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五 夫婦円満の秘訣は内助の功

「えぇ! 今日、お父さんに会ったの?」


 この家では、ほとんど毎日、殿とその母君、拙者の三人で食卓を囲む。

 いつも通り、座敷で円卓を囲み一日の出来事を話していた時のことだ。


 社長と顔を合わせた話になった途端、殿の母君がとりわけ大きな反応を示した。


「うん。お父さん、元気そうだったよ」


 澄ました顔で味噌汁をすする殿。


 ……元気そうだった?


 拙者にはとてもそんな風には見えなかったでござるが。

 話の腰を折るのも失礼なので、黙っておく。


「いいなあ。お母さんも、久しぶりに会いたーい」


 頬に片手をあて、殿の母君が大袈裟に羨ましがる。


 彼女、神埼百合殿は、夫である優人殿と対照的に感情表現がとても豊かだ。


 色白、かつ華奢な女性で、身の丈は殿より若干低い。

 その目元は切れ長なのだが、目尻がやや下がっていることもあって、いつも柔らかな表情で微笑んでいるように見える。


 赤みがかった髪の色は、外国の血筋が由来なのだそうだ。

 殿から凛々しさを取り除いて、可憐さを多めに注入すればこんな感じだろうか、と拙者は勝手に思っていた。


「最後に会ったのはいつだったかしらねえ」


 小首をかしげて、百合殿は指折り数えているが、足の指まで使っても足りないだろう。

 結婚した相手がこの人でなければ、社長はとっくに愛想を尽かされてそうでござる。


「ねえねえ、お父さん、何か言ってた? お話したんでしょう」

「別に。いつも通りだったよ。あと一年で卒業だから、しっかり頑張れって」


 にこにこと笑いながら身を乗り出して尋ねる百合殿に対する殿の反応は、どことなくそっけない。


 誰に対しても優しい普段の殿らしからぬ態度なのだが、それだけ母君は特別な存在ということでござろう。

 気を張らず、年相応の娘として振舞えるかけがえのない相手なのだ。


 しかし、殿は社長の言葉をそう受け取っていたのでござるな。


 どれだけ美化すれば、そう解釈できるのやら。

 拙者にはわからん。


「寒太郎くんは? 何か言われた?」

「いつも通りだったでござるよ。拙者には興味がないようでござった」


 口に出してから、しまった、と思う。

 これではまるで人の夫を人でなしのように感じていると言ったようなものではないか。


 だが、百合殿は気にした素振りもなく、鈴が鳴るようにころころと笑った。


「あの人らしいわねえ。ほんと、不器用さん。どーせこーんな顔、してたんでしょう?」


 両手の人差し指で眉間に皺を作り、社長の真似をしてみせる百合殿だが、柔和な顔立ちのせいで真顔がまるでできていない。


 顔の造りが基本的に笑顔なのでござるよな、このお方は。


「うーん、なんかお母さんも優人さん成分欲しくなってきちゃったなあ。おめかしして、明日の入学式に行ってみよっかな」

「……新入生の保護者以外の来場はご遠慮願います」

「えー、統真ちゃんのけちぃ」

「規則ですから」


 すげなく突き放す統真殿に、膨れっ面で返す百合殿。

 その様は歳の近い姉妹のようである。


「やはり、百合殿も寂しいのでござるか」

「そりゃあそうよねえ。日中は私、お家にひとりぼっちでしょう? たまには旦那さんにぎゅーってしてもらいたい日もあるのよ。ねっ、統真ちゃん」

「なんで私にその感情が理解できると思ったの?」

「でもね、いいの! 離れていたって、顔を合わせなくたって、自分が相手の心のどこかにいるのはちゃーんとわかってるから。安心して、待ってられるんだから!」

「…………反応に困るんですけど」


 自分自身を抱きしめるような素振りで熱っぽく語る百合殿を見て、殿は半眼で身を引いている。


「羨ましいでござるなあ。そういう相手がいるのは」


 夫婦の絆、とでもいうのであろうか。

 形や物ではなく、心で繋がる有り様が拙者には美しく思える。


「………………」

「………………」

「ん? 二人とも、どうしたのでござるか?」


 突然、殿と母君、両方が箸を止めてこちらを凝視してくる。


 もしかして、拙者の作った料理に何か不手際があったのでござろうか。

 ならば、それは由々しき問題だ。


「寒太郎くん」

「はい?」

「おいでっ!」

「ええっ? 何故?」


 言うなり、バッと、百合殿が勢いよく両手を開いた。

 抱擁を求める仕草なのは分かるのだが、その意図が読めない。


「だから! いつも言ってるでしょう! 私のことはお母さんって呼んでいいって! ほら、来なさい! 悪いようにはしないから!」

「いやいや、流石にそれはご勘弁を……」

「いーえ、許しませんからね! ほらほら、観念なさい!」

「と、殿! 助けてくだされ!」


 正座の姿勢のまま、細かく跳ねてにじり寄ってくる百合殿。

 その度に殿に負けず劣らず大きな胸も揺れるから目に毒だ。

 抱きしめられればさぞ気持ちよかろうな、と思いかける自分を叱咤する。


「知らない。今のは寒太郎が悪い」


 割と真剣に助けを求めたのに、殿は素知らぬ顔で箸を進めている。


 え、ちょ、殿?


「さあさあさあさあ! あなたも私の息子にしてやるんだから!」

「近い近い近い! 百合殿、食事の場でござるよ! 行儀が悪いでござる!」

「そこはっ! 百合殿、じゃなくてっ! お母さんでしょうがあ!」

「は、ほんとに? ちょちょちょ、あ…………」


 なすすべもなく抱きしめられ、よしよしと頭を撫でられていたのは一分ほど。


 たとえ血の繋がりのある息子だったとしても、身悶えしてたのではなかろうか。

 これは。

 統真を年相応の女の子にして、社長をどこにでもいるちょっと駄目な旦那にしてしまう。

 百合さんはそんな存在です。

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