三 放課後は戦闘訓練と健康診断
拙者は、機械が嫌いでござる。
侍を名乗る故、ではない。
電子機器や、電波など、そういった類の物を受け付けない体質なのだ。
頭にそんな奇抜な機械の被り物をしておいて何をと思われるかもしれないが、これこそがそもそもの原因らしい。
拙者に視力を与えてくれているこの仮面は、機械が放つ電磁波に過剰に反応して不快な感覚を引き起こすのだそうだ。
言葉にして上手く伝えるのは難しいが、眉間から背筋にかけてむず痒いものが走るとでもいうのか。
酷いときには耳元で金切り音のようなものが聞こえてくることもある。
現代社会で生きていくうえで不便極まりない体質なのは間違いないが、悪いことばかりでもない。
例えば、だ。
不快な感覚を辿れば、電子機器を携えて身を隠す何者かを見つけ出すこともできる。
仮面の下の目を閉じて、背筋を伝う感覚を研ぎ澄ませる。
木々の梢が揺れる音。
風にそよぐ雑草。
そして、その陰に潜んでいるもの。
「そこでござるなあ!」
右手に握った木刀を下段に構え、拙者は気配の元へと一気に駆け出した。
「む!」
自らの位置を気取られたことを察したのであろう。
敵が飛び道具を用いて攻勢に転じたことで、周囲の木々の枝葉が鋭い音を立てて弾ける。
だが、拙者もただ的になるつもりはない。
木の陰に身を隠しながら、そして体を不規則に揺らす足さばきを用いながら前進すれば、そう易々と狙いは定まるはずもなく――
「だっ! あだ! あれ? おうっ!」
肩、腹、額と立て続けに三発、肌の上で何かが爆ぜたような衝撃が走り、拙者はたたらを踏まされた。
痛みこそないが、駄目だ。
まるで躱すことができておらん!
「敵ながら、天晴」
一度、身を屈めて考える。
敵は手練れ。おそらく下手な策を弄しても意味はない。
ならばどうするか。
「ええい、ままよ!」
どうせ避けられぬのなら、当たってしまえばよいのだ。
この剣が届く範囲まで近づくことができれば拙者の勝ち。
差し違える覚悟で臨めば、怖いものなどありはしない!
駆け出した拙者に無数の弾丸が襲い掛かるが、怯みはしない。
不快な気配の元まで駆け寄って一撃。
「覚悟ぉ!」
木刀を振り上げ、覗き込んだ草陰で拙者は見る。
そこにあったのは無造作に置かれた携帯電話が二つだけ。
敵の姿など、どこにも見当たらない。
「しまっ……」
「はい。終了」
慌てて振り返ろうとした拙者の後頭部に、何か硬い物が押し付けられた。
わざわざ確認するまでもないだろう。
敵が手にした飛び道具の銃口が向けられているのだ。
「南無三! かくなる上は!」
「相討ちも無理な。ちょっと離れたところで、平がお前の頭をしっかり狙ってる」
「……ここまでか。無念でござる」
手にしていた木刀を捨て、拙者は両手を挙げて負けを認めた。
これはあくまでも模擬戦。
打つ手がなくなった時点でおしまい。
そういう決め事でござった。
「惜しかったでござる、あと一歩で……」
「どこがだよ。お前なあ、実弾なら蓮根みたいになってんだろ」
ごつん、と、拳骨で頭の後ろを小突かれる。
おっしゃる通り。ぐうの音もでない。
「でもさ、私は結構怖かったよ? 弾をもらってもこっちに進んで来られるの。ゾンビ映画みたいで」
がさがさと草木をかき分ける音がして、茂みの中から長身の女性が姿を現した。
「ごめんね。ゴム弾でも、痛かったでしょ?」
「いや、お構いなく。拙者、へっちゃらですので」
「へ、へぇー、が、頑丈? なんだね。相変わらず」
両手で抱える大きさの銃を携えたその女性は、引きつったような笑みを浮かべる。
「馬鹿。だからお前は成長しないんだよ。普通は当たったら終わりなんだから、頭使うんだ!」
野太い怒声と共に、今度はさっきよりも重めの拳骨が降ってきた。
「これは訓練だからいいけどな。自分の弱いとこは自覚して直していかねえと、気づいたら三途の川の向こう側でした、なんてことになりかねないんだからな!」
そう拙者を叱りつけるのは、身の丈百九十を超えた大男。
筋骨隆々、全身くまなく鍛え上げられ、短く刈り込んだ髪の毛に、顎鬚をたずさえた精悍な顔立ちの彼の名は鶴城健一という。
殿の父上が経営している大企業ネクストアース社は、その規模の大きさ故に要人警護のためのNEPAという私兵集団を抱えている。
鶴城殿はそのNEPA第二小隊の隊長を務めている人物なのだ。
そして、ここはネクストアース社の敷地内にある野外訓練場。
殿の侍であり、日常的な身辺の安全を任される身である拙者は、ここで定期的に鶴城殿を初めとする護衛部隊の皆様と戦闘訓練をさせてもらっている。
なぜって?
