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九 そして侍は目を醒ます

 駄目だ。死ぬ。

 殿、どうか、殿だけでも!


 自らの体が木っ端のように吹き飛ばされ、何かにぶつかって止まったのは理解できた。

 痛みは、ない。

 いや、もうそんな段階ではないのか?


 体は……動く?


 動くぞ。腕も、足も、爆発をまともに受けた腹も、大丈夫だ。

 拙者は、何も問題なく動ける!


「くそっ!」


 だから、どうだというのだ!

 拙者の身の安全など、二の次でいい。

 まずは殿の身の安全を確保せねば。


 至近距離で爆発を食らった拙者が五体満足でいられるということは、爆弾そのものの威力は目くらまし程度のものだったのかもしれない。

 つまり、先ほどの黒い影、乱波者自身が自由に動き回ることが本来の、目的、の、は、ず……?


「莫迦な」


 顔を上げ、周囲の様子を確認した瞬間、自分の認識が間違っていることを思い知らされた。


 地獄絵図だ。


 舞い上がる粉塵と、火の粉。響くのは怒号と悲鳴。

 先を争って逃げ惑う人々の足元には、倒れたまま動かない影が無数に横たわっていた。

 入学式の華やかな装飾は無惨な姿になり、酷いところでは木材や鉄骨の類が剝き出しになっている。


「……どういう、ことだ?」


 改めて、自分の体を見下ろす。


 制服の腹の部分が焼け焦げてこそいたものの、その下の肌はきれいなものだった。

 この状況を生み出したのがあの爆弾であるならば、無事で済むはずがない。


 人よりもちょっと「頑丈」。

 そんな言葉で片付けられることか? これは?。


「殿……殿は!」


 膨れ上がってきた不気味な感覚を振り払って、拙者は立ち上がる。

 今はそれどころではない。

 何が起きていてもおかしくないこの状況。

 なによりも先に殿と合流せねば。


「寒太郎! おい! 寒太郎! こっちだ! 早く!」

「……っ! ご無事でしたか!」


 拙者が動きだすより先に、聞き慣れた声が耳を貫いた。

 殿だ。

 少し埃で汚れている様子ではあったが、どうやら無事だったらしい。

 その姿を見て、少しだけ胸が軽くなる。


「私のことはいい! こっちに来て、手を貸せ!」


 安堵したのも束の間のこと。殿の叱責が飛ぶ。


 慌てて駆け寄ると、殿は腰を曲げ必死に何かを持ち上げようとしているところだった。

 これは、鉄骨か。

 爆発の衝撃で倒れてきたものなのだろうが。

 なぜ、こんな物を、わざわざ。


 ……何かが、下敷きになっている?

 この、姿は!


