表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/46

一 明日は晴れの日

 晴れの日、という言葉がある。


 世の中にはめでたいことや喜ばしいことを皆で共有して、確かめ合う祝い事が数多く存在している。

 それらの祝い事に対して、無駄に時間や労力ばかりが必要になって、合理的でも、機能的でもないと言う者もいるかもしれない。


 しかし、人の温かみや繋がりを感じられる儀式や式典の有様を、拙者は好ましく思うのだ。


「寒太郎くーん、パイプ椅子、とりあえず出せるだけ出していいって。お願いできるぅ?」

「心得たぁ」


 我らが私立神野学院高等部もまた、明日に控えた入学式の準備で大忙しであった。


 体育館の中では、生徒会と運動部の面々が会場設営のためにせわしなく動き回っている。

 生徒会役員の中で唯一の男手である拙者は、もっぱら肉体労働の担当。

 言われた通り倉庫の中を覗いてみれば、数百の折りたたみ椅子がぎっしりと並んでいるのが見えた。


 入学式の規模を考えれば当然の数であろうが、これはなかなかに骨が折れそうだ。


「なあ、庶務さん」


 両手に抱えられるだけの椅子を引っ提げて歩いていたところ、ふと後ろから声をかけられた。


「なんでござろうか?」

「ござ……いや、まあいいや。ちょっと訊いてもいいか?」


 振り返るより先に、ジャージ姿の男子生徒が拙者の横に並ぶ。

 がっちりとした体付きで、片手に五脚ずつ折りたたみ椅子を抱えた彼は、やや遠慮がちに拙者の顔を覗き込んできた。


「前から気になってたんだけどさ。あんたのそれ、なんなんだ?」

「それ、というと?」

「頭だよ、頭。そのVRゴーグルみたいなやつ。あんた、いっつもそれつけてるだろ?」

「ぶいあーる、とやらが何かは知らんが、拙者のこれは、簡単に言えば眼鏡でござるな」

「ええー……」


 拙者の答えが腑に落ちなかったらしく、男子生徒が疑わし気に唸った。

 確かに拙者の見た目は事情を知らぬ者からしてみれば面妖なのは間違いがないだろう。


 鼻から額までを覆う分厚い鉄板のような仮面。

 そんなものを日常的に身に着けている人物を拙者は自分以外に知らない。

 しかし、奇異の眼差しで見られることにも、もう慣れたものである。


「拙者は生まれつき目が悪くてな。これがなければ何も見えなくなってしまうのでござるよ」

「ああ、だから眼鏡ね。もしかして、俺、無神経なこと訊いたか?」

「構わんよ。事実は事実。そちらに悪気がなかったのは顔を見れば分かる。いちいち目くじらをたてるのも、つまらんでござろう」

「顔を見れば、か。あんたに視力をくれてるそのいかつい眼鏡に感謝しないとな」

「違いない」


 なかなか気の利いたことを言う男子だ。

 体力があって、気立てもいい。

 すぽーつまん、とはこのような者のことを言うのでござろう。


「寒太郎くーん! こっち! ちょっといい?」


 運んだ折りたたみ椅子を並べていたら、聞き覚えのある声に呼ばれた。

 この場の始末を頼む、と男子生徒に伝えて、拙者は声の主の元へ向かう。


「ごめんね、次から次に。来賓用の長机も運ばなきゃいけないんだけど。私だけじゃどうにもならなくって。手伝ってもらっていい?」

「勿論でござるよ」


 片手で拝むような仕草をしながら、申し訳なさ気に言う彼女は厳原文香殿。

 我が生徒会の副会長だ。


 艶のある黒い髪は短く切り揃えられていて、その飾り気のなさが、彼女の細い眉や長いまつげ、くっきりとした二重瞼といった整った顔立ちを際立たせている。

 太すぎず、細すぎない、均整のとれた曲線を描く体付きから放たれるのは上品な女性らしさだ。


 学校指定の制服を完璧に着こなす彼女の様は、まさに大和撫子というのにふさわしいのだが、以前そのことを口にしたら「古いよ」と叱られてしまった。


「作業の進捗はどうでござろうか?」

「順調順調。やっぱりまとまった人手があると助かるね。中学の時の生徒会はみんな女の子だったからさ。こういう時、本当に大変だったんだよぉ」


 そう言って笑う厳原殿は、外部の中学校から我が校の高等部に入学してきている。

