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六 家族の居ない侍

 天涯孤独。


 不幸ぶるつもりは毛頭ないが、拙者の身の上を端的に表す言葉だ。


 生まれつき視力がほとんどなかった拙者は、自らの記憶も定かではないほど幼い頃からネクストアースの実験施設で育てられたのだという。

 両親はすでに他界しており、親類縁者もいないのだと聞かされた。

 拙者が患っていた難病の治療は研究も兼ねていたとのことで、亡き両親が残してくれた治療費で十分に事足りていたらしい。


 それでも本来なら、拙者はネクストアース社の施設で暮らすのが道理だろう。

 一つ屋根の下に住まわせてもらっているのは、ひとえに殿のご厚意。

 一宿一飯の恩義という言葉を借りるのなら、拙者には殿に生涯をかけても返せない恩義がある。


 だから、神埼統真というお人は、拙者の殿なのだ。


「殿。湯加減はいかがでござろうか?」


 心地よい風の吹く夜だった。


 家の外で薪の様子を見ながら竹筒で息を吹き込み、風呂釜を温める火の温度を調節する。

 給湯器なるものがないこの家では、これもまた拙者の日課であった。


「ああ。今日も、いい感じだー」


 微かな水音と共に、頭上にある窓枠の向こうから返事があった。

 硝子すらない、格子状の木枠がはめ込まれただけの造りからは、かつての日本人の遠慮や礼儀、信頼の文化が感じられる。

 今でこそ、そつなく火をくべることができるようになったが、かつては湯の温度を上げすぎてよく殿に叱られていた。


 あの木枠から顔を覗かせて「熱い!」と叫んでいた殿の姿を思い出す。

 あの頃と比べると、殿もすっかり大きくなられて。


 大きく、そう、大きく。


「………………馬鹿野郎」


 湯船の中の殿の様子を思い浮かべた頭を、手にしていた竹筒で叩く。

 主君に対して、なんと無礼なことか。

 拙者はまだまだ未熟者だ。


「おーい、なー、かんたろー」

「は、はい! なんでござろうか!」


 やましい事を考えていた時に声をかけられたものだから、思わず返事が上ずってしまった。


「さっきのは、ちょっと、悲しかったぞ」

「ええ! 拙者が? 一体、何を……」

「分からないの?」


 冷や汗をかくとは、こういう気持ちなのだろう。

 さっき、とは、もしや不埒な想像をしてしまったからか?

 いや、いくら殿でも、そんなものまで気取ることはできないはず。


 もしかして、口に出していた?

 だとすれば、ぞっとする話だ。


「申し訳ありません。ちょっと、思いつかないでござる」


 そうでないことを祈りながら、拙者にできるのは殿の返事を待つことだけだった。


「夕飯の時の話だよ。私はもう、お前を家族だと思ってるんだけどなあ」

「…………あ」


 百合殿に抱き着かれ訳も分からず終わったことだったが、あの時、殿が気分を害されていたようだったのは、そういうことであったのか。


「ありがたき幸せ! 拙者、殿から受けた御恩は一生をかけても……」

「いや、そういうの、今いいから」


 お、怒っておられます?

 殿、もしかして?


「殿、殿って、それはもういいけどさぁ。私は、まだ寒太郎の家族になれていないんだな」

「……拙者は、あくまで殿に仕える身ですので」


 自分がどれだけ恵まれた環境に置いてもらっているのかは分かっている。

 だからこそ、ある程度、身の程というものはわきまえておくべきだろう。


「へぇ。じゃあ、いいんだ。私が素敵な旦那を見つけて、幸せな家庭を築いても、寒太郎は一生仕え続けてくれるんだな。ふーん。ありがとうなー」


 ぱりん、と。


 頭の奥で硝子の割れるような音がした。

 その後に、じわじわと腹の底を炙られるような感覚が込み上げてくる。


 これは、一体?


「ござるよ拙者は構わないで一向に」

「なんて?」


 努めて冷静に返事をしたはずが、口から出てきたのはおよそまともな文章になっていない言葉の羅列であった。


 落ち着け。

 狼狽えるな。

 侍はこんなことで、心を乱したりはしない。


「失礼したでござる。殿も年頃。そのような日が、くることも、考えておかねばならんでござるな」


 殿の幸せは拙者の幸せ。

 なのに拙者はなぜ断腸の思いでこんなことを言っているのだろう。


 決まっている。

 まだ、覚悟が足らんのだ。

 己を、捨てねばならん。


「……ばかたれ」


 ばしゃん、という大きな水音と共に頭上から湯が降ってきた。

 驚いて顔を上げれば、そこには木枠から顔を覗かせた殿の姿があった。


「ちょっ、殿! 見え……」

「うるさい。お前が思っている以上に、私はお前を頼りにしているんだ。あんまり寂しいこと、言うんじゃない!」

「…………心得た」


 鼻を鳴らして、殿の姿がまた木枠の向こうに消える。

 どうやら湯船の中に戻られたらしい。


「あと、一年、かあ」


 風呂の中で発した声は、自分で思っている以上に響くもの。

 殿のその呟きが独り言だったのか、拙者に向けたものであったのかはわからない。


「今がずっと続けば、いいのにな」


 窓枠から漏れ聞こえてきたそれは、殿にしては珍しく弱音のようでもあった。

 庭先に薪が積んであるお家をたまに見かけます。

 あれで暖炉とかに火をくべているのかな、すごいな、と思う反面、自分には絶対真似できないなとも思ってしまいます。

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