「厳原殿!」


 床と鉄骨の間に見えたのは、見覚えのある艶やかな黒髪だった。

 顔面蒼白になり、目を閉じたまま人形のように動かなくなっている厳原殿。

 倒れた時にどこかにぶつけたのであろう。

 額から流れる血が、床に小さな血の染みをつくっていた。


「今、助けるで、ござる! ぐ、ん、ぬあああああ!」


 横倒しになっている鉄骨に手をかけて、渾身の力を振り絞る。

 持ち上げることこそ不可能だったが、床との間の隙間が少し広がったのは分かった。

 殿が生まれた隙間から素早く厳原殿を引きずり出したのを確認して、拙者は鉄骨から手を放す。


 こんな重さの物の下敷きになっていたのか。


 轟音を響かせて再び倒れた鉄骨に、息を呑む。


「厳原! おい! 文香! 聞こえるか! 返事をしろ!」


 殿が必死に呼びかけるが、ぐったりとした厳原殿はまるで反応していない。

 表情も変わらず、苦悶の声すら漏らしていないのが、むしろ恐ろしかった。


「ごめん、お待たせ。あたしが見るよ。統真ちゃん、そこ退いて」

「千振! すまない、頼んだ」


 駆け寄ってくるなり、厳原殿の傍に滑り込んだ千振殿。

 仰向けの状態にした厳原殿の腹と胸の間の辺りに耳を当て、目を閉じる。

 呼吸の様子を確認しているのだろう。


「音、おかしいね。肋骨が折れて、肺に刺さってる感じかも。こりゃ、ここじゃどうにもならないよ」

「それならば、救急車を! いや、拙者が担いででも……」

「それ、今はちょっと厳しいと思うよ?」


 険しい表情を浮かべた千振殿が、顎で拙者の背後を示す。


「下がるぞ! 社長をこっから出すのが最優先だ!」


 振り返って見た先には、声を張り上げている鶴城殿の巨躯があった。

 その後ろにはNEPAの隊員二人に連れられた社長の姿もある。


 どうやら非常口の方に向かっているようだ。


 社長を連れ出す二人に対して鶴城殿は背を向けていた。

 その周りには他にも三人、構えた銃をせわしなく振り回している隊員達がいる。


 一同の銃口が追いかけているのは何か。


「一体、なんなんだ、あいつは」


 鉛色の影が、目で追うのがやっとの速さで体育館内を駆け巡っていた。


 さっき爆弾をばら撒いた乱波者だ。

 離れていても、奴の全身から放たれている不快な感覚のおかげで分かる。

 あれはなにか高い科学の力で作られた物を身に纏っているらしい。


 そんなことは拙者じゃなくても気付いただろう。

 影が線のように伸びて見えるほどの速度に加え、重力から解き放たれたような動きの軌道。

 奴の動きは明らかに生身の人のそれではない。

 鶴城殿をはじめとするNEPAの隊員達も翻弄され、発砲することができていなかった。


 NEPAの隊員達の構えた銃の射線から逃れるように動き回っていた乱波者だったが、社長が非常口に向かい始めたことに気が付いたようだ。

 一度、大きく退いたかと思えば、一気に速度を上げ、弧を描くように壁際を走り、社長の方へ突っ込んでいく。


 隊員達の銃口が一点に集中した瞬間、乱波者が跳んだ。

 走ってきた勢いのまま、奴は隊員達を飛び越えて、その背後に着地する。


「クソがぁ!」


 咄嗟に反応できたのは鶴城殿だけ。振り返るのが間に合わなかった隊員達を、乱波者の蹴りが襲う。


 右、左、右、と腰の回転から繰り出される鞭のような蹴りが隊員達を弾き飛ばした。


 自分の邪魔をする人間の頭数が減らすことがねらいだったのか、乱波者はすぐさま振り返って、非常口へ向かっている社長達を追う姿勢になる。


「させねえよ!」


 即座に乱波者の背中に銃口を向けた鶴城殿。

 しかし、敵も反応して、ゆらりと体全体を傾けながら振り返る。

 そのまま鶴城殿との距離を詰めた乱波者は、自分に向けられた銃身を掴んで強引に射線を外した。振りかぶった拳が鶴城殿に襲い掛かろうとする寸前。


「そこまででござるよ!」

「……っ!」


