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眠る太陽の下で月は目覚める  作者: 伝記 かんな
4/12

本心

                  4



自分は今、好きなブランド店の試着室にいる。

どうしてここに、来ることになったのか。

彼の衝撃的な登場で、動揺しすぎて

よく分からないまま、

欲しかった白いカーディガンを羽織って、

鏡の前に立っている。



―【制服は目立つから、着替えようか。

  好きなブランド店って、どこ?】



その一言から、始まった。

ため息しか出ない。

何で、こんなことに。



試着室から出るのを、躊躇う。

彼が、外で待っているからだ。



―【これがいいってやつプレゼントするから、

  選んでおいで。遠慮はいらないよ。】



急に言われて、嬉しいとはならない。

少なくとも、自分の場合は。

真世心とかなら、

喜んで好きなだけ選んでそう。

そんな性格だったら、良かったな。


プレゼント貰って、

その代償が怖いと思ってしまう自分は、

身構えて甘えることが出来ない。

あげる側からしたらきっと、

つまらないと思う。


こういう時って、彼の好みに合わせて

選んだ方がいいのか?

それとも、本当に

自分の好きなやつを選ぶのか?

悩むに悩んで、一時間。


制服って、分からなければいいんっしょ?

上からカーディガン着れば済むじゃん。

これでいいや。


そう考えて結局、

欲しかったこれに落ち着く。


待たせている自覚はあるが、

彼が言い出した事だ。

こちらとしても、時間が必要である。

心の準備、というやつだ。



心依架は、両手をカーテンに掛けた。

とくとく、と、鼓動が鳴る。



―女子トークの内容、

 どの辺まで聞いたんだろ。

 ・・・・・・全部。

 そう考えても、おかしくないよね。

 でも、どうやって?

 それがめっちゃ気になる。

 ゼッタイ聞き出す。で、今後、

 そんな事にならないように防ぐ。

 だって、プライバシー侵害っしょ。

 エグいってば。



深呼吸をして、息を整えた。



―いつも通り。これから何が起こっても、

 心依架は心依架。何も、変わらない。

 今日こそは、あいつのペースに流されない。



【受け入れたら、もっともっと

 素敵な時間が過ごせると思うよ。】



明日葉の言葉が、頭によぎる。


受け入れるって、何だろう。

よく分からない。

受け入れるも何も、ないっしょ。

自分の思うままに、流れていくだけ。



意を決してカーテンを開けると、

白夜ではなく店員が

ニコニコしながら近づいてくる。


「いかがなさいますか?

 とても可愛いですよ。」


「・・・・・・えっと、これにします。

 このまま着ていきます。」


「かしこまりました。

 値札をお切りしますので、一旦

 お預かり致します。」



店員が去っていく姿を目で追うと、

レジの側に立っている白夜を捉えた。


店員と楽しそうに話しながら、

会計を済ませている。

自分が服選びで葛藤している間、

世間話でもしていたのかもしれない。

人の気も知らないで。

コミュ力、エグすぎんでしょ。

副業が、天職なんじゃないの?



「ありがとうございました~!」


丁寧にお辞儀をした店員から

カーディガンを受け取ると、心依架は

肩に掛けていたリュックを下ろす。


「それだけで良かったの?」


見越したかのように手が伸びて、

白夜はリュックを持つ。

ここは断る理由もないので、預ける。


「欲しかったやつだから。ありがと。

 これなら見た目、

 制服だって分かんないっしょ。」


素直にお礼を言って、カーディガンを羽織る。


「白、良く似合うよ。かわいい。」


ふんわりと、言葉と微笑みが掛けられた。

言い慣れているやつだろうけど、

ほんの少しだけ、嬉しかった。


リュックを受け取って、背負う。


「ねぇ。これから、どこに行くの?」


聞いても答えてくれないのは

分かっていたが、気になる。


「とりあえず、タクシーに乗るよ。」


タクシーに?

電車と徒歩、じゃないんだ。


「ちょっと遅くなっても構わないかな?

 責任を持って、送り届けるから。」


「・・・・・・それは別に、いいけど。」


0時まで遅くなったとしても、

家には誰もいないし。



離婚協議は、成立した。

自分が高校卒業するまでという、猶予付き。

親権は勿論、母親の穂香。

もっとぶつかり合うかと思っていたが、

案外穏やかに話が進んだらしい。


やっぱり穂香は、怒りきれなかったようだ。

雅人の方も、自分に非があると

自覚しているのか、マンションのローンを

離婚後も払い続ける意思を示したらしい。

だから住まいは、現状維持。

気持ちは複雑だろうが、穂香としては

安心したかもしれない。

自分も、住み慣れている場所の方がいい。


環境は、今までと変わらない。

ただ雅人が、もう帰ってこないというだけだ。


今となっては、この距離感でいいのかな。

自分の父親には、変わりないんだし。

穂香と愛し合った証が自分だという事は、

ずっとこれからも続いていく。

生きている限りは。

ならば、付き合っていくしかない。

どうせなら、楽しく、平和に。

その結論に、辿り着いた。


憎んだり怒ったりして、

ぶつけられたら楽なのに。

自分の母親は、それを閉じ込めようとする。

そして、平和であり続けたいと。

そう思ってしまうのは、一体なんだろう。


その影響が、自分にも。

血は争えない、ということだろう。


損してるな。母親も自分も。

そうとしかまだ、思えないんだけど。


円満離婚だと、考えていいのかな。

よく分かんないな、大人って。











ファッションビルを出て

彼の後を付いていくと、電光板に

“予約車”と示されたタクシーが停まっていた。

普通のタクシーではない。

車は詳しくないが、高級車なのだろうと思う。


近づくと、後部座席のドアが

自動で開き、二人を迎え入れる。

座り心地の良い、本革のシート。

屋根までの空間は広く、足元も

ゆったり伸ばせる程だ。

リュックを置いても、邪魔にならない。


「予約の際に伝えた、目的地まで。」


「かしこまりました。」


短く白夜が告げると、運転手は

淀まず応えた。

ドアが自動で閉まり、ゆっくり発進する。


運転席と助手席を隔てるように、

透明のパネルで仕切られている。

センターコンソールには、

カルトンが置かれていた。



しん、と、静まり返る車内。

車窓に寄り添って、心依架は景色を眺める。


話を、どう切り出そうか。

そう考えていると、ふわりと

彼が付けている香水の匂いが届いた。

そして、腿に温かい重み。


驚きよりも、鼓動が異常に跳ね上がった。

動揺して、膝上にある彼の顔へ目を向ける。


「ちょ、いきなりって・・・・・・」


「10日も会えなかったでしょ・・・・・・

 勿論、飢餓状態になるよねぇ・・・・・・」


もう、むにゃむにゃしている。


「着くまで、よろしく・・・・・・」


「ま、待ってよっ・・・・・・」


女子トーク盗み聞きの件、

説明してよ・・・・・・


そう問う前に、尋常じゃない眠気が襲って

がくんと、頭が落ちる。



すぅ、と互いの寝息が、車内に残された。














淡い光が、自分を緩やかに挟んで

点在し、規則正しくスクロールしている。


その光が、どこに向かうのか。

真っ白い空間しか広がっていないので、

把握できない。


そう。ここは、“間”なのだろう。



有無を言う隙もなかった。

誘った張本人の姿は、見当たらない。

どこにいるのだろう。


呼び掛けてみるかと、声を張る。


「ちょっと、白夜っ。」


「はいはい。」


すぐ声が返ってきて、真後ろに気配を感じた。

びくっとして振り返り、距離を取る。

彼は、揺るがない微笑みを浮かべている。


怯むな、心依架。踏ん張れ。


「さっきの・・・・・・どういう事?

