなの、ありえない。



「彼と一緒に、傍に、いたいです。

 離れるなんて、できない。」



―彼がいる日常を、幸せだと思える今が。

 自分には、必要だということ。

 彼に会って、伝えたい。



ふーっ、と煙を吹く音が届いた後、

落ち着いた声音が紡がれる。


「・・・・・・

 あなたの思いは、分かったわ。

 心置きなく、連れていくわよ。」


彼の元へ。


告げられた後に、

タバコのスティックが抜かれた。













約30分くらい過ぎただろうか。

栞のスポーツカーは、

とある施設の駐車場へ入っていく。


晴のスタジオとは真逆の、無機質な白い壁。

一瞬、病院ではないかと思った。


「ここは、私が所属する科捜研が

 所有する場所。一部、

 組織が借りているラボがある。

 主に、表沙汰には出来ない事項を

 預かっている場所でもあるわ。」


当然の如く、栞は正面から

その施設内へ入っていく。

人気のないロビーを颯爽と歩いていく

彼女の後を、心依架は早歩きで付いていった。


エレベーターの前まで来ると、

彼女は言葉を投げる。


「・・・・・・親御さんに、

 遅くなるって伝えてる?」


車内で、そういう空気だと察知して

既にメールを送っている。


「はい。」


その返事を聞いた後に、栞は

エレベーターの扉を開けた。


自分が熱を出して寝込んだ事を、

彼女には伝えていない。

心配させるのは悪いと思ったからだ。


彼女は、操作盤の上にある画面を覗き込む。


「一般職員は、地下には

 行けないようになってるの。」


短く電子音が鳴った後、

彼女の指は地下三階のボタンを押す。


一部、組織が借りているラボ。

それが地下にあるという事だろう。

妙な緊張感を覚える。


スライドして開いた扉の先には、

建物の外観と同じく

無機質な白色の壁を挟んだ、長い廊下。

白夜と行く“間”を思わせるように、何もない。


かつんかつん、と栞のヒール音が鳴る。

スニーカーを履いている

心依架の足音は、パタパタと

合の手を入れるように続いた。


突き当りを左に曲がると、

ドアが幾つか見受けられる。

案内板も、何の部屋かも示されておらず、

中身を全く想像できない。


その中の、一番奥の部屋のドア前まで

栞は歩いていくと、軽くノックした。


「失礼致します。」


ノックと声掛けをするという事は、

部屋に誰かがいる。


「心依架。ここから先は、一人で。

 私は外で待っているわ。」


彼女から背中を支えられるように、

ドア前へ促された。


白夜以外の誰かと対面するなんて、

聞いていない。だが、

入らないわけにもいかない。


高鳴る心臓を深呼吸で抑えつつ、

ドアをスライドさせて開けた。



部屋内も、白で支配されている。


その中で、中央に置かれたベッドと

それに横たわって眠る白夜がいた。


そして、彼の側で寄り添うように

丸椅子に座る、見覚えのない男性。

迎えるように、こちらへ顔を向けている。


オールバックで綺麗に纏めた、短い黒髪。

スーツを身に纏う彼の背筋は、

真っ直ぐ綺麗に伸びている。


纏うもの全てが優美だと思えた瞬間、

その場に留まり立ち尽くした。


切れ長の目が向けられて

結び付くように視線が合うと、男性は

すっと立ち上がり、会釈をする。

何気ない動作なのだが、優雅だった。


「こちらへ。」


椅子に座るように促されたのだと、

はっと気づいて心依架は

首を横に振り、遠慮する。


「・・・・・・彼の傍に。」


ふ、と顔を綻ばせただけなのに、

空気が緩んだ。