 拙者は乱波者を後ろから羽交い絞めにすることに成功した。


 今までのやり取りを黙って見ているわけもない。

 いくら尋常ではない動きの相手でもNEPAの皆さんに気を取られていれば、拙者にもつけ入る隙が生まれるだろうとは思っていた。

 捕まえた瞬間に漏れ聞こえた声。


 こいつ、もしかして。


「乱波者め! 観念するでござる! 大人しくお縄に……」


 拙者が言い終わるより先に、拙者が羽交い絞めにしていた乱波者の上半身が勢いよく前に倒れた。

 爪先が地面から離れる浮遊感の後、自分の体が空中で反転し、そのまま床に叩きつけられたのが分かった。


 その拍子に、腕の中にあったはずの手応えがするりと逃げていってしまう。


「この!」


 体を起こした時にはもう、乱波者は二度、三度と後方に身を翻して拙者の手の届く範囲の外に逃げていた。

 距離が開いて、相手の動きが止まったことで、拙者はその姿を改めて確認する。


 細く、滑らかな曲線を描く体躯。やはり間違いない。


 奴は、女だ。


 その頭、胸元、四肢には体の表面に張り付くような金属の装甲が纏われていた。

 装甲のない部分は光沢のある黒い革のような素材で覆われており、素肌は一切見えない。

 全身に細い管のようなものが張り巡らされているが、あれで電気でも供給しているのだろうか。

 得体の知れない機械の鎧を着こんでなお、豹のようにしなやかな立ち姿の女。


 拙者と同じく金属製の被り物に収まった頭部で、光る目玉のような部分がこちらを向いていた。


「何、あんた」

「それは、こっちの台詞でござろう。貴様は、何者だ。なぜこんなことをする」


 普通に、話しかけてくるのか。

 どうやら性別を隠すつもりはないらしい。

 低く、唸るような問いかけには苛立ちが露骨に表れていた。


 盗人猛々しいとは、このことでござる。


『罪には罰が必要だ。血溜まりで生まれ、乾いた汚れは血でしか洗い流すことができない。悔い改めよ。自覚なき罪人達よ。大義は我々にある』


 突然、女の頭部から録音したものであるのが分かる音声が流れ出した。

 声には腹の底に響くような重さがあり、女のものではない。


 何を言っているのかはまるで分からないが。

 この声の主が、首謀者ということなのだろうか。


「……怪しい宗教の勧誘でもあるまい。もっと要領よく説明するでござる」

「デカい会社に恨みがありますってこったろ。テロリストの言い回しだな、こりゃ」


 呆れたように言いながら、鶴城殿が拙者の横に並んだ。

 他の隊員の方々は、まだ立つことが難しそうだ。

 あの女を相手するなら、人手はどれだけあってもいいだろう。


「助太刀させてもらうでござる、鶴城殿」

「へえ。頼もしいこと言うじゃねえか。悪いがお前の身まで守ってやる余裕はねえぞ」

「承知。ここでは自由に発砲できんのでござろう? 壁になるなら拙者の方が適任でござる」

「違いねえな」


 腰元から引き抜いた拳銃を、鶴城殿は両手で構える。

 辺りにはまだ倒れている人々がいるうえに、見通しも悪い。

 連射に長けた長物で弾幕を張って、相手を牽制するような立ち回りは避けなければならないはずだ。

 頑丈な拙者が盾になりつつ、社長がここから離れるまで時間を稼ぐのが得策だろう。


 欲を言うなら、相手を捕まえたい。

 腰を落として、いつでも動きだせるよう身構える。


「めんどくさ」


 鬱陶しそうに言った女の体が沈み、次の瞬間にはこちらに向けて突っ込んできた。


 遠目で見るより、速い。

 上に跳んで逃げられる可能性については飛び道具を持っている鶴城殿に任せ、拙者はその進路を真っ向から遮ることを選んだ。


「邪魔すんな」


 まだ、速くなるのか!

 広げた両手の指先が届くか、といったところで、女はさらに加速して左へ身を躱す。

 これは、拙者の体で鶴城殿の射線を遮る動きだ。


 駄目だ、届かない。

 後ろに抜けられる!