 話はもう聞いたって、どうやって?」


奮い立たせている自分の頑張りを、

余裕の笑みで眺めている白夜。

ぶん殴りたい。


「明日葉ちゃんの、類い稀な力を

 拝借しただけ。ステルスして、

 あの場にいたんだよ。」


彼女の隣の席は、空いてたしね。

言葉を付け加えるが、全く理解できない。


「意味分かんないけど。」


「話したでしょ。自分は共有できるって。

 言葉で説明するのは、難しいんだよ。」


「じゃあ、明日葉の膝枕で寝たって事?」



この質問、おかしいかも。言って気づく。

気になるところは、

そこじゃないっしょ。

自分でツッコまないと、収拾がつかない。


彼は、可笑しそうに笑っている。


「そこが、気になる?」


睨むことしか出来ない。


「誰でもいいって事っしょ?エグすぎ。」


「いちいち嫉妬してたら、この先

 持たないよ?」


「違うし。」


「明日葉ちゃんとはね、夢を挟まなくても

 繋がれる確信があったんだ。

 “常世”を渡り歩ける仲間として。」


「・・・・・・?」


「だから、安心して。心依架ちゃん。

 君の膝枕以降、浮気してないから。」


「・・・・・・」


心依架は気まずくなって、そっぽを向く。


自分で質問しといて何だが、

これではまるで、付き合いたてのカップルの

痴話喧嘩だ。

聞きたいことは、全く別なのに。


改めるように息を整えて、問い掛ける。


「・・・・・・“常世”を渡り歩ける、

 仲間っていうのは?」


「言葉の通りだよ。

 身近に、そんな子がいるなんて

 予想していなかった。これもね、

 運命を感じる。君が引き寄せたのかもね。」


彼が一歩、自分の方へ歩み寄る。

反射的に、距離を取ろうとした。


「逃げないで、心依架ちゃん。

 君とは、この場じゃないと繋がれない。

 ・・・・・・確かめ合おうよ。

 互いの、存在を。」


この空間にいるのは、自分たちだけだって。


そんな彼の言葉が、聞こえてきそうだった。


恐る恐る、目を合わせる。


視線がぶつかった際に、小さな火花が

散った気がした。

ちかちかと、視界を遮る。

それによって着火した鼓動が

高鳴り続けて、収まらない。


白夜が近づく度に、それは大きくなる。

耐え切れない程最高潮に達した時、

彼の右手が自分の左手を取った。


「・・・・・・そう。受け入れて。」


優しい声音。包み込むような微笑み。

手から伝わる、温かさ。


リアルじゃないのに。

なぜだろう。


不思議と、騒いでいた鼓動が

少しずつ穏やかになっていく。


触れられて、落ち着くなんて。


「・・・・・・ふふふ。落ち着くでしょ。

 互いに存在を感じて、受け入れているから。

 この前だって、そう。」


言われている事は、何となく分かる。

この前、海で漂った時の、心地好さ。


だが、この、とくとく、だ。

この、とくとくは、どう説明する?


もう片方の手も、繋がる。

真正面から、向き合う形になった。


「これから行く所で、本職の仕事仲間と

 待ち合わせしているんだけど、

 改めて君を紹介したくてね。

 あと、見てもらいたいものがあるんだ。」



彼の手は、指が細長くて綺麗だ。

でも自分の手よりも、大きい。

この前繋がれた時に、そう思った。


こうして改めて繋ぐと、分かる。

背は、あまり変わらないのに。

骨ばっていて、逞しい。


何度も思ったけど、これ、夢、だよね?

何でこんなに、リアルすぎんの?



「・・・・・・見てもらいたいもの?」


「“心”なら、分析できるかもしれないってね。

 それには、君の力が必要だから。」


彼の眼差しは、真っ直ぐ自分に向いている。


とくとく。とくとく。

目を、逸らせない。


「心依架ちゃん。“心”を呼んでくれる?」


自分じゃなくても、呼んだら

出てくるんじゃないの?

疑問に思いながらも、言う事に従った。


「・・・・・・ねぇ、“心”。」


胸元に、たくさんの光の粒が現れる。

それは、彼と自分が両手を繋いで

輪が出来ている真ん中に、集結した。


『はい。心依架様。

 どんなご用件でしょうか。』


“サードニクス”として形になった後、

声音は優しいが機械的な声が響いた。


「こんにちは、“心”。

 オーナーの権限で、一部の

 シークレットモードを解除する。」


白夜の呼び掛けに、心依架は首を傾げる。


『了解しました。白夜様。

 ご用件は、いかが致しますか?』


「自分たちの反響値は、どのくらい?」


『現在、上限値38です。』


「・・・・・・んー。

 思ったより少ないね。」


一体、何を聞いているのだろう?


「上昇させるには?」


『白夜様の、実ある行動と言動で

 約50くらいまで

 上昇可能だと判断します。』


「・・・・・・なるほど。」


『他のご用件は?』


「もう大丈夫。また後で、よろしくね。」


『了解しました。

 良い夜になる事を祈ります。』


「ふふふ。ありがとう。」


『それでは、心依架様。ごきげんよう。』


「えっ?あ、うん・・・・・・」


ごきげんよう?


疑問符だらけのまま、“彼女”は姿を消した。



―・・・・・・結局、何だったの?



“心”がいなくなった今、自分に注がれる

彼の眼差しが残る。

なぜか急に、鼓動が騒ぎ出す。


「・・・・・・もう、いいでしょ。

 手、放してよ。」


「まだ、ダメだよ。

 君に分からせないとね。」


ただ繋がっていた両手の指が、絡まる。

それに驚いていると、引っ張られて

距離が縮まった。

輪が、崩れる。


「こうして、ここにいるのが、

 他の人では得られないという事を。」


顔と顔が、近い。

この距離は、ヤバい。ほっぺた、熱い。


「もっと、楽しもうよ。」


「・・・・・・た、楽しめるわけ、

 ないじゃん・・・・・・」


これでは、楽しむも何も。


「どんな形でも良くない?

 誰も、正解なんて分からないし

 自分たちの関係が、どう見られても。」


そして次の、彼の口から零れた言葉で、

クラッシュする。


「大好きだよ。心依架ちゃん。」


無論、とくとくが、大きくなる。


俯き、無理矢理、彼の視線を逸らす。


「・・・・・・だい、きらい・・・・・・」


「自分は大好き。」


「大嫌いっ。」


「大好き。」


譲らない、押し問答。


「大丈夫。心依架ちゃんが、

 心依架ちゃん自身を好きになれなくても。

 自分が、大好きだから。」


なに、それ。いみ、わかんないって。


「・・・・・・白夜、なんて・・・・・・」


女に慣れてるところ、ふんわりしてるところ、

何考えてるか分かんないところ、

自分のペースを、乱すところ・・・・・・


「何一つ、いいとこないじゃん・・・・・・」


優しいふりしてるところ、

エグいこと平気でやっちゃうところ、

綺麗な顔を、武器にしてるところ・・・・・・


「好きになんて、なれないし・・・・・・」


“咲茉”っていう子のこと忘れられないとこ、

何もかも、謎なところ・・・・・・


「何も、分かんないよ・・・・・・」


分からないのに、分かっているのに、

一緒にいて、居心地がいいところ。


「一緒にいたら、分かるよ。」



その一言が、全ての答えに思えた。


思わず、間近にある彼の眼差しを

受け止めてしまう。


吸い込まれる。もう、逸らせない。


「それだけ分かれば、十分だよ。」



キス、しちゃうの?


リアルじゃないから大丈夫って・・・・・・

割り切れない、よ?



「・・・・・・ズルい。」


「ズルい?・・・・・・ふふふ。」



―ズルい。

 何もかも。

 全部。ぜんぶ。ぜーんぶっ!



「やっぱり面白いね。君って。」


















「お客様。到着しましたよ。」


ふいに、第三者の声が現実へ引き戻す。


はっとして顔を上げると、タクシーは

完全に停まっていた。


「あーあ。

 あと、もうちょっとだったのに・・・・・・」


残念そうに、もにゃもにゃ呟いて

白夜は、気だるそうに

心依架の膝枕から起き上がる。


その言葉で、身体中の水分が

沸騰してしまいそうだった。

下に置いていたリュックを持ち上げて、

ぎゅっと抱き締める。



―・・・・・・

 “間”だったのは、分かるけどっ。

 分かるけどっ、ヤバいっ。


 未遂で終わって良かったっっ!!

 うわぁぁ危なかったっっっ!!

 顔見れないっ、早く降りたいっ!!