 小中高の一貫教育の体制をとる神野学院では、彼女のように別の中学校出身で生徒会に籍を置く者は珍しいのだそうだ。


 それは裏を返せば、彼女の優秀さの証明でもある。


「拙者は力仕事くらいしかできませんので。なんなりと使ってください」

「えー? そんなことないよ。寒太郎くん、真面目だし、働き者だし。どこかの誰かにも見習ってほしいもんだって」

「勿体なき言葉でござる」


 他愛もない言葉を交わしながら階段を降り、長机がしまってある部屋の扉の前に着いた時だった。


「お、いたいた。お二人さん、働いとるねえ」

「…………噂をすれば、誰かさんがやっと来たみたいだね」


 朗らかな声が聞こえたのと同時に、厳原殿の眉根にしわが寄り、声色が一段落ちた。


 それもそのはず。

 生徒会役員であるにも関わらず今になって現れたその人物は、こんびにの袋を片手に携え、あろうことか棒付きの氷菓子を食べながら呑気に歩み寄ってきているではないか。


 少しは申し訳なさそうにすればよいものを。これでは温厚な厳原殿だって平静ではいられまい。


「今日、入学式の準備だったんだねえ。生徒会室に行ってもだーれもいないんだもん。いやぁ、焦った焦っ……あいだだだだだだ!」

「千振ちゃーん? 私にはあなたが焦っているようには、とても、見えないんですけどぉ?」

「ごめっ、ごめんなひゃい! ごめんなひゃい! それほんほひいはひって!」


 よく伸びる頬の肉を厳原殿にこねくり回され悶えている彼女は、可愛千振という。

 一応、生徒会の書記ではあるのだが、ご覧の通り責任感と自覚が足りない人物だ。


「そもそも昨日の打ち合わせには千振殿もいたでござろう。忘れていたというのは言い訳として、いささか苦しいのでは……?」

「確・信・犯、だもんねえ、千振ちゃんはぁ?」

「そうです! 分かっててサボりました! 出来心! ほんの出来心なんだってえ!」


 ひとしきり頬肉を弄ばれた千振殿は、身を捩らせてどうにか厳原殿の手から脱する。


「だってさあ、あたしこういう力仕事とか無理だもん。どうせ役に立たないんだから、いなくても問題なくない?」


 赤くなった頬をおさえてぶうたれている千振殿。

 確かに彼女は小柄で華奢だ。

 身の丈も女性としては平均的であろう厳原殿の肩ほどまでしかないし、手足も細い。

 きょろきょろとよく動く大きなどんぐり眼や、あどけない顔立ち、ころころと変化する表情がいっそう幼さを強調している。

 彼女と初めて会った者の大半が、初めは小学生と見間違えるのも無理からぬ話。

 唯一、金色に染められた髪だけが彼女が普通の学童ではない証拠になるのだろうか。


 今日は頭の左右で一房ずつに括ってあるが、髪型は気分によって変えているらしく、結い方次第でこうも人の印象というのは変化するものかといつも感心させられる。


「千振ちゃんは基本的に仕事なら何でも無理でしょう。言い訳しないの」

「細かいことはいいじゃん。ほら、アイスあるよ、アイス。どれがいい?」

「いりません。他の生徒が働いてくれてるのに、生徒会の私達がそんなの食べてられないでしょう」

「えー、でもとけちゃうよお?」

「せめて買う前にそのくらいのことには気づいてほしかったよ」


 怒りを通り越して、落胆の面持ちで厳原殿が肩を落とす。


 千振殿は、この場にはいない生徒会長と拙者の昔馴染みだ。

 それだけに彼女の自由奔放さに厳原殿が振り回されているのを見ると、非常に心苦しいものがある。

 生徒会の書記というのも肩書ばかりで、てんで役に立たないでござるし。

 悪い人でないのは間違いないが、困った人であるのも間違いない。


 なんでこんな人間を生徒会に置いているんだ、と言う者がいるのも知っているが、これにはちょっとした事情があるのだ。


「あれ? そういえば統真ちゃんは? サボり?」

「殿がそんなことをするわけがなかろう。叩っ斬るぞ、貴様」

「ええ……寒ちゃん、急に怖いじゃん」

「親しき仲にも礼儀あり、でござる。そら、来たのなら千振殿も机を運ぶのを手伝ってくだされ」

「げえっ、こんなん運べるわけないじゃん」


 たとえ身内であっても殿への無礼な態度は看過できん。

 拙者の声色の低さに千振殿が身を引いているが、知ったことではない。