それだけで、固まった身体が和らぐ。

考える間もなく、ふらっと歩いて

丸椅子に腰を下ろした。


眠る白夜を目にして、熱いものが込み上げる。

今の状況を忘れ、前のめりになって

彼の顔を見つめた。


やっと会えた。約一週間なんだけど、

とてもとても長かった。

もっと近くへ行って、手を握りたい。


座りながら丸椅子を動かし、彼に近づく。



「・・・・・・君の事は、この子から聞いていた。

 会えて嬉しいよ。」


優しく、心地好い声が掛けられる。

その言葉で、この男性が誰なのか

自然と辿り着いた。

向き直って、頭を下げる。


「大川内 心依架です。

 ・・・・・・あの、あなたは、白夜の・・・・・・」


「蔵野 恵吾。彼の叔父だよ。」


そう告げられて、再度頭を垂れる。


「自分も、聞いていました。

 ・・・・・・会えて嬉しいです。」


想像以上に、素敵すぎ。


「ゆっくり話をしたいところだが、

 時間の猶予が、あまり残されていない。

 今度また改めて、会う場を作ろう。」


栞から聞かされていたのもあって

すぐに飲み込んで、頷く。


「・・・・・・

 君の目覚めは、もう始まっている。

 “彼”の領域に出向き、踏み入れれば

 自ずと思い出すことになるだろう。」


その自覚はないけど、不思議と

恐怖は生まれなかった。

逆に、知りたいと思えるくらいだ。


「僕は今から、

 君たちの“間”と“彼”の領域を繋げる。

 ・・・・・・公園へ出向く手間を、省かせてもらう。

 それによって生じる不具合がある事を、

 頭に置いてもらいたい。」


自分の直ぐ側に立つ蔵野の、一言一句を

胸に刻み込む。


彼は白夜の片手を静かに取り、

自らのもう一方の手を心依架へ差し出す。


「・・・・・・預けてもらえるかな。」



エスコートのように見えるのは、

彼の優雅さのせいだろう。


躊躇いながらも、心依架は従って

蔵野の手の平に、そっと自身の手を置いた。


自分の手と白夜の手が重なるように、

彼は持っていく。



「・・・・・・踏み入れる無礼を、許し給え。」


























『意識レベル、共に低下しています。

 自動的に緊急事態モードへ移行。

 外部との連携により、

 “彼の方”との接触を試みます。


 ・・・・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・


 反応ありません。


 心依架様。聞こえますか。

 “心”です。


 私の声が、届いていますか?

 どうか、応答願います。』









―・・・・・・

 ・・・・・・


 ・・・・・・?


 ・・・・・・えっ・・・・・・今・・・・・・


 何が、起きてんの・・・・・・?



『心依架様。只今私の姿は、

 具現化出来ません。音声ガイダンスによる

 状況報告は出来ます。』



―・・・・・・“心”・・・・・・?



視界に広がるのは、真っ黒な空間。


いつもの、白い空間じゃない。


何もない。何も、見当たらない。



・・・・・・見当たら、ないの?

本当、に?



『反応を確認。前方より、か・・・・・・』


【我の領域を踏み荒らす者は、誰か。】



“心”の声が、搔き消された。


何、この、聞きづらい声。



【我の目覚めを所望する不届き者が、

 以前にもいたが・・・・・・

 今度は、どうしてくれようか。】


「・・・・・・よく、ご確認を。

 彼女が、誰なのかを。」



重低音の声に混じる、聞き慣れた声。


白夜。白夜がいる。


白夜。どこ?どこにいるの?