リュックに顔を埋めている心依架を

一瞥し、彼は小さく笑って支払いを済ませる。


「続きはリアルで、する?」


容赦ない言葉が掛けられて、

さらに熱くなった。


「い、いいから早く降りてよっ!」


リュックで、くすくす笑う彼を押し出す。



タクシーから降りると、

びゅうっと風が吹き上げていった。

普通なら寒いと感じるのだろうが、今は

クールダウンさせてくれる程

涼しくて心地好い。


リュックを背負う心依架を、白夜は

ふんわり微笑んで見守っている。


見んな。もうっ。


ささっと彼から距離を取って、

周りの景色を見渡す。


ここは、どこだろう。

渋谷の人口密度の多さは、消えている。

目黒辺りだろうか。


「少し歩いたら、すぐだよ。」


ふわりと白夜は声を掛け、ゆっくり歩き出す。

少し間隔を空けて、心依架は付いていった。



細いと思っていた彼の背中。

さっきのように触れるくらいに近づけば、

大きいと思うのだろうか。


そう考えてしまい、鼓動が激しくなった。

紛らす為に、スマホを取り出して

ぱしゃりと撮る。



「あ。サードニクス、もう届いてるんだよ。

 帰り際に渡すね。」


振り返って、向けられる笑顔。


こうなったら、撮りまくってやる。


ぱしゃり。ぱしゃり。


「実際使ってみると、さらに

 凄さが分かったよ。心依架ちゃんも是非。」


「・・・・・・へー。」


そんなすごいやつを、タダであげるとか。

こいつは、ゼッタイにしない。

裏がある。


ぱしゃり。ぱしゃり。


「需要が増えるといいね。」


「・・・・・・そうだね。」


彼は前方に向き直って、先導する。



本職の手伝いを、させようとしている。

それは、頭の足りない自分でもわかる。



―別に、嫌じゃないけど。

 “世界”を、もっと知りたい。

 だけど、彼にペースが持っていかれて、

 とくとくが激しくなるのは、ちょっと苦しい。


 鎮まれ。心臓。



【・・・・・・ふふふ。落ち着くでしょ。

 互いに存在を感じて、

 受け入れているから。】



―おかしいっしょ。逆でしょ。

 触れたら、落ち着かないって。

 “間”、だから?よく分かんない。

 リアルでくっついちゃったら、

 間違いなく、死んじゃう。



先程の距離感を思い出し、顔が火照る。


良かった。前向いてて。

見られたら、追い打ちかけられちゃう。

深呼吸しながら歩こ。



どうにかしてクールダウンさせた矢先、

彼の足が止まった。


「このお店だよ。」


視界に映るのは、明るいLEDの光。

その文字は、“Glitter”と示されている。


「・・・・・・バー?」


「そうだね。」


黒いフィルムが貼られた、ガラス製の扉。

その向こう側を、窺い知ることは出来ない。

札は、“準備中”になっている。


「ここの店主さんには、よくお世話に

 なっていてね。尊敬する人でもある。」


「・・・・・・準備中だけど、入っていいの?」


「待ち合わせに、場所を

 使わせてもらっただけだから。

 ・・・目的は、その店主さんと会わせたい事と

 あともう一人、

 改めて紹介したい人がいる。」


自分と、会わせたい人。

改めて、紹介したい人。

どちらも、大人だと思うが。


彼は、忘れているのだろうか。

自分が、人見知りだという事を。


「気まずいんだけど。」


「大丈夫。自分がいるでしょ。」


さらりと、よくもそんな事を。


「さぁ、入ろう。」


ふんわり笑って白夜は、

扉の取っ手に手を掛ける。



―バーとか、酒を飲む所なんて

 自分と無縁だと思ってた。

 会わせたい人って、多分

 本職と関係してる人、だよね。

 で、改めて紹介したい人っていうのは・・・・・・



ふと頭の中に浮かんだのは、あの女性。

初めて白夜の部屋へ訪ねた時に会った、

超絶綺麗な人。


店の扉が開き、先に彼が入るのを見届けて

心依架は後に続いた。



「いらっしゃいませ。」


落ち着いた低い声が、迎え入れる。


店内に灯る照明は淡く、

壁やシートなど黒で彩られる所は

白夜の部屋の雰囲気に、よく似ている。


「待たせちゃってごめんね。」


カウンターに座る一人の女性に、

白夜は話し掛けた。


「いつもの事だから・・・・・・

 いちいち怒っていられないわよ。」


力強さと華やかさ。

振り返った瞬間に、大輪の花が開くような。

纏わりつく茶髪と、艶やかな曲線。


頭の中に浮かんでいた人物と一致して、

心依架は思わず会釈をする。


「こんばんは。子猫ちゃん。」


女性は挨拶を投げて、視線を絡ませてくる。


隅々まで観察するような、執拗さ。

その圧に、身を縮こまらせる。



―この人、苦手かも。



ようやく視線を外され、矛先は白夜に向かう。


「運転しないといけないから飲めないし、

 待たせた時間を、

 どう埋め合わせしてくれるの?」


「怒ってんじゃん・・・・・・」


「今度また来るわね、マスター。

 白夜の奢りで。」


マスターと呼ばれた、

カウンター越しにいる男性。

イケメンの部類に入ると思う。

なぜか、目線が合わない。


「暇じゃないのよ。分かってる?」


「痛い程、分かってるつもりだけどねぇ。」


「先に車、行ってるから。」


そう言い放って女性は席を立ち、

上質なボアコートを羽織って

颯爽と店を出ていった。


突風が去った後のような、静けさが残る。


「気性荒すぎなんだよなぁ・・・・・・」


のんびり呟く白夜に、心依架は

呆れた様子で目を向ける。


いや、多分・・・・・・

待たせちゃったからだと思うけど。


彼女には、申し訳なかった。

待ち合わせの時間を把握していれば、

こんな事には・・・・・・


「悪いけど、手短に紹介するよ。

 本職の手伝いをしてくれている、

 マスターのマナさん。」


マナと呼ばれた店主の男性は、

小さく頭を下げる。

未だに、視線が合わない。


「・・・・・・もう行った方がいいよ。

 栞さん、ブチ切れてたから。」


声のトーンは小さいが、はっきり聞こえた。

ブチ切れてた。だよね。


「せっかく来たから、マスターの料理

 食べたかったのになぁ・・・・・・」


この男は。


「・・・・・・また、今度。」


「はい。そうします。」


ふんわり笑って、白夜は頭を下げると

心依架のリュックに手を掛けて、

出入り口へと促す。


「慌ただしくてごめんね。」


謝る相手、自分じゃないっしょ。


気持ち早歩きで、一緒に店を出る。







店の裏手に回ると、小さな駐車場に辿り着く。

そこに停まっていた、一台の

真っ赤なスポーツカー。

運転席側のウィンドウが少し開けられ、

そこから小さな煙が昇っている。


「お待たせ。」


後部座席側のドアを開き、白夜は

心依架を促しながら声を掛ける。

彼は助手席側のドアを開いて、乗り込んだ。


電子タバコを吸う女性の姿は、自分とは

違う世界の住人に見える。


「吸い終わってから、行くわよ。」


「あぁ、勿論。好きにしてください。」


彼が、低姿勢だ。

見たことない姿に、少し和んだ。

自分が思っていた関係とは、何か違う。


「・・・・・・穐枝 あきえだ しおり

 子猫ちゃんは?」


“穐枝 栞”。すぐに、

彼女の名前だと分かった。


「・・・・・・大川内 心依架です。」


「怪しく見えるかもしれないけど、私は

 科捜研所属の公務員。兼、

 とある研究の主任を任されている。

 こんな派手な身なりなのは、

 ストレス発散してるだけ。

 普段、地味すぎてやってらんないの。

 そして、この男の身元保証人。よろしく。」


テキパキと、言葉を述べられる。

いろいろと気になるフレーズがあった。



―えっ?科捜研?研究の主任?

 白夜の、身元保証人?

 どういうこと?