「……っ!」


 突如、拙者の横を通り抜けかけた女の足元で何かが爆ぜた。

 舌打ちしながら急停止した女が、横っ飛びで進む方向を変える。


 偶然ではない。今のは。


「流石でござる、平殿!」


 狙撃だ。


 どこから撃ってきたのかはわからないが、この場に向けて平殿が目を光らせている。

 手練れだとは理解していたが、いざ実践の場で目の当たりにすれば舌を巻くほかない。


「ああ? 動きが速すぎるから当てるのは厳しいだぁ? 泣き言抜かすんじゃねえ! ベストを尽くせ、馬鹿野郎! 頼りにしてっからな! がんばれ、コラァ!」


 などと鶴城殿が通信機に向かってがなり立てているが、それはあんまりだ。

 どこかで「無茶言わないでくださいよぉ」と悲鳴を上げる平殿を想像して、不憫になる。


 しかし、これで実質三対一。


 NEPAの方々が回復することも考慮すれば、時間が経つほどに拙者達が有利となる。

 拙者は心置きなく、乱波者の相手をしていいというわけだ。


「覚悟するでござるよ」


 拙者が駆け出した途端、乱波者の傍らの床の上で二度、弾丸が爆ぜた。

 奴の行動を縛るのが平殿の狙いであろう。

 これであの女も好き勝手に動き回ることはできないはずだ。


「神妙に、お縄につけえ!」

「うるっさい!」


 突進して肉薄した拙者の腕を、前、後ろ、右、と軽い足捌きで乱波者はやり過ごしてくる。

 口調と同じく、動きに粗さはあるが、如何せん素の身体能力が違いすぎる。


 だが、焦るな。

 奴は、知らない。


「離れろよ!」


 すぐに好機はやってきた。


 拙者の攻めを搔い潜った後、女は蹴りを放ってくる。

 普通の人間なら悶絶して動けなくなるような一撃であった。

 だが、拙者は。


「ちょっとばかりっ、頑丈なんでござるよ!」


 腹と足腰に渾身の力を込めて、女の蹴りを真っ向から受け止める。

 背中まで抜けるような衝撃を堪え、拙者はその脚を両手で掴むことができた。

 その次の瞬間。


「がっ!」


 甲高い金属音と共に、乱波者の頭部が仰け反った。

 動きが止まったことで狙いを定めることができたようだ。


 鶴城殿が立て続けに弾丸を打ち込む音が響き、その度に女の纏った鎧の表面で火花が散る。


 確実に効いている。

 いくら装甲に覆われているとはいっても、その繋ぎ目の革のような部分で銃弾の衝撃を殺しきることはできないはずだ。

 苦悶の声をあげる女の脚を決して放さぬよう、拙者も両手にさらに力を込めた。


 こいつは、ここで止めてしまわねばならない!