【・・・・・・】



何もない暗闇に吹き込む、湿った風。


これ、は。



【・・・・・・泣く程、我が怖いか?】



無意識に、涙が溢れる。


いや、この涙、は。


恐怖から、じゃない。


嬉しい。そう。


嬉しいと叫んでいる、私がいる。



「・・・・・・私、です。」



名前を告げようとした瞬間。


空間に、眩い白さが染まった。





















視界に映る、黒くて大きな毛玉。

ゆらゆらと揺らめくように見えるのは、

毛並みが柔らかく繊細な証拠だ。


一目見て、これが何なのか理解はできない。

誰もが、異形で化け物だと思うだろう。

しかし、自分自身から溢れて止まない

感情は、歓喜としか言い様がない。



【我の元へ、出向いたのか。】


その響く声は、懐かしくて狂おしい。


【それとも、この男を連れ戻しに来たのか。】



毛玉の中から現れる、一人の青年。

大きな鎖で縛られ、その身は

自由が利かないのか表情は暗く、虚ろだった。


【答えを聞き入れた後、

 お前を丸呑みしてやろう。】


がぱっと、口が開く。


口と表現したが、

向こう側に白い空間が見えた。

形状が、よく分からない。

でも。そう。よく知っている。

“彼”のことを。


「・・・・・・また会えるなんて、思わなかった。」


【何の為に、お前を還したと思っている?】


吹き抜ける風が、荒くなる。

“彼”は、苛立っているのか。


【我の慈悲を知りもせず、

 この男に現を抜かしおって。】


なぜか、笑いが込み上げた。

笑うところではないと、分かっている。

でも、笑わずにはいられない。


【何が可笑しい?】


すぐに丸呑みしてやろうか。

そんな意思が、真っ直ぐに向けられる。


心依架ならば、恐怖を感じたに違いない。


でも私は、それが可笑しいと思う。


「貴方が嫉妬なんて。

 嫉妬してくれるなんて。

 私は貴方に、食べられる存在なのに?

 ふふっ・・・・・・」


可愛いとさえ、思えてしまう。


「それで?今から私を丸呑みにするの?

 やっと、食べてくれるの?嬉しい。」


心から、嬉しいと思った。


彼の一部になれる。

彼のものになれる。

彼の中に刻まれる。

私という存在は、なくなる。消える。

この世界から、いなくなる。

何て、素晴らしいのか。


【・・・・・・お前、なのか。そうか。思い出したか。

 ようやく、我の事を。】


毛玉が、揺れる。

愉快そうに。


【そうだ。お前は、そうだった。

 自らの存在を消したがる。

 我は、それが疑問で仕方なかった。

 だから、逆に生かして

 傍に置こうと思った。】


そう。気まぐれだ。それから、始まった。


「どうして、そんな事をしたの?」


今なら、思う。

全てを飲み込める貴方が。

塵にもならない私の命を、どうして。


【お前は、自身が放つ光の強さに

 目を向けぬ。目を向けず、消えようとする。

 お前程の月明かりは、稀有だ。なのに、

 我に呑み込まれる事を、抗おうとせぬ。

 恐怖というものを、知らぬ。

 面白いと思った。それだけだ。】


「それだけ?」


そんなに、軽いものじゃない。

貴方が私を飲み込まず、輪へと還した理由は。


「還したのになぜ、私を探したの?」


貴重な一人の命まで遣って。


「その人を、解放してあげて。

 彼は、貴方の思いを知りながら流された。

 貴方の思いを、尊重しながら。」


私を、追い求めた。


「・・・・・・もう、いいでしょう?

 私は、ここに来た。満足でしょう?

 早く、飲み込んで。」


【・・・・・・

 還したというのに、何故お前は、

 全く変わらぬ?】


毛玉から、帯のようなものが伸びてくる。

それに身体を巻かれ、引き寄せられた。


【何故に、変わらぬ。お前は、何故。】



毛玉で、覆われる、

とても、温かい。この感覚、懐かしい。



【何故、欲を出さぬのだ?