決まっておる。
もしもの時に、拙者が殿をお守りするためだ。
「だいたいお前はなあ、身のこなしが色々と雑すぎ……」
「ままま、隊長、そのくらいにしときましょうよ!」
そう言って熱の入った説教を始めようとする鶴城殿と拙者の間に割って入ってくださった女性は、平真奈殿。
NEPA第二小隊の副隊長であり、鶴城殿の部下にあたる人物である。
仕事柄なのか、拙者よりも上背のある大柄な女性で、無骨な隊服の下の肩や腰回りなどは鍛え上げられ、がっしりとしている。
少年のように短く切りそろえられた髪型もあってか、中性的な印象を受ける人物だが、よく見れば下睫毛がとても長かったり、くっきりとした二重瞼だったりと、女性らしさもしっかりと兼ね備えられていた。
「寒太郎くんだって、頑張ってるんですから! ね?」
「頑張ってりゃ何事も上手くいくってんなら俺らの仕事はいらねえんだよ!」
「ひいぃ! それもそうなんですけどぉ! そんなに怒らなくてもいいじゃないですかぁ」
強面で気性の荒い鶴城殿を、温厚な平殿がどうにかこうにか宥めようとするのはよく見る光景だ。
今日は原因が拙者なので、ただただ心苦しいばかりなのだが。
「あーやだやだ、血の気が多くて汗臭いおっさんって、あたしきらーい」
「あんだと!」
うんざりしたような声の横槍が入ったことで鶴城殿の怒りの矛先が変わる。
その声の主は鬱陶しげな表情を浮かべ、両手を頭の上に組んでこちらに歩いてくる千振殿。
「声が無駄におっきいのもつけ足すね。もうちょっと静かに喋ろうよ、たいちょーさぁん」
小生意気な小童さながらな話しぶりで挑発するようなことを言う千振に青筋を立てる鶴城殿を見て、平殿の表情が戦々恐々としたものに変わる。
知らん顔してさっさと逃げてしまえばいいのに、それができない人の良さが彼女の性分なのだろう。
「誰かと思えば、相変わらずデカいのは態度だけだな、チビ」
「あぁん?」
子供をからかうような調子で言った鶴城殿の煽り文句に、千振殿の目が吊り上がった。
「軍隊上がりのおっさんと、凄腕スナイパーのお姉さんの二人がかりで男子高校生ボコってイキるなんて恥ずかしいとは思わないんですかぁ? 仮にもプロならもっと理論的な助言とかできてくれないと困っちゃうんですけどぉ?」
「鍛えてくれって頼んできてんのはこいつだ。そんで俺ぁ、事実しか言ってねえ。適当な世辞で気持ちよく心を腐らせてほしいんなら余所をあたんな。チビすけ」
「なんだと、この筋肉ダルマ」
「俺は、事実しか、言ってねえぞ、ドチビ」
とてつもない身長差にもかかわらず、千振殿と鶴城殿は顔を寄せ合って睨み合う。
この二人が顔を合わせるといつもこうだ。
見た目も正反対なら、つくづく性分も反りが合わんのでござろう。
「千振殿、やめるでござるよ。お二方には拙者が無理を言って相手してもらってるんでござるから」