「いきなり言って、戸惑うだけでしょ。」


白夜は苦笑して、意見する。


「あんたが回りくどいのよ。」


それを、ズバッと、切り捨てる。


その鮮やかさに、心依架は

笑わずにはいられなかった。


「え?何で笑うの、心依架ちゃん。」


「苦労するでしょう。この男の御守りは。」


「あははっ、はい。その通りです。」


「何か無理難題言ってきたら、

 私に言いなさい。ぶん殴ってやるから。」


見事なまでに、強烈な言葉。

それがツボにハマって、笑い転げた。


「何か、ショック・・・・・・」


「心依架、と呼んでいい?」


「はいっ。どうぞ!」


モヤモヤが吹き飛んだ。

前言撤回。

この人、好きかも。


「これから行く所は、単刀直入に言うけど

 とある事件現場。私に捜査権はないけど、

 協力している警視庁の方々からの

 特別な許可を得ている。

 もし疑うのなら、警視庁に連絡して

 私の名前を出して頂戴。」


「・・・・・・事件、現場。」


警視庁。

普段、警察を呼ぶだの言ってたから、かな。

まさか本当に、関わる事になるなんて。


「これは、筋の通った非公開捜査だと

 心得てもらいたい。・・・・・・理解できる?」


この女性が、嘘を言っているとは思えない。

白夜の、ふんわりした話の切り口とは、

全く違う。

心依架は、緊張気味で頷いた。


「心配いらないわ。遺体は移動しているし、

 綺麗に片付いているから。」


「栞。もうちょっとオブラートに・・・・・・」


「あんたのことだから、詳しい事

 話してなかったんでしょ?全く・・・・・・

 そうやって、訳分からず人を

 巻き込んでいくの、いい加減止めなさい。」



その通り、だと思う。

現実味が、エグすぎる。

そんな場所に、行くとは思わなかった。


でも、“間”とか、“常世”とかの

非現実的な世界と、どう関わっているのか。

それが、全く結びつかない。


白夜に目を向けると、彼は

小さくため息をついた。


「話していいラインが、微妙なんだよ。」


「だからと言って、どの道

 ここまで踏み込ませているのだから、

 話さないと納得できないでしょう?」


ふーっ、と、栞の吐いた煙が、

窓から出ていく。



白夜と栞が、一体何を調べているのか。

事件。科捜研。研究。警視庁。

どれを取っても、日常とはかけ離れているし

穏やかではない。

気になるのは、白夜との関係性。

彼の本職とは、一体何?



「・・・・・・教えて。

 白夜の本職って、一体何なの?」


その質問に、二人は顔を見合わせる。


「・・・・・・何者、って言うべきかな・・・・・・」


「そうね・・・・・・難しいところね。

 心依架。ここで話す事、

 今から行く所、見たり聞いたりした事、

 誰にも言わないと誓える?」


そう問われて、心依架は

躊躇いながらも頷いた。


ここまで踏み入れて、“世界”があるのを知って、

引き下がれるわけがない。

謎のまま、終われない。


「私たちは国の、とある組織に属する者。

 世間にも公表されていない、隠密の。

 白夜はその中でも、

 重要な役を担っている。」


国の、組織。隠密。


ドラマの世界だけだと、思っていた。

驚きと共に、妙な感動を覚える。


「それがなぜ存在するのか。

 自分がどんな役目を負っているのか。

 心依架ちゃんが部外者である限り、

 答えられないんだけどね。」


「ギリギリまで話したのは、あなたの才能が

 白夜に見込まれたから。

 ・・・・・・最初は、正気かと思ったけど。」



顔を俯かせて、膝上に置いたリュックの

ぬいぐるみキーホルダーを見つめる。

これを見ると、少しだけ

落ち着くことが出来る。


何となく、呑み込めた。

彼は、自分を引き込んだ。

自分の中にある才能を、見込んで。

それを必要としている。


自分は、社会のルールすら知らなくて。

狭い世界観でしか、判断出来なくて。

甘ったるい幻想を、勝手に描いてしまった。



正直、国の事とか、大人の事情は、

今の自分には重要じゃない。


気になるのは。

その幻想を、彼が少しでも

頭に描いたのかどうか。

重要な役目の為に、本職の為に、

自分を落とそうとしただけなのか。



心依架の様子を、栞はバックミラーで窺う。

沈黙が続く間にタバコを吸い終わり、

カートリッジを置いた。


「・・・・・・白夜。あんた罪深いわ。」


「・・・・・・えっ?」


「後ろに行って。狭いとか言わせないから。

 きちんと、話し合いなさい。」


「・・・・・・」


白夜は、言われるままに

助手席から後部座席へと乗り込む。

スポーツカーのリアシートは、狭い。

すぐ隣で俯いている心依架に、視線を向けた。


車のエンジンが掛かる。


「シートベルト、しっかりしてよ。」


栞の通る声に、二人は素直に従った。


車は機嫌良く発進して、駐車場を出る。



「・・・・・・教えて、ほしいんだけど・・・・・・」


やっと、言葉が零れた。


「・・・・・・白夜は、少しでも・・・・・・

 心依架を見てくれた?」


何を、聞きたいのか。

何を、問うのか。

分からないまま、紡いだ。


彼は、何も言葉を発さない。


「・・・・・・喜ぶと、思ったの?」


自分に優しくして、甘い言葉を掛けて、

いい気分にさせて、欲しいものを与えて、

従わせようと、していたのか。


「教えてよ・・・・・・」


こんな時に、思い浮かぶのは

彼の寝室に飾られていた、“咲茉”の笑顔。



―彼女を想う気持ち。それに、

 敵うわけがないけど。でも。

 自分が、欲しがっているものは。

 それよりも、もっと深くて。

 誰にも、触れられない領域・・・・・・

 だったのかも。


 なりたがっていたのかもしれない。

 彼の、絶対的な存在に。


 こんなに自分が、

 独占欲が強いとは思わなかった。


 今になって、やっと、分かっ・・・・・・



かちゃん、と、彼の方から音が鳴る。


何の音だろう?

そう思って顔を向けると、

白夜の大きな双眸が間近に映った。



頭を引き寄せる、繊細な手。


言葉を紡がせないように塞ぐ、温かい感触。


同時に届く、甘い香り。



「・・・・・イチャつけとは、

 言ってないんだけど・・・・・・」


栞は舌打ちして、呟く。



何をされたのか、把握できないまま離れて

彼に見つめられる。

目を合わせて、ただ、見つめる。


今、何が起こっているんだろう?


「本職に君を巻き込んだのは、

 自分との繋がりで生まれるものが、

 多くの命を救えると思ったからだよ。

 ・・・・・・

 君との出逢いは、関係は、全部

 自然の流れだし、心の赴くままだ。

 ・・・・・・疑うのなら、何度でも。」


そう言葉を掛けられて、彼の顔が再度近づく。


固まっていた身体が、ようやく動いた。

鼓動も、ボルテージを上げて

自分を追い込む。

触れる寸前で、俯かせて回避した。


「わっ・・・!わかったっ、てばっ・・・・・・」


「・・・・・・ホントに?」


何度も頭を縦に振って、頷く。



顔が、死ぬ程熱い。

とくとくが、ばくばくになってる。

何で、このタイミングで、キスするの?


出来る限り車窓に背中をくっ付けて、

リュックを盾にして離れようとする。


何で、この車の後ろ、こんなに狭いの?


「君を騙そうとして、誘惑したとでも?

 本職の為に、落とそうとしたとでも?

 もし、まだ少しでもそう思うのなら

 分からせてあげる。自分が本気だって事。

 ・・・・・・“咲茉”が気になる?

 過去の綺麗な思い出は、

 思い出の範囲内でしかないんだよ。

 今を超える事は、決して出来ない。」


いつもと、違うじゃん。答え、くれるし。

それに、何で、思ったこと通じてんの?


逃げようとする心依架を見据えて、

白夜は真顔で告げる。


「楽しもうって、言ったでしょ?

 君こそ自分の本質、少しでも見てくれた?」



その言葉が、深く胸に刺さる。



「君となら、不可能なことも

 限りなく可能になると確信してる。

 だけど・・・・・・君が、

 自分を受け入れてくれないと始まらない。

 どう思われても構わないと思ってたけど、

 もう無理だね。分かってもらう。

 半端な気持ちではないって、

 知ってもらう。」



視界が、ぼやけた。



―・・・・・・涙?えっ、何で、泣くの・・・・・・?



自分から溢れ出す涙に、心依架は

驚きを隠せなかった。


胸が。息が詰まるほど、苦しい。



リュックを取り除かれて、

ふわりと、両腕を回される。


再び彼の匂いで包まれ、それに誘われて

どんどん涙が溢れ出し、頬に伝った。



「今流れている、君の涙は何?」



白夜の優しい声音が、波紋となって広がる。



「もう、伝わっているんでしょ?