 お前程の月明かりが在れば、

 何も不自由する事はないというのに。】


「・・・・・・言葉を返すわ。

 貴方だって、なぜ、私に執着するの?」


毛玉を、そっと抱き締める。


「なぜ、私を・・・・・・愛してくれるの?」


これが愛じゃなければ、

何という言葉になるのだろう。


この、溢れ出る涙は。何なのだろう。



【・・・・・・御影みえい。】



懐かしい。忘れ掛けていた、私の名前。

また、呼んでくれるなんて。



【我は、お前たち人とは違う。

 愛というものを知らぬ。違い過ぎる。】


―我とお前は。違い過ぎるのだ。


“彼”の波動が、届く。


【故に、我の傍には相応しくない。】


―この矛盾は、どうしようもない。


【・・・・・・だが、抑えきれぬのだ。】


―求めてしまう。お前を。



「・・・・・・何も、違わない。」


貴方は、こうして苦しんでいる。


「貴方の愛は、深い。私を、残そうとした。

 人としての幸せを、歩ませようと。

 一欠片だけ、そう思った。

 だから、還した。でも、貴方は苦しんだ。

 飲み込めば苦しまずに済んだのに。

 だから、こうして・・・・・・」


愛と知らずに、苦しんでいる。


「もう、苦しまないでいい・・・・・・」


再び貴方に、会えただけで。

貴方の傍に、寄り添えただけで、もう何も。


「私はもう、救われたの。だから・・・・・・」


【何も、救われてはおらぬ。】


ぐわっと、風が巻き起こる。


【何故、分からぬ?】


―どうしてお前は、“我の生贄”であろうとする?


【何故、抗おうとせぬ?それが、

 解せぬのだ。】


「・・・・・・恐れながらどうか、自分の話を、

 聞き入れてはもらえませんか。」



すぐ隣で鎖に縛られ、

力なく項垂れていた青年が言葉を発した。

その声音は、とても弱々しい。


「自分は、どうなっても構いません。

 “あなた”の媒体として、生きる事を・・・・・・

 これからも望みます。」


一体彼は、何を言っているのか。

理解できなかった。


【御影を探し当てた、

 お前の有能さは素晴らしい。だが、

 意見する事は許さぬ。】


鎖が、青年の身体を更に締め上げる。

苦悶の表情を浮かべながらも、

彼の瞳に宿る光は、強かった。


「彼女の事を想うなら、彼女が在る世界を、

 見据えてはもらえませんか。

 自分の目を通して、今の現状を

 見渡していただきたいのです。」


【まだ止めぬか。・・・・・・良かろう。

 御影に免じて、解放してやろう。

 童たちと共に、輪へ還れ。】


「どうか、彼女の笑顔を。」



心依架が大好きな、彼。

そう。彼女は彼の為に、ここへ来たのだ。


「私が生きる世界を見るのは、嫌?」


そうだ。彼の力に。私が、なれるのなら。


「私を還したのは・・・・・・

 その為なのでしょう?

 人として生きる事を、願ったのでしょう?