「隊長もですよ。女の子は小さいくらいが可愛いじゃないですか」
「まあ、平ちゃんよりあたしのほうがおっぱい大きいけどね」
「…………ぐすっ」
突然の飛び火を喰らい、半べそをかきながらうずくまる平殿。
「…………フォローしたのに」
「千振殿! 滅多なこと言うもんじゃないでござる!」
「そうだぞ! 確かに平はぺちゃぱいだけどな、デカい尻と長い足がウケる奴にはウケるんだ!」
「やですよ! お尻目当てで近づいてくる男の人なんて!」
拙者と鶴城殿の取り繕いは平殿の怒声にかき消されてしまった。
いや、拙者はともかく鶴城殿はあまりにも無神経でござろう。
火に油にもほどがある。
「そんなに気にしなくてもいいんじゃない? たで食う虫も好き好きって言うし」
「ごめんね! たでで!」
ああもう、誰がこの場をおさめるのやら。と、拙者が頭を抱えかけた時。
「お世話になっています。隊長」
ぎゃあぎゃあとやかましかった場においてなお、凜と響く声。
「失礼しました!」
ほんの少し困ったような顔で立つ殿の姿を見るなり、鶴城殿と平殿が機敏な動作で居住まいを正した。
背筋を伸ばし、指の先まで感覚を研ぎ澄ませているのが分かる二人の姿勢には先ほどまでの雑多な気配はまるで感じられない。
この切り替えの速さは流石、荒事の場に身を置く精鋭といったところだ。
「構いません。楽にしてください」
対する殿も二人の厳格な態度を自然に受け止め、静かに言葉を返す。
「……なんかさあ、あたしらとはえらい態度が違わない?」
「そりゃあ、殿は、社長令嬢でござるしなあ」
楽に、と言われて、直立から、整列休めの姿勢になった鶴城殿と平殿を、脇で見ていた千振殿は呆れたような表情で眺めている。
主君に仕える身としては、見習うべき姿勢だと思う次第。
「今日もうちの寒太郎の相手をしてもらって、助かりました。感謝します」
「いえ。これも我々の仕事の一環ですので」
軽く頭を下げた殿に対して、鶴城殿の返事はあくまでも堅い。
「あの、隊長……私としては、もう少し砕けた口調の方がありがたいのですが」
「あ、そう? じゃあ、遠慮なく」
殿が言うが早いか、威圧感すら漂っていた鶴城殿の厳格さが姿勢と共に一瞬で崩れ去った。
「ちょっと隊長! 他の隊員の目もあるんですよ!」
「本人がいいって言うんだから、大丈夫だろ。ほれ、もう業務時間も終わったしな」
無礼を咎める平殿に、鶴城殿が無骨な腕時計をかざしてみせた。
性能の良い時計なのだろう。
ほんの僅かに漂う電子機器の気配のせいで背筋に不快な感覚が走ったが、無視できないほどではない。
「確かに。いや、でも、いいのかなあ?」
「いいんですよ。みなさんの雇い主はあくまで父です。所詮、私はただの高校生にすぎませんから」
首をかしげて悩む平殿に、殿は柔らかく笑いかけた。
この謙虚な態度よ!