 自分の、君に対する気持ち。

 やっと、分かったんでしょ?」



一つ一つ、響いていく。


隅々まで、染まる。


温かい。



自分だけに注がれる、お日さまの光。



両手で、ぎゅっと掴んだ。



くっついちゃったら、

死んじゃうと思ってた。


違う。止まらなくなるんだ。


離れたくないって。

ずっと、くっついていたいって。

止められなくなるから・・・・・・



怖かった、だけなんだ。

止められなくなるのを。




嗚咽と、アスファルトを縫う音だけが

車内に響き渡る。



到着する頃には、日が焼けて

赤く染まる空が広がっていた。


















泣いたのと、ずっと抱擁されて

甘い香りに包まれていたのとで、心依架は

半ば放心状態のまま、

リュックを残して車を降りた。



夕焼けが、きれい。


ぼーっと、眺める。



「寒くない?」



彼に優しく声を掛けられて、

マフラーを巻き直されていく。


それによって少し正気に戻り、

また胸が少し苦しくなった。


「い、いいよ。自分で、やるから・・・・・・」


「こういう時は、甘えていいんだよ。」


当然のように言って、ふんわり微笑む。


「過保護すぎない?」


呆れた様子で栞は、煙を吐いた。


「普通でしょ。」


これでよし。と言葉と共に、頭を

ぽんぽんされる。


それが、くすぐったい。



車内で、ずっと包まれたまま、泣いて。

時々顔を近づけて、おでこをくっつけたり。

彼が、頭を優しく撫でてくれたり。

ぎゅっと、手を握ってくれたり。


知らない自分に出会えたような。

友だちとじゃれ合うことはあるけど、

それとは、全然違って。


今思えば、かなり恥ずかしい。

栞さん、いたのに。

堂々と、イチャついてしまった。

その自覚がある。



「このアパートの二階。205号室。」


現実へ引き戻すように、栞は

煙を吹き上げて指し示す。


「部屋の隅々まで痕跡がないか調べたけど、

 何の異常も見当たらなかった。

 物理的には、と言っておくけど。」


「・・・・・・糸口があるかどうか、だねぇ。」


「心依架。準備はいい?」


呼び掛けられて背筋を伸ばし、頷く。


まだ、ちょっと甘い香りが鼻に残って

ふわふわしてるけど。


「今からしてもらう事は、白夜と“間”に行って

 その部屋に痕跡がないか、

 調べてもらう。

 何でもいい。少しでも異変を感じたら、

 それを報告して頂戴。・・・私も一応

 その場にはいるけど、

 何の手助けも出来ないから。」


電子タバコを吸い終わった栞が、先頭を切って

アパートの階段を上る。

その後に、白夜が続いた。

彼の背中を見て、心依架も付いていく。



【私たちは国の、とある組織に属する者。

 世間にも公表されていない、隠密の。

 白夜はその中でも、

 重要な役を担っている。】



彼の、重要な役って何だろう。

それを、知る日が来るのだろうか。



205号室のドアの前に立つと、栞は

ボアコートのポケットから鍵を取り出す。

施錠を解き、ドアを開くと

ハイヒールを脱がずに上がっていった。


「土足で上がっていいんだ?」


「改装するらしいから。」


事件現場というのもあり、心依架は

緊張しながら二人の後を追う。


一人暮らし用の部屋だろう。

玄関開けて直ぐに、小さな台所がある。

シンプルな家電は置かれているが、

生活感がない。


暖房は勿論効いていないので、空気が冷たい。

台所を通り抜けて、リビングへ向かう。


「遺体は、ここ。ベッドの上。

 出来たら、床で実行してほしいわね。」


遺体と聞くと、生々しい。


「毛布とか、ないの?

 直に座るの冷たいよねぇ。」


「身の回りの物は回収して、ないわ。」


「・・・・・・マフラーは?」


自分のと彼のとで広げたら、

ちょうど良いのでは。そう思って口にする。


「んー・・・・・・採用。」


白夜は自らのマフラーを解き、床に広げた。


せっかく、彼が巻いてくれたけど。

そう思って手を掛け、丁寧に解いていく。


互いにマフラーを床に敷くと、

丁度一畳分くらいの広さになった。


その上に心依架は、膝を崩して座る。



“間”に行くという事は、

自分が白夜の膝枕をするという事。

それを受け入れた上で、この場にいる。


何が起こって亡くなったのか。

詳しい事を聞いてもいないし、

聞くのは少し怖かった。

栞も、話す様子がない。

秘密事項、という暗黙の了解なのかも。



寄り添うように、彼は腰を下ろした。


栞は、ベッドと二人を見守れる位置の壁に、

背を預けている。



「何が起こるか予測は難しいから、

 異変を見つけた時は、深入りせず戻るよ。

 これは飽くまで、調査だから。」


白夜の手が、ふわりと頭に置かれる。

その手を払わずに、じっと彼を見つめた。


「・・・・・・ありがとう。心依架ちゃん。」


感謝の言葉と笑顔を添えて、細くて綺麗な指は

髪を梳くように、撫でていく。



不思議と、嫌だとは思わなかった。

多分、キスされてから、自分は

おかしくなっている。


自分の中で、何かが変わってしまった。


足掻こうと思っても、触れられると

何も逆らえない。

くすぐったいけど、

離れたくないと思ってしまう。



自然の流れで、彼の頭が膝上に乗る。


大きな双眸が見上げて、自分を捉えた。

それを受け止めるように眺めて、

そっと、彼の髪に触れてみる。


初めて触る、銀色の絹糸。

思ったよりも、さらさらで手触りがいい。


「・・・・・・撮らなくていいの?」


彼は、ふんわり微笑む。


「・・・・・・目で、撮るから。いい。」



今、この視界に映る彼の顔は。

自分だけのものだ。


デバイスを通して、撮る必要はない。


そんな思いが浮かぶなんて。

自分は、どうなってしまったのだろう。



「名言だねぇ・・・・・・」


ふふふ、と笑う彼は、もう瞼を落としている。


深い眠りに、誘われる。



















真っ白な空間。

何も見当たらない。

渋谷散歩の時に行って感じた、あの風もない。


本当に、何もない。


何もないというのは、逆に

おかしいのではないか。


「どう思う?」


背中合わせに、彼がいる。

温かくて、安心する。


「何もないけど・・・・・・

 何か、あると思う。」


「同意見。“心”、呼ぼうか。」


「・・・・・・ごきげんよう、“心”。」


さっき別れ際で言われた挨拶を、返してみた。



胸元に集まる、光の集合体。

それは、スマホのサードニクスとなって

手元に、しっくり収まる。


『おめでとうございます。心依架様。』


なぜか、祝われた。


「“心”。何か気づく事はある?」


『・・・・・・はい。

 白夜様のご命令とあらば、調べます。』


えっ。何か言葉遣い、おかしくない?