「うっとう、しいなあっ!」


 しかし、乱波者は怒声と共に拙者が掴んでいるものとは逆の脚で地面を蹴って跳ねた。

 宙に浮いた姿勢のまま、その腰が回る。

 捻りを加えた蹴りだ。

 両手が塞がっている拙者はその一撃を防ぐことなどできるはずもなく。


「ぐ、おおっ!」


 蹴られた首で爆発した衝撃は凄まじかった。

 視界が渦のように二転三転したことで、自分の体が横に弾き飛ばされたのだということだけは理解できたが、どうにもならない。


 またしても、壁にぶつかって止まったようだ。

 当然、乱波者には逃げられてしまっている。


「しまった……早く!」


 地べたで寝そべった状態から身を起こした拙者が見たのは、乱波者が鶴城殿に襲い掛かっている瞬間の姿だった。

 繰り出された拳に鶴城殿は反応こそしたものの、殴り飛ばされ、その巨躯が床に沈む。


 駄目だ。

 このままでは、社長は助からない。


 社長を避難させようとしていた隊員が応戦に回り、平殿も狙撃で牽制しているが、どう見ても状況は不利。

 じわじわと追い詰められている。

 社長が非常口までたどり着いたとして、どうなる。

 あの女をどうにかしない限り、無事にこの場を収める方法はないのだ。


 拙者が行かねばならないのは分かっている。

 だが。


 拙者が行っても、どうにもならないことが分かってしまうのだ。


 立て。行け。せめて、抗え。


 重く冷たい絶望を抱えたまま、進みかけたその時。

 拙者の手に温かい誰かの手が重なった。


「…………殿?」


 倒れていた時に、駆け寄ってきてくださっていたのだろうか。

 こんな状況でなお、見惚れるほどに凛々しい主君の顔がそこにあった。

 拙者を強く掴むその手と、表情を交互に見比べる。


「早く、逃げてください。ここは危険です。せめて、殿だけでも……」

「時間がない。聞け、寒太郎」


 有無を言わさない口調で拙者を制し、殿は続ける。


「こんな日が来るのは、分かっていた。このままじゃ、お父さんは助からない」

「だから、拙者は一刻も早く」

「駄目だ。今、この場で必要なのは、お前の本当の力なんだ」

「……本当の、とは?」


 殿の手が震えていた。

 掴まれた腕から伝わる、微かな感触の意味が拙者にはわからない。


 殿は今、何の話をしているのだろうか。


「今まで嘘吐いてて、ごめん。寒太郎」

「!」


 不意に、殿は拙者の手を強く引いた。


 姿勢を崩した拙者の頭を両手で掴んだ殿が、そのまま顔を近づけてくる。

 拙者の仮面と、殿の額が触れ合っている。

 直接触れているわけではないのに、そこにある熱を感じた。


 冷たい金属の板一枚を隔てた向こう側にある、大切な人の気配。


「たとえ何があっても、お前と私は最後の、最後まで一緒だからな」

「……なにを、今更」


 殿が何を言いたいのかは、わからない。

 だが、それは問題ではなかった。


 殿が求めるのなら応えよう。

 望むのなら叶えよう。死ねといわれれば死のう。

 共に生きろと言われれば、生き抜こう。

 守り抜こう。


 それが、拙者の目指す侍という有り様であるのだから。


「拙者はずっと、殿の侍でござる」

「ああ。約束、したからな」


 囁くような殿の声に、拙者は待つ。

 彼女が今、始めようとしていることを。


「権限者名は、神埼統真。コード27315。サウスピークプロトコルを、実行する」

『認証』


 殿が唱えた「それ」の後、拙者の額を覆う仮面に何かが起きたのは理解できた。

 長い間塞がれていた蛇口を無理矢理開いたかのような。


 こびりついた赤錆を押しのけて、深い水底から何かが湧き上がってくるような。


 目が醒めた。

 端的に言えば、そんな感覚だった。


『解放潜在能力指数を一パーセントに設定します。承認しますか』

「承認する」


 かちり、と、顔を覆う仮面から音が聞こえた。

 閉じた瞼をゆっくり開く時のように、視界が横一文字に開放されていく。


「これは……一体?」


 なんだ。

 体全体を包む、この光は。

 淡く、青白い、月明かりによく似た何か。


 そして、同時に感じる。

 自分の全身に漲ってくるこれは。


 力だ。


「言っただろ。まだ、ほんの一部でしかないけど、それが、本当のお前だ」

「よく、分からないでござる。しかし、これなら」


 なんとかできる。

 この絶望的な状況を、打ち払える。


 開いた手の平を閉じて、強く握りしめ、考える。

 降ってわいたようなこの力を使い、拙者が今、やらなければならないことはなんなのか。


「寒太郎、頼む。お父さんを、助けてくれ」

「心得た」


 救うべき相手となった社長は、非常口から外に出ようとしているところだった。

 だが、その背中に、NEPAの隊員の皆をすべて倒してしまった乱波者が迫っている。


 考えるな。動け!


「お前っ、またっ!」


 さっきまでの拙者であれば、社長の元まで駆け寄るのに数秒はかかっていただろう。

 その距離が、今はただ一度の踏み込みで事足りた。


 瞬きをするような間に、自分と社長の間に割り込んできた拙者を見て、乱波者が驚いたような声を漏らす。


「邪魔だあっ!」


 即座に女の蹴りが放たれた。

 拙者の首を狙った的確な軌道だ。しかし、今度は目で追える。

 体の動きも間に合う。

 腕を構えて、受け止めることができる。


「なっ……こんのぉ!」


 女の蹴りを防いだ手の甲から伝わってくる衝撃は、これまでより遥かに軽く、体勢を崩されることもなかった。

 乱波者もまさか正面から凌がれるとは思っていなかったのであろう。

 そのままたて続けに、蹴りと拳を繰り出してきた。

 それに対して拙者の体もよどみなく動く。

 躱し、いなし、受け止める。

 追いついたのだ。力も、速さも。


 同じ土俵に立つことができれば、この相手の動きは拙者より拙い。

 いつも手合わせしている殿の方がよっぽど洗練されているくらいだ。


 身に余る力をもち、大勢の人を傷つけ、命さえ奪おうとする。こんな奴のせいで。

 こんな下らぬ機械の鎧のせいで、厳原殿が!