 とりあえず拙者は片手に机を一つずつ、厳原殿と千振殿には二人で一つを運んでもらうとしよう。


「…………む?」


 三人で会場に戻り机を並べていると、不意に耳が空気の揺れの微かな変化を捉えた。


『あ。あ。あー、うん。聞こえてるな』


 どうやら音響装置の電源が入ったようだ。

 見ればちょうど我が殿にして、生徒会長である神埼統真が、演台の前に立つところであった。


 流石は殿。

 遠目からでも分かる立ち姿勢の良さでござるなあ。


 背丈は拙者より低いはずなのだが、顔の小ささや、手足の長さのため、実際よりずっと高く見える。

 意志の強さを示すくっきりとした眉と、切れ長の目が色白の肌に実に映えており、まっすぐに通った鼻筋や均等の取れた顔の各部位の配置はまさに眉目秀麗。

 母君譲りのやや赤みがかった髪は頭の高い位置で一つに結われており、歴戦の侍の髷を思わせる凛々しさが漂っていた。


『失礼。マイクのテストだ。特に問題はないだろうか』


 体育館の音響装置から、殿の落ち着いていて、張りのある声が流れ出した。

 問題などあるわけがない。むしろ、いちゃもんをつける輩がいたら拙者が斬ろう。


「いよっ! 待ってました、生徒会長!」

「今日も素敵でござるよ、殿ぉ! 一段とお美しいでござる!」

「ちょっと、二人とも! 叫ばないの!」


 両手の平で輪を作って、はやし立てる拙者と千振殿を一瞥された殿は、音響機材の電源を切り、壇上から降りて、我々に歩み寄って。


「こっぱずかしいだろ、ばかたれ」


 流れるような動作で拙者と千振殿の頭を平手で叩いた。


「痛いなあ。そんなに照れなくてもいいじゃんか」

「照れてない。恥ずかしいだけだ」

「そんな! 滅相もない! 殿に恥ずかしいところなどないでござるよ!」

「うん。恥ずかしいのはお前らだからな」


 この短い言葉で切り捨てる時の呆れたような表情もまた良し、でござる。


 まったく仕方のない奴らだ、と、ややご立腹気味のこの方こそが、拙者が生涯仕えることを心に誓った存在。

 我が殿であり、拙者を侍たらしめる人物。


 神埼統真。

 拙者は彼女に、一生かけても返せないほどの御恩があるのだ。


「新入生歓迎のあいさつは、もうできた? 統真ちゃん」

「ああ。形にはなったと思う。後で内容を確認してほしい」

「もちろん」


 そう言って胸を叩く厳原殿と、殿は微笑みあう。


 我が殿はこの神野学院中等部と高等部で二度、生徒会長を務めている。

 そして、先の選挙で厳原殿は会長の候補者の一人として最後まで殿と競い合い、惜敗した間柄なのだ。

 その後の生徒会役員決めで殿が厳原殿を誘って快諾され、今は良き友人として共に働いている。


「仕上がってきたな」


 体育館をぐるりと見回して、殿は誰にともなく呟いた。


 碁盤目のように規則正しく並べられた椅子、白い飾り布をかけられた長机、壇上には祝入学と大きく書かれた横長の看板。

 今はまだ、まばらに人がうごめいているだけだが、これが二階の観覧席までびっしりと埋まるとなれば、なかなかに盛大な催しとなるに違いない。


「なにそのかったい表情。緊張してんの?」

「まあ、ね。していないと言ったら、強がりになるかな」


 茶化すように下から顔を覗き込む千振殿に対して、殿は苦笑いを返した。


「そっか。明日、お父さんも来るんだもんね。無理もないよ」

「うん。私だけ授業参観も兼ねてるってわけだ。そりゃ具合も悪い」


 あの人が、来るのか。

 冗談めかした口調で言う殿の様子を見て、胸の底が重くなる。


 拙者の殿である神埼統真。

 その父、神埼優人は世界でも有数の複合型大企業「ネクストアース」の現社長を務めている人物だ。


 経済にほとんど興味のない人でさえ名前くらいは聞いたことがあるくらいには大物である殿の父は、我々の学び舎である神野学院の理事の一人でもある。

 普段ならこの手の催しには代役を立て、顔を出すことなどないのに。


 ……一体、どういう風の吹き回しなのやら。


「心配しなくていいよ。気負わずにやるさ。心ここにあらずだと、新入生にも失礼だしな……っと」


 緊張を払うかのように殿が体を反らせて大きく伸びをする。