拙者の主君はどこまでも礼儀正しく、尊いお人なのでござる。
「それより、明日はよろしくお願いします。高校の式典にわざわざ出動していただくのは、大袈裟だとは思うのですが……」
「んなこたねえよ。しっかり俺らの任務の範疇だ。任しとけ」
「ですね。ご安心ください」
殿の言葉に鶴城殿が分厚い胸板を叩いて見せ、その横で平殿も先ほどより気楽な様子で敬礼をする。
明日の神野学院の入学式には、殿の父上が出席するのに合わせて、NEPAの皆さんも来るのだという話は聞いていた。
何事もないのが一番であるが、彼らが控えてくださっているのであれば、これほど心強いこともない。
無論、拙者もそれで気を緩めることのないよう、しっかりせねば。
「殿には拙者もついておりますので、ご安心を」
「ああ。頼りにしてる」
殿に微笑みかけられ、拙者が思わずにやけてしまいそうになった口元を引き締めた時だった。
「おや? もしかして、明日の打ち合わせ中でしたかね? 仕事熱心なようで。感心感心」
不意に聞こえてきたのは、慇懃な言葉遣いであるにもかかわらず、軽薄な雰囲気を拭いきれない声。
「どうも、八須さん」
「はい、どうも。統真ちゃん。久しぶりですね」
ふらりと姿を現した男性に殿が返事をしたときにはもう、NEPAの二人は直立不動の姿勢に戻っていた。
その表情は、どことなく殿に挨拶をした際より強張っているように見える。
それもそのはず。
胡散臭いまでに、にこやかな笑みを浮かべているこの人物の名は八須國晴。
ネクストアース社の副社長にして、NEPAに所属する鶴城殿や平殿の雇い主のようなものなのだから。
「皆さん、楽しそうにお喋りしていたようで。そうやってコミュニケーションを取るのも大事なことだと思いますよ」
一体、どこから見ていたのやら。
口先だけは友好的な彼の言葉に、鶴城殿は渋い顔を隠しきれていない。
色白の肌に、糸目と称するの方がしっくりくる切れ長の双眸。
元々、線の細い美男子といった顔立ちなのだが、縁のない小洒落た眼鏡をかけていることでどうしても気障ったい印象が目立つ。
身の丈は鶴城殿と比べればいくらか見劣りするが、拙者よりは拳一つは高く見える。
体に張り付いているような細身の背広はパリッと糊が効いていて、高級な品であることは明白。
そういえば拙者は、この八須という男が背広以外を着ているところを見たことがない。
「…………失礼。お見苦しいところを。こちらにいらっしゃると、伺っていなかったもので」
「いやですねえ。会社の敷地内なんですから、社員の僕がいるのはおかしくないでしょう?」
苦々しげに言った鶴城殿に、八須はへらへらとした笑みを浮かべて答える。
親しみやすい、とは、また異なる、こちらの懐にぬるりと滑り込んでくるようなこの男の態度が拙者も苦手だった。
おそらくそのことは本人も自覚しているのだろうが、気にしている様子は微塵もない。
憎まれっ子世にはばかる。
この男を見ると、そんな言葉がついつい脳裏に浮かんでしまう。
しかし、ちょっと待て。
八須がここにいるということは、だ。
「深い意味はない。外に出るついでに、立ち寄った」
拙者が思い至ったのと、その重く低い声が響いたのはほとんど同時だった。
足音もなく現れた彼の存在に、その場にいた八須以外の全員の表情が凍る。
「お久しぶりです。お父さん」
「……ああ」
彼に対して最初に口を開いたのは、殿だった。
その人物は、娘の挨拶に目先の一瞥だけで応じる。
喪服のような漆黒の背広に身を包んだその立ち姿や、襟足を刈り込み、前髪だけを後ろに撫で付けた髪型には飾り気というものが皆無。
くっきりとした眉や、鋭利な目元には確かに殿の面影を感じる。
しかし、眉間には動くことを忘れたかのような深い縦皺が刻まれており、への字にきつく結ばれた口元も相まって、前に立つ者にただただ威圧的な印象を与える。
彼こそが、我が殿、神埼統真の実父にして、ネクストアース社の現社長。
神埼優人であった。
「今日は?」
「寒太郎の定期検診です。ついでにNEPAの皆さんに、手ほどきをしてもらっていました」
「そうか」
殿の言葉に、まるで抑揚のない返事をする社長。
興味がないのであれば、尋ねなければよいのだ。
これが久々に顔を合わせた娘への態度だというのだから、殿が不憫でならない。
「明日の準備は、万全か」
「はい。生徒も皆、よく働いてくれました。良い式になると思います」
「お前も、もう三年生だったな。あと一年だ。いつまでも普通の学生でいられないことを自覚して、残りの時間を過ごすといい」