しかも、白夜の言う事聞いてるし。


ふわっと、“心”は手元を離れ、きらきらと

光の粒を発しながら宙に浮かぶ。


『・・・・・・

 “常世”に咲く花が一輪、見受けられます。』


「この空間に、実現化出来る?」


『心依架様のアップデートが必要です。』


出た。アップデート。


「・・・・・・心依架ちゃん。」


彼が、自分の方を向いた。


「キスしよっか。」


「・・・・・・はっ?」


突然言われて、動揺しないわけがない。


「ほら。未遂で終わってるし。」


「えっ、でも・・・・・・」


「“ここ”でも、しよ。」


面と向かって、真面目に言われて。

どんな顔をしたらいいのか。


「・・・・・・ふふふ。

 照れ顔、すっごくかわいい。」


「そんな事、してる場合じゃ・・・・・・」



ないでしょ・・・・・・


どうしちゃったの、ホント。

ちゃんと目を閉じて、素直に受け入れて。



『アップデート、開始します。』



どくん。


大きく、波打つ。


心臓が飛び出そうになって、

立っていられなくなるが

それを、彼が支えて受け止めてくれた。


「・・・・・・あの時、一人でよく

 我慢してくれたね・・・・・・ありがとう。」


優しく囁かれる。


あの、時って・・・・・・あー、明日葉、の・・・・・・


「見渡せる世界が、君となら

 無限に広がっていく。楽しみだよ。

 これから、一緒に漂おう・・・・・・」



包まれる。


溢れる。


こんなに、満たされる事って、

今までに、あったかな・・・・・・



『反響レベル、三段階上昇。

 アップデート、完了しました。

 実現化致します。』



寄り添う二人の前に、一筋の光が生まれる。

描くように不規則に動き、

何かのシルエットを形どっていく。


完成と共に光は消え、色が生まれた。


鮮やかな、藍色。

桔梗のような、凛とした花弁。

瑞々しい顔は、見据えるように

こちらを向いている。



「・・・・・・きれい・・・・・・」


魅入られたかのように、零す。


まだ少し息切れして苦しいが、美しい彩りに

心が穏やかになっていく。


「これの詳しい事、調べられそう?」


『現時点では、続行不可能です。

 名称検索にも該当しません。

 これ以上の調査は、

 “常世”に行く事が必須になります。

 その際には、危険を伴う可能性が

 極めて高いと予想されます。』


「・・・・・・まぁ、そうなるよね。」


『アーカイブへ移動させ、

 調査を引き継ぐ事は可能です。

 画像を保存して、作成致しますか?』


「・・・・・・へぇ。“心”、すごいね。

 そんな事も出来るんだ。」


『いえ。それ程でも。』


・・・・・・

やっぱり、おかしい。

何か妙に、人間っぽい受け答えになってる。


「心依架ちゃん。

 “心”でこの花、撮ってもらえるかな?」


「・・・・・・撮ればいいの?」


「そうだね。」


彼が“心”の、機械っぽい言葉を

理解できる事の方が、すごいと思う。


心依架は言われるままに

“心”を手にすると、同時に画面が

カメラモードに切り替わった。


『心依架様。画面に表示されている枠内に

 収めた後、シャッターボタンを

 押してください。』


「はーい・・・・・・」


ここを押せとばかりに表示される、

白くて大きな丸い点。

シャッターボタンと考えて、

間違いないだろう。



ぱしゃり。


これで、いいのかな。


見守っていると、花の姿がぼやけて

光の粒に変わっていく。

そしてそれは、“心”の中へと

吸い込まれていった。


『アーカイブ、完了しました。

 いつでも閲覧可能です。』


「ありがとう、“心”。

 ・・・・・・ちなみに、それは

 どこかに転送出来たりする?」


『白夜様の記憶に繋ぎ、

 抽出できる場所があれば、実行可能です。』


「可能にしちゃうんだね。想像以上だなぁ。

 流石、自分たちの子だね。」


『もっと、言ってください。白夜様。

 全力を尽くして、頑張ります。』


誉め言葉、欲しがってるし。


「十分頑張ってるよ。ありがとね。

 とりあえず出来る事は、ここまでかな。」


『はい。お役に立てましたか?』


「大収穫だよ。またよろしくね、“心”。」


『いつでも呼んでください。白夜様。

 それでは、心依架様。素敵な夜を。』



すう、っと、“心”は姿を消す。


自分よりも彼の方が、“心”を

使いこなしている気がする。

そう思って、じっと白夜の顔を

見つめていると、優しく微笑み返された。


「君もサードニクスを使うようになったら、

 分かるようになるよ。その差だと思う。」


何も言っていないのに、伝わっている。


「ご苦労さま。心依架ちゃん。ありがとう。」


ほぼ何もしてないけど、感謝されて

頭を、よしよしされる。


「・・・・・・これで、終わり?」


「うん。そうだね。

 ここで出来る事は、したかな。」



何だか分からないまま、終わった。



お花、きれいだったな。


“常世”へ行けるなら、

話し掛けたかったけど・・・・・・


“そこ”は、どんな世界が広がっているのだろう。














瞼を上げると、彼の銀髪が飛び込んでくる。

それと膝上の、程よい温かさと重み。


戻ってきたのかと分かると同時に、

大きな双眸が自分を捉えた。


「・・・・・・ご苦労さま。」


優しい声音の労いと、ふんわり笑顔。

この瞬間が、好きになりそう。



「・・・・・・何か、見つかった?」


ぽつりと投げられる、栞の問い。

白夜は気だるそうに起き上がり、

それに答える。


「うん。痕跡は、あった。」


「“あちら側”に、

 行ったりしてないでしょうね?」


「行かずとも、データとして収められたよ。

 安全にねぇ。」


彼の優しい眼差しが、注がれる。


「彼女のお陰さまで。」


「・・・・・・そう。

 それは、期待できるわね。」


栞も和らいだ表情を浮かべて、微笑む。


二人の和やかな空気を受けて、心依架は

褒められている気がして、そわそわした。


白夜は座ったまま寄り掛かるようにして

壁に背を預け、栞に視線を向ける。


「痕跡がある場所を一つ残らず調査して、

 データを収集していくのはどうかな。

 何か分かる事が、あるかもしれない。」


「膨大な数だけど。出来る?」


「出来る限り、やるしかないでしょ。

 あまり時間は、残されていない。」


引っ掛かる言葉だった。


「時間が、残されていないって・・・・・・

 どういう事?」


当然、心依架は尋ねる。


再び向けられた彼の目は、

深い闇夜のように、汲み取れない。


「あの植物が“現”に、

 目に見えて蔓延する時間だよ。」


「あなたが目にしたその植物は、

 人を培養土として根付こうとしている。

 実際ここの住人は、その植物に蝕まれて

 息を引き取った。」


「・・・・・・えっ・・・・・・?」


そんな植物があるなんて、聞いた事がない。

増しては人を養分にして、育つなんて。


「どんな条件が揃って、

 “常世”の入り口が開くのか。

 未だに、解明されていない。

 分からないことだらけなのが、現状。

 対策するにも、現時点では出来ないんだ。

 だから、調査し続けている。」



―それが、ガチなら・・・・・・

 大変な事に、なる。



白夜と栞の深刻な様子を窺い、心依架は

二人が口にする事実が

偽りだとは思えなかった。

同時に、思う。


絶望を目の前にして、告げていると。



―食い止めようとしているんだ。

 調査して、その植物の事を知って、

 命を、救う為に。



「・・・・・・白夜。」


肩が触れる程近くに座って

考え込んでいる彼の名前を、紡ぐ。



―何で、もっと。

 早く、自分は・・・・・・彼の本当の姿を、

 見抜けなかったんだろう。



「出来る限り協力するから、突き止めよう。

 ・・・三学期、就職組は

 ほぼ登校しなくていいし。

 卒業するまで、たくさん時間は作れる。」


「・・・・・・心依架ちゃん。」



―ホント自分が、嫌いだ。

 何も知らなくて、知ろうともしなくて。

 世界は、広いというのに。


 自分の物差しだけで、分かった気でいた。

 見限ろうとしていた。

 リアルというものを。



「手掛かりを見つける。ゼッタイ。

 ・・・・・・白夜となら、見つけられる。」



―絶対、という言葉。

 彼は受け入れないけど。

 自分にとっては、魔法の言葉なんだから。


 力が湧いてくるっていう、効果が。



「・・・・・・若いって、いいわねぇ・・・・・・」


しみじみと言葉を吐く栞の顔には、

笑みが浮かんでいる。


えっ。栞さん、十分若いじゃん・・・・・・

そう言おうとしたら、白夜にハグされた。


「君って、ホントに面白いよねぇ・・・・・・

 大好き。うん。癒し。良き。かわいい。」


「なっ、えっ。」


ぎゅーっとされて、大好きだの癒しだの

良きだのかわいいだの言われて、

やっと落ち着いていた鼓動が、急上昇する。


自分、別に、変な事言ってない、よね?


「何とかなる気がしてきたよ。

 ふふふ・・・・・・ありがとうねぇ。」


「気が抜けたら、お腹空いたわ。

 白夜、ご馳走してくれるわよね?」


「あぁ。勿論。

 待たせたお詫び、させてもらうよぉ。」


「心依架。うんと美味しい物食べて、

 いっぱい甘えちゃいなさい。いいわね?」


「あっ、えっ?は、はい・・・・・・」


「ほら、白夜。行くわよ。

 いつまでハグしてんの。

 車で、いくらでもイチャつきなさい。」


「ん?帰りもいいの?遠慮しないよ?」



―えっ。いや。ちょ、待って。

 帰りも、って・・・・・・えええぇっ。


 さっきは泣いてたのもあって、

 甘えるってよりも・・・・・・うわぁぁっ。


 こ、心の準備が・・・・・・













帰路の車内は、行きと違って

和やかで、会話が飛び交う空間だった。

同じだったのは、狭いリアシートで

白夜と寄り添っていた事。


昨日の自分じゃ、予想もつかなかった時間。

こんなにも、近づくなんて。

身体も心も。

一日とは思えないくらい、深くて、

濃い時間を過ごしている。


晩餐のメニューは、高級寿司。

お店の作りもヤバかったけど、

あんなに新鮮で美味しいお寿司は、

初めてだった。聞いた事ない魚の白身、

あれ、何て名前だったっけ・・・・・

とにかく、どれもこれも、絶品で。

スマホにも画像を収めた。


流石に栞がいる空間で、白夜の事を

ぱしゃぱしゃ撮るのはどうかと、控えた。

ホントは、撮りたかったけど。



今までの彼を見てきた自分は、

素直じゃなかった。

肩書き、表向きだけで判断して。

その先入観に、振り回されて。


全て取っ払われて残ったのは、純粋な想い。


そうだ。自分はまだ、彼に

想いを伝えていない。

正直、分からなかったんだ。

好き嫌いの二択では、答えが出せなくて。

彼の大好きに、大嫌いで反応して。

ホントに、素直じゃない。


でも。今なら。

自分の気持ちが、やっと言葉に出来そう。


言葉にして、伝えるべきだと思った。


今日の出来事で、実感した。

彼に大好きだと言われて、寄り添って。

嬉しいと、心の中で叫ぶ自分がいた。



彼も、大好きだと

自分に言われたら、嬉しいかな?


