六 気配はすぐ傍まで
門出を祝うのに相応しい、晴天の朝がやってきた。
神野学院高等部の入学式の準備はつつがなく終わり、新入生が揃うのを待つばかりといった頃。
「おっはよー! 良い天気だねえ。みんな準備、頑張ってるぅ?」
何もかもが片付いた体育館に、千振殿がのこのこ姿を現した。
「おはよう、じゃないでしょう? もうぜーんぶ終わりましたけどお?」
「あ、やっぱり? ああっ、ごめんごめんごめん! 反省してますから!」
あっけらかんと笑っていた千振殿の頬を厳原殿がつねり上げている。
おかしい。
この光景、昨日も見たはずなのに。
どの口が反省などと言っているのやら。
「可愛。お前、式のアナウンス担当だろ。頼むから、途中で居眠りだけはすんなよ」
千振殿が式の準備に参加することは最初から諦めていた双葉先生が、溜息交じりに釘を刺した。
「立派に、仕上がったな」
なかなか厳原殿に開放してもらえない千振殿を完全に無視して、殿は会場を眩し気に見渡す。
「殿の活躍の場として、申し分のない出来でござる」
「ばかたれ。主役は私じゃなくて、新入生だろ」
「おっしゃる通り。いや、失敬失敬…………ん?」
唐突に。
仮面の下の眉間から、背筋にかけて強い寒気が走った。
なんだ?
これは、機械の気配?
携帯電話や、音響設備の類ではない。
何か、高い技術が使われた、大きく、進んだ文明の力を感じる。
ただ、あまりにぼやけた気配のせいで場所までは絞り込めない。
この会場の中ではないようだが……今日の式で、こんな気配を放つような機械が運び込まれるようなことがあったであろうか。
「お! みんな、見て見て! 来たよ来た来た、ほーら、物々しいやつがぞろぞろと」
辺りを見回していると、何かに気付いた千振殿が体育館の窓辺に駆け寄っていった。
拙者達が今居る入学式の会場は二階。
この場所の窓からは、下の駐車場の様子を窺うことができる。
千振殿が言う通り、眼下の駐車場に暗緑色の大きな車が四台、姿を現した。
その車には全て巨大な荷台が備えられていて、横っ腹にNEPAと白文字が銘打たれている。
「警備の人達の車、だよね。あれ」
見慣れぬ無骨な代物に、少々気圧されたのだろう。
厳原殿が殿の顔を窺って確認する。
「ああ。父の会社のものだ。間違いない」
あの車の荷台に、鶴城殿をはじめとする第二小隊の皆様方が控えているのだろう。
確か、第一小隊の方々もいらっしゃるのであったか。
そちらとはあまり面識がないので、見分けようもないのだが。
不快な感覚の正体は、あれでござったか。
NEPAの車の荷台からは、色濃い電子機器の気配が放たれている。
高校の入学式の警備にどれだけの装備を持ち込んでいるのか分からないが、その理由は一つ。
社長が来るから、だ。
「ねえねえ、寒ちゃん、先生も、なんか顔怖いよ? どったの?」
最後までNEPAの車を凝視していたのは拙者と、双葉先生であった。
言われてみれば、先生も普段あまり見かけることのない険しい表情を浮かべている気がする。
「ああ! いや、な。流石は大企業だねえ、と思ってさ」
肩をすくめた後、いつもの調子で朗らかに笑う先生。
どことなく取り繕ったような素振りにも見えたのだが、気のせいだろうか?
「あれ? 先生、どっか行くの?」
「便所だよ。教員が式典の最中に立っちゃまずいでしょ。念のため、絞り出してくるの」
「……やだ。言い方が、きちゃない」
「うるさいよ。とにかく十分後には在校生の入場だからな。お前らも準備しろよ」
「はーい。ん? わ、また来たよ、寒ちゃん」
足早に立ち去る双葉先生を見送ることもなく、千振殿がまた駐車場に視線を向ける。
やって来たのは、先ほどとは異なる黒塗りで光沢のある乗用車が二台。
そして、その後に続いて、NEPAの車がもう二台やってきた。
おでまし、ということでござろうな。
あの黒塗りの車に、社長と八須が乗っているはずだ。
「殿……」
「平気だよ。私には、お前がついててくれるんだろ?」
もしかしたら、殿が緊張してしまうかもしれない。
そんな拙者の心配は杞憂であったらしい。
拙者の肩に手を置いて、柔らかく笑う殿の表情に硬さはなかった。
「剣呑、でござるな」
冷たく、痺れるような不快感は今もなお続いている。
式典の最中、これをずっと我慢せねばならないのか。
せっかくの晴れの日に、水を差されなければ良いのだが。
まったく、気の滅入る話だ。
ここまでは、わりとほのぼのした展開でした。
むしろここまでしか、この雰囲気では描けなかったというほうが正確なのですが。