 殿の大切な場所が、人が、壊された!


 膨れ上がるのは憎悪と、嫌悪、そして激しい怒り。

 もはや我慢の限界だ。


「いい加減にしろ!」


 女の拳を片手で受け止め、逆の手を添えながら体を反転させる。

 背負い投げというにはあまりにも力任せではあったが、拙者は乱波者をそのまま床に叩きつけた。


「ぎゃう!」


 木の床が裂けるほどの勢いで背中を打った女の口から、短い悲鳴が絞り出された。

 たとえ鎧を纏っていても、投げの衝撃は内側まで響いたはず。


「観念するでござる」


 これで大人しくなるのであれば、必要以上に痛めつけることはない。

 見下ろす女は僅かな時間、苦悶の表情を浮かべていた。


 しかし。


「……冗談じゃないっての」

「!」


 吐き捨てるような言葉の後、女の体から放たれていた気配がより濃く、不快なものに変わった。

 鎧から甲高い駆動音のようなものが漏れ出し、全身を伝う管のような部分が赤い光を帯びていく。


「周りを見なよ! もう引き下がれなんだっての、こっちはさあ!」


 怒鳴った女が仰向けの状態から放った蹴りは、先ほどまでより数段速かった。


 駄目だ。

 これは、避けられん!


 顔面をしこたま蹴りつけられ、体が無理矢理仰け反らせられる。

 その隙に乱波者は拙者の握っていた手を振り払ったのが分かった。


「あれでまだ、本気じゃなかったのでござるか……」


 拙者の元から一気に駆け出して距離をとる女は、まるで一本の光の線だった。


 走る、走る、走る、どこまでが助走か分からなくなるほどに、その速度は増し続けていく。

 悔しいが、今の拙者でも追いつくことは不可能であろう。


 ならば、どうするか。

 答えは自然と、脳裏に浮かんできた。

 淡い白の光を放ち続ける自分の手を見て、これしかないと思う。


 やったことはない。

 しかし、どうしてだろうか。できる、という確信があった。

 追いつく必要はない。


 奴を待ち、一撃で仕留めればいいのだ。


「来るなら、来い」


 足を開き、身を低く屈めて、腰の左側に右手を添える。

 社長は背後。奴が目的を果たすためには、必ず拙者の傍を通るはずだ。

 そこを斬る。


 そのための刃なら、ここにある。


 目で追い続けていた赤い光の線が、拙者の正面で点になった。


「ここは、通さんぞ」


 これまでで最も、速い。

 一直線に猛進してきた乱波者と、すれ違う刹那。


 一刀、否。刀を持たぬこれを言い表すのであれば。


「一凍両断」


 振るった右手から一直線に伸びたのは白刃。

 描いた光の半円が、女の胴を薙ぎ払った。


「は?」


 呆気にとられたような声の後、女の全身が一瞬にして薄氷に覆われた。

 自らが生み出した速度を制する力はもう、奴にはない。

 背後から一息遅れて聞こえてきたのは、金属が壁にぶつかるけたたましい音。


 これで終いだ。


「はあ? くそ! なによこれ! 動け! 動けっての!」


 拙者は振り返って、危機が去ったことを悟り、肩の力を抜く。


 非常口の近くの壁には大きな衝撃を受けて凹んだ跡があり、そのすぐ傍の床で乱波者の女が倒れたまま芋虫のように身を捩らせていた。


 その全身からはもう、先ほどまでのような不快感は放たれていない。

 それは奴の全身に纏われた鎧が、もはや機械と呼べる状態ではなくなったからだろう。


「哀れな。悔い改めるでござる」


 氷に包まれ、白い煙を放ちながら、鎧を軋ませて女は悶え続けている。

 こうなってしまえばもう、何もできまい。


 ただ、此奴が生んだ影響はあまりにも悲惨で、大きすぎるものだった。


「確保しろ! おい、お前らは社長につけ。下だ。早く!」


 鶴城殿も、大した怪我はしなかったようでござるな。


 動けるようになった隊員達に喝を入れながら指示を飛ばし始めている。


 社長の身の安全は勿論だが、あの乱波者の女には聞かねばならないことが山ほどあるだろう。

 さっさと捕まえて、尋問なりなんなりにかけるはずだ。


 拙者にもできることはないだろうかと、鶴城殿に声をかけようとしたその時。


「そういうわけには、いかねえ」


 またしても背筋に寒気が走った。

 しかも、馬鹿な。この気配は。


 さっきよりも、強いのではないのか?


「おうおう、かわいそうに。何がどうなったらこんなことになっちまうんだ、お前」


 いつ、現れた?


 倒れた女の傍に立つ大きな影。

 身の丈は鶴城殿より、さらに高いのではないだろうか。

 彼女を見下ろすその男の、太く厚い筋肉に覆われていることがわかる体には、同じような金属の鎧が纏われ赤い光を放っていた。


「おい、てめえ! そっから離れろ! 威嚇はなしだ、最初っから、実弾、で……」

「よお! 隊長さん。久しぶりだなあ! 俺のことわかるかい」


 男の存在に即座に気付き、鋭い声をあげた鶴城殿の目が見開かれていく。

 その理由は明らかだ。


 懐かしい友達にでも会ったかのような態度で片手を挙げた男は、素顔を晒していた。

 それを見るなり、鶴城殿の表情が苦々しく険しいものに変わっていく。


「……伊達、誠太か?」

「へえ、覚えててくれたのかい。嬉しいね。ま、だからどうってわけでもねえんだがよ」


 名前を呼ばれても気にした様子はなく、男は倒れていた乱波者の女を無造作に肩に担いだ。

 この声、どこかで……?


「おい、平。こっち見えてんだろ。なんで撃たない」

「ああ。あの腕のいいお嬢ちゃんなら出ないぞ。殺しちゃいねえから、安心しな」

「!」


 小声で無線機に話しかけた鶴城殿に、伊達と呼ばれた男は片方の口の端をつり上げて笑いかける。

 その言葉を信じるなら、この男は平殿を無力化してここにいるということ。


「厄介なのがいるみたいだしなぁ。今は、ここまでにしといてやるよ」


 伊達の視線は、拙者の方を向いていた。

 この男、拙者と女の戦いも見ていたのか?


「だけどな、忘れんなよ。罪には罰を、だ。神埼優人、あいつは殺す。ネクストアースなんてふざけた会社も潰す。その時まで、俺達は諦めねえからよ」


 伊達の言葉に滲むのは、色濃い敵意だった。

 いや、これは、そんなものではない。


「また来るぜ」


 まごうことなき、殺意だ。


 拙者はようやく思い出す。

 この男の声は、先ほど、あの乱波者の女の鎧から聞こえてきた録音の声と同じなのだ。


 こいつが、首謀者か。

 この惨状を生み出した張本人。


「待て! おい!」


 鶴城殿の静止の声も虚しく、赤い光を纏った伊達の体が跳んだ。

 一跳びでその体は三階の観覧席に達し、割れた窓の外へと消えていく。


「くそ! 一班! 一班! 緊急だ。敵は複数人だった! そっちに行くかもしれねえ! 付近の安全の確認取れるまで、社長の移動はさせんなよ! わかったな!」


 伊達を追うことは不可能だと判断した鶴城殿が無線機で警戒を呼び掛けている。


 おそらくは、大丈夫だ。

 伊達が放っていた不快な気配は遠ざかっていっている。

 この場でもう一悶着起こすつもりは本当にないのであろう。


 だが、安心することなどできはしない。


「どうして、こんなことに」


 破壊された体育館、倒れている人々、まだ消えていない火の手。


 なにも、終わってはいない。

 今日は晴れの日のはずだったのに、なぜ、こんなことになっているのだ。


 その後、NEPAや消防の人々が救助にやってくる中、拙者には自分のことを考える暇さえなかったのであった。

 小説で技名をわざわざ文字に起こすのってどうなん? と思わなくもなかったですが、外連味を与えるために良しとしました。

 ダサくないといいんですが……

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