・・・・・・怖いな。


だって、自分はまだ、子どもで。

彼がやろうとしている事には、

到底及ばなくて。

考えも、行動も、言動も、立ち姿も。

一人前の大人。

そんな人が、自分を対象と見てくれるのが。

十分伝えられた後でも、自信が持てなくて。

何度も、答えを求めてしまう。

ホントに好き?って。

・・・・・・そっか。これか。

聞いちゃう気持ち、やっと分かったかも。


こんな自分、めんどくさいとか、

重いとか、思われちゃうかな。

飽きられちゃったり、しないかな。

なんて。

考えちゃう。考えちゃうんだよね。



でもさ。とりあえず。


ネガティブに考えるの、やめよ。


好き。


それで、いいんだよね。


















心依架たちが住むマンションに

栞の車が到着したのは、

22時を過ぎた頃だった。


車を降りると、現実を思い出させるように

寒い風が吹き上げていく。

温かい時間に浸っていたので、

この煽りは身に沁みた。


「私の立ち合いがなくても行ける

 場所の住所、後で送っておくわ。」


「ありがとう。」


「それじゃあまたね、心依架。」


「はい。気をつけて帰ってくださいね。

 栞さん。」



半分まで開いていた運転席側のウインドウが、

緩やかな発進と共に閉まっていく。


車が見えなくなるまで、二人は

静かに見送った。



「・・・・・・さぁ。帰ろっか。」


促すように白夜に声を掛けられ、心依架は

後に続いてエントランスへ入っていく。


エレベーターは、一階で待機している。

すぐに、乗り込むことが出来た。


彼が階数を押すと、

ゆっくり扉が閉まっていく。


「とりあえず、自分とこに来て。

 サードニクス渡すよ。」


何も言い返さず、静かに頷いた。



帰りたく、ないな。

家に帰ったら、日常に戻っちゃう。

彼のいない時間が、訪れる。


自分って、意外と、寂しがりなのかな。


一人の時間は、勿論好きだけど。

いないと、寂しい。

それに気づいちゃった、かも。



エレベーターは停まらず快調に、10階まで

スムーズに上昇して、扉を開ける。

降りて廊下を歩いていくと、

自分たちの吐く白い息が、風に乗って

流れていった。


白夜は部屋のドアの施錠を解き、

心依架の方を振り返って、ふんわり笑う。


「ココア飲んでく?」


その申し出は、心の底から嬉しかった。


「・・・・・・ここで、いい。」


でも、やんわり断る。


うん、って言っちゃうと、

ホントに帰りたくなくなっちゃうから。


「じゃあ玄関先まで入って、待ってて。」


自分の思った事がお見通しだったのか、

彼は引き止めなかった。


きちんとした大人なんだよね。彼って。

そういうところが、好きだったりする。


中に入ると、彼の匂いがした。


さっきまで、たくさん包まれた香り。

好き。このフレグランス。


シューズクロークの側に置かれた、

自分とほぼ背が同じくらいの観葉植物。


これ、フィカス・アルティシマっていう

名前なんだよね。

気になって、調べちゃった。

葉っぱかわいいな。こんばんは。


「はい。お待たせ。」


スタイリッシュな小さい紙袋を持って、

白夜が歩いてきた。


マフラーとコートを脱いだ姿は、

お寿司を食べた時にも見たけど

インディゴのニット。とても似合ってる。


「分からない事があったら、何なりと聞いて。

 ・・・・・・ふふふ。自分は黒で、心依架ちゃんは

 スタンダード。色違いにしたよ。」



手渡された紙袋の中身を、心依架は

じっと見つめる。



お揃い。

そう。

これを受け取ったら、後には引けない。

前に進むしか、ないんだ。



「・・・・・・あの・・・・・・」


顔を上げると、白夜の視線と繋がる。

言葉が、詰まった。

とくとくと、鼓動が高鳴り出す。


好きって、言うだけでしょ。

どうして、出てこないの?


「・・・・・・す・・・・・・

 スマホ代、ホントにいいの?」


「ふふふ。気にしないでって言っても、

 君は気にするだろうねぇ。

 ・・・これから調査に協力してもらうし、

 貴重な時間を割いてもらうのもあるから。

 お礼、スマホ代じゃ足りないくらいだよ。」


いつもの、ふわふわした微笑み。

その笑顔で、少しだけ心が和んだ。


「・・・・・・じゃあ、遠慮なく。」


「うんうん。それでいいよ。」


「・・・・・・また明日、来てもいい?」


「来たい時に、いつでもおいで。

 自分からも、会いにいくと思う。

 夜は、なるべく空けておくから。」


「・・・・・・じゃあ、また。」


「また明日。おやすみなさい。」


心依架は白夜に背を向け、

玄関のドアに向かい合う。



好きって伝えるの、

今日じゃなくても、いいよね。

明日も、あるんだし。



ドアノブに、手を掛ける。



「・・・・・・白夜。」



明日?

ダメ。今日じゃなきゃ。

自分が、生まれ変わる日になるのに。


伝えなきゃ。



「・・・・・・す・・・・・・

 す、き・・・・・・に、なっていくから。

 もっと、いっぱい・・・・・・」



心依架。踏ん張れ。



「多分、困らせちゃうくらい・・・・・・

 好きに、なっちゃう、から。

 白夜のこと。」



好き。



「好き、だよ。白夜。」



言えた。

ごめん。目を見て言う勇気は、

まだ、ないかも。

今は、これが、限界。



ドアノブを押そうとした時。

後ろから、両腕を回された。


「・・・・・・ふふふ・・・・・・

 ありがとう。心依架ちゃん。

 すっっっっごく嬉しい。」


彼の声が耳元で響いて、安堵するとともに

鼓動が大きく波打つ。


「・・・・・・ホント?」


「もう一回、欲しいなぁ。」


「・・・も、もう、言えないしっ。」


「分かるよぉ。頑張ったよねぇ。

 でもね、もう一回だけ欲しい。お願い。」


欲張りっ。


「くれないと、帰さないよ?」


「えっ・・・・・・」


それ、複雑なんだけど。


「ほら、困るでしょー?もう一回。」


「困らないし、言えないから、泊ってく。」


「ほぉ。そうきたかぁ。」


くすくすと、面白そうに笑っている。

いや、本気だけど?


「駆け引き上手だね、心依架ちゃん。」


「帰らなくても、大丈夫だし。」


「お母さん、心配するからダメだよ。」


「一緒に、いたいんだもん。」


「はいはい。」


何で?

さっきまでは、イチャついてたじゃん。



ひっくり返されて、見つめ合う。


「お母さんに自分の事、話せたらね。」


「・・・・・・話していいの?」


「話したところで信じてもらえるか、

 だろうけど。」


そこまで深く、教えなくていいと思う。

だってママも、

自分に話してない事あるっしょ。


「・・・・・・彼ぴが出来た、だけで良くない?」


「・・・・・・ふふふっ」


彼は、笑うばかりだ。


「ママに、心依架の彼ぴって事で話すよ?」


「ホント、面白いよねぇ。」


大人の都合がいいルール、分かんないし。


「一緒にいたいからで、いいじゃん。」


泊まる理由は、それだけだ。


「はい。自分の負け。それでいいよ。」


仕方ないから、

今日のところは、帰ってやるけど。


「じゃあ、明日。」


「ふふふ。また明日。おやすみ。」



軽く額に触れる、彼の温もり。


結局のところ、欲しがってもらったのは

自分の方だった。

こういうところが、まだ子どもなんだろう。



そう。明日から、なんだ。

自分から踏み出した、道を歩くのは。












                  *











三月一日。

心依架にとって、高校生最後の日である。


やっと自由になれる歓びと、

知り合った同級生たちと別れる寂しさと、

入り混じった心情のまま、この日を迎えた。


そして、両親が別れる日でもある。


戻らない時間。

目標も何もなかった、日常。

つまらないとも、悲しいとも思えない、

麻痺した自分の感情。

全部、遠い記憶のように思える。





卒業式と最後のホームルームを終え、

自分を含め卒業生たちが

校門の近くで、別れを惜しんだり、

卒業アルバムを見合ったり、

先生と写真を撮ったり、わいわいしている。



「桜って、咲かないよねー。映えないなー。」


真世心がスマホを翳して、桜の木をバックに

心依架と明日葉を、ぱしゃりと撮る。


「お花見、行きたいな。」


彼女らしい発言に、自分は笑う。


「じゃあ咲いたら、みんなで

 お花見行っちゃおうよ。」


「いいねー!」


「それぞれでおにぎり作って、

 交換しようね。」


「なに、それ?」


「おにぎり交換して、食べながらお花見。」


プレゼント交換、的な?