 幸せで、満たしたいと。」


捨て身で、世界を見渡そうとしているのなら。

私は、それに付き添いたい。


「貴方は、知らないでしょう?私が、

 どんな思いで還ったのか。」


ずっと、傍にいたかった。

出来れば、貴方に飲み込まれたかった。

“御影”として。

でも、それがもう叶わない。

ならば。心依架として、生きる道を。


「もう、離れたくない。」


貴方の傍を、離れるなんて。もう嫌。


「・・・・・・これは、欲にはならないの?」


彼の言葉に甘えて、貴方の傍で。

笑っていたい。


「生きる為の欲を出す私を、見たいと。

 貴方は願った。そうではないの?」


【・・・・・・】



“彼”の目が、何処にあるのかなんて分からない。

いつもただ、この真っ黒な毛玉を

見つめていた。

不思議と、怖いとも、嫌だとも思わなかった。

“暗闇の獣神”と恐れられ、崇められ、

陥れた存在とは、思えなかった。

ただ、温かい。ふわふわで、優しい。

そうとしか。



【・・・・・・人は、解せぬ。】


小さく、“彼”は呻いた。


【我は、面白いと思える方にしか向かぬ。

 そうでなければ、有無を言わずに還す。

 ・・・・・・青年。お前は、

 御影以上のものを、我に与えられるのか?】


「・・・・・・与えるものではありません。」


彼の双眸が、私を映す。


「生まれるのです。彼女となら。

 “あなた”を満たしてくれる、月明かりが。

 共に、歩いていけば。」



ああ。彼は。本当に。

心から、心依架を。

彼女に、届けたい。



【・・・・・・御影。】


その響きは、そよ風のようだった。


【我は、お前から生まれる月明かりが・・・・・・

 愛おしくて仕方がない。・・・・・・

 この表現は、合っているのか?】


ああ。“彼”は。本当に、可愛い。


「・・・・・・ええ。」


私は、幸せ者だ。


「私もよ。

 貴方が愛おしくて仕方がない。」


こうして、伝えられるなんて。


「私たちを目覚めさせてくれた

 二人に、祝福を。

 貴方が生きる“常世”と、

 私が生きる“現”に・・・・・・平穏を。」


初めて、願う。


「共に、生きましょう。」


私たちなら、出来る。


「“彼女”を、解放してあげて。そして、

 彼に本来の力を。戻してあげて。」


【・・・・・・欲張りすぎではないか?】


毛玉が、大きく揺れる。

ああ。彼が、笑っている。

私も、嬉しい。



彼を束縛していた鎖が緩み、

小さくなった。


【百夜、といったか。御影の望み通り、

 咲茉を還してやろう。これは、

 我の媒体として生きる同意の下だ。】


「・・・・・・有難うございます。」


彼の顔に、笑みが浮かぶ。


扱いとして決して、

笑える状況ではないというのに。


私と同じ思いだったのか、“彼”が問う。


【礼を言われるような待遇ではない。

 ・・・・・・心底から、望むのか?何故お前は

 犠牲になってまで、世界を見据えたい?】


揺るがない瞳で、彼は言葉を紡いだ。


「自分に出来る事だからです。

 ・・・・・・本来の力があれば、もっと

 “あなた”が仰る面白い方へ、導きます。」


【御影同様、恐れを知らぬな。】


―だが、悪くない。


不思議と、“彼”も笑っている。


“媒体”になった事で通じたように、“彼”にも

僅かな影響が生じているのだろうか。

記憶に刻まれた“彼”よりも、

柔らかくなっている気がする。


【一先ず、我の従者に埋まった種子・・・・・・

 お前が伝えたい事は、もう把握した。】


「・・・・・・恐れ入ります。」


【あれは、人の業で組み換えられたものだ。

 我が貸せる力は、抑制することのみ。

 根絶は出来ぬ。】


「心得ております。」


彼は、力強く頷いた。


「それが得られるのなら、十分です。

 拭うのは、自分たちの役目ですから。」



















ごぽっ。



―・・・・・・んっ?えっ・・・・・・


 ここって・・・・・・どこ?


 くるしっ・・・・・・



ごぽごぽっ。


口から、水泡がたくさん出る。

水の中、なのだろうか。

息が出来ない。


藻掻くが、視界に映るのは暗闇。

真っ暗な、海だった。



―誰か、助け・・・・・・



手を伸ばす方向から、

穴が開いたように小さな光が差す。

そこから、空気が流れ込んだ。


欲しがるように息を吸うと、

暗闇だった海が、澄んだ碧に変化する。


そして、吐き出した水泡が

光の帯へ変化すると、ふわりと

自分を包んだ。



『ありがとう。心依架。

 今さっき、百に会えたよ。』



―・・・・・・“咲茉”?



『わたしは、もう行くけど・・・・・・

 またいつか、どこかで会おうね。』



―白夜に、会えたの?ホントに?