「……分かっています」
見てもいなければ、聞いてもいないくせに。
殿がどれほど他人のために身を粉にして働いているか、知っているのか。
傍で見てきた拙者は、知っているぞ。
少なくとも、そんな口振りで済ませていいものではない。
「社長、それは、あんまりでは……」
「いいんだ。寒太郎」
思わず身を乗り出しかけた拙者を、殿が片手で制する。
こちらを見るその視線は、落ち着いてこそいたが、有無を言わせない強い光をたたえていた。
「何だ。寒太郎」
「……失礼しました。何も、ありません」
念を押すようにこちらを見据えてきた社長に、拙者は頭を垂れて引き下がる他ない。
殿がいいと言っているんだから、そこに拙者の意思は関わらないのだ。
たとえどれだけ悔しくとも。
「少しでも、顔を見ることができて良かった。明日は、期待している」
「と、いうことです。はい。それでは、皆さん、また明日」
言うなり踵を返して去って行く社長の後を、おどけた様子の八須が追っていく。
心にもないことを、と、内心毒づいてはみたが、殿の手前、口に出すわけにもいかない。
「……はあ、俺の親父も恐ろしかったが、ありゃあ、ちょっと、なあ?」
「隊長」
どっと気疲れしたのは、鶴城殿も同じだったらしい。
溜息交じりに漏れたその本音を、平殿が言葉少なく嗜めた。
「なにしに来たんだろね、あの人達。暇でもないでしょうにさ」
その場でただ一人、千振殿だけが大して気にしていないのが分かるあっけらかんとした口調で言う。
「わからないよ。だけど、私は会えただけでも嬉しかったかな」
いじらしいでござるよ、殿。
良い子すぎるのも、ちょっと問題なのではなかろうか。
なんとなくその場に白けた空気が漂い、これでお開きになるだろうな、と皆が察した頃。
「んじゃまあ、寒ちゃん。そろそろ、行こっか」
「…………嫌でござる」
ぐいっと、拙者の手を引く千振殿。
彼女が言わんとするところが理解できている拙者としては、このまま流れで解散になってくれる方が有り難かったのに。
「はあ? 毎度毎度、こーんな可愛くて賢い女の子に診察してもらえるってのに、何が不満なのよ」
「嫌なものは、嫌なのでござる」
診察。そう、診察だ。
その言葉を聞くだけで、拙者の心中に鉛のように重い物が落ちてくる。
そもそも、何故、千振殿は大企業の敷地内でこれほどまでに堂々と大きな顔をしているのか。
ネクストアース社の社長に副社長、そしてNEPAのお二方、社長令嬢の殿と、そのお付きの者である拙者。
もし、千振殿がただの女学生であり、殿の学友でしかないのなら、この場に居合わせているのは不自然である。
しかし、彼女がここに居ることに誰一人違和感を覚えていない理由。
それは、可愛千振という少女が、ネクストアース社に雇われている身だからである。
その仕事は、拙者の体調の管理と、視力を矯正しているこの仮面の調整。
要するに医者と研究者を足して二で割ったようなもの。
「ちょっと我慢すればすぐ終わるんだから、ほら、さっさとラボに行くよ」
そう言って再び拙者の腕を掴む千振殿は、その女児に見間違うような外見からは想像もできないような才女なのである。
なんでも十二歳の時には海外の大学を飛び級で卒業したとかで、その類い希なる知性と、研究していた分野が拙者の視力矯正に関わる分野だったことを買われ、社長が直々に雇ったのだそうだ。
学校ではその才覚など欠片も感じられない立ち振る舞いをする彼女なのだが、千振殿曰く「わかりきってることをわかりやすく説明されることほど退屈なことないよね」とのこと。
拙者の経過観察を名目に、ただただ気まぐれに一般の高校生の生活を楽しんでいる。
生徒会に所属しているのも、その道楽の一部らしい。
会長になった殿に「やってみたいやってみたい」としつこくまとわりついていた様子を、拙者は昨日のことのように覚えている。
本気を出せば私なんかよりずっと頼りになるから、とは殿の弁だが、今のところその片鱗は見えない。
……むしろ、疑わしくなる一方なのでござるが。
「嫌でござる! あそこは機械が多いから、気が変になるのでござる!」
「うるせー! 駄々をこねるんじゃないよ、エセ侍!」
「似非ではない! 拙者の武士道は本物でござる!」
「だったら女々しいこと言ってないで、侍らしく診察ぐらいさっさと受けろぉ!」
抵抗も虚しく、拙者は不快な気配の充満するネクストアース社内に引きずり込まれることとなったのだった。
今回の話はどんどん新しい人が出てきて賑やかですね。
書いていて楽しかったです。