明日葉ワールド炸裂。



校門の側に根付いている桜の木々は

芽吹いているものの、開花する様子はない。

少し肌寒さはあるが、雲一つない快晴だ。


「明日葉、合格発表はいつ?」


「3月7日、かな。」


「受かってるっしょ。」


「落ちてる、かも。」


「いやいや、大丈夫じゃね?」


「受かったら、真世心のパン、

 プレゼントしてほしいな。」


「そんなんでいいの?じゃあ、

 まよごん特製のビッグサイズクロワッサンを

 プレゼントしよう!」


「うわぁい。やったぁ。」


そうそう。明日葉は、

無類のクロワッサン好き。

自分も、真世心の作るクロワッサンが

大好きだ。

試作品として食べさせてもらっているけど、

今すぐ売ってもいいレベルに達している。


「ビッグサイズって、どのくらい?」


「30センチくらい。」


「うわ。作れんの?」


「作れたら、名物にする!」



自分たちの目に、涙は浮かんでいない。

笑顔で、卒業を迎えた。


これからも会えるし、三人でいると

楽しい事も悲しい事も、共感できる。

明日葉とは三学期からの付き合いだけど、

例の件ですぐに打ち解けたし、

今では三人でいる時が心地好い。

真世心も、同じ気持ちでいると思う。


周りからしたら、自分たちの交流は

意外なのかもしれないけど。

この二人に出会えて、良かったな。


この学校に受かって通わなければ、

叶わなかった。

一緒に過ごせた事は、本当に貴重だった。



「ねぇ、三人で撮ろうよ。」


心依架は制服のポケットから

スマホを取り出し、二人を促す。


手にあるそれは、サードニクス。

最初学校に持っていった時、かなり騒がれた。

そうだよね。

学生が普通に、手に出来るものじゃないし。


「“心”、三人のベストショット、お願いね。」


『はい。30秒間、

 好きなポージングをお願いします。』


リアルのサードニクスの名前も、

“心”と名付けた。

当然こちらの“心”は、かなり機械っぽいけど。


背負っていたリュックを地面に置き、

その上にスマホを立て掛けた。

画面を撮る位置に合わせて設定すると

二人を誘導し、心依架は

真世心と明日葉の間に入っていく。


「この後みぃは、彼ぴとデートなんっしょ?」


「・・・・・・デート、っていうより

 散歩かな。」


「散歩ぉ?じーさんばーさんかっ。」


「素敵・・・・・・」


「ガチで、みぃ。あんたさ、冗談抜きで

 キレカワになったよ。」


「愛が、たっぷりだね。」


言われて、ぴんとこない。


「自分、変われてる、かな・・・・・・?」


「変わった。」


「目覚めてる。」


『みなさま、もっと笑ってください。』


“心”からの催促に、三人は驚く。

その拍子に、吹き出した。


「ダメ出しされた。」


「すごく、いい子だね。」


「あははっ、笑って笑って~!」


スマホの方から、ぱしゃぱしゃと音がする。



「・・・・・・あの、沢渡。」


三人の元へ訪れる、男子生徒。

クラス委員長の、久我だ。


ぴんときた心依架と真世心は、声も掛けず

その場を少し離れる。


「・・・・・・これ、受け取ってもらえないか。」


彼女の前に差し出した

彼の手には、小さな花束。


「・・・・・・ずっと、好きだったんだ。

 沢渡の事。」



卒業式の日に、こんな形で

告白を目にするなんて。

ドキドキしながら、二人を見守る。



「・・・・・・」


明日葉は、じっと花束を見つめている。

何も反応がない彼女に、久我は

戸惑っている様子だった。


明日葉が纏う空気は、独特だ。

心許した相手じゃないと、それは出さない。

クラスメイトとして接してきた彼には、

卒業という日で、やっと初めて出会う

彼女の姿なのかもしれない。


「・・・・・・くれるの?」


ぽつりと、彼女は訊く。


「・・・・・・あ、ああ。」


訊かれて彼は、首を傾げながらも頷く。


意味、分かってるよね?

心依架と真世心は、ハラハラした。


差し出された花束を、明日葉は両手で

そっと受け取る。


「・・・・・・ありがとう。」


花束に感謝の言葉を掛けて、

彼女は微笑んだ。


浮かべる綻びは、柔らかくて、温かい。


「久我くん。今まで、ありがとう。

 これからもお互いに、頑張ろうね。」


「・・・・・・ああ・・・・・・」


「合格発表、一緒に見に行こう。」


「・・・・・・えっと・・・・・・」


「お互いに合格したら、ご褒美で

 美味しいご飯食べに行こう。」


「・・・・・・!

 付き合うって事で、いいのか?」


「食べること、好き?」


「あ、ああ!大好き!」


「自分も、好き。」


「・・・・・・僕の、事も?」


「うん。好き。」



久我が、拳を作って両腕を振り上げる。


その喜ぶ姿に共感して、自分たちも

手を取り合って笑い合った。



桜が、咲いていなくたって。

みんなの胸元に、もう咲いている。
















両親は卒業式が終わった後、

一足先にマンションへ帰ると言って

去っていた。


正直、二人揃って来てくれるとは

思っていなかった。

複雑だったが、学生最後の自分を

見守ってくれた事は、嬉しかった。


心依架にとっては、

親であることに変わりはない。

三人揃って写った画像は、これで

最後にはなるけれど。


みんな、とてもいい笑顔。

これが最後の家族写真で、良かった。










帰路の途中、心依架は

マンション近所の公園へ踏み入れ、

待ち合わせをしている白夜と合流する。


彼は、自分と初めて出会った時に

寝転がっていたベンチに座って、

笑顔で迎えてくれた。


「はい。卒業おめでとう。」


差し出されたのは

ブーケのような、小さな花束。


久我が明日葉に渡していたのを

思い出して、微笑む。


「ありがと。」


それを両手で丁寧に受け取り、

彼の隣に座った。



ここで彼と初めて出会った時は、

凍えるように寒くて。

身も心も、冷え切っていた気がする。


時間を重ねるにつれて、彼の温かさを知り、

暖かい季節を迎えるように

凍り付いていた自分の氷も、溶けていった。



「桜が咲いたら、お花見しようね。」


側で芽吹く桜の木の枝を見上げて、

言葉を紡ぐ。

同じ方向に視線を向けながら、白夜は

ベンチの背もたれに寄り掛かった。


「心依架ちゃんの膝枕で、お花見・・・・・・

 贅沢だなぁ・・・・・・」


「それだと、寝ちゃうじゃん。」


「あ。そっか。だよねぇ。」


互いに笑って、

吹き抜けていく風を、目で追う。


それは、目には見えない。

だが微かな、春の匂いを感じる。



「桜が咲く時期はね、特別なんだ。」


「特別・・・・・・?」


「“常世”と繋がりやすい。」


「どうして?」


「桜の美しさに、心を奪われるから。」



前までの自分だったら、この彼の言葉は

少しも理解できなかった。


今なら何となく、だけど。分かる。



「・・・・・・桜は、やっぱり特別なんだ。」


「・・・・・・そう。」


「例のお花、見に行けるかな・・・・・・」



彼女が零した言の葉を、彼は

ふんわりと微笑んで拾った。



「お姫さまの、心の赴くままに。」





















※お詫びと訂正を致しました。

後半部分のXポストで、

真世心が、真世子になってました。

・゜・(ノД`)・゜・。ゴメンナサイです。


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