 そのせいで制服越しでも分かるほどに大きな胸元の膨らみが強調された。


 ついそっちに目がいってしまったが、仮面をつけているおかげで気取られることもないだろう。

 実に便利。


「寒ちゃんのすけべ」


 と、思っていたら、千振殿に肘で脇腹を小突かれた。


「…………不覚」


 なんという勘の良さでござろうか。

 お願いだから殿にはばれていませんように。


「おおーい、生徒会! ちょっといいか!」


 心中を乱され狼狽えていたら、少し離れたところから間延びした声が飛んできた。

 聞き覚えのある響きに、その場にいた皆の視線がそちらへと移る。


「はい、双葉先生、なんでしょうか?」

「玄関にステージを飾る花が届いたんだけどな、これが馬鹿みたいにデカくて数も多いんだ。適当に人を集めて運んでくれ」


 困り果てたような表情を浮かべながらこちらに近づいてくるのは、細身で中年の男性。

 我ら生徒会の顧問である双葉六平先生だった。


 整髪剤の類を全く使わず、起きた時のままほったらかしにされているのが分かる不精な髪型と、目元の太い黒縁の眼鏡からは見るからに冴えない印象を受ける。

 安物でよれよれになった背広を襟締もなしに着ており、それがまただらしなさに拍車をかけていた。

 好きな色は緑なのだそうで、足元だけ不自然に鮮やかな深緑色の運動靴を履いているのが特徴的だ。


「ええー、まだなんか運ぶんですかあ? 花屋の人がやってくれたらいいのにぃ」

「こらこら、そういうこと大声で言うもんじゃないよ。敢えて君らに運んでもらうことに教育的意義? があるんでしょうが」

「前時代的な発想だと思いまーす」

「温故知新という言葉がある。教育とは不易と流行のバランスが大事だ。駄々をこねんでくれ」


 ぶーぶーと唇を尖らせて文句を垂れる千振殿を、双葉先生はやんわりとなだめる。


 一見した頼りなさとは裏腹に、ほがらかな笑みを浮かべつつ適切なことを言うので上級生になるほど双葉先生を慕う生徒は増えるのだそうだ。


 拙者もかなり好感の持てる人物として、信頼している。


「あと、会長。明日の式辞の原稿、一回現国の原田先生に目を通してもらってな」

「ああ、はい。わかりました。すぐに持っていきます」

「お前さんのことだから心配してないが、向こうにも体裁があるからさ。面倒言ってすまんな」

「わー、お役所仕事だぁ」

「変なところに角が立つよりいいじゃないの。俺、人付き合いは丸いほうが好きよ」


 千振殿の嫌味もどこ吹く風。

 双葉先生が肩をすくめて見せたところで、校内放送を知らせる音が鳴った。


 どうやら先生を呼び出す内容のようだ。


「……はいはい。今行きますよっと。そんじゃ、生徒会、引き続き頑張り抜いてくれたまえ」


 後に残る我々に軽く手を振って、双葉先生は小走りで体育館の出口へと向かう。


「あ、転んだ」


 これも生徒の間では知れ渡った話なのだが、彼は何もないところでよく転ぶ。

 周りで気遣う運動部に照れくさそうに笑いかけながら立ち上がって、双葉先生は出口の向こうへと姿を消した。


「さて、下校時間は守らなきゃならないし、残りの仕事をさっさと済ませてしまおうか」

「あいあいまむっと。おーい、運動部のみんなぁ、ちょっとこっち集合! こっちこっち早く!」


 ぴっと、敬礼の真似事をした後、千振殿が大きく声を張り上げたことで周りで働いていた生徒達が集まってくる。


 あどけなさの残る彼女の声は特徴的で、こういう場ではよく通るのだ。


「千振ちゃんのああいうところは、素直に羨ましいのよね」

「自分が重い物を運びたくない一心でござろうがな」

「聞こえてるからね、文香ちゃん、寒ちゃん」


 それから皆で働いていたのは一時間ほどだったでござろうか。

 入学式の準備は無事に終わり、我々は家路についたのであった。

 このお話を投稿している今は、ちょうど卒業式のシーズン。

 自分は高校生の頃、体育館を使う運動部でしたので、練習後に式で使う椅子の準備をしていました。

 その時の懐かしい雰囲気を出せていたらな、と思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