 えっ・・・・・・自分、

 何もしてないけど・・・・・・



『どうか百を、

 よろしくお願い致します・・・・・・』



最後の言葉は、

一体誰に向けて告げたのか。


光の帯は、碧の海の中へと溶け込んだ後に

人の形へ変化する。

顔だけ鮮明に浮かび上がったが、

見覚えのない女性だった。


「私は、御影。あなたの月明かり。

 一緒に、歩いていきましょう。」


紡いで微笑むその人は

とても美しいが、どことなく、淡くて脆い。


この人を、自分は知っている。


知っているというよりも、この人は。



「さぁ。大きく深呼吸して。」


彼女の言われるままに、息を整える。


「彼の所へ、戻りましょう。」



―・・・・・・白夜。

 白夜に、会えるの?



「あなたを、待っているわ。」



―・・・・・・会いたい。



「会いにいきましょう。」

























右手が、温かい。

それを目に入れようと瞼を上げると、

覆うように握る、白くて綺麗な手がある。


「よく頑張ったね。」


労う優しい声音を聞き入れて、

じわりと胸が熱くなり涙が浮かんだ。


「・・・・・・白夜・・・・・・」


ベッドに横たわったままで

柔らかい微笑みを向ける彼に、

堪らず抱きつく。



何が起こったのか。

詳しい事が、あまりよく分からない。


分からないけど、彼が起きた事は

何よりも、嬉しすぎる。



注がれる優しい眼差しに気づいた白夜は、

その主へ目を向けて言葉を発した。


「・・・・・・叔父さん。

 手を貸してくださり、

 本当にありがとうございます。」



この部屋にもう一人いる事を忘れて

抱きついてしまった心依架は、

慌てて離れようとするが

しっかり彼の片腕に掴まれて、

身動きが取れなくなった。



―そうだったっ。忘れてたっ。

 叔父さま、いたのにっ。恥ずいっ。

 っていうか、は、放して?


 このままの状態維持は、ちょっとっ。



心依架の焦る様子を、蔵野は

温かく見守りながら言葉を返す。


「僕は何も。初代の空間錬成が、

 素晴らしかった。それに感謝しよう。」


「そうでしたか。今度きちんとお伺いして、

 感謝を告げます。」


「・・・・・・ゆっくり休んでいくといい。」


「休みすぎました。

 彼女と一緒に、マンションへ帰ります。」


「ははっ。そうか。それなら、

 『ことり』を呼ぼう。」


「栞で十分です。彼女には、

 話したい事がありますので。」


「眠っている間、彼女は

 よく動いてくれたよ。僕の分まで、

 労ってやってくれないか。」


「はい。」


「・・・・・・それでは、また。」


「あっ、あの・・・・・・

 ありがとうございました!」


まだ、放してくれない。

蔵野を確認できないまま、声を投げる。


「今度、ゆっくりと。

 会える事を楽しみにしているよ。」


笑い混じりの、心地好い声が掛けられた。



蔵野が部屋を去っていった後、

解放してくれると思ったが

さらに両腕で包まれる。


「・・・・・・もうっ・・・・・・」


観念するように笑って、

されるがままになった。


「ありがとう。心依架。」



囁かれた感謝の意と、自分の名前。

鼓動が高く波打って、息が詰まる。


「・・・・・・自分は、なにも・・・・・・」


「これからも、いっぱい迷惑かけると思う。」


「・・・・・・迷惑、とか思ってないよ?」


やっと、彼の隣に。

寄り添えるのかな。


「・・・・・・あはっ。」


「ん?どうかした?」


名前を呼んでもらえるのが、

こんなに嬉しいなんて。


「なんでもないっ。」


「ふふふ。気になるなぁ。」



栞さん、ごめんなさい。

もう少しだけ、このままでいさせてください。



生きているという喜びを、もう少しだけ。























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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ……二度目見てもこの、白夜くんが起きてくれたこの幸せが……ああ!(´;ω;`) かんなさあああん✨️✨️きました!ほくろ、毎日の幸せと、一気読みの幸せ味わいにきましたああああ✨️✨